第219話 決戦前夜

 ディミトリが軍を引き連れて戻ってきたのは、七月十四日のことだった。


 俺はシビャクの入り口まで出迎え、荒れ地の向こうから走ってくる彼らを出迎える。


「ゆ、ユーリ閣下っ!」

「よう」


 手を上げて挨拶をする。

 ディミトリは直ぐに全体停止の号令を発すると、カケドリから降り、膝をついて敬礼した。


「ディミトリ・ダズ、只今戻りました」

「戦果は聞いた。ご苦労だったな」


 軽くしゃがんで、膝をつくディミトリの肩を叩いた。


「頭領殿」


 続いて、騎兵を引き連れて隊列の横を駆けてきたのは、ソイムだった。

 ソイムは既に役目を他の者に交代している。

 そうでないと、数日後に控えた決戦のために休みが取れないからだ。


 同じようにカケドリから降り、ディミトリの隣で膝をついた。


「任務を果たし、帰参いたしました」

「ご苦労だった。よくぞ大任を勤め上げてくれたな。槍の弟子として誇りに思う」


 俺は背筋がぞわっとするのを堪えながら言う。

 これも必要なことだ。

 そのために、厳かではあるが綺羅びやかではない上等の服まで着て、こうしてここに来ている。


 ディミトリとソイムの後ろには、今まさに戦場から帰った兵たちがいるからだ。

 彼らをねぎらってやらねばならない。


「ほら、立て。重ね重ね、よく頑張ってくれたな」

「ありがたき幸せ」

「過分なお言葉、痛み入りまする」


 ディミトリとソイムは心得ているのか、敬意を含み礼を失しない形で、そつなく返した。


「全隊、集合!」


 ディミトリが大声で号令を発し、それが伝言ゲームのように続いていく。

 兵たちが集まってきた。


 ソイムの隊は、それをせずとも既に集まっている。

 号令を出さずとも、ソイムが手振りを一つすると集まってきた。


 奇襲を旨にしてきたので、無言での行動が染み付いているのだろう。


 俺は、塊になった兵たちに向かって歩き出した。

 一人ひとりの顔を見てゆく。


 誰も彼も、戦塵にまみれて薄汚れた顔をしている。

 服も汚れ、靴や裾などは泥でぐしゃぐしゃになっている。


 俺は負傷兵を中心に少しづつ声かけをし、最後にソイムの隊に向かった。


 カケドリの手綱を持って直立する兵たちは、やはり選りすぐりだけあって屈強だった。

 それでも、送り出した百五十騎のつわものたちは、ここには八十余騎しかいない。


 残りは、今までの一ヶ月弱の戦闘で、少しづつ減ってしまったのだろう。


 そのせいか、誰も彼も地獄を見てきたような顔をしていた。


「君たちの献身のお陰で、ようやく戦いを同等に持ち込めたようだ。感謝する」


 俺はそう言って、キルヒナ兵たちの労をねぎらった。


「この国に対して尽くした者は、相応に報いられるべきだ。俺は君たちが捧げた槍に対して、そして敵刃に心臓を晒した勇気に対して、必ず報いる。それはこの戦いの後の出世であるかもしれないし、ことによっては寡婦へ差し上げる年金になるかもしれない」


 できるだけ全員を見渡しながら、そう言っていく。


 ここにいるキルヒナの兵たちは、騎士章を持つ騎士であり、妻子を連れた者が何割かいるのを、俺は知っていた。

 彼らの多くは、生活に窮してここにいる。

 家族がなくとも、武を持って民を纏めて生きてきた者が、市井の労働で暮らすのは辛かろう。


 また、中には先の戦乱において妻子と離れ離れになった者もいる。

 そのような者たちは、自らの生活などどうでもよく、十字軍への復讐のためにここにいるのかもしれない。


 兵には一人ひとり事情がある。


「栄達の道を切り開くのは、自らの槍だ。命を惜しまず、勝利を惜しめ。次の戦いにおける、君たちの勇戦を期待している」


 そして、数において多いディミトリの軍のほうを見た。


「君たちには宿を手配しておいた! 次の戦いまで、存分に飯を食い、酒を飲み、英気を養ってくれ!」


 そう伝えると、俺は二人の将に対して兵を置くべき場所を伝えた。



 *****



「あのようなことを、全軍にやっているのですか?」


 王城に出頭してきたディミトリが言った。


「ああ、できるだけな」


 なるべく一度は兵の前に晒すようにしていた。

 やはり、将の姿を知っているのと知らないのとでは、決戦への意気込みが違ってくるだろう。


 年少にはどうしても不甲斐ないというイメージがつきまとう。

 だからこそ、服装まで吟味し、着たくもない服を着て、印象を整えた。


「大変でしょう。お忙しくはないのですか?」

「大方針は決まった。準備も殆ど済んでいる。優秀な懐刀がいるから、それほど忙しくはない」

「以前ギュダンヴィエルの屋敷に赴いたのは、あの娘子のためだったのですな」


 ソイムが言った。

 そういえば、そんなこともあったな。


 ソイムはミャロと会ったことはないと思うが、間接的に縁がある。


「あぁ。今思えば、遠い昔のことのように思えるな」


 ルイーダは死に、今はミャロがギュダンヴィエルの当主の座にいる。


 ”魔女は滅び、されど死なず”

 などという言葉が囁かれ、巷では魔女ザ・ウィッチなどと呼ばれているらしい。


 この国からは魔女が消え、ただ一人になったと言いたいようだ。

 罪を免れた魔女の残党に、魔女という呼称を名乗ることを一切認めていないことも影響しているのかもしれない。


 ミャロがそれを不名誉とも思っていないのが不思議だが、俺としてはいい気分ではない。

 罵言というよりは畏怖を持って言われているようなので、言葉狩りはしていないが、あまり良い傾向とはいえない。


「なにかあったのですか?」

 ディミトリは、作戦中に意気投合でもしたのか、ソイムに対して少し気安くなっているようだ。

「頭領殿が若かりし頃、二人でギュダンヴィエルの屋敷に乗り込み、切った張ったをしたのですよ。あの活躍は見ものでした」


 俺の記憶では、俺は話をしただけで、実際に暴力を振るったのはソイムだけだった気がするのだが。

 ボケてるんじゃないだろうな。


「ほほう……後で聞かせてください」

「構いませぬよ」


 まあ、酒の肴にするのは全然構わないんだが。

 なんか、一仕事終わった感じの空気になってる感じだなこれ……。


「昔話は、飲みの席で幾らでもしてくれ。それより、数日後に控えた決戦の段取りをしたいんだが」

「はい」

「拝聴します」

「まずソイム、お前には頼みたい仕事がある」


 ソイムが疲弊しきっているのなら考えものだったが、この調子なら頼めそうだ。


「ハッ! なんなりと」

「お前には一番難しい役目をやってもらいたい。軽騎兵部隊四百と共に、右翼に配置する。覚悟しておけ。激戦になるかもしれない」

「望むところです」


 よくもまあ。

 あれほど厳しい戦いをこなしてきながら、老骨に響いている感じもしないし。


「一通り、全体の動きを説明しておこう。ディミトリも聞いておけ」



 *****



 机の上の戦略図で、駒が動き終わった。


「まあ、当日になって、敵サンの陣形がよほど変なものだったら、こちらも変える必要があるが、とりあえずこれで考えている」

「閣下……これで中央集団は大丈夫なのでしょうか?」


 ディミトリは不安そうだった。


「お前の軍次第だ。決戦まで中二日しかないが、体は休まるとしても、呆けは取れそうか?」

「もちろん」

「俺は、白兵戦になればホウ家の精兵以上に強い兵は存在しないと思っている」


 相手が、スパルタ兵みたいな産まれた時からキリングマシーンとなるべく育てられたような集団ならともかく。

 スパルタ兵であっても、考えうる限り最悪に近い状態まであの手この手で痛めつけた後なのだから、白兵戦ではこちらに分があるだろう。


 少なくとも、劣勢になるところは想像できなかった。


「白兵戦に持ち込めれば、の話だがな。そのために色々と考えた結果がこれだ。あとは、ジーノ・トガを信頼しろ。練習をよくよく見ていたが、上手くやっていたぞ」

「なるほど。後で見ておきます」


 実際、ディミトリとジーノは中央軍を一手に引き受けるわけだから、協働してもらわないと困る。


わたくしはこれでよいと思います。策に嵌まればよし。嵌らずともそれはそれでよし……と。まあ、多少は不安がないでもありませぬが、万一突破された場合は、予備隊を投入すればよろしいでしょう」


 場合によっては一番厳しい役どころになるソイムが、飄々と言った。


「元々、陣というのはどこかを厚くすればどこかが薄くなるもの。どこにも不安のない陣などありえませぬ」

「そうだな」

「ただ一つ問題なのは、がりらやの連中がどこに来るかですな。彼奴きゃつらは、騎兵を止めることに特化した連中ですゆえ」


 ガリラヤ連合の兵というのは、十字軍の中でも物凄く特殊で、彼らは陣形を正方形に組んで外に長い槍を突き出し、銃で攻撃する戦法を得意としている。

 つまりは方陣で、移動するための縦列隊形から方陣に転換する訓練を何百回も行い、練度を高めている。


 なぜそのような戦法を取っているのかというと、彼らはカンジャル大汗国という、騎馬民族の巣窟のようなところと接しているからだ。


 カンジャル大汗国は、実際は一つの国ではなく、建国の雄が没してから後継者争いで泥沼の戦いを繰り返し、新たな英雄が生まれることのないまま現在まできている。

 表面的には後継者争いの内乱ということになっているので、国とは呼ばれているが、実際には騎馬民族の割拠地帯であり、統一された政府などはない。


 なので条約などは結べず、ガリラヤ連合は哀れなことに日夜つまみ食いのような略奪騎行に晒されてきた歴史があり、その結果対騎兵特化の戦法が編み出されたということらしい。


 正方形になった陣が、頂点を接触しながら二つ並ぶと、横から騎兵が侵入してきた場合四面から攻撃ができる。

 騎兵の高機動で迂回されても、陣には後ろや前という概念はないので無意味である。


 前回、俺が観戦したときの軍にも彼らはいて、軍主列の背後に予備隊として控えていたらしい。

 俺はドラゴン騒ぎで結局見れなかったのだが、前回の戦いでは彼らの投入が決定的な契機となり、騎兵突撃が止まったことで戦いの流れが変わったという。


「まあ、予め布陣を偵察しておいて、そこは避けるんだな」

「そうしておいたほうがよろしいでしょう。前回の二の舞になってしまいますゆえ」

「うん」


 なんとかなるだろう。


 ディミトリはソイムと協働して夜間奇襲を仕掛け散々ぶちのめしたらしいし。

 朝になる前に逃げ出し、追撃も断った。

 ディミトリがこんだけ浮かれるのだから、それはもう結構な戦果を挙げたのだろう。


 そうやって、俺は幾つも相手が不利になる要素を積んできた。

 ここまでやれば勝てる、はずだ。


「それじゃ、これで話は終わりだ。ティグリス他、ルベ家の連中にも既に伝えてあるが、兵にどこまで話すかはお前らに任せる。どちらにせよ、敵がおかしな陣形を敷いてきた場合は、先程説明した策は捨てるかもしれないから、それは念頭に置いておいてくれ」

「了解しました」

「承知いたしました」


 よし。

 それじゃ、話は終わりだな。


「お前らの兵のために、娼館をいくつかほど貸し切っておいた。住所はこれだ」


 と、俺は一片の紙をディミトリに手渡した。


 こいつらの兵は、たいそう大変な思いをしたあと、最後にシビャクに来て、すぐに決戦なのだ。

 これくらいの配慮は必要だろう。


「もちろん、金は必要ない。全部国庫から出す」

「ありがとうございます。兵は喜ぶでしょう」

「ただし、貸し切りは明日からだ。今日は宴会をして寝ろ」


 疲労が抜ける前にアレをするのは体調に悪い。

 それでもしたくなってしまうのが男というものなので、今日はいかせない。


「娼婦の連中も、兵を慰める大変な仕事をしている。言うまでもないことだろうが、無体なことはさせるなよ」


 テンションのおかしくなった兵の集団というのは、通常とは違った活動をする。


 彼らは軍という、およそ国内で唯一の官憲に優越する暴力の持ち主だ。

 もちろん娼館の用心棒など効かないので、警吏も用心棒も気にせず無茶をすることがある。

 その結果、もう何人か処罰されていた。


 その辺は率いている上官が適切に指導していればよいのだが、それでも散発的にアホがやらかしをするのを百パーセント防止することはできない。


「承知しております」

「じゃあ決戦まで、せいぜい慰撫してやれ。ただし、繰り返すが、決戦では腑抜けぬよう適度に締めろよ」

「はい」

「では、行け」


 そう俺が言うと、


「ハッ! それでは失礼します!」

「失礼致します」


 二人は部屋から退出していった。


 俺はそれを見送ると、体を椅子に埋め、再び思案の渦に没頭していった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る