第38話 印税交渉


「……………」


 ナニコレ。

 髪の毛が真っ白になったような思いがする。

 体が燃え滓のようになっているような。


「おい、てめーら」

 丁寧な言葉を使う気は失せていた。


「ふひひっ」


 なにを嬉しそうに笑ってやがる。

 悪魔か、こいつは。


「てめーら、誰に許可をとって……」


「だから、読ませないほうがいいって」

「だい、じょうぶ」


 こいつら。


「大丈夫じゃねーよ、夜眠れなくなったらどうしてくれる」


 なんという恐ろしい妄想をしやがる。

 ホモドッラが俺のベッドの横で一晩中俺を見てるとか。

 しかも色めいた目で。

 考えただけで鳥肌が立つ。


「十八話ってなんだよ。もう十七話分書いてんのか」

「うん」


 怖気がした。

 十八話は書きかけだったが、けっこうな文量があったぞ、これ。

 それがもう十七話分も。


 何を考えてこんな真似をしてやがる。

 頭がおかしいのか。


「勘違いしているかもしれないけど、白樺寮は分別ある生徒たちの集まりです。創作は創作とわきまえてるから」

「んなわけねーだろ、これで分別があるとか、寝言は寝ていえよ」


 俺がそういって怒ると、


「俺様」

「俺様だ……」


 と二人でなにやらこそこそ話してやがる。

 腹立つ。


「二十歳以上の寮生なら分別もつくだろうが、ガキなんて妙な目で見てくるだろ」

「そんなことは……」

 コミミは否定したが、どこか自信なさげだ。

「……なくもないけど、実際に妙な噂が立ったら上級生たちが指導しています」

 そーいう問題かよ。


「やっぱりおこった」

 ピニャがぼそりと言った。


「ぐっ……」


 堪えろ。

 堪えるんだ。

 俺は今日ここに何をしに来たんだ。


「……フー」


 クールだ。

 クールにいこう。


 考えてみれば、これは俺とは関係がないところで、馬鹿どもが勝手にやってることだ。

 俺とは関係ないんだ。

 つまり、脳みそぱっぱらぱぁのこいつみたいな連中が、頭の中で妄想してるのと同じことだ。

 妄想することくらい勝手にやらせればいいではないか。


 そう、そうだ。

 俺は金儲けの話にきたのだ。

 そうだった。


 プライドが金に変えられるか?

 つーか、書くのを止めろといったら、止めてくれるのか?


 そうは思わない。

 だとすれば、どうせ精神的損害を被るのなら、描かせたほうが金が貰えるぶん得だ。


 コンコン

 と、ドアが叩かれた。

「どうぞ」

 勝手に言う。


 ちょうどいい時にお茶が来た。

 一服して落ち着こう。


 菓子と茶が並べられると、店員はしずしずと出て行った。


 俺の前には温かい麦茶と、切ったチーズが置かれていた。

 どうも胃の調子がおかしく、チーズを胃に入れる気にはならなくなっていた。


「いただきまーす」


 ピニャは、ぱくぱくと菓子を食い始める。

 こっ、この野郎……。

 どんだけ好き放題やりゃあ気が済むんだ。


「それで、この件で怒りに来たのでないのなら、なんの用があったの?」

「……ふーっ。よしよし、落ち着いた」


 もうあんなもんは忘れた。

 仕事の話に移ろう。


「俺は今、本を出そうとしてて、そのための中身にあんたがたの本が最適なんじゃないかと思ってきたんだよ」

「本……?」


 ピニャとコミミはきょとんと目を見合わせた。


「俺は今、こういうものを作ってる」

 俺は用意しておいた植物紙を一枚、渡した。


「ああ、ホー紙ね」

「なにそれ」


 コミミのほうは知っているようだった。

 なかなか周知してきたようだ。


 ホー紙というのは、植物紙を売り込むときにつけた名前だ。

 カフがそういう名前で売り込んでいるから、小売から伝わったんだろう。


「これで本を作りたい。羊皮紙の本の半分くらいの値段でできるはずだ。買うやつはいくらでもいるだろ?」

「だめよ」


 そっけなかった。

 だめか。


「さっき、あなたは何を思った? 気持ち悪いと思ったでしょ。それが理由の全てよ」

 理由の全てか。

「正直、気分は悪かったがな。多く作って各家庭に拡散するのが問題なのか?」


「違うわ。別に、お家で見られたって、それはその子の誇りが傷つくだけだもの」


 違うらしい。

 リリーさんも、内部で複製行為は行われてるって言ってたしな。


「さっき見せたのは、あなたが題材だったからよ。ピニャが自責の念にかられたから。特別も特別なの」


 ピニャは自責の念に駆られているのか。


 ミルクと茶を上手いこと混ぜたお茶をグビグビ飲みながら、菓子を食ってるけど。

 どうも、自責の念に駆られてくれているようには、見えないのだが……。


「私達は、外部にこれが漏れるのを物凄く嫌うわ。白樺寮の誇りを傷つけるから。だから、外部の写本屋に依頼することはない。写本をするということは、誰よりもじっくりとその本を読むということだし、人の口に戸は立てられないでしょ?」


 ああ、それか。

 リリーさんもそんなこと言ってたな。

 やっぱり写本屋に出すのは大問題らしい。


 写本屋に出すと思っているのか。

 その際に写本屋に読まれるのが問題。と。

 どうやら、問題の焦点はそこであるらしい。


「俺は、写本屋に出すつもりはない。手書きではない新しい技術を使う」

「……写本じゃなかったら、どうやって写すのよ?」


「特許は既に申請したから話すが、謄写版とうしゃばん印刷という技術だ」

「なにそれ?」


「まず、インクの染みない紙を作る。その紙をヤスリの上に置いて、鉄の筆で紙を削って文字の形に穴を開けていく。文字が全て形になったら、上からインクを塗る。すると、紙に出来た穴のところだけ、インクが通る計算になるな。インクが通ったところだけ、紙にインクが乗るわけだ。その紙を百回使えるとしたら、鉄筆で一度文章を書けば、百回複製できるわけだから、効率は百倍だろ。白樺寮の中で製造できないわけでもないはずだ」


「ふーん……本当にできるの? 穴にインクが通らなくて、読めないくらい掠れた文字になったら意味が無いのよ」

「そこは現状では判らんが、おいおい詰めていく」

「なんだ、まだできていないの?」


 はい。恥ずかしながら。

 なんにもできていない。


「道具を作るにしても、交渉の成立を前提に開発を進めることはできない。俺は、もう一つプランを持っているからな。ピニャが嫌がったら、この件はキッパリ諦めてそちらを進める」

「別の手があるの? どんな?」


「詳しくは話せないが、他に需要の高い本がある。そちらを売る場合は、まったく別の発明を使うから、先に謄写版を完成させてから両方にオファーというわけにはいかないわけだ。謄写版を使うなら使うで、先に約束を取り付ける必要があった」


「なんでこっちに先にきたのよ? 儲かりそうだから?」

「単に、そっちは開発費用が謄写版の倍はかかりそうなんだよ。できればこちらから始めたい」


 最近は、有限責任で法人に金を貸してくれる銀行があれば、どんなにいいかと思う。

 この国じゃそんなもんは存在しない。


 魔女家が絡んだ悪徳高利貸しのような業者しかおらず、そんなところから金を引っ張ってきたら、言うまでもなく後の禍根にもなるし、家にも迷惑がかかる。


「ふうん、いろいろ考えてるのね」

「まあな」

「複製作業は、そんな単純なら、私がやるわ。どうせ、ピニャの原稿は清書しなきゃだし」


 やっぱり、一度清書するんだったのか。

 さっき読んだピニャの原稿は、所々二重線で消してあったり、行間がばらばらだったりして、あまり見た目の良いものではなかった。


「わかった。あとは製本だ。写本作業はいらないが、製本はする必要がある」


 鉄筆で一つ用紙を作れば、そこから百倍に複製できる。

 それは良いのだが、製本の労力まで百分の一になるわけではない。


 本を百冊も製本するというのは、これは大変な労力になる。

 コミミが学科の余暇にそれをこなすというのは、実際問題として不可能だろう。


「製本は、そちらでやっても構わないわ」


「いいのか?」

 意外だった。

 あんなに拘ってたのに。


「写本は、文字を読める必要があるでしょ。製本は、文盲でもできるもの」

 これ以上なく得心が行く話だった。


「じゃあ、文字が読めない人間だけ集めてやればいいんだな」

「そうよ」

「だが、普段はどうしてるんだ? 製本屋に出すしかないだろ」


 まさか江戸時代の文庫本みたいな形で、紐で括るだけで流通してるのか?


「だから、製本屋には出さないわ。製本の道具は白樺寮の中にひと通り揃ってるの」

 おいおい、マジかよ。

 自作か。


「ピニャの本は私が綴じてるけど、製本って意外と簡単なのよ。手間はかかるけどね」

「すげえな、なんか」

「あなた、製本の知識はないようだから、ちゃんと職人に話を聞いておきなさいよ。一ページ分の紙をたくさん渡されて、本に出来ないじゃ困るから」

「? どういうことだ?」


「あのね、製本ていうのは、折り丁っていって、おっきな紙を折りたたんでから小口を切って冊子みたいにして、それを重ねて綴じるのよ。つまり、元の紙は一ページの八倍の尺になるの。だから、写本するときは、予め大きな紙に八ページ、両面で十六ページ分を写すのよ。折りたたむ途中で上下が逆になったりするから、そこを織り込み済みで考えないと、ページが一枚だけ上下が逆になっちゃったりするの」


 ああ、なんか、聞いたことがある。

 そういう面倒なことがあるんだよな、確か。


「まあ、よくわからないけど、装置の都合とかホー紙の元の紙のサイズとかの都合もあるでしょう。あまり大きな紙には印刷できないとか、ホー紙のサイズが足りなくて、四枚折りにしかできないとかね。私のほうの手間は変わらないからいいけど、製本職人のほうとしっかり打ち合わせして、手順を把握しておかないと、困ったことになるわよ」


「解った。その辺は詰めておこう」

「そうして」

「それより先に、出版について話そう。本は出させてくれるってことでいいんだよな」

 俺はピニャのほうを見て、言った。


「ピニャ」

 コミミも声をかける。

「……よくわかんないけど、いいよ」


 よくわかんねえのかよ。

 まあいいか。


「決まったな。じゃあ、印税の話をするか」

「……印税?」


「本を売った時の金額に対する、ピニャの取り分のことだ」

「……お金くれるの?」

「ああ。コミミのほうにもな」

「私も?」


「ガリ版とインクは、俺のほうで作って渡す。だから、使い放題だ。それとは別に、コミミには作業賃が必要だろう」

「別に私はいいけど。もともとがタダでやってることだし」


「俺のほうも金をもらわないのであれば、それでもいいけどな。俺は金儲けのためにやるし、実際に売って金にもするつもりだ。だから、二人にもタダ働きはさせられない。二人が余程の金持ちの子で、幾ら金に不自由してなくても、けじめとして受け取って欲しい」


「……わか、た」

「本来なら、定価から一割とかいうのが手っ取り早いんだけどな。今回は殆ど試作品みたいなもんだから、本そのものの値段が大分高くなる。だから、売上から製造費を除いた純利益から割合で出したい。コミミの作業賃は製造費に含まれる」

「ふうん、何が違うのかよく解らないけど」


 コミミのほうもピンときていないようだ。

 元よりそういう観念がないからだろうか。


「本を売るってことは、本質的には本の内容を売るってことだろ? 物体としての本は、言ってみりゃただのガワで、容器にすぎないわけだ。だから内容を作っているピニャは、言ってみれば特別な存在ってわけだ。俺と対等に、割合で利益を分配しなきゃならない」


「なるほど、わかったわ」

「……わかんないけど」

 ピニャは、さっきから『なんの話をしているんだこの人達は』という顔をしている。


「ピニャは、普通に書いていてくれればいいのよ。面倒なことは私がやるから」

「……わかった」


 それもどうかと思うが。

 まあいいか。


「じゃあ、純利益の一割五分でいいか?」


 日本の印刷業界では十パーセント前後が相場だったと思うが、それは製本代を含めた定価からの割合だ。

 この場合は製本代が除かれるから、もう少し増やす必要があるだろう。


「よくわからないけど、それでいいわよ」

 欲がないな。

「コミミの作業賃は、現状ちょっと解らないからな。あとで決める」

「どうでもいいわよ、そこは」

 どうでもいいらしい。


「……最後に聞いておきたいんだが、この本を商売にすることで、問題は出ないのか」

「いまさらそれ聞く?」

「まあな。魔女の巣窟だろう。一応は気にする」


 魔女家やくざという人種は、金の匂いがするたびに、顔を突っ込んできて甘い汁を啜ろうとする連中だ。

 ましてや、白樺寮は魔女の根拠地といってもおかしくない場所なのだから、面倒にならないと思うほうがおかしい。


「多少はね、あるかもしれないけど。本の貸し借りには、もうみんなウンザリしているから」

 コミミはなんだか疲れた顔をして言った。


「私もね、順番待ちの人たちに毎日のようにせっつかれたり、本を返さない馬鹿の所へ行って借金取りみたいなことをするのは、ホントに、ホントにうんざりなのよ。だからね、渡りに船というほどではないけれど、たくさん本を複製する方法があるのなら、正直言って、こちらから頼みたいくらいなのよ」


 どうやら、ピニャのマネージャーというのは、大変な心痛を伴う仕事のようだ。

 強制でもないのにボランティアでそんなことしてんのか……。

 俺だったら、ルームメイトのよしみがあるにしても、投げ出してしまいそうだ。


「それに、あんただったら、文句もでないと思うわ。二十数年前のこととはいえ、負い目があるからね」



 ***



 んっ?


「なんのことだ?」

「なんのことって、親のことでしょ?」


「親? 父上のことか?」

「あっ、いや、知らないならいいのよ」


 藪蛇踏んじゃった、しまったなぁ、って顔にでてるぞ。


「気になるじゃねーか」

「あんたのお父上が秘密にしていることかも知れないじゃない。言えないわ」


 やっぱルークがらみかよ。


「おおかた、退学に関係したことだろ。教養院の生徒に惚れられて、クソ面倒なことになったとは聞いている」

「言ってもいいものかしらね」


 ああもう、面倒くせえな。


「言えよ」


 俺が強くそう言うと、コミミは寒気でも感じたのかゾクゾクッと体を震わせ、俺から目をそらした。


「はぁ……やっぱり俺様だわ」

「受けじゃなくて攻めでも行けるね……」


「なんの話だ」


 なにやら気分の悪い話をしている気がする。


「ホントにいっていいものかしら」

「さっさと言え」


 俺がそう言うと、コミミはなんだか、寒気がするようなニタァとした表情を浮かべた。


「ホントにホントにいっていいものかしら……」


 何かを期待されているような気がする……。


「……もう言わないから」

 断った。


「あら、そっけないのね」

「……」


 帰るか。

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