第54話 新天地

 星屑に乗って上空まで来ると、既に工事が始まっているのが見えた。


 ここは、貿易屋のハロルが出港した大西洋の街スオミから、川沿いに山にさかのぼっていったところにある、大きな湖のほとりである。


 ここに新たな拠点を構えたのには、様々な理由がある。


 製紙に必要な木材が取れるから。

 少し遠いところに石灰が取れる山があるから。

 大きな湖があるおかげで、川の水が途絶える心配がなく、水車を常に使えるから。


 いろいろと要素はあるが、最も大きな理由は、ここがホウ家本家の飛び領地だからである。


 ホウ家の領地は南部一帯に広がっていて、それを全てホウ家の領地といえば領地に違いないのだが、その中の大部分は、傘下の騎士家に封土として与えている。

 一から十までホウ家が仕切っている土地は、全体の一部、カラクモ周辺の一帯でしかない。

 が、ここは例外的に、飛び領地としてホウ家の管理ということになっている。


 その他の土地は、傘下の騎士家に統治を委任しているような形になるので、本家からは口を出しづらい。

 もちろん、明らかにヘマをしたとか、領民を虐げたとか、そういう正当な理由があれば口を挟めるのだが、それがないのに口を出すと、要するに煙たがられるのだ。


 星屑が近くの空き地に降り立つ。


 工場建設予定地では、王都で買ってきた大工道具を使って、社員一同が汗をかいて働いていた。

 その近くには、田舎の屋敷から借りてきた軍用天幕が張ってある。


 安全帯を外し、星屑から飛び降りると、カフがのんびりと歩いてきていた。


「よう、ついたか」

「どうだ、進み具合は」


 星屑の手綱を引きながら言う。


「予定よりはかどっている。やはり木材に困らないのはいい」


 ここらの漁村では、湖で漁をするかたわら、林業もしている。

 この国では森はどこにでもあるが、かつ水運の便が良いというところは、なかなか少ない。


 木は伐採してすぐ建材に使うことはできず、干して水分を抜かなければならないので、建築木材のストックが十分にあったのは助かる。

 なんといっても、木造建築は作るのが楽でいい。


「まえにお前が連れてきた、元大工の男。あれが音頭を取ってるよ」

「あれか」


 俺を路上で誘拐しようとしたやつだ。

 あれは、結局家族連れで社に来て、紙漉き係にはならず、中古の大工道具を使って三軒の掘っ立て小屋を作った。

 今となっては全て灰になってしまったが……。


「いい拾い物だったな」

「あいつが連れてきた大工仲間も幾らかいる。仕事には当分困らんだろう」


「そいつらは、暇になったら荷馬車でも作ってもらうか」


 そろそろ紙に限らず、多方面に展開を広げる時期だろう。

 結局のところ、紙の一大消費地は王都だから、輸送する必要がある。


「荷馬車を?」

「そろそろ、紙以外にも商売を拡張したくてな。馬車は一部鉄で作って、板バネで懸架けんかする。乗り心地も数段良くなるはずだ」


 今の馬車は荷台に車輪を直付けしているため、振動が直にくる。

 サスペンションを介してやれば、振動はかなり軽減されるはずだ。


 サスペンションは油圧シリンダや鉄の板バネを使ったものじゃなくても、丈夫な木材を重ねて板バネを作り、その上に乗せたものでもよい。


 何トンもの荷物を運ぶわけではないのだから、それで十分だ。

 社内の需要をまかないつつ研究して、いいものができれば、単体で商人連中に売ってもいいだろう。


「よくわからんが、また新しいことを考えついたのか」

「会長は考えるのが仕事だからな」


「それもどうなのかと思うが……」カフは呆れたような顔をしていた。「とりあえず、大工方に説明しないといけないぞ。といっても、建物を建て終わってからだから、着手じたい大分遅くなると思うがな」

「どうせ、特許用に説明の紙は作るしな。暇を見てやっておくよ」

「わかった、じゃあ、連中には紙漉きの練習はやらせないでおく」


 均一な紙を作るためには、最低限二週間かそこらの練習期間が必要だ。

 カフは、大工の仕事が一段落したら、そちらのほうの練習にも入ってもらうつもりだったのだろう。


「それでいい。人も、金が許す限りどんどん雇えよ。ここには魔女どもはいないんだ。思う存分やって誰に咎められるわけでもない」



 ***



 その後、汗をかきながら槌やカンナをふるう従業員を見回っていると、川下のほうから、なかなかの勢いで迫ってくる影があった。

 カケドリだ。


 俺は年がら年中乗っているが、カケドリに乗る人間というのは、実はそう多くない。


 カケドリに乗るのは騎士家の人間と、あとは王城に仕えている、王命を届ける急使の役人くらいだ。

 あとはカケドリを生産している牧場の人間だが、こっちは更に人目につくことが少ない。


 カケドリは、俺の目の前で止まった。

 止まるとき、カケドリがタタラを踏んで爪が土を削る。


 思わず眉をひそめた。

 轢かれるコースではないので、失礼というわけでもないが、トリを粗雑に扱っている。


 こういった急停止をすると、カケドリは足を壊してしまう。

 カケドリの足はヒズメになっているわけではないから、急停止の場合、ツメを地面に突き立てて止まることになる。

 ただでさえ足を酷使する動物なのに、そういった負担を指にかけたら、悪い影響が出るに決まっている。


 まあ、自分のトリをどうしようが、それはその人の勝手だから、どうでもいいが。


 騎上の人物は、カケドリを落ち着かせると、鞍から飛び降りた。

 そして、突然に土の上にひざまずいた。

 俺に向かってだ。


「ハァ、ハァ……た、ただいま参上しました。遅れまして申し訳ございません」


 ???

 なんだこいつ。


 俺はこいつの上司になった覚えはないのに、なぜ俺に最敬礼をしてくるのだ。


「もしかして、ジャノ・エクさんですか」


 俺は恐る恐る尋ねた。


「ハッ、その通りです。ユーリ様」


 ユーリ様???

 俺はお前にユーリ様と呼ばれる筋合いはないのだが……。


「頭を上げてください。僕はここに父上の息子としているわけではありませんから……」

「そ、それでは失礼して……」


 ジャノ・エクは恐縮した様子で頭を上げた。

 なんか思っていたのとタイプが違うな。


 ジャノ・エクは、俺の義伯母のサツキ・ホウに叱責され、逆ギレして会議の場で刃傷沙汰に及んだ、ラクーヌ・エクの甥だ。

 エク家は、結局あの後、当たり前だがお取り潰しになった。


 ここはエク家の封土であった土地なのである。


 エク家は、藩爵という立派な爵位を与えられており、その封土は広大であった。

 具体的に言うと、この大きな湖の周辺一帯から、川を下って大西洋に続く河口の街まで、流域の全てが領地だった。

 だが、取り潰しに際して、当然だがその封土は全て没収された。


 没収というと聞こえが悪いが、言ってみれば契約違反によって臣従契約が切れたので、元からホウ家の土地であったものを返してもらった。ということだ。

 だが、元より借りたものであっても、百年も二百年も借りたままであれば、返却を強制されれば奪われたと感じるのは当然の心理なので、感覚的に言えば「没収」というのが正しいかもしれない。


 その辺の処置は、当時はルークが当主に任命された直後であったため、ほとんど全てサツキがやったらしい。


 ラクーヌは、あのあと地下牢にいれられると、しかる後に一本の短刀を与えられた。

 そして、それを腹に突き立てて自害した。

 エク家は家臣団から追放された。


 そこからがエク家の凄いところで、ラクーヌの父親にあたる男は、領地でその報を聞くと、ラクーヌの嫁と息子と一緒に、揃って自刎じふんしてしまった。

 自刎というのは、刃物で自らの首を切って死ぬことだ。


 ただ、その一家心中は、エク家の受けた屈辱に耐え切れず……とかではなく、ホウ家へ許しを請うためにやったことであったらしい。

 その意図は、残った遺書というか、直訴状のようなものに、ハッキリと書いてあった。


 それを聞いたサツキは、筋金入りのキ◯ガイ一家や……と思ったのかは知らんが、エク家に対し寛大な措置を取った。


 屈辱に耐え切れず……ということであれば「あっそ」で済むが、許しを請うためにやられたわけだから、多少の手心を加えてやらないわけにはいかなかったのだ。


 というわけで、サツキは、ラクーヌの妹夫婦の息子を、暫定的に領の代官に据えてやった。

 それがこいつ、ジャノ・エクである。


 つまりは、何代か真面目に頑張れば、エク家を復興できるかもしれない可能性を残したわけだ。

 とはいえ、代官は代官なので、アパートの管理人みたいなもんで、土地を持ってるわけでもなければ騎士団に籍があるわけでもない。


 初めて見るジャノ・エクは、騎士にしてはヒョロっとした男だった。

 四十に届こうかという年齢のはずだが、シャン人特有の天然若作り体質により三十くらいにしか見えない。


「こちらからお伺いしなければいけない立場でしたのに、申し訳ありません」

「そんな! ユーリ様をお迎えするのは当然でございますから」


 うーん。

 まあ、立場上のことを考えれば、この反応は人によっては当然と感じられるものなのかも知れないが、難しいな。

 公人としての立場と、私人としての立場というか。


 向こうからしてみれば、俺の人となりを知らないわけだし、俺が「分けて考えないタイプ」だったら大変なことになるわけで、この反応は正しい。

 それに、こいつは首都とは離れた土地に暮らしているわけだから、社のことなどは、まったく知らないだろう。

 もちろん、ホー紙なんて存在すら知らないはずだ。


「これからご面倒をお掛けすることになるとは思いますが……」

「滅相もございません。ユーリ様のお世話をさせていただくのは、むしろ幸いでございますから。何かご用命がありましたら遠慮なく、お申し付けください」


 お前はどこぞのホテルのホテルマンかと言いたくなる。


「はい。それでは、なにかあったら、遠慮なくご相談に伺わせていただきます」

「もちろんでございます」


 まあ、こういうタイプが代官であれば、むしろやりやすいか。

 少なくとも、社の行動を阻害するような真似はしそうにない。

 欲を言えば、もう少し、ざっくばらんな性格のほうがよかったけど……。



 ***



 それから、ジャノ・エクのたっての願いで、川を下って海辺の街、スオミにまで赴くことになった。

 現在代官所とされているのは、エク家の邸宅である。


 エク家は私有財産を没収されたわけではないので、この邸宅はエク家の財産の一つだ。


 言わば、領主でもない私人の邸宅を代官所として使っていることになり、俺の感覚では公私混同というか、少し気持ちが悪い感じがするが、この国ではそのへんはあまり厳しくないのだろう。

 なんせ貴族制の社会だからな。


「まあ、そういうわけで、王都の生産拠点が放火に遭いましてね」


 などと、営業が雑談をするように、俺はエク家の応接間で適当な話をしていた。


「ほう、災難でございましたねえ」

 相槌を打ってくる。

「いえいえ、どちらにしても、いつかはこちらに移転するつもりでしたから。なにせ、王都は商売がし辛いところで」


 王都で商売を続けるのは変わらないが、生産拠点を移せば、魔女家に見せる「弱み」が圧倒的に少なくなる。

 王都での生産はいつかは頭打ちになるのは明らかだったので、この話は本当だった。


「なるほど。そういう部分があるのですか。ユーリ様はお若いのに本当に優秀でおられる。これでホウ家も安泰ですな」


 こんな国際情勢で安泰もクソもあるかと言いたくなるが、俺は言わなかった。

 こういうトークではお互いにトゲが刺さらない話をするのが肝心だ。

 それにしても、やたらとヨイショしてくるな。


「いえいえ、僕などはまだまだ未熟者で。社を通じておいえに貢献できれば良いのですが」

「いやいや、立派なものです。このジャノ・エク、感じ入りました」


 そつのねえ野郎だな。


「……それにしても、エク家のお屋敷は立派なものですねえ」


 俺は話すことがなくなったので、家を褒めはじめた。

 実際、立派な家なんだが。


「いえいえ、ホウのお屋敷などと比べれば、まこと粗末なもので……」


 というような中身のない会話をしていると、応接間のドアがノックされた。

「入れ」

 ジャノが言うと、メイドさんがドアを開けて入ってくる。


「失礼いたします。お茶の準備が整いました」


 しずしずと入ってきたメイドさんが、カチャカチャと茶具を整えてゆく。

 騎士家風の作法であった。

 騎士家風では、カップに茶が入れられて出てくるのではなく、給仕が目の前でポットからお茶を注ぐ。

 その上で、客のほうから先にカップを選んで良いことになっている。


 これは毒殺を予防するための礼法である。

 王都の喫茶店などではまず見られない。


「ユーリ様は、酒のほうがよろしかったでしょうか」


 ジャノが言った。

 シャン人は酒飲みなので、たしなむ程度の酒は昼間から飲む慣習がある。


「いえ、これからやることがあるので」

「少しくらいなら構わないのでは?」

「いえ、まだ未熟者なので、酒を飲めば破廉恥な真似をしでかさぬとも限りません」


 という言い訳である。

 未成年飲酒は脳の発達の妨げになる(かもしれない)からだ。

 シャン人の人生は長いのに、二十代でぱっぱらぱぁになるのは、できるなら避けたいところだ。


「さすがでございますなあ。素晴らしい心がけです」


 はいはい。


 その間にも、メイドさんはカチャカチャと茶の準備をしていた。

 見ていると「本家の給仕はやっぱり凄いんだなあ」というような手際だった。

 つまり、あんまりよろしくない。

 緊張しているのか、ポットを持つ手が震えていた。


「あっ」


 案の定、盆を引き上げようとしたときに、カップの端にあたって倒した。

 俺の方にドバっと流れてきた湯を、とっさに避ける。

 足にはかからなかったが、上着が少し濡れた。


「わっ、すいません! 申し訳ありません!」


 メイドさんは、何故か俺ではなくジャノに向かってペコペコと頭を下げだした。


「なにをやっておる!」


 ゴッ、という音がした。


 わお。

 こいつ、グーでメイドさんを殴りおった。


 頭っからグツグツ煮えた熱湯をぶっかけられて大火傷ってなら別だけど、避けたんだから殴るこたぁないだろ。


「貴様ぁ……何をしでかしたか分かっておるのか!」

 ジャノはメイドさんの細腕をぐっと掴んだ。

「痛っ、痛いですっ」

 メイドさんは激しく取り乱している。


 ちょっと。

 ちょいちょいちょい、ストップ。


 折る気やないの、これ。

 メイドさん十五歳かそこらで、中学生くらいなんだから、鍛えた騎士がそんなガッて握ったら折れちゃうよ。


「やめなさい」


 俺は命令口調で言った。


「あっ……見苦しいところをお見せしまして……」


 ジャノは、怒りに我を忘れたような顔から、一瞬で気を取り直したのか、すっかり応接用の顔に戻った。

 メイドさんの腕も離した。


 なんやこいつ。

 温和な顔しといて、唐突に豹変しおった。

 キレやすいのは家系か……?


「もういい、下がりなさい」

 俺はこの家の主人でもないのに、メイドさんに命令した。

「はっ、はい……失礼いたしました」

 メイドさんは逃げるように部屋を立ち去り、俺に向かってぺこりと一礼すると、ドアを閉めた。


「大変失礼を……あの娘にはよく言っておきますので」

 そういう問題じゃねーだろ。


「そういう問題ではない。この地の領民は、我がホウ家の持ち物です。みだりに殴ったり腕を折ったりして傷つけるのは、いかがなものかと思いますよ」


 そもそも女性をためらいなく殴りつけた時点でかなりアレと思うが、それは躾や教育の一環として、残念ながらこの国ではどこでもやられていることだ。

 カフあたりはやらないが、そこらの商店では、小間使いのガキの頭を事あるごとにポンポン殴っている親方なども見かける。

 だから、一方的に悪いとは言わない。

 だが、折るのはやり過ぎだ。


 他人の領地の人間であれば、俺も口を出す筋合いのことではないが、ここは現状はホウ家の領地だ。

 領民も、こいつの持ち物ではない。

 こいつ何か考え違いでもしてんじゃねーかと思う。


「はっ……その通りでございます。このジャノ・エク、以後肝に銘じておきます」


 どうせ、まったくわかってねーんだろうな、こいつ。

 こいつの代では領主に戻るということはありえないからいいが。

 要注意だな。

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