第264話 クルトス解囲会戦*

 十月十八日朝8時30分、決戦の準備が整い、もはやイイスス教国連合軍とも言えなくなった味方の軍は、歩幅を揃えて進軍を始めていた。

 フリッツは、それを戦場から南に離れた町の、鐘楼の上から見ていた。


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https://kakuyomu.jp/users/fudeorca/news/16817139556917719037

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 オルセウス上級大将は戦列中央に陣取って総指揮を執っている。

 戦いの判断については、全て彼に一任していた。フリッツは、基本的にはそれを見守る立場で、やることといったら必要があれば伝令を飛ばすことくらいだった。


 鐘楼の上から見ると、敵軍はあまりにも薄い。遠くの物は小さく見えるというのもあるだろうが、陣容の厚さは、やはりこちらが圧倒しているように見える。

 ユーリ・ホウは、確かに軍略に長けているだろう。それは間違いがない。だが、軍勢にこれほどの差があってなお、どうにかできる秘策があるのだろうか?


 左翼を進む、ガートルート率いる教皇領軍は、木々の生えた丘から兵が湧くように出てくることを警戒し、そちらに兵を差し向けている。

 右翼では、クルルアーンの竜人隊ドラゴニュートが接敵しようとしている。彼らは練度が高いことで知られた軍隊であり、当たる相手がどれほどの精鋭だろうと、安値で雇った傭兵部隊のように手応えなく潰走するということはありえない。

 中央は、ガリラヤ連合の本隊が抑えている。祖国を守るための戦争に参加している彼らは、この場にいる誰よりも粘り強く戦うだろう。


 そして、後ろにはクルトスの城壁が控えている。潰走となれば、たった二千といえど兵が門を開けて突撃し、彼らの背中を襲うだろう。


 空には十匹の竜が大きな翼を広げ、鷲は逃げ惑っているように見える。竜による威嚇は効果を発揮しているようだ。

 どう見ても、付け入る隙があるようには見えなかった。


 では、なぜユーリ・ホウは包囲を解いて逃げ出さず、こうして決戦に挑んでいるのだろうか?

 ガートルートによれば、それには必ず理由があるという。だが、フリッツにはそれが未だに分からなかった。


 いずれかの神がユーリ・ホウに味方をして、天から巨人の鉄拳が降ってきて自分たちの軍を穿つ。もしそんなことがあれば、確かに負けるだろう。

 だが、フリッツの学んだ歴史の話では、そのようなことは一度として起こっていない。人々の想像が形を造った神話の時代ではありふれたことだったようだが、歴史が現在に近づけば近づくほど、そういったことはなくなってくる。


 前線では、隣にあるガリラヤ連合軍本隊と歩幅を合わせながら、竜人隊ドラゴニュートがゆっくりと前進していた。

 ついに、この会戦の火蓋が切られようとしていた。


 彼らは遠距離からの射撃は効果が薄く、装填の労のみ多く意味がないと考えており、勇気を奮ってやや近間にまで前進してから発砲する。

 ひょっとすると、先に銃火を放つのは敵の方かもしれない。

 だが、彼らはそれを意に介さず、整然と行進し、合図に従って一斉に発砲するだろう。そのうちに、一斉に真っ白い発砲煙が立ち上がるはずだ。


 フリッツが、期待を胸に抱きながらそれを待っていると、竜帝国軍の隊列の右になにかが落下し、派手な土煙をあげたのが見えた。


 フリッツは最初、天から小さな流星が降ってきたのだと思った。


 数秒後、それは違うのだ、と、音がフリッツに教えた。

 ドォ――ン、という音が、数秒遅れてフリッツの耳を打った。


 それから一分もしないうちに、次に降ってきた何かは、竜人隊ドラゴニュートの上に

 数秒の後、一つ前とは比べ物にならない大きさの音が、一斉にフリッツの耳を叩いた。


 ユーフォス連邦製の海戦用の高倍率望遠鏡を手に取ると、急いで目にやり、天から何かが降り注いだ竜帝国軍の陣営を見る。

 密集陣形の所々に穴が開き、隊列が大きく乱れていた。望遠鏡越しでは小さくて良く見えないが、穴は人間ごと引き裂いて開けたものなのだろう。


 鳥肌が立ち、頭が真っ白になった。


「―――くっ、でんれぇ!」


 フリッツは、隣で同じように陣形を観察していた武官が、鐘楼から身を乗り出して発した言葉をよく理解できなかった。

 見ると、必死の形相で羊皮紙に筆を走らせ、筒に入れて下に投げている。


「教皇領軍に馬を飛ばせ! 一番早い馬を!!」


 再び望遠鏡を構え、左翼に目を向けると、少し離れたところから敵軍の動きを窺っていた教皇領軍が既に動いていた。

 ガートルートは、仔細を観察できなくとも、丘の上の何かによって、何事かが引き起こされた事は察知したのだろう。報告を待たず、森を擁する丘を制圧する判断をしたようだ。


 丘の上に望遠鏡を向けると、煙が漂っていた。だが、それは大砲が発する煙にしては、とても少ない。

 フリッツの知る大砲は、使う火薬の量が銃とは段違いに多い。一発射てばもうもうと煙が立つはずだった。ましてや、複数門を一斉に発射したのであれば、あの程度の煙しか上がらぬはずはない。


「ありえません」


 先程、伝令に筒を投げた偵察武官が言った。


「大砲の弾が、左翼の端から右翼まで届くなど――」

「大きな大砲、ということなのでは?」


 フリッツは、望遠鏡を覗いて丘を観察していた。今度は、明確に丘の頂上から煙が吹きだしたのが見えた。右翼に目線を移すと、今撃たれた砲弾が複数弾着したのが見えた。

 砲煙が出て、遠くにあるものに着弾する。やはり、使っているのは違った新兵器ではなく、大砲のたぐいなのだろう。


 数は二十ほどだろうか。着弾した弾は、地面にぶつかると同時に爆発したようだった。

 中に火薬が詰まっているのかもしれない。よくある大砲に使う、中にまで金属が詰まった丸い弾では、ああはならない。


「大きなものでも駄目なのです。あれほど飛ぶ大砲となると、この鐘楼のような大きさの筒を用意しなければならなくなるはずです。そうでなければ、火薬の衝撃に砲身が持ちません」

「そうですか……」


 フリッツは、望遠鏡で丘の頂上を見た。そこから煙が立っているのは確かだが、高く組み上げられた櫓以外にはなにも見えない。

 それほど巨大な砲があるようには見えない。

 こちらが想像するような形の大砲とは限らないが、どんな秘密兵器であるにせよ、木々に隠れる程度には小型で、丘の上に持ってこられる程度には軽量なのだろう。


 彼らは、それを隠していた。

 当然のこと、彼らはそれをクルトスに撃ち込むこともできたはずだ。そうすれば、城壁など一瞬で粉々になる。

 陥落まで一日どころか、半日もかからなかったはずだ。

 だが、それはしなかった。それはクルトスを囮として、丁度いい場所に丘を擁する戦場にこちらを引き込むためだったのだろう。


「……まあ、だが、もう戦闘は始まってしまった。取り返しはつかない」


 罠に嵌められた。それは分かる。

 だが、ここから撤退するとなれば、敵兵に背中を見せることになる。


 布陣を完了して、遠間から睨み合った状態で、ではない。全ての前線が接触し、交戦が始まってしまった状態で、だ。

 もう賽は投げられてしまったのだ。


 まだ太陽は頂点まで昇ってもいない。今撤退すれば猛烈な追撃を受け、この連合軍は瓦解し二度と集まりはしないだろう。


「勝ちます」

 武官が言った。

「こちらには、八万もの兵がいるんです! あんな大砲の弾が当たったところで、やられるのは数人がいいところでしょう。押しきれないわけがありません!!」


 確かに、それは理屈の上ではそうかもしれなかった。

 だが、見たこともない兵器が頭の上に降ってきて、爆裂して味方の体を四散させてゆく。そんな中で、勇気を奮って戦える者が、そう多いものだろうか。


「教皇領軍も頑張ってくれています。すぐに丘を取るでしょう。絶対に勝てますよ!」



 *****



 戦闘が始まり、一時間ほどが経った。


「左翼丘陵、森林中に白兵戦を得意とする敵精鋭部隊多数潜み、我ら全力を投じて奮戦すれど、未だ陥落成らず。申し訳なし………か」


 フリッツは、ガートルートから送られてきた、あまり良くない内容が書かれた戦況報告を読んでいた。

 教皇領軍は、兵力の全てを丘陵部攻略に注ぎ込み、今は丘陵全体を半包囲するような格好となっている。

 何度も何度も一斉攻勢をかけているが、その度に退けられていた。


 長耳の、シャン人の軍は、元々白兵戦を得意としている。あれほどの軍勢があれほどの攻勢をかけても退けられたということは、長年白兵戦の訓練を続けた精鋭中の精鋭を林中に潜ませているのかもしれない。

 森の中では銃は本領を発揮しない。誰もが、剣や槍といった原始的な武器で戦わねばならない。


 他の部隊も、奮戦はしているが空中から間断なく飛んでくる爆発弾のせいで攻め手に欠けている。士気も落ちているだろうし、そもそも降り注ぐ砲撃のせいで陣形が乱れて、息の合った突撃ができない。


「きみ、名前はなんだったかな」


 フリッツは、その時はじめて、隣りにいた偵察武官の名を聞いた。


「クラーラ・アルムスターです」


 武官は、鈴の鳴るような声で言った。


「クラーラさん。伝令に頼んで、文書の配達を頼む。イルハーム元帥に」


 フリッツは、今日初めてペンを取り、羊皮紙に文章をしたためた。

 書き終わると、それをクラーラに渡す。


「………読んでもよろしいですか?」


 クラーラが訊いた。本来、軍部はフリッツの行動を止める立場にないが、戦いのプロフェッショナルとしては、素人に勝手な行動をされるのは問題があるのだろう。

 クラーラはそういう意味で一種のお目付け役というか、フリッツの行動を監督したり、迂闊な短慮を諌めたりする役目を帯びているに違いなかった。


「君はアーン語が読めるのか?」

「あっ、いえ」

 読めないのなら、見せても意味がない。もちろん、文書は当然ながらアーン語で書かれている。

「いくらかの竜騎兵を丘に突っ込ませろと書いただけだよ。オルセウス上級大将には、そういった指示はできかねるだろう」

「そうですか?」


 クラーラは聞き返してきた。若いので、そういった政治の機微が分からないのだろう。

 突っ込ませろというのは、つまりは使い捨てになって死ねということを意味する。

 援軍に来てくれた隣国の者に出す軍命令としては、一般的にはばかられるものだ。


 フリッツは、”丘には強力な敵兵が多数潜んで要塞化されており、砲撃を止めることは難しい。このまま敗走となれば、皇子の安全が心配である。ここは、竜を使って上空から攻めてもらえまいか。”というような内容を、迂遠にややへりくだった文章で書いた。

 大砲という兵器の性格上、味方に誤射すれば大損害を産むので、敵軍の方面から接近すれば万一にも砲弾で迎撃されることはないだろう、という注意書きもつけている。


「そうだよ」

「で、でも……竜騎兵は現在、鷲の攻撃を阻止する行動をしていて……」


 十匹の竜は、鷲が降下に移れないように撹乱する任に就いていた。

 竜を即座にどうにかする兵器はさすがに持っていないらしく、今は鷲は大半が退いて、五匹の竜が空中を制圧しているような格好になっていた。

 竜はそれほど長くは飛べないので、最初は十匹を出していたが、鷲が退いた今は五匹ずつの交代制で任務に当たっている。


「戦場は膠着していて、砲撃はこちらを打撃し続けている。このままでは打つ手がない。大砲を直接攻撃して、状況を打開できるのは竜騎兵だけだ。私の感想は間違っているかな」

「………………」


 間違っていて、手がまだ残されているのであれば、それならそれでよかった。

 だが、クラーラは黙ってしまった。


「……状況としては、それで正しいと思います」

 やや葛藤があったのか、絞り出すように言った。

「では、伝令を頼む」

 と、フリッツは文書をクラーラに渡した。

 クラーラは、それを伝令用の筒に入れ、よく通る声で「でんれぇ!」と、鐘楼の下に待機する伝令に合図をした。


 竜はシャン人の鷲と違い、単体で陸上での戦闘力がある。なので、元々は敵陣に踊り込んで攻撃するという使い方もする兵科だ。さすがに、真っ只中に突っ込むという使い方は普通しないだろうが、分類としては本来の使い方といってもよい。

 数匹の竜が一斉に突っ込めば、大砲を壊せるかもしれないし、壊せなくとも砲を運用する砲手のほうを殺してしまえるかもしれない。

 いずれにせよ、砲撃がしばらく止まる程度の戦果は、少なくとも期待できる。


 フリッツは、続けてオルセウス上級大将にも書簡を送った。

 竜が突撃すると同時に、総攻撃を行うように。


 勝つにせよ負けるにせよ、これがこの会戦最後の攻勢となるだろう。

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