第145話 帰還

 翌朝、全員の朝食を少し遅くして申し送りを済まし、鷲の手配などの雑事を少し行ってから飯を食うと、早くも出発の段取りが済んでしまった。

 あっさりとしたものだ。


 キャロルがいることもあり、皆が見送りのために集う中、俺は借り物の鷲にくっついて、頭を撫で、餌をやった。

 必要ないという説もあるのだが、こうすることで多少は懐きがよくなり、翼上での以心伝心が働く気がするのだ。


 それが終わると、いよいよやることがなくなった。


「ミャロ」


 近くにいたミャロに寄り、一人だけ聞こえるように小さな声で呼びかけた。


「はい」


 一瞬、後ろめたさのようなものを感じる。

 ここで何か言うのはフェアじゃないような気が……。


 いや、釘を刺すようなことを言わなければ良いだろう。


「どうしました?」


「なにかあったら、すぐに戻っていいからな」

「? どういうことですか?」


 ミャロはわけがわからないようだ。

 そりゃそうか。


「身の危険を感じたら、任務は放って帰ってこい」

「身の危険……ですか?」


 ミャロは、言葉の意味を探るため、条件反射的に頭を動かしはじめたようだった。

 だが、訝しげな顔をしている。


 身の危険とはなんだろう?

 危険といえば今まで散々危険だったわけで、ここにきて殊更ことさらに身の危険がどうこうと警告してくるのは、この期に及んでなにか危惧すべき要素があるのだろうか?


 といったところだろうか。


 まさかリャオがなんかしでかす可能性があるから警告しているのだ、とは思わないだろう。


「まあ、気に留めておいてくれたらいいんだ」

「はあ……わかりました」


 若干合点がいかなそうな顔をしながら、ミャロは言った。


「じゃあな」


 俺はひらりと鷲に跨り、安全帯を素早く装着した。

 キャロルは既に準備万端で待機している。


「それでは皆の者、すまないが後のことは頼んだ」


 キャロルがそう言うと、リャオが、


「総員、隊長殿と姫殿下に敬礼!」


 と大声で言い、音頭を取られた隊員たちは一斉に膝を折り敬礼をした。


 俺は鷲上しゅうじょうで略式の敬礼を返すと、鷲を羽ばたかせた。



 *****



 数ヶ月ぶりに上空から見るシビャクの街は、なんとも懐かしい感じがした。

 騎士院の長期休暇などでも一月ほど離れたことがあるが、それとは比べ物にならないほど長い間、留守にしていた感覚がある。


 まるで何年かぶりに帰ってきたような。

 戦場での体験というのは、そういうものなのだろうか。


 しばらく上空を旋回し、風景を見ていたい気分だったが、そういう状況でもない。

 一直線にいくと、感慨に浸る暇もなく、あっという間に城についてしまった。


 が、俺は城をスルーするとホウ家別邸に翼を向ける。


 キャロルの鷲が増速して俺の横に並んだ。

 そちらを見ると、キャロルがこわい顔をしてこちらを見ていた。


 俺は首を振り、目をそらすと、鷲を別邸に下ろした。

 芝が、出ていった時より青々しくなっている。

 適切に植えられた樹木も、出ていった時より葉が茂っている。


 もう、出た時から三ヶ月もたっているもんな。

 思えば、前ここを飛び立ったときは、星屑が一緒だった。


 俺を追うようにして、すぐ隣に鷲を降ろしたキャロルが、

「どうしたんだ」

 と開口一番に言った。


「おまえは先に城に行っていてくれ」

 俺は安全帯をほどきながら言った。


「どうしてだ。母上へのご報告が最優先ではないのか」

 やはり若干怒っている感じだ。


 そういう名目で来たのだから、それが筋といえば筋かもしれない。


「緊急性の高い報告があるわけでもなし、少し身だしなみを整えてからにしたい。陛下に謁見するんだから」


 俺の服は随分と汚れていた。

 当然ながら、ここ数週間は風呂にも入っていない。

 どっちみち、入浴を済ませる必要がある。


「………」

 キャロルは俺の姿を上から下まで見た。

「たしかに、な」


 細かいことを気にする奴だ、と言えないほど酷い格好だったのだろう。

 普段はうるさい事もいうキャロルは、なにも反対しなかった。


 幾らなんでも、このまま女王に謁見するというのは失礼に当たる。


「おまえは一足先に城で待っていてくれ」

「分かった。あまり遅くなるなよ」


 俺はポケットから懐中時計を引きずり出して、開いて時刻を確認した。

 午後二時を過ぎた頃だった。


 昼食を取っていないので腹が減っているが、急いで城に行っても「ではランチをご一緒に」とはならない時間帯だ。


「二時か。軽食でも食っていくか?」

 と、俺は別邸を親指で指した。


「…………」キャロルは若干の間、考えているようだった。食欲と戦っているようにも見えた。「いや、よしておく」


「そうか、じゃあ、夕食までには伺う」

「わかった」


 ふとキャロルが俺の後ろを見たので、振り返ると館の執事長が大急ぎで走り寄ってきているところが見えた。


 再びキャロルのほうを見ると、大げさな歓待を受けるのは御免と思ったのか、急いで鷲の翼を羽ばたかせているところだった。



 *****



 むろんのこと、身だしなみを整えるというのは嘘だった。

 嘘というか、それだけが理由なのであれば、じかに王城に行っても自動的に丸洗いされたはずなので、こちらに寄る必要はない。


 俺は執事長に服と湯浴みの用意だけ命じて、あとを振り切ると、汚れた姿のまま、隣接したホウ社の社屋に向かった。

 社屋に入ると、潔癖さを感じない程度に小奇麗にまとまっている受付フロントに、誰が見てもみっともなくない服装をした妙齢のお姉さんが座っており、彼女はなにやら書類でもチェックしているのか、仕切りで隠された手元を見ていた。


 彼女は、社長のカフによると、三十年ほど前に羽振りがよかった、一代で没落した成り上がり商人の孫らしい。

 資産は身代とともに潰れたが、祖父と父が美人の嫁さんを貰ったおかげで、その遺伝子は残り、このお姉さんもまた美人だ。


 最低限の教育は受けているので、読み書きもできるし、人の顔と名前を覚えるのも得意なので、受付嬢としては十分な素質がある。


 その奥では、イトコのビュレが俺の贈ったソロバンを物凄い勢いでバチバチしていた。

 その横顔には歓びも苦しみもなく、まるでオペレーターのいないサーバールームで人知れず計算を行うコンピューターのようだった。

 仕事をやっているのに、どこか暇そうな雰囲気すらある。


 堂に入っている。


 手元の書類を見ていた受付の女性が、来客に気づいて顔を上げた。


 俺を見て、驚愕で目を開くと、両手で口を覆って、


「ユーリ会長!」


 と、女性らしい仕草をしながら言った。

 大声に驚いたビュレが何事かとこちらを見て、目を丸くする。


「ユーリ様!」


 こちらは、ガタっと椅子から立ち上がった。


「今戻った」

「あぁ……良かったです。本当に」

 ビュレが言った。

 今にも泣き出しそうだ。


「それで、どうだ」


 俺のいない間、どうなった。と聞こうと思ったが、考えてみれば、この二人にわかるはずもない。

 カフに聞いたほうが手っ取り早いし正確だ。


「こっちは、みんな元気です」

「いや……カフはどうしてる? それに、ハロルは帰ってきてるのか?」


「カフさんは少し外に出ていますが、向かい先は聞いております。すぐに呼び戻しましょう」

 受付嬢が言った。

「そうか、じゃあ頼む。それで、ハロルは?」

「ハロルさんですか? ここ最近は、ずっと見ていませんが」


 ハロルは帰ってきていないのか。


 ふわぁ、と頭の中に絶望感が霧のように渦巻いた。

 だめだったのか。


「俺は、ちょっと家で着替えてくる。カフを呼んでおいてくれ」

「わかりました。早速手配いたします」

「頼む」


 だめだったのか……。



 *****



 まだぬるかった風呂から出て、体を拭いて、用意してもらっていた軽食を食べた。


 長すぎた非日常も、慣れれば日常となってしまっていたようで、全てが見知った家でありながら、奇妙な感じがあった。

 引っ越してきたばかりの新居にいるような、どこか雰囲気が体に馴染まないような感覚だ。


 一週間もすれば、気にもならなくなるのだろう。

 そんな気がした。


 軽食に用意されたパンの、最後の一口を飲み下すと、見計らったように、


「ホウ社のほうからカフ・オーネットとお連れの方がきておりますが」


 と執事長が言った。


「通してくれ」

「服装はどうなさいますか?」

「このままでいい」


 今着ているのは、部屋着だった。

 普通の飾り気のない、過ごしやすい服だ。


 執事長は何も言わなかったが、風呂のあとすぐに礼服を出してこなかったのは、恐らくは万が一食事で汚れるとまずいからだろう。

 ああいった服は、ホウ家といっても、そう何着も用意してあるわけではない。

 ましてや、一応はまだ成長期なので、作っても仕立て直すことになる。


「ここに呼んでくれ」


 足が痛いので、歩くのが億劫だった。

 杖を一本貰ったので、それをついて歩けば痛みはないのだが、面倒くさい。


「かしこまりました」


 執事長は一礼をしたあと、食器を拾ってから部屋を出ていった。


 しばらく待っていると、ドアが再び開いた。


「お連れしました」


「久しぶりだな」


 現れたカフが、嬉しそうに笑みを浮かべながら言った。

 懐かしい顔だ。


 懐かしい顔は、もう一人いた。


「よう!」


 ハロルだ。


 死んだんじゃなかったのか。

 生きていたらしい。


「悪かったな、長く留守にした」

 俺がそう言うと、

「いいってことよ」


 と言いながら、ハロルが勝手に俺の近くの椅子に座った。

 カフが顔をしかめる。

 カフはビジネスマナーに厳しい人間なので、イラっときたのだろう。


 仮にも将家の屋敷に客として来てんだから、椅子は勧められてから座るのが普通だろ、ボケナス!

 とでも思っていると想像する。


「無事で何よりだ」

「ほら、座れよ」


 と俺が言うと、カフはすぐにテーブルを挟んだハロルと反対の席に座った。


「なんか飲むか? 酒でもいいぞ」


「じゃあ、俺は酒を貰おうかな。祝杯だ」

 ハロルが言った。

「俺も貰おう」


 珍しい。

 ダメ男だったころ酒浸りの生活をしていた反省からか、カフはあんまり酒を飲まない。


「かしこまりました。すぐにお持ちします」


 椅子に座るなり足を組んで姿勢を崩し、まあやりたい放題と思われるハロルを見ても、まるで表情を変えなかった執事長が言い、すみやかに一礼をして部屋を辞した。


「じゃあ、軽くでいいから報告してくれ。カフから」


「あとで報告書を上げるが……。トラブルは二、三あったが、べつに大したことはなかった。プロジェクトは大体順調に進展しているな。ただ、リリー氏の開発ははかどっていない。お前が戻ったから、調子は戻るだろう。それと北方交易ルートの開拓だが、ボフ将家領とのつきあいだからな、お前の遭難の報が入ってから途端に動きが悪くなった。だが、無事らしいという報が入ってからは、問題ない。あとは……」


 次から次へと報告事項が出てきたが、


「いや、ハロルのほうが先に報告したほうがいいだろう。俺の方は、あとで報告書をまとめる」


 と、カフはそう言って口を閉じた。

 ハロルの番だ。


「新大陸、見つけたぞ」

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