第46話 蛍の観賞会Ⅲ
私の呼びかけにエルザがそばまで来てくれました。
「フローラ様」
キャメルの髪に鶯色の瞳。少しふくよかな体。そして何よりエルザの温かいまなざしは私をほっとさせます。
「エルザ。侍女の立場からどうでしょうか? 王子殿下という高貴なお方である以上、礼節を重んじ女性に対しても適度な距離を保ち接することが大事だと思いますが、どうですか?」
レイ様の腕の中で答えを期待して聞いてみました。
「そうですねえ」
すぐに答えが出ないのか、エルザは頬に手を当てながら考えています。
「フローラ様」
やっと結論が出たのかと、きっと私の味方をしてくれるとやっとレイ様の膝の上から逃れられると、ワクワクしながら待ちました。
「お靴を履き替えましょうか?」
靴? 予想もつかない答えが返ってきました。
言われて私は足元を見ました。靴は履いてきたままです。
そうでした。
先日、先生が室内履きをもう一足この宮に届けてくれたので、レイ様のお部屋専用になっていたのでした。
「はい。お願いします」
さすがに靴を書き換えるときまで膝の上ということはないでしょう。
私はレイ様の腕の中から離れるように動き出しました。もぞもぞと体をひねっているとグイっと後ろに引き寄せられました。
「レイ様、靴を履き替えますので下ろして頂けませんか?」
エルザとの会話で行動がわかっているはずなのに、膝の上に逆戻りです。
「このままでもできるでしょ? 勝手なことしないの。わかった?」
レイ様のこの口調は……
「私は小さな子供ではありませんよ。子ども扱いしないでください。それにエルザにだって迷惑がかかります」
「大丈夫だよ。エルザはベテランの侍女だし、靴くらいすぐに履き替えさせてくれるから。ローラはジッとしてて、わかった?」
またもや子ども扱いです。どこでスイッチが切り替わるのでしょう。
私はムッとしてぷくっと頬を膨らませました。抱き込まれた体はさっきよりも強固にがっちりとホールドされています。動けません。
結局横抱きされたまま、はしたないと思えるようなかっこうです。レイ様は気にする様子もありません。
セバスもダンも何も言いません。エルザもレイ様に従うようです。これでいいのでしょうか?
侍女とともにやってきたエルザが靴を脱がせると室内履きを履かせてくれました。
足に解放感が広がりました。気持ちいいです。室内履きには不満はないのですが、レイ様です。
「エルザ、先ほどの答えを聞きたいのですが」
そうです。室内履きで事をうやむやにしてはいけません。ここはエルザにびしっと言ってもらいたいです。
「そうでしたね。靴がどうしても気になり、そちらを優先してしまいました。申し訳ありません」
まずエルザが礼を取り謝ります。
「わたしは長い間レイニー殿下の侍女をしておりますが、わがままな態度や礼節に欠けたふるまいなど見たこともありません。先ほどダンも言いましたが、これはプライベートでの行為だと思われますので、フローラ様には心を広くお持ちになってお許しいただければと思います」
エルザが慈愛の籠った笑みを浮かべて、さらに深く礼を取りました。
「……」
言葉が出ません。
「うん。広い心って大事だよね」
レイ様がニッコニッコな顔で満足げに頷いています。百万の味方でも得たような自信にみなぎっています。
悔しいです。
エルザまで、レイ様の味方をするとは……思いませんでした。
「レイ様、もうそろそろよろしいのではないですか?」
誰も頼れない以上自分で何とかしなくてはなりません。
抱っこされてからけっこうな時間が立っていると思うのですが、ずっと抱きっぱなしはきついでしょう。
「まだ、一分しか経っていないと思う」
「いいえ。そんなわけはありません。一時間は経っていると思いますよ」
時間の経過ははっきりとはわかりませんが、一分のわけはありませんからね。
「ごめん。俺の勘違いだった。三十秒くらいだった」
軽い調子でレイ様がおどけます。これは、面白がっていますよね。本気で相手をするのも疲れますが、かといって諦めるのも癪に障ります。どうすればいいのでしょう。
レイ様に抱かれたまま、身じろぎ一つできないのでは抵抗のしようもありません。
「レイ様、離してください。お願いします」
ここは頭を下げて許しを請うしかないでしょう。
レイ様を見上げて目を見つめ心を込めて懇願してみました。レイ様の瞳に私が映っています。念を入れてじーと様子を窺います。
私を見つめていたレイ様の目が細められて唇が緩やかに弧を描きました。ささやかな希望を持ちながら、艶やかさを増した美貌に見惚れていると
「うん。もう少し、じっとしてて。まだ、一分しか経ってないよ」
くらりと眩暈を覚えました。
私の気持ちは通じなかったようです。
レイ様の辞書には離すという文字は掲載されていないのですね。あとで書き加えることを進言いたしましょう。
それにしても、はあ……抵抗する気力がなくなってしまいました。
なぜ、私を抱っこしたがるのでしょう。私が小さい子供に見えるのでしょうか? 時々口調が子ども扱いになりますから、目を離せないくらい頼りなげに見えるのかもしれません。
そうでも思わないと理解できません。
私は匙を投げました。これ以上は疲れるだけでしょう。
セバスやダン、エルザが言ったように、レイ様の気のすむようにさせてあげる方がいいのかもしれません。抵抗することを諦めて私はレイ様の身体に身を預けました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます