第58話 寝室にて

 野郎どもが帰ると、今日はやることがなくなった。


「シャムはまだ寝てるのか……」


 途中に一度起きたが、シャムはやってることが退屈だったのか、二度寝に入り、今に至るまで寝ている。


「最近見直し作業に根を詰めててな」

 あー、なるほど。

「そうだったんですか。どーりで」


 夜更かししてまでやってたのか。


「間違いがあったら大変やからな……わたしも付き合っとるけど、すっかり夜型生活やわ」

「……お疲れ様です。ご苦労をかけてしまっているようで……」


 本当に面倒をかける……。

 俺とか毎晩熟睡してるのに……。


「シャムもこんな感じやし、今日はユーリくんの家で泊まってもええ……かな?」

 ん?

 なんでちょびっと遠慮がちに言ってくるんだろう。

「もちろんですよ」

 シャムにとっては自分ちなんだから、泊まってもいいに決まっている。


「そう? じゃあお邪魔させてもらうわぁ~」

「あ、はい」


 シャムは身内なのだから、お邪魔もパジャマもないと思うが。

 勝手に好きなときに帰ってくればいい。


「じゃ、シャムは僕が抱えていきますかね」

「そかそか。じゃあお願いするわぁ」

「まあね、シャムはいつまでたっても体重が増えないから」


 140cmないんじゃないのか。

 やせっぽちだし。


 ひょいと抱え上げると、本当に軽かった。

 羽のようとは言わないが、軽すぎて人間を持っている感じがしない。

 ちゃんと食事をしてるのか……?


 そのままお姫様だっこでシャムを抱えると、下の階へ降りた。

 今日も今日とてソロバンとにらめっこしているビュレを横目に、本社を出た。


 本社を出ると、道を挟んで目の前がホウ家の別邸だ。

 俺は門の前で立哨している警備に「お疲れ様です」と言うと、勝手口から中に入った。

 あ、リリーさんに挨拶するの忘れてた。


「あ、リリーさん。今日はありがとうございました」


 あ~、いや。

 さすがにここでお別れは失礼かな。


「シャムを置いたら白樺寮まで送っていきますよ」

「え、泊めてくれるんやないん?」


 ???

 ……え?


「ユーリくん酷いわぁ……泊まってもええ? って聞いたら、もちろん! って元気に返事しとったのに、今になってやっぱ帰れ言うんかいな……」


 なんだかわざとらしいが、ずーんとうなだれている。


「す、すいませんでした。少し勘違いをしてしまっていて。そういうことであれば、どうぞお泊りになってください」


 別に俺の方はぜんぜん構わない。

 こちとら将家だ。

 シャムの友人を泊めるくらい、なんの問題もあろうはずもない。


「じゃあお邪魔させてもらうわぁ~」



 ***



 俺は、食事を済ませて風呂に入ると、寝室でテロル語の聖典を読んだ。


 寝室といっても、自分の部屋というわけではない。

 俺は別邸を住まいとしたことはないので、別邸に俺の部屋はなく、ここは客室の一つだった。


 そこで、暇つぶしにイーサ先生から借りた聖典を読んでいた。


 イイススという男は、俺が産まれる丁度二千年前に誕生した。

 その全てを自分で考えたのだとしたら、大した作家だと思うが、こいつは世界創世の物語を説き、死後の世界の理を教え、神の趣味嗜好を人々に伝え、その通りに生きよと人々に説いて回った。

 その途中でありとあらゆる善行をおこない、奇跡を施したという。


 イイススは、なんの因果があるのかしらんが、地図でいうとイスラエル近辺の地中海沿いの都市に生まれ、地元密着型で活動した。


 イイススが活躍した時代、そのあたりは古代ニグロスという都市国家の連合体が存在していた。

 原典の記述に使われているトット語というのは、古代ニグロスで使われていた言語である。


 古代ニグロスでは多神教が広く信仰されており、古代ニグロス人の殆どは、イイススの広める眉唾ものの説法については、ほとんど関心を抱かなかった。


 イイススのほうも、あんま無茶やって殺されちゃかなわんと思ったのか、ほどほどにやっていたらしい。

 聖典には、弟子が無茶やりだしたのをイイススが諌める物語も集録されている。


 なので、イイススは誰かに殺されたわけではなく、45歳ごろ、俺からしてみりゃ死期を悟ったのだとしか思えんが「そろそろ弟子も一人前になってきたし、俺は洞穴に入って眠るわ」などと言い出した。


 まるで空海みたいな話だが、こいつは実際にそうしたらしく、洞窟に入って弟子がこしらえた寝台に身を横たえると「絶対に安眠を妨げるな。絶対だぞ」という言葉を残し、入り口を埋めさせた。

 その作業は、全てがたった十人の高弟によって、手ずから行われた。

 生きたまま閉じ込めろ、という命令に素直に従ったあたり、高弟たちはイイススに死が迫っていることを察していたのだろう。


 見上げたことに、十人の高弟たちは、埋葬地の所在を秘密にした。


 誰かが知れば聖地のようになってしまい、その結果訪れるのは喧騒であり、それは安眠を求めるイイススの意に沿わないと考えたらしい。

 単純に、師の墓前を静かなままにしておきたい、と思ったのかもしれない。


 自分たちの弟子にも一切教えなかったので、高弟たちが死に絶えると、墓所の場所を知るものは誰もいなくなった。


 だが、高弟たちは別のところで無茶をやらかしていた。


 イイススが死ぬと、ある一人の高弟が「イイススの教えを守る者たちだけの街をつくろう!」と言い出し、適当な土地を買い上げ、そこに街を作りはじめたのだ。

 土地を買い、家を作り、塀を仕立てると、あっという間に原始的なイイスス教徒のコミュニティを作ってしまった。


 そして古参の都市国家たちを相手取り「おいらも都市国家作ったから認めてくれよな!」などとのたまいはじめた。


 ところで、古代ニグロスの都市国家には、ニグロス神話の神たちの名前がそれぞれに付いており、それを都市の守護神としていた。


「で? おまえらの守護神はなんなの?」

「え? 唯一神イイスス様だけど」


 などというやり取りがあったのかは定かではないが、ともかくトット語でヨハプルトキ(迷い子たちの休み家)と名付けられた小都市が、こうして誕生した。

 テロル語ではヨーツトフと言う。


 古代ニグロスの連中はというと、よっぽど辛抱強かったのか、度を超えて温和な人々だったのか、こいつらの存在を許してやったらしい。

 これは多神教信者独特のミスだったと思うが、イイススを神の一員として認めることまでしてやったという。

 そうして、宗教に鷹揚な古代ニグロスの人々の間で、初期イイスス教の人々は平和を謳歌した。


 が、30年ほどたつと、事情が違ってくる。

 ヨハプルトキの人々は調子に乗り始め、イイスス教をところかまわず宣教するわ、隣の都市国家に属する村落を勝手に実効支配して税をとりたてはじめるわ、ちょっとありえないような無茶をしはじめた。


 そして、近隣都市国家との関係が最悪になると、一番近い都市国家に戦争をふっかけた。


 よっぽどお目出度い連中だったのか、戦争をまったく知らなかったのか、1対1の戦争になると見込んでいて、それなら勝てると踏んだらしい。

 つまりは、あくまで攻めたのは一つの都市なのだから、他の都市は傍観するのがスジ、というような、どこまでも自分本位な考え方をしていた。


 現実には、そんなことが上手くいくはずがなく、これは温厚な古代ニグロス人のぶっとい堪忍袋の緒をわざわざ引き千切るような行為だった。


 全都市国家に360度全方向から侵攻され、ヨハプルトキの都市はボッコボコにやられ、街は『瓦礫の日干しレンガが砂に戻るほど』破壊しつくされ、跡地には塩がまかれたという。

 イーサ先生の話では、ヨハプルトキの都市跡というのは、あまりに完全に破壊され尽くしたため、現在でも所在がつかめないらしい。


 だが、それでもこいつらはめげなかった。

 戦乱を生き延びた幾人かのイイススの直弟子たちは、残った信者を連れて、船に乗ってこぎだした。


 地中海で運悪くシケにあい、漂着したのは、なんの因果かローマあたりの地だったらしい。

 彼らはここでも同じようなことをし始めた。


 だが、古代ニグロスとは違って、当時のそこらでは地域の統一宗教は存在しなかった。

 ついでに、連帯感のある大国家のようなものが半島を支配していたわけでもなかった。


 そこにいた連中は、てんでバラバラに部族ごとに国を作り、土着宗教を信仰していたので、彼らにとっては都合が良かったらしい。

 そこにいたクセス族という原始部族のような連中にとりいると、彼らは宣教を始め、あっという間にこいつらを信者の集まりにした。


 後に起こるクスルクセス神衛帝国の始まりである。

 クセス族は、百年ほどかけて、こちらの世界ではクスル半島と呼ばれている、イタリア半島を席巻すると、信仰の力を借りて侵略を続け、数百年後には巨大帝国を作るまでになった。



 ***



 こんこん、と扉がノックされた。



「どうぞ?」

 本から目を離さずに言う。


「は、入るよぉ~」


 聞こえてきたのは、リリーさんの声であった。

 顔を上げてドアのほうを見る。


 風呂にはいってきたのか、いつもより気が抜けているようだ。

 髪が湿り気をおびていて、色っぽい。


 服は、メイドに借りたのか、薄手のワンピースみたいな形のパジャマを着ていた。

 お胸がやばいことになってる。

 目の毒だ。


「なにか御用ですか?」

「いや……特に用ってわけでもないんやけど……忙しいかな?」

「いえ、つまらない本を読んでいただけですから」


 俺はサイドテーブルの上に聖典を置いた。


「それで、どうしたんですか?」

「いや、な……座ってもええかな?」

「もちろんですよ。どうぞ」


 いくらでも座ってくれていいのだが。

 俺が勧めると、リリーさんは俺の近くの椅子に腰掛けた。


 しかし、なんの用できたのだろう?


 俺も、最近は性欲に目覚めてきて、そろそろ本格的に娼館に金の使い道を見出すべきかと、悩むような日々を送っている。

 そして、リリーさんは、薄着を見ると胸も尻も出るところはちゃんと出ていて、見ていると下半身が熱くなってくるようなお体の持ち主だ。


 だらしなく太っているわけでもなく、余計な肉もついていない。

 正直いって、かなり好みの体つきだった。


 もちろん、自制心で抑えてはいるが、ここは俺の家なわけで、いくら顔なじみといっても、もうちょっとは警戒すべきなんじゃないだろうか?

 というか、頼むから警戒してくれ。

 こっちのほうが辛い。


「もしかして、お酒飲んでます?」

「うん、ちょびっとな」


 酒臭いとまではいかないが、リリーさんからは仄かに甘い酒の匂いが漂っていた。


 そうか。

 酒を飲んでるなら仕方がない。


 酒を飲むと脱ぎたくなるタチなのかも。


「あ、お酒臭いのは嫌いやった?」

「いえ、そうでもないですよ」


 あんまりに酒臭かったら、それはどうかと思うが。

 まあ知らぬ家で緊張することもあるだろうし、酒で気をほぐしていたのかもしれない。


「なあ、ユーリくん、わたし今いくつか知っとる?」

 唐突な質問だった。


 いくつ?

 年齢のことか?


「えーっと、十九歳でしたっけ」

「そうそう」


 十九歳というと、日本で言えば大学生になる歳だが、リリーさんはそんな年齢には見えなかった。

 大人びているし、胸も大きいから、特別に若くみえるわけではないが、それでも高校生くらいに見える。


「もう何年かすれば卒業やわ」

「……そうですね。僕にとっては残念ですが」


 教養院は二十五歳までいられるが、それより前に卒業する生徒が多い。

 それは中央での出世競争に有利だからであり、過半数が辺境の将家領の出身である騎士院生と比べれば、その重要度は比較にならないほど高い。


 騎士などというものは、戦乱がなければ出世をする機会もないわけで、唯一頻繁に出征しているホウ家を別にすれば、出世などという概念と無縁に生涯を過ごす連中が多いのだ。

 騎士院の居心地がいいから二十五まで居座る。という奴はいくらでもいるし、早く卒業したからといって、人生に大きな影響を及ぼすこともない。


 リリーさんは預家の出身だから、二十五歳まで居ても問題はないと思うが、早く卒業するに越したことはないだろう。


「それがなぁ……離れたくないんよなぁ……」


 なんか困った顔をしているが、どうも雰囲気のせいか、色っぽい仕草に見えて仕方がなかった。


「王都からですか?」

「うん……」


 まあ、その気持ちは判らないではない。

 リリーさんは王都での生活をエンジョイしてるように見えるし、田舎に帰ったら退屈だと思っているのだろう。

 俺は田舎暮らしも苦にならないタイプだが、誰も彼もが自然と草花を愛でる生活を楽しめるわけではない。


「なら預家の経営は誰かに任せて、王都で暮らしてもいいのでは? ホウ社がいつまで続くか解りませんが、役員報酬はどんどん上がるわけですし」


 この国では、田舎の物価はかなり低い。

 山の背側などという地域は、言ってみれば田舎の中の田舎だから、余計にそうだ。


 対して、ホウ社の役員報酬は、もちろん現金ニコニコ一括払いなわけだから、預家の小領地の税収くらいなら、委任した誰かが領地経営をしくって少しくらい穴が開いたところで、それを埋めるくらいの額は簡単に出る。


「……そうはいかんのよ。そんなことしたらお上の将家からなに言われるか」


 そうなのか。

 ホウ家だったら、上納金さえ納めてれば、あとはなにも言わないんだけどな……。

 将家からしてみたら、預家というのは金払いのいい店子たなこみたいなもんで、得するばかりの存在だし。


 山の背側はノザ家が取り仕切ってるんだったよな。

 ノザ家ってどういう連中なのか、俺もよく知らない。

 ルークに圧力かけて貰えば簡単に解決するのだろうが、そうもいかないし。


 預家というのは、普通の騎士家からは蔑まれるものなので、あまり儲けていると妬みなどもあるのかもしれない。


「困りましたねぇ……」


 リリーさんは文句の付け所のない優秀な技術者だし、なによりシャムの友人だ。

 困ってるならなんとかしてやりたい。


「……なあ、ユーリくんは結婚とか考えとらんの?」

「結婚?」


 いきなり話が変わったな。


「いえ、考えてませんが」

「あ、相手がおらへんなら、わ、わたしとかどうかな~~……って」


 えっ……。

 え、ちょっとまって、なに?

 突然何を言い出すの?


「リリーさんと、ですか?」

「う、うん……」


 なんか縮こまってしきりに首とか触って、テレテレしてるけど……。

 その仕草はすごく可愛いけど、リリーさんちょっと今日おかしいんじゃない……。

 俺と結婚って。


「え、えーっと……」


 な、なんて言ったらいいんだろう……。


「か、考えといてってだけやけん。もし相手がいなかったらってことで」


 そうなのか。

 考えとけばいいわけね。

 将来結婚する相手がいなかったら、みたいな。


 まー俺と結婚すれば預家の将来のことなんてどーでもよくなるわな。

 俺がホウ家を継げばの話だけど。


「じゃあ。覚えておきます」


 光栄なことと思っておこう。

 独り身が寂しくなったら、みたいなことで。


「で……でもな」

「はい?」

「もしユーリくんが望むんやったら……今日、味見してってもええよ?」


 ……えーっと。

 それは……なに?

 味見?


 つまり、今この場でリリーさんの体を好き放題できちゃうわけ?

 俺がずっと本能に逆らって、撫で回すように見ることを耐えているこの体を?


「えっと、リリーさんは初めてじゃないんですか?」


「は、初めてに決まっとるやんか!」


 声でかい。

 そっか、初めてなのか。


「初めてなら知らないと思いますけど、男という生き物は、リリーさんみたいな美しい女性にそのようなことを言われたら、まず味見程度じゃ済ませませんよ」


「えっ……そうなん……」

「それはもう狼が子羊に襲いかかるように飛びかかって、もう滅茶苦茶にしちゃいますよ。おっぱい揉まれるだけで済むと思ったら大間違いですよ。それはもう一度やったら止まらないんですから、朝まで体中犯しまくりですよ」

 こっちだって禁欲生活をしているんだから。

「う……」

 リリーさんは顔を真っ赤にしてうつむいた。


「だから、だめですよ。軽率にそんなこと言っちゃ」

 俺はリリーさんを諌めた。


 今思ったけど、リリーさんが味見とか変なこと口走ってるのって、もしかしてあの有害図書の影響なんじゃねえか?

 どうもそんな気がする。

 自分で出版に携わっておいてなんだが、色々なところで悪影響を及ぼしているのかも。


「軽率やないもん……」

 あのー。

 軽率やないもん、はいいんだけど、両腕でおっぱい挟み込みながら言うのやめてもらえませんかね。

 ブラとかも付けてないみたいだし、微妙に浮き出てるんだけど。

「べつにユーリくんだったらそうしてくれてもええんよ?」


「…………………………」

 ギリリ、と奥歯を噛み締めた。

 理性を司る頭と、本能を司る下半身が戦争をしていて、腹のあたりでしのぎを削っている感じがする。

 葛藤が腕のところまで来たら、意識が乗っ取られてしまいそうだ。

「ゆ、ユーリくん?」


「……だめです。すごく魅力的な提案ですが……。リリーさんもそんな簡単にみさおを捨てようとしてはいけません。将来の大事な人のために取っておかないと」

「……将来いうても、どうせ領に戻ったら顔も知らん相手と見合いさせられるんや。とっといても仕方ないわ……」

 リリーさんはちょっと淋しげに言った。


「そんなに捨て鉢にならなくても、きっと僕がどうにかします。だから、好きでもない相手に抱かれる必要なんてありません」

「そうやなくて……」


「大丈夫ですから、安心して寝室に戻ってください。その格好は僕の目には毒すぎます」


 俺は少し強く言った。

 やらないと決めた以上、この問答は不毛だ。

 俺のダメージがつのるばかりで、なんの益もない。


「……っ、わかった。すまんな、ユーリくん。変なこといってもうて」

「そんなことはありません。男として嬉しいお誘いでした」


 一転回って苦しくなっちゃってるから辛いだけで。


 リリーさんは席を立って、ドアに向かった。

 後ろを向くと、たわめいた薄い服が体に触れ、くびれたウエストと形の良いヒップが浮き上がった。


 ぐぬぬ……。

 なぜこんな試練を課せられているのだ俺は……。


 リリーさんは、扉を開けると、去り際にちらりと俺に振り向いて、そして消えた。



 ***



 その後、俺は下半身に収まりがつきそうにないので、熱に浮かされた頭で、今晩、初めて娼館というものを体験することを真剣に考えた。


 だが、三十分ほどじっくり考えて、今の時間から服を着て、既に閉じている玄関から外へ出てゆくというのは、明らかに格好がつかないという結論に達し、俺は諦めた。

 よくよく考えれば、娼館はもちろん魔女家のテリトリーなので、よくよく選別もせずに焦って突貫をくれるというのは、いかにもまずい。

 そして、今からでは情報収集もできず、選別のしようがない。


 というわけで、俺はベッドに入った。

 自己処理しようかどうか悩んだが、それはなんだか虚しい気分になりそうで、難しい問題だった。

 俺はベッドの中で悶々としていた。


 バン、とドアが乱暴に開いた。


「……なんだよ」


 上体をベッドから起こして、ドアを見ると、常夜灯の薄暗い光に照らされていたのは、シャムであった。

 なんだかしらんが、怒った顔をしている。


 うわー、下半身脱いでなくてよかった。

 つーかノックくらいしろよ。


「こんな夜中に、なんか用か?」

「なんか用かじゃないですよ、ユーリ」


 声色にトゲがある。

 一体なんだ。

 なんか悪いことしたか?


「なんだよ、なんで怒ってるんだ?」

「リリー先輩になにをしたんですか」


 ???


「なんもしてないけど……?」


 どうにかなってたら、今頃俺は、このベッドの中で、リリーさんのおっぱいを心ゆくまで堪能しているんだが。

 それはもう揉みくちゃにしているんだが。

 現在それをしておらず、寂しい臥所ふしどを一人温めているということは、俺はなにもしていないということだ。

 これほど完璧な論法は、古今東西見回してもなかなか見ないだろう。


「……なんか変な声が聞こえてきて、起きたら」

 変な声?


「ユーリくんにふしだらな女って思われたぁ~もう死にたい……って、リリー先輩が一人で泣いてたんですけど……」

「………」


 あの。

 えろい人だとは思ったけど、ふしだらとは思ってないけど。

 だって処女じゃん。


「あんな先輩は初めて見たので……なにかあったのかと」

「大丈夫、三日もすれば治るから」

 たぶん。

「……そうですか。ユーリがなにかしたわけではないんですね」

「してねーっつーの」

「えっちな事とか、してませんよね」


 ……。

 まさかシャムの口からえっちとか言う単語が出てくる日が来るなんて。

 世界は終わるのか。

 自分の娘に彼氏が出来た時ってこんな感じなのかな……。


「してません」

「……そうですか。ならいいんです。おやすみなさい、ユーリ」


 シャムはぱたんとドアを閉じて、出て行った。

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