第230話 バイロンズピーク

 九日間の順調な航海を終えた船は、アルビオ共和国の首都、バイロンピークに来ていた。


 ただ、船中で聞いたイーサ先生の歴史話によると、バイロンピークを首都と呼ぶのは、アルビオ共和国人にとってはあまり良くない気分らしい。


 元々は、湾の中に目立った高台があって、船乗りたちが目印にしていたそこがバイロンという人の土地だったために、バイロンズピークと呼ばれていた。

 その麓に出来た街にも名称が移り、そのうちに訛ってバイロンピークとなった。


 イイスス教世界と敵対するうち、いつ何時攻められるか分からぬという状況に晒され、湾の中で目立った高台を持つバイロンピークは重宝されるようになった。

 そのうちなし崩し的に首都になってしまったが、あまり余所者に自慢できる重厚な歴史とは言えない。


 大アルビオ島にはアルビオンという立派な都市があり、アルビオ共和国民の心情的な首都はそちらである。

 アルビオンは大アルビオ島南部平野地帯の中央部、バーミンガムのあたりにある壮麗な都市らしい。


 グレートブリテン島とアイルランドのあたりは、二千年前には古い王国が三つほどあって、それぞれがアイルランドとスコットランド、イングランドとウェールズを足した地域を支配していたらしいが、他の地域と同じようにクスルクセス神衛帝国に滅ぼされ、支配下に入った。

 その時にクスルクセス神衛帝国が築いた属州アルビオの州都がアルビオンである。


 その後、クスルクセス神衛帝国が倒れると、この地域はカルルギニョン帝国の占領地域となった。


 だが、カルルギ派とカソリカ派の大戦争が始まると、カルルギニョン帝国は戦費にするため大規模な増税を繰り返した。

 その負担は全国で同様の水準だったのだが、恐ろしく厳しい税率であったことに違いはなく、大小アルビオ島にいた人たちは大変な負担を強いられた。


 島に居た彼らにとっては、戦争のことなど大陸での対岸の火事でしかなく、あまり実感がなかったらしい。

 それなのに、税だけは餓死者が出かねないほどに高くなったので、カルルギニョン帝国が全方位から攻められ落ち目になってくると、反旗を翻した。


 だが、豊かな上に上陸するに容易な大アルビオ島の平野地帯には、敵軍の上陸を警戒したカルルギニョン帝国の大兵団が駐屯していた。

 なので、蜂起は小アルビオ島で行われた。

 その後、上手いこと小アルビオ島を奪って、スコットランドの辺りまでは手に入れたのだが、彼らは平野部での戦いには勝てなかったらしい。


 その後、カルルギニョン帝国を追ってきたフリューシャ王国が上陸すると、南部の支配権は彼らに奪われる。


 もちろん火事場泥棒的に南下はしたのだが、やはり平野での戦いでは負けて、再び山岳部に追い散らされた。

 抵抗するに容易な山岳部での戦いには勝利できたので、北部は守られた。


 その後、現在から百八十年くらい昔に、イイスス教国とココルル教国との間で大戦争があった。

 これは畏仔戦争といって、数万人の規模の会戦が何度もあった多国家対多国家の全面戦争であり、イイスス教国はこの戦争にかかりきりになった。


 ユーフォス連邦は、この時背中を刺す形でフリューシャ王国から独立した国である。

 有能な創設者が一気呵成に反乱を起こし、周到な計画で諸国を手玉に取り、上手いこと独立してしまったという経緯は、ガリラヤ連合と似ているかもしれない。

 この時、ユーフォス連邦はフリューシャ王国が支配していた大アルビオ島南部を攻め、これを奪った。


 歴史上この時ほどの好機はなかったのだが、情けないことにアルビオ共和国の大評議会は、当時混乱状態にあり、政争のまっただなかにあったらしい。

 国家の意思決定機関が麻痺していて、軍を計画的に動員することができず、目の前で平野地域の支配者が移り変わるのを、ただ傍観していた。


 その反省から同様の事態が起こらないよう、内部で少し制度が変わり、大評議会議長という内閣総理大臣のような地位の人間の職権を増やした。


 そして現在に至る。



 *****



 船室には四人の人間が居た。

 俺、リーリカ・ククリリソン、アルビオ共和国側の使者、そして彼が伴ってきた速記をするための書記官の四人だ。


「遠路はるばる……ご足労いただき痛み入ります、ユーリ・ホウ閣下」

「よろしくお願いする」


 俺は椅子から腰を浮かし、使者と握手を交わした。


「さて、オヴェリン・オクタル大評議会議員殿。貴殿は全権委任された大使ということで良いのかな」

「かまいません」


 構わないらしい。


「この手数料五割という数字はいささか高すぎるな。大口の取引だ。一割程度にまけてもらいたい」


 俺は海上から彼らに一度使者を送っており、条件の打診をしていた。

 陸地に招かれたが、それは断り、船上での会議と相成った。


 まー、吹っかけてくるだろうとは思ったけど、五割とはな。


「こちらとしても、手間賃というものがございます」

「それは理解できる。貴国とて、交戦中という名目上、諸国と公的な国交を有しているわけではあるまいしな。ただ、それでも五割ということはない」

「五割というのは良心的な価格設定でございます。恐れながら、貴国には選択の余地はないわけですから」


 ふーん……。


 まぁ、こちらにも今やテロル語の話者は多いわけだし、各国の使者を招き入れて個別に交渉ということもできなくはないんだけど。

 それだと一ページ目にいるような大物以外は取引するのが難しくなる。


「法外ですわっ!」


 俺の隣にいたリーリカ・ククリリソンが怒っている。


「リーリカ。黙っておけ」

「しかしっ――!」

「黙れ」


 これは商談の場ではない。

 外交の場なのだ。


「――貴国には、社を通じて散々儲けさせてきたはずだがな」

「それは感謝しております」


 その後、しばらく待っていたが、二の句を継ぐわけでもないらしい。

 感謝している、というだけか。


「ふむ……」


 なるほど。そう来るか……。

 ま、結局、損得でいえば俺たちとは付き合ったほうが絶対に得が多いことになるんだろうから、あれなんだろうな。


 長い付き合いをしたほうがいい相手とは、まともに交渉をしたほうがいい。

 当たり前のことだ。

 相手にとって、俺達はそうじゃない相手だから、こうして法外な条件を提示してきているわけだ。


「では、食料だけ買い付けさせて貰いたい」

「それも、小麦一袋につき千エピの値段とさせていただきます」

「なっ――!」


 リーリカ・ククリリソンが血相を変えた。

 為替レートが分からないのでなんとも言えないが、きっと法外な値段なのだろう。


「黙ってろ」

「でもっ――、とんでもない値段設定ですわ! こちらの足下を見てっ――!」

「魔女の連中もそうだったけどな」


 俺もルイーダ・ギュダンヴィエルのババアからは、みかじめ代だけで二割よこせとか言われたし。

 あの水準で行けば、労務が介在する交渉も含んで五割というのは、良心的だろう。


 やくざ者の法外な値段設定のなかで良心的というだけで、法外に変わりはないけど。


「ま、いいだろう。ただ、そういうことなら今後は取引を考えさせていただく」

「なにか誤解があるようですね」


 オヴェリン・オクタルは、椅子から立った。

 その隣には、俺が頼んだ向こう側の書記官がいて、速記を取っている。


 オヴェリン・オクタルは、船室の窓から外を見ている。


「我々には、二つの選択肢がありました。一つは、先に申し上げた条件でシヤルタ王国と取引をする」

「なるほど」

「二つ目は、ここで貴船を拿捕する」

「なるほど」


 やっぱりか。


「二つ目の選択肢では、ユーリ・ホウ殿と、ここにはおられませんが、イーサ・カソリカ・ウィチタを手に入れる事ができるでしょう。どちらも高値がつくのですよ。貴方を捕虜にして、貴国にいる王侯貴族たちと交換してもよい」


 まあ、そうだな。

 相当な儲けが出るだろう。


「貴方のお立場を考えれば、どれだけ吹っかけても交換に応じるでしょう。イーサ・カソリカ・ウィチタと、あなたのリストの一ページ目に並ぶお歴々の身柄……彼らを合わせれば、我らの国家予算の実に五倍ほどの金額を引き出せるのです。手数料五割が良心的と言った理由がお分かりいただけましたでしょうか」

「聞きしに勝る海賊っぷりだな。感心する」

「お褒めに与り光栄です」


 悪びれもない。

 こいつは本物なのだろうが、言ってみれば捨て駒で、人質にしても意味がないということになっているのだろうな。


「ただ、あまり賢いとは言えないな。致し方ないとはいえ」

「それはどうでしょう」

「書記官くん、速記は取っているか? おそらく歴史に残る資料になる。責任重大だぞ」

「はい?」


 書記官が顔を上げた。

 手元を覗き込むと、流麗な筆記体できちんと議事録を取っているようだ。


「貴国は、短慮だが愚かではないと信ずる。意見を翻してくれることを期待しているよ」

「どういうことでしょう? ご存知かどうか分かりませんが、この船は帆を畳んでいる」

「だから?」

「我々は、この湾を知り尽くしております。風上にいる五隻の船からは、いかにしても逃れられませんよ。貴国には海戦の経験もない。勝ち目は万に一つもありません」

「ううん……まあ、いいだろう。では、我らが逃亡を図ったら、自動的にシヤルタ王国とアルビオ共和国は開戦するということでよろしいのだな」


 俺がそう言うと、オヴェリン・オクタルはようやく強い違和感を覚えたのだろう。

 余裕の表情を崩した。


「……そういうことになりますね」

「我々から戦争をしかけたわけではないことを確認したい。我々が逃亡しようと帆を張れば、貴国の海軍は宣戦布告なしに拿捕作戦を開始する。という宣言をされたと受け取ってよろしいのだな」

「……いえ」

「違うのか? 貴殿は全権大使だろう。発言は記録されている。議事録を照会すれば、そのような解釈になろう。それとも発言を撤回するか?」

「……いいえ、その通り、開戦するという解釈でよろしいかと」


 言質をとった。


「では、風上にいる貴国の軍船が碇を上げるか切るかをしたら、拿捕作戦を開始したとみなそう。書記官くん」

「はい?」


 せかせかと議事録を書き付けていた書記官が顔を上げた。


「ここまでの議事録に双方の署名をする」

「……は?」


 オヴェリン・オクタルは、いまや混乱の極みにあるようだ。


「わからないのか? これから戦端を開くのだ。開戦だよ」


 俺がそう言うと、船室の中に緊張が走った。


「ほら、書記官くん、早く写しを作成してくれたまえ。双方持つ分、二通必要なのだから」



 *****



 船員が帆を張っている。


「貴国も耳が遅いなあ。我々がユーフォス連邦の船を大量に撃沈したのを知らないのか」


 オヴェリン・オクタルは黙っていた。

 俺は双眼鏡で、五隻の船の碇を見ていた。


「いえ、情報は耳にしております」

「では、その兵器が船に載るものとは思っていなかったのか。高い代償になったな。目の前に大きな飴をぶら下げられての事とはいえ」


 五隻の船の碇が切られたのが見えた。


「信号旗を上げろ!」


 俺が叫ぶと、予め用意されていた信号旗があがった。

 僚艦から六羽の鷲が飛び立つ。


「見たまえ、貴国の浅い思慮の結果だよ」


 五隻の船のうち、四隻の後方に回った鷲が、急降下しながらぽんと何かを投げた。

 だが、甲板にはなにも起きない。


 突き抜けたのだろう。

 鋳鉄の重みで貫かれた甲板の下では、今頃爆発とともに金属片と燃焼した油が撒き散らされ、乗員を殺傷するとともに、手の付けられない火災を引き起こしているはずだ。

 予備の二羽は何も落とさず、全弾が着弾したのを見届けると、港のほうに向かった。


「安心しろ。一隻は残すように指示をしてある。船員は救助されるだろうよ。爆発で死んだ者は無理だが」

「………」


 すぐに筋のような黒煙が船からあがりはじめる。

 戻ってきた鷲に直ぐに火炎瓶が手渡され、再び舞い上がった。


 火炎瓶が投下されると、甲板での操船活動も不可能となる。

 うまい具合にメインマストにぶつけられた火炎瓶が、一つの船のマストを一瞬にして火の燃え盛る棒に変えた。


 船員たちは船から身を投げ、一つだけ無事な船目指して泳ぎ始めた。


「どうした? 君はこれから報告に戻るのだ。よく見ておかなければいけないよ」


 俺がオヴェリン・オクタルを見ると、蒼白な顔をしていた。


「安心したまえ。俺は怒ってはいない。このようなことも想定内だった」

「……はい」

「残弾は十分にある。今港に停泊している船……四十八隻あるな。一隻も逃がれられるとは思わないことだ。造船所にて建造中のものも含めて全て破壊する」

「……それは」

「どうした? これが貴国の望んだ戦争だろう。全権大使の君が議事録にサインをした。言い逃れはできんぞ」


 オヴェリン・オクタルは、可哀想に肩を震わせていた。

 この兵器を手に入れた今、もはや海戦など成り立たないことが分かったのだろう。

 大人が赤子の手をひねるようなものだ。


「さて、ここからが提案だ。もしアルビオ共和国が協力してくれるのであれば、あの鷲を無償で貸し付けよう。実際に船を燃やす兵器は購入してもらうがね」


 鷲はシャン人にしか懐かないので、彼らが自らの兵器にすることはできない。


 鷲の威力を実演できたのもよかった。

 条約締結も優位に運ぶだろう。


「……というと?」

「ユーフォス連邦だよ。見ての通り、あれを使えば海戦で圧倒的な優位を得られる。それで連中の船をいかようにも燃やし尽くしたまえ。そうすれば、海運に頼る彼の国の国力は衰えよう。また大アルビオ島に援軍を寄越すことも容易ではなくなる。アルビオン奪還の宿願を果たすことも夢ではなかろう。それとも国家予算五年分とやらのほうが、アルビオンより大切なのかね」


 眼の前では、四隻の船が完全に炎上しつつある。

 船首から船尾までの全てから黒い煙があがり、風にたなびいていた。


「……なぜそのようなことを提案するのですか? 軍船を全て無力化できるのであれば、軍を上陸させ、我が首都を占領することも夢ではありますまい」

「貴国がカソリカ派ではないからだよ。俺が潰すのはカソリカ派の国々だけだ。この島の領有など興味がない」


 兵器の支援は有効な戦略の一つだ。

 自国民を犠牲にしなくとも、傷ついても痛くも痒くもない他国民が兵器を駆使して敵を痛めつけてくれる。


 自前の船を割かなくとも、向こうで勝手にやってくれるのだから面倒がなくて良い。


「戻って、大評議会議長と協議するのだ。我らを味方につけるか、敵とするか、選べ」

「……なるほど、どうやら、あなたは聞きしに勝る英傑のようだ」


 英傑とは。

 背筋が寒くなるようなことをぬかしやがるな、こいつ。


「五時間後までに白旗を挙げた船がこなければ、港に泊まっている船と、市街地を無差別に破壊する。それまでの間に港から出港しようとする船は、これも破壊するつもりだ。船が惜しければ出港しないよう船主に言うのだな」

「はい」

「休戦の条件は、我々の十船全ての船倉いっぱいの食料とする。一方的な流れになったとはいえ、貴国から吹っかけた戦争だ。だろ?」


 そして、俺はあらかじめ用意していた条約の草稿をオヴェリン・オクタルに渡した。


「ほら、これを持って、早く行くのだ。頭の回らない船長が船を出してしまうかもしれない。俺は貴国とは平和を望んでいるのでね。あまり痛めつけたくはない」

「それでは、失礼いたします。多大なご無礼をいたしましたこと、どうかお許しを」

「理解できないわけではない。さあ、早く行け」


 俺がそう言うと、オヴェリン・オクタルは縄梯子を降り、来る時に乗ってきたボートに乗り移った。


「いいんですの?」


 怒りが収まらぬ様子のリーリカが言った。


「あの連中のあの態度! 絶対に許しておけませんわ」

「許してやれ」


 この出来事は将来の奇貨になるかもしれない。

 アルビオ共和国はカルルギ派の国だ。

 ワタシ派が広まれば、将来やはり対立関係になるかもしれない。


 その時、こちらを裏切らず誠意を尽くして付き合ってきた親密な友邦であったら、切り捨てにくい。

 一線を引いた付き合いになれば、友情をかさに技術提供を迫ってくることもあるまい。


「すぐに掌を返してくるさ。お前が怒ったふりをしていれば、賄賂でも送ってくるかもしれないぞ」

「掌を返してこなかったら?」

「あの弾頭は十個しか完成してないからなぁ。とりあえずあと六隻沈めて、そしたら港に居る船全部よりは穀物を進呈したほうが安上がりだって気付くだろう。余裕ができたら定期的に来て、その都度カツアゲでもするさ。喧嘩を売ってきたのは向こうなんだからな」


 どっちに転んでもこちらは得をする。


「……休戦するのでは?」

「休戦というのは、終戦とは違う。休戦するさ、一週間くらいな」


 俺が当たり前のことを言うと、リーリカはうふふ、と笑った。


「流石、わたくしが見込んだ男ですわね」

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