13話 屋上での決意
【13-1】
「小田ちゃん、今日は午後いいからそのまま上がってやれ!」
「すみません! そうさせてもらいます」
職場を出たのは、まだ陽が十分に高い時間。
昨日、急なスケジュールが入ってしまって美穂の病院に行くのが遅くなってしまった。
そのせいもあったのだろう。美穂はすでに寝息をたてていた。
宿直でまだステーションにいた三河さんと話して、起こしてとは言われたけれど、これだけ熟睡しているならかわいそうだし、明日は早めに来ると約束して、荷物だけ交換して出てきた。
昨日の処理が終わったので、今日の午後は予定がなくなったから、午後の半休をもらって、堂々と面会時間に間に合わせることができる。
「美穂?」
「ヒロくん、お仕事は?」
「今日は午後暇になったんで抜けてきた」
「もぉ、不良社員て言われるようになっちゃうよ?」
頬を膨らましているけれど、本当に怒っているわけじゃない。目は嬉しそうなのがバレバレだ。
「昼は食べ終わったのか?」
「ここ病院だもん。時間にはきっちり」
いつもどおりの洗濯物の受け渡しを済ませる。
「少し外の空気吸うか?」
「いいの?」
「三河さんにちゃんとOKもらってきたよ。でも、屋上だけどな」
数日後に大きな手術を控えている美穂があまり外部との接触をしてほしくないというのは十分理解できるから、ここはおとなしく聞いておいた方がいい。
「そっか、それじゃあちょっと着替えるから、待ってて」
カーテンを閉めて支度を始める間、廊下で待っているときだった。
「おや、美穂ちゃんの彼氏さんだね」
「あ、どうも。おとなしくしてますか」
同じ部屋の田口さんだった。
「本当にいい子だね。もう一人娘にしたいくらいだよ」
聞けば自分達より少し上の娘さんがいらっしゃるとか。それも、同じように交際している方がいて、結婚も考えているそうだ。
「じゃあ、元気にならなくちゃですね」
「あたしがこんな体だから、娘たちも気を遣っちゃってね。気にせず二人で結婚式を挙げておいでって言ってはいるんだけどさ」
「そうなんですね」
「おまたせー」
そこに美穂が柔らかい桃色のスエットの上下に着替えて出てきた。
「美穂ちゃん、屋上は風があるかもしれないから、なにか上に引っかけるものを持っていった方がいいよ。あたしはそれで戻ってきたんだから」
「そうなんですか? じゃ田口さんの言うとおりにします」
カーディガンを上から羽織って、ナースステーションに声をかける。
「一人じゃないから付き添いはいらないわね」
三河さんが笑って、俺たちはエレベーターで屋上に出た。
春の日差しが暖かい。
屋上には同じように外の空気を吸いにきた患者さんやその家族がいたり、作業で使うタオルなどの洗濯物が干してある。
「あのね、今日の午前中、検査結果を言われたの」
「そうか。なにか気になることはあったか?」
「ううん。特に問題は見つからなかったから、予定どおりできるってことを言われた。でも、私が落ち着かなかったから、そこでお話はいったん止まってる」
「怖いか?」
俯いていた美穂が俺を見上げる。
「初めて……、迷ったよ。本当にできるのかなって……。このままの方がいいんじゃないかって……」
俺の手を握りしめた美穂。やはりプレッシャーがないということはあり得ないのだろう。
「これまではね、両親だけだった。いつも苦労ばっかりかけて、もし戻ってこられなくても、私は……。でも、今回は違うの!」
あの胸元の手術跡、少なくとも2回は開胸手術をされているはずだ。
何度経験していたとしても、慣れるということはないだろう。
「ヒロくん……、もう離れたくない……。ちゃんと目を覚ませるか分からないんだよ?」
「美穂……」
「帰ってこられなかったら、ヒロくんを悲しませちゃう。だから、そのままの方がいいかもしれないって……」
そんなことをすれば、いつかは取り返しのつかないことになりかねないということもわかっている。
今回の治療が成功すれば、少しずつだけど薬も減らし、リハビリを進めてこれまで我慢してきたこともできるようになる。
そのメリットも分かっているけれど、でも……。
泣き出しそうな美穂の肩を抱く。
「今年は、忙しいぞ……」
「へ?」
「退院してすぐに花見だろ? 夏には花火を見に行って、秋には紅葉狩り。冬は、俺は寒いの苦手だから温泉にでも行こう」
俺の胸元で小さく肯く彼女。
「そのためには、美穂が元気に帰ってくることが必要なんだ。分かるよな?」
「うん……」
「明日も来る。明後日は1日休みにしてきた。朝からずっと、美穂が目を覚ますまでずっと待つ。待っているから、元気になって戻ってきてくれないか?」
「ヒロくん……」
「美穂が必ず俺のところに戻るって分かってるから。 戻ってきたら、これまでできなかったことやるんだろ?」
そのためにここまでの4ヶ月を頑張ってきたのだから。
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