第72話 森の中の出会い

 途中の宿で一泊し、翌日の日暮れ時には、俺はシヤルタとキルヒナの国境線までやってきていた。


 二国の国境は、オルト川という自然の河川で分断されている。

 俺は星屑を地上に下ろし、休憩させつつ、そのオルト川を見ていた。


 オルト川は、自身が大地を削って作ったオルト渓谷という谷とセットで語られる。

 オルト渓谷というのは、今見ると、なかなか渡りづらそうな渓谷だった。

 渓谷の深みが10メートル以上もあり、岩肌もゴツゴツとしているので、いくら急いでいても、手と足で岩を登り降りして渡ろうとは思わないだろう。


 なるほど国境にもしたくなる。という地形だ。

 いま見てみると、急峻な渓谷の下に、川が流れているのが見えた。

 今は川幅が狭く細々としているが、本格的な夏がくれば、雪解けの水で増水し、それはもう恐ろしいほどの勢いになるという。


 その勢いはといえば、橋流しの川として有名なくらいで、今も昔もこの川には二つしか橋がない。

 一つは、川の下流、流れもいいかげん穏やかになってきたところに立てられた、ホット橋という橋である。

 そしてもう一つは、上流にあるズック橋であった。


 俺が今見ているズック橋は、今は人で混み合っていた。

 この人々は、耳ざとく戦争の知らせを聞きつけ、キルヒナを後にしようとする人々であろう。

 全員が、シヤルタに向かって歩を進めていた。


 ズック橋という橋は、俺は今まで実際に見たことはなかったが、絵では見たことがある。

 俺が今いるところは、ちょっとした景勝地で、山脈と渓谷を背中にしたズック橋というのは、風景画では定番となっているらしい。


 確かに、平時に見ればなかなか風光明媚な建築物なのだろう。

 だが、今は難民がいるせいで、風景画というより戦争画の題材として相応しい光景になってしまっている。


 橋脚は大皇国時代の建築物であると聞いていた。

 だが、今見ると、これは建築物といっていいのか疑問であった。


 ただ、建築の技量としては、その程度の高さは十分に伺える。


 ズック橋の中央橋脚は、川の真ん中に孤立した岩に、寄生するように作られていた。


 橋脚の土台となっている天然の岩は、川の流れにこれ以上削られることのないよう、大きな石垣で補強されていて、石垣は上流に向けて鋭角を突き出していた。

 太古の建築士が川に濡れながら作ったのは、この防護の部分であろう。

 自然の岩石が石の靴を履かされ、そそり立ったつま先が川を割っている恰好になっている。


 その上に飛び出た岩に、改めて橋脚が建てられていた。

 残念ながら、岩から上の橋脚及び橋は、大皇国時代のものではない。

 そこにあった橋は、約百年前の地震で壊れてしまっており、今ある橋はその頃架けなおされたものだ。


 だが、ズック橋は、現在になり、更に改造が加えられつつあるようであった。

 今も、ズック橋の下流側で作業が行われている。


 俺も、今ここに来て初めて知ったのだが、これから渋滞が酷くなることを予想して、ズック橋を拡張しようという話になっているようだ。

 おそらくはルベ家の独断であろう。


 といっても、正規の拡張というわけではないらしく、岩場の余ったところに太い木の柱を立て、簡単な木造橋を仕立てあげよう。ということであるようだ。

 つまりは、石造りの橋の横に、もう一つ木造の橋をつくり、複線化させようという計画だ。


 石積みの職人はそこにはおらず、作業員は皆のこぎりなどを持った大工だった。



 ***



 この視察に来た目的は、下見の必要と、もう一つ理由があった。

 主要都市の座標を下調べしておきたかったのだ。


 王鷲での移動というのは、意外と不便なもので、勘で飛んでいてもなかなか目的地につけるものではない。

 なので、町と町の位置関係を記憶したり、地上を移動するルートをなぞるようにして、眼下に街道を収めながら移動したりする。


 だが、都市の座標を知っていればそんなことはしなくてもよい。

 座標さえ知っていれば、地図がかける。

 海岸線や国境の正しい形が描かれた地図というのは、作るには時間が掛かるし難しいが、地図上に都市の場所を記しておくだけなら、さほど難しいことはない。


 座標さえわかっていれば、知らない場所でも移動に戸惑わなくて済む。

 飛ぶ前に地図にコンパスを合わせて、どっちの方向に目的の場所があるのかチェックして、一直線に飛べばいいだけだからだ。


 というわけで、俺は重要そうな町を一つ一つ回って、座標を確かめる作業をしていた。


 そうしているうちに、三日がたった。



 ***



 キルヒナ王国の首都から西、街道沿いの町々は、避難する人々が次々と噂を広めており、不穏な空気にあった。


 よそ者が多く、治安も一時的に悪化しており、王鷲などという高級品を預けて宿屋に泊まれる雰囲気ではない。

 なので、俺は王鷲を連れながら生肉を買い込むと、すぐに街から離れるようにしていた。


 そして、昼間になると、正午ごろに六分儀を持って観測をする。

 夜、晴れていれば北極星の位置を確かめて、磁気偏差を確認する。

 ただ、どこで測っても、この半島は殆ど磁気偏差がない地域らしく、コンパスの針はいつも北極星を指していて、あんまり意味はなかった。


 夜は日が暮れる前に寝る所を確保して、森を歩いて枝を探した。

 この時期、夜はまだ寒い。

 夜になる前に焚き火を作る必要があった。


 俺はその日、いつものように軽く枝を探しながら、森の奥に入っていった。

 そこら中に落ちている枝を拾い集めているうちに、日が暮れた。


 地元の住民が薪を取るために、何本か木を切った場所をみつけ、そこで焚き火を作ることにする。


 枝を十本かそこら組むと、俺は紙を手で破いて、瓶に入れていた揮発油を染み込ませた。

 その上に火打ち石で火花をやると、すぐに火はついた。


 細く燃えやすそうな枝に火を移すと、次第に火は広がっていった。

 勢いがつけば、もう消えることはない。


 俺はなるべく平らになった切り株に腰掛けると、言った。


「いつまで見ているんだ?」


 ガサガサ、と下草を踏む音がして、人がでてくる。


「いやぁ、ばれていましたか」


 仲間を呼ぶ様子もなかったから、一匹狼の野盗かなにかと思ったが、違うようだ。

 改めて見ると、山賊にしては、ずいぶんと身なりの良い格好をしている。


 なんだかバツが悪そうに、頭を掻きながら出てきた。

 敵意は今のところ感じない。


「なんか用か?」

「僕も野営をしようと思っていたので、よろしければご一緒しませんかと」


 確かに男は、ついさっき言い訳ついでに集めたとは思えないくらいの量の枝を、脇に抱えていた。

 野営をするつもりというのは、本当らしい。


「まあ、構わないがな」


 薪が増えれば暖かくなる。

 それはいいことだ。


 といっても、俺のような比較的金持ちの若者が、野宿をしたときに見知らぬ人間と出会った。などというときは、相手は野盗か物盗りというのが定番だ。

 警戒しておくに越したことはない。


「一応武器は持っていますが、お預けしますか」


 俺の危惧を読んだのか、男はそう言った。


 男は小型の弓を持っていた。

 見えないが、懐に短刀も抱いているのだろう。

 しかし、なおも敵意は感じられない。


「いや、いい……夜の間、賊に襲われないとも限らない。そちらも丸腰では心細かろう」

「それはそうですね。とはいえ、腕っ節のほうはまるで自信がないのですが」


 男は照れくさそうに言う。


 確かにヒョロっこいし、自信がないというのは本当に見えた。

 やはりどう見ても、荒事を商売にしているようには見えない。


「では、失礼して」


 男は、焚き火を挟んで反対側に、厚手の布を敷き、その上に腰を下ろした。


「食べるものはあるのか?」

「はい」


 男はリュックの脇にくくりつけてある革袋から、肉を取り出した。


 その肉は、肉といっても、精肉屋で売られているようなものではなかった。

 どうやら足の部分なので、それだけでは何の動物の肉なのか分からないが、おそらく、かかえている弓を使って、自分で獲ったものだろう。


 腐ってはいないようだが、血抜きも満足にされていない様子で、革袋からは濁ったような血が滴っていた。


 処理が下手だったらしい。

 狩猟自体が初めての経験だったのか、それとも、狩猟はしていたが解体は他人に任せていたか、どちらかだろう。

 それか、処理をする暇もないほど急いでいるかだ。


 どちらにせよ、こんなにおざなりな処理では、食べられたものではない。

 焼いたところで、肉の中が腐った血の煮こごりのようになってしまう。


「火を使って焼いて構いませんか。少しお腹がすいていて」

「もちろん、構わんよ」


 こいつ、身なりはいいのに、なんでこんな食事をしているのだろう。

 というか、身なりがいい以前に、実は胸に騎士のバッジがついているのだ。


 これは一般に騎士章と呼ばれるバッジで、騎士院の卒業生に与えられるものだ。

 騎士は必ずつけていなければならない、というものではないが、騎士号を持っていない者は装着してはいけない。


 装着どころか、所持もしてはならず、拾った場合は速やかに届け出て、返上しなければならない。

 それは建前で、実際に返上されることは少ないのだろうが、かといって資格もないのに胸に付けて、堂々と表を歩くというバカはなかなかいない。


 身分詐称に当たるので、捕まれば重罪になる。

 それはキルヒナでも同じはずだ。


 つまり、おそらくは騎士ではあるという推論が成り立つ。

 そうであるとすると、こいつはなにか犯罪でも犯し、逃げているのだろうか。


 騎士院を卒業したということは、騎士になれなかったとしても、インテリ層の一員ということになるので、食うには困らない程度に稼げる職に就ける。

 詳しくは知らんが、キルヒナでもだいたい同じはずだ。


 誇りが邪魔して庶民の職に就けないという者もいるが、そういう人間は金がないにしても、狩りをしながらの旅などという土臭いことはしないだろう。


「いや、やっぱり焼くのはやめてくれ」

 と、俺は言った。


「……そうですか」


 そうすると、男は少し残念そうな顔をして、肉をひっこめた。


「その肉は俺の鷲に食わせよう。その代わりに、そちらは俺の肉を食え。ちゃんと肉屋が捌いて味をつけた肉だ」

「ああ、なるほど。それは助かります」


 男は顔を明るくした。

 まあ、そんな肉は食いたくないわな。


 栄養価はむしろ高いのかもしれないが、吐き気をこらえながらする食事などは、誰だって御免だろう。


「では、さっそく食べさせてあげて良いでしょうか」

「構わんよ。ちょうど腹が空いている頃合いだ」


 男は、星屑に近づくと鼻先に肉をやった。

 星屑は大きなクチバシで肉を摘んで、餌を受け取った。


 若干の心配はあるが、ウジが湧いていたわけではないし、腹をこわすこともないだろう。

 というか、塩漬け肉しか売ってなかったので、生肉が推奨されている王鷲にとっては、むしろ健康的な食事かもしれない。

 野生動物は血抜きなんぞしないわけだしな。


「よく出来た鷲ですね。所作が優雅です」


 男は星屑を見ながら言った。


 下手な王鷲だと、思い切り肉を奪い取ってガッツガッツと貪るように食ったりするので、そっと受け取るように肉を取ったのは、言ってみれば躾けの行き届いた王鷲である証拠だった。


 そういった台詞がスルリと出てくるということは、やはりこの男は騎士なのだろう。

 詐欺でも働くために騎士章を身につけるような男は、王鷲など触ったことはないはずだ。


「そうだろう。自慢の鷲だ」

「失礼ながら、あなたはホウ家の関係者とお見受けしましたが」


 ああ、早速ばれた。


 まあ、そこに置いてある鞍に、家紋が思いっきり刻んであるしな。

 身分を隠す旅ではないから、バレても問題はないと思ったのだが。


「そうだな。とはいえ、俺からすると、そちらの出自のほうが気になるところだが」

 と、俺はさりげなく探りをいれた。


「それはそうでしょうね。いえ、隠す必要があるわけではないのです。僕は、ジーノ・トガといいます」


 トガ……。

 トガ家といえば、キルヒナ王国の将家の一つなんだが。


 ルークみたいに、騎士というレールから脱線して、汽車がそのままバスになってしまったような人間が親であった場合は、ただの牧場主がホウの苗字を名乗っている。ということも考えられる。


 だが、そうでなければ、普通は苗字として名乗るのは近縁のものに限られる。

 トガ家を名乗るということは、少なくともいいとこの坊っちゃんということになる。


 そんな野郎がここでなにをしているんだ?


「ジーノか。俺はユーリという」

「なるほど。ユーリさんですか。よろしくお願いします」

 ジーノはぺこりと頭を下げてきた。


「挨拶も済んだことだし、ともかく焼こう」


 俺は荷物から肉を取り出した。

 塩漬けのヤギ肉だ。

 枝肉のような塊ではなく、厚めにスライスされている。


 俺は分厚いステーキのような肉にブスブスと鉄串を刺し、ナイフを操って二枚に分離させると、片方をジーノのほうに差し出した。

「頂きます」

 ジーノは受け取ると、早速火にかざし始めた。


「皿はないがパンはある。挟んで食うといい」

「それはいいですね。パンは久々に食べます」


 今までずっと獣を狩って獣肉を食べていたのだろうか?

 まるで、原始人のような暮らしだ。


 服を見ると、やはりだいぶ汚れているが、獣血でグシャグシャになってしまっているわけではない。

 服が汚れないように気をつけていたのかもしれない。

 汚れてはいるものの、仕立ての良い服であることは、まだ見て取れる。


 なんだかチグハグだ。

 服も、身なりも、態度も上流階級のものなのに、暮らしぶりだけが原始人とは。

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