第24話 単位は空から降ってくる


 翌日、早朝に起きて寝不足のまま馬車に乗り、寮に行くと、玄関に顔を腫らしたドッラが待っていた。


 なんでこいつ待ってんだよ……くんなよまじで……。


 ドッラは、顔全体がふくれあがっていて青あざだらけだ。

 我ながら、よくもまあやったものである。

 玄関に近づいてゆくと、向こうから声をかけてきた。


「俺は負けてねえからな」


 ぽかーん。

 え、俺の耳がおかしくなったのかな?


「ちょっと聞きたいんですが」

「……なんだよ?」

「あれが負けじゃなかったらどうなったら負けなの?」


 ほんと聞きたい。


「俺は負けを認めてねえ」


 マジか。

 負けを認めたら負け。シンプルだ。


 まあ、これは彼の信念みたいなものだろうから、他人がどうこう言う問題じゃない。

 黒かろうが青かろうが自分が白といったら白。

 それはそれでいいんじゃないかな。

 しかし厄介だなぁ。


「じゃあ昨日の喧嘩はどっちが勝ったことになるの?」

「……っ」

 ドッラは答えなかった。

 答えないというか、ちょっと答えがパッとでてこないようだ。


 まさか「俺の勝ちだ」とは言えないのだろうし、「引き分けだ」と言うのもはばかられるのであろう。


 ややあって、

「……まだ喧嘩は続いてる」

 と、そういう結論に至ったらしい。

 はーもうどうでもいいよ。


「じゃあ昨日の喧嘩は俺の負けでいいですよ。はいはい、負けました」

 俺は負けを認めた。


「はあああああ???」

 とんでもない顔をしおった。


「よかったですね。あなたの勝ちです。おめでとうございます」

「駄目だ。認めねえ」


 ???????


「どっちかが負けを認めたら勝ちなんでしょ。自分の言ったことでしょうに」


 だから負けを認めてやったのに。

 何が嫌なのか。


「駄目だ」


 なんなんこいつ……。


「じゃあ聞きますけど、あんだけ血だるまにされて、絞め落とされて、それでも負けを認めないんだったら、どうしたら負けを認めるんですか?」

「……二回も三回も負ければ負けを認める」


 まーた馬鹿なこといいだしおった。


「へー。そうなんですか。一度戦ってあんなふうに負けても、今喧嘩してもしも僕に勝ったら、あなた『やったぁ、これで一勝0敗な』って言うんですね。あんたそれでも男ですか? 生きてて恥ずかしくない?」


「ぐっ……」


 さすがに反論できない様子であった。


「……わかった。昨日のは俺の負けだ」

 なんなんもぉこいつ……。

「だが、また再戦するからな。首を洗って待ってろ」

 やだ……なんでこいつこんなに面倒くさいの……。


「嫌ですね」


「てめー……勝ち逃げするつもりか」

 恨みがましい目で見てくる。

「今の状態なら百回やったら百回僕が勝つんですよ。昨日の闘いで分かりませんでしたか?」

「そんなもん、やってみなきゃ……」

「ああ、闇討ち、夜討ちなら勝てるかもしれませんね」

「誰がやるか!」


 俺は内心でかなりほっとした。

 闇討ちはともかく、夜討ちをされるようなら、寮は使えなくなる。


「あなたね、僕、昨日いいましたよね。騎士が喧嘩を売るっていうのは、殺されても仕方がないことなんですよ? その意味を全然わかっていませんね」

「んぐっ……」

「僕が本気だったら、あなた、今そこに立っていませんよ。両目がなくなって、腕も足も折られて、二度と立てなくなっていたわけです。想像つきますか?」


 ドッラは一瞬、恐ろしげな表情になった。

 自分が不具者になった姿をちょっと想像してしまったんだろう。


「僕は昨日、あなたを傷つけないように細心の注意を払って戦ったんですよ。もちろん、あなたが大切だからではなく、あなたに大怪我をさせたら大人にメチャクチャ怒られるからです」


 細心の注意を払ったというのは嘘だが、手心を加えたのは本当だ。


「骨を折るような技は使いませんでしたし、殴るにしても歯が折れないように気をつけましたし、鼻の骨だって折らないように気をつけました。その結果、あなたは顔が腫れたくらいで済んでいるんです。それなのに、もう一度喧嘩を挑む? 負けを認めない? 僕が命を奪わないのをいいことに、どれだけ甘ったれてるんですか」


「うっ……ぐっ……」


 悔しそうだ。

 おおかた、ガッラにも昨日説教くらって同じようなこと言われたんじゃないか?


「あなたは、戦うにも値しない野良犬です。僕に挑むなら、せめて野良犬と言われないくらいに自分を磨いてからにしてください」


 俺がそう言うと、

「……」

 ドッラは打ちのめされたような表情でその場に佇んでいた。

 俺はその横を通りすぎて、寮の中に入った。


 俺はすぐに後悔した。

 ノリであんな説教しちまったが、十年後とかに「お前に言われたとおり、十年間山ごもりして自分を磨いてきた。さあ死合をしようではないか」とか槍もってきて言われたらマジで困るな。

 なんであんなこと言っちまったんだろう。



 ***



 寮に戻ると寮監に冷ややかな眼差しを向けられたが、他には特に問題はなかった。

 部屋に入ってみると、蝶番も直されているし、インクのシミもない。


 しかし、あの腐れDQNはともかく、もう一人のルームメイトには悪いことをしてしまった。

 入ってきたらあんな有り様だったわけだから、さぞかし驚いただろう。


 と思って部屋を眺めたのだが、ルームメイトの荷物は解かれていなかった。

 昨日は来なかったのだろうか。

 または、部屋があんまりな惨状であるから、ここに寝かせるのはまずかろうという配慮があり、別の部屋に暫定的に送られたとか。


 それはそうと、なんだか腹が減ってきたな。

 朝飯を食べて来るべきだったか。

 別宅を出たのは空が白む前だったので、なにも口に入れてこなかった。


 そこで、

 コォン コォン コォン

 と、三度大きな音が鳴った。


 しばらくすると、ガヤガヤと騒々しくなり、生徒たちが廊下に出てくる気配がした。

 さっきのは目覚ましの鐘か。

 これから飯か。

 俺も下へ行こう。

 

 下階の食堂へ行くと、パンが焼けるいい匂いがたちこめていた。



 ***



 バイキング形式の朝食を摂ると、なんだかオリエンテーションが始まった。


「はい、これを見てください」


 寮監が細い木の棒で壁を指した。

 そこには、布が貼られたカンバスがかけてある。


 布は、帆布という、帆船の帆として使われる厚手の布だ。

 書かれているのは絵の類ではなく、なにかの目録のようだった。


「あなたがたが騎士院を卒業するには、これらのうち三百単位を取らなくてはなりません」


 なるほど、授業の一覧表だったか。

 しかし三百単位とは大層なことだ。

 一個で十単位くれる講義とかもあるんかな。


 寮監の話を総合すると以下のようになる。


 三百単位のうち半分、つまり百五十単位は騎士院固有の講義で、うち百は実技で五十は座学である。

 つまりは、騎士院の卒業単位のうち、3分の1は体を動かす講義で取得することになるわけだ。


 講義は必修のものと選択のものがある。

 選択科目の選び方によって大分違いがでてくるようだ。


 なぜそうなるのかというと、歩兵科と騎兵科と砲兵科では全然違うから、ではない。

 そんな区分は全然ない。


 騎士候補生の中には王鷲に乗る天騎士になりたいという人材がおり、騎士号を持った人間が全て天騎士になるというわけではないので、それでカリキュラムが変わってくるらしい。

 天騎士になるには専門の実技をたくさんうけなければならないようだ。

 だが、幸いなことに、その実技は全て卒業単位として認められる。


 ただ、王鷲乗りのほう、つまり天騎士過程は、望んでも弾かれる可能性があるようだ。

 現行で王鷲未経験だと今からでは厳しいので、一応は乗せるが、才能が無いようなら弾くようなことを、やんわりと言っていた。

 たぶん上空で怖がって下が見れないような人間は一発でアウトだろうな。


 そしてもう半分、150単位は完全に座学で、教養院と共通する一般科目である。

 これにも必修のものが120単位あり、自由なものが30単位ある。


 必修のものというのは、義務教育課程のようなものらしい。

 騎士になったといっても、最低限の教養がないと恥ずかしいってことだろう。

 国語、算数、社会、歴史、を学ぶらしい。


 選択自由な一般科目は、まあいろいろある。

 科学めいたものを教える科目もあるようだが、まあ殆ど全部デタラメだろうな。

 初等古代シャン語なんていうのもあるが、おれはあの言語には今後一切関わりたくないので、一生取らないだろう。

 考えてみれば、前世でも古文の類はめっぽう嫌いだったな。


 その中に気になるものがあった。

『クラ語講座』

 というやつだ。


 びっくり仰天というか、教わる方法があったのか、という感じだ。

 この知識は、人生において珠玉の至宝になるかもしれない。


 この地球に住む既知の人類、シャン人のほかもう片方、クラ人の言語を覚えられるというのはでかい。

 なにせ、国が滅びて行くところがなくなったら、クラ人の支配地域のなかで隠れて住むか、迫害のない土地まで、迫害を逃れて移動しなければならない。

 その際、言語を知っているか知らないかでは、雲泥の差がある。


 クラ人はシャン人を忌み嫌っているとはいうが、ユーラシア大陸は広いのだから、全地域で嫌われているとも限らないし、前人未踏の離島のようなところも探せばまだまだあるだろう。


「というわけです、理解できましたか?」


 と寮監が言ったが、理解出来てるのがどんくらいいるのか分かんない。

 ここにいる連中のうち、半分も理解できてりゃいいほうだろう。


「難しかった子はあとで相談室に来なさい。一緒に時間表を作りましょう」

 結局は寮監がつきっきりで作ってやるらしい。


「それでは、今日やることを教えます。今日やるのは、必修講義の免除に関するテストです。あなたがたの中には、既に十分に国語や算数に習熟し、いくつかの講義を受ける必要がない者がいるでしょう。その人たちは、講義が免除され、単位が与えられます」


 マジか。

 必修講義が免除されるだけではなく、単位が空から降ってくるとは。

 なんという慈悲。

 この学院の上層部は神か仏のたぐいか。


「ただし、この申請は任意です。自己申告で申し込みをしてもらい、先生方に個別にテストをしてもらうことになります。なお、先日行ったテストで基準以下であった者は申し込みはできません。免除の申請が必要でない者、または免除を受ける資格が一つもない者は、今日は受講計画を作ってもらうことになります」


 なるほど。

 ここで入学式前のテストの結果が現れてくるんだな。


 先生方とて、前段階テストのあのレベルも解けない生徒をいちいち面談していたら、時間がいくらあっても足りなくなる。


 なのでボーダーラインが設定してあるのだろう。

 いろいろな面倒に巻き込まれたが、頑張っていてよかった。


 単位が免除される、空から降ってくる、という言葉の響きには、単位に追われた大学生生活がトラウマなのか、なんとも抗いがたい魅力がある。



 ***



「ふむ……信じられんことだが、きみの算学の知識はわし以上かもしれん」

「そうですか」


 やった。

 内心で大喝采をあげる。

 これで算学とそろばんの分、三十単位がまるまる浮く。


「教養院の特別講義ならば出る価値はあるじゃろうが、騎士院で受講できる講義で教えられるものはないな」

「ありがとうございます」


 よしよし。

 しめしめ。


「だが、算盤そろばんのほうは、まだ未熟なところがあるな」

「えっ」

 ソロバンだめだった?


「うーむ、特別におまけして中級算盤は免除してやろう。上級算盤は出なさい」


 俺のそろばんはまだ未熟らしい。

 いちおう、扱い方は覚えてひと通りはできるようになったのだが、まだ十分ではないということだろう。


 口ぶりからすると、中級のほうもギリギリで免除してやるって感じだし。

 上級を免除されるためには、そろばん一級みたいに素人には残像しか見えないような速度でパチパチやらなきゃいけないのかもしれない。


 ちなみに、そろばんといっても日本で使われていたものとは別物である。

 形はまあまあにているが、真ん中に通してある梁がなく、一列には九個の丸い玉が入っている。


 まあ、半分は免除されたのだから恩の字だろう。

 算学のほうは五つの講義全部が免除されたのだから最高だ。


 とにもかくにも、二十七単位は免除された。

 国語、歴史、社会、算数のうち、国語は全部免除されて歴史と社会は最後以外全部免除されたから、必修の義務教育120単位中、104単位は免除されたことになる。

 騎士院の専門課程も50単位中16単位は免除されたので、あわせて120単位の免除だ。

 三百単位のうち、実に四割が免除された計算になる。


 すばらしい。



 ***



 夜半までかかった面接が終わり、寮に戻った。

 寮では一日中さんざん子どもの相手をしていたのか、寮監がやつれた顔をしている。


 腹が減ったので食堂にいくと、ミャロが遅い夕食をとっていた。

 優秀な生徒はやはり面接も多いし、俺と同じで長引いたのだろう。


 食事が盛られたトレーを受け取って、ミャロのところへゆく。

「隣いいか?」

 ときくと、

「はい、よろこんで」

 と言ってくれた。


 食事をしながら話をする。

「こういう仕組みがあってよかった。ミャロも大分免除されたんだろ?」

「ええ、九十三単位も免除してもらいました」

 93単位。

 凄いな。


 だが、カリキュラム自体は、本当に字も書けない足し算もできない、という子どもでも引っ張り上げられるように作られているのだ。

 十歳といえば小学五年くらいにもなるのだから、普通に実家で家庭教師ガヴァネスや塾に通わせてもらって勉強してきた子どもは、言うなれば小1~小5までの講義は免除されて当たり前ということになる。

 俺はだいたい、少し頭のいい教育の行き届いた子どもなら、30~40単位くらいの免除は堅いと見ていた。

 それにしたって、93単位というのは凄い。


「やっぱり、ミャロは頭がいいんだなぁ」

 わかってたことだけど。

「そんなことはありませんよ。ユーリくんはどうだったんですか?」

「百二十単位だな」


 ミャロがスプーンを落とした。

 木製のトレーにカランと転がる。


 なんだ、やっちまったか。

 だが嘘を吐くわけにもいかない。


「まあ、言っちゃなんだが、俺もそれなりには勉強してきたからな」


 過分な謙遜は良くないことに繋がるというのは、キャロルの件で懲りたしな。

 それなりに努力もしたんだということにしておこう。

 実際、サツキに相当してやられてきたわけだし。


「な、なるほど。それにしても凄いですね。最高記録じゃないんですか?」

「どうだろう、分からんけどな」


 最高記録とかやめてほしい。

 こっちはズルしてるようなもんなんだから、いたたまれなくなる。


「記録はどうでもいいが、卒業が楽になるのは嬉しいな。すぐ卒業できればいいんだけど」

「そうですね。でも、騎士院はあまり早く卒業はできないらしいですよ」


 え?


「どういうこと?」

「騎士院は実技がありますから」


 ああ、そういうことか。


 順番に一つ一つこなしていかないといけない講義があるんだ。

 掛け算の講義は足し算の講義を修了させてから取りなさい、というような。

 階段を登るように実技を一つ一つクリアすると何年もかかるんだろう。


「なるほどな、実技は順調にいくと何年かかるんだろう」

「理論上は七年ですね」


 スラスラとでてきた。

 やっぱりミャロはなんでも知ってる。


「じゃあ、卒業は上手く行けば十七歳のときか」

 といっても、普通は二十五歳くらいまでかかるとルークは言っていたし、実際は七年では無理なんだろう。


 例えば、単位取得に高校三年レベルの技量を要求される上級柔術実技というのがあったとして、それを中学三年のうちに受講資格を得ても、なかなか取得はおぼつかないだろう。

 経験は才能と努力で穴埋めできるとしても、フィジカルの問題はいかんともしがたい。


 そういうのがいっぱいあって、最短で七年のところを、なんだかんだやっぱり十五年はかかってしまうという感じなんだと思われる。


「いえ、どんなに才能があって強くても、最後の実技は二十歳になっていないと落とされると聞きました」


 あら。

 そういうことでもないようだ。


「なんでだ? 早めに卒業させてくれないのか」

「場合によっては、騎士は号を貰ったらすぐに戦場に行くので、いくら才能があっても身体ができていないうちに号を与えるのはいかがなものか、という話のようです」

「ああ、そういうこと」


 シャン人は成長のスピードが遅いからな。

 十歳くらいまでは俺の記憶にある地球の人類と同じくらいのスピードだが、二十歳になっても高校生くらいにしか見えない。

 二十五歳くらいでやっと大人に見える。

 見た目は全然若々しくて、まさにこれからが人生の本番って感じだ。


 十七歳はまだまだ子どもなので、戦場に行く年齢を考えると、二十歳でも少年兵という感じがする。

 才能が満ち溢れて十七歳で卒業できるような人材を、まだ成長途中のうちに戦場に送り出して戦死させてしまうのは、あまりにも惜しい。

 そういう意味で、二十歳というのは学院側の妥協点なのだろう。


「じゃあ、あんまり急いでも意味がないんだな」

「そういうことになりますね」


 といっても、二十歳で卒業するには、それなりに頑張らなければいけないのだろうけど。

 それにしたって、十分に免除を受けていれば、それほど困難とも思えない。


「教養院も同じなのか?」

「教養院はいくらでも早く卒業できます。むしろ早く卒業したほうがハクがつくので、急ぐ人が多いですね。免除の重要性も騎士院とは段違いですし」


 へー、そうなんだ。


「ミャロは物知りだなぁ」

「そんなことありませんよ。つまらないことをたくさん知っているだけです」

 別につまらないことではないと思うが……。


「そういうのってどこで覚えてくるんだ?」

「まあ、こういうつまらない事を覚えるのが魔女家の稼業みたいなものですから」

 そうなのか。


「なるほどな、歴史のある家は違うってことか」

「そうですね。ボクの家も一応は七大魔女家ですから。歴史だけは大皇国まで遡れます」

 大皇国まで遡れるとは大したものだ。


 ホウ家もその時代まで遡れることには遡れるが、その時代はスカンジナヴィア半島南部の農村地帯にいる、普通の農家だったらしい。

 そのうち、名も残っていないご先祖様が頑張り、ただの農家から富農になって、ホウ家を名乗り始めた。


 そのうち豪農みたいになり、戦後に皇国が崩壊すると、ドサクサに紛れて切った張ったを繰り返し、南部一帯を領地とする地方豪族のような存在になった。

 そうしてシヤルタ王国ができたときに、ほうほうの体で中央からやってきたシヤルタ・フル・シャルトルに取り入り、または懐柔され、将家として南部を任されるようになった。


 つまりは成り上がり百姓家だったわけだが、それももう九百年近く昔の話だ。

 成り上がりも九百年も続けば、歴史ある名家ということになるだろう。

 だが、家系図は豪族になってからのものしかないから、胸を張って大皇国時代まで遡れますとは言えない。


「どんなことをしているのか想像もつかないな」

 王城で真面目に仕事してるんだろうか。

「別に何もしてませんよ」


 ミャロは平気な顔で言った。

 ニートじゃあるまいし。

 そんなこたーないだろ。


「何もしてないってことはないだろ」

「いえ、うちは驚くほどなにもしてませんよ。脅迫屋のマルマセットとか、陰謀好きのシャルルヴィルなんかは忙しそうですが、うちなんかは彼女らの腰巾着をしていれば黙っていてもお金は入ってきますから。妙な暗躍をすると逆に怒られますし」


 少し皮肉げな口調だった。

 そうか。

 下手なことをすると怒られる窓際族みたいなもんか。

 社長の親戚だから首にできないけど……みたいな。


 考えてみれば、たしかにギュダンヴィエルというのは名前だけ覚えているがなにをしているのかはサッパリ知らない。

 なにもしていなかったからか。


「ふーん、そうなのか」

「ホウ家のほうがずっと凄いですよ」

「そうか?」


 どうなのかな。

 まあ、凄いっちゃ凄いけど。

 ルークもあれでちゃんと仕事してるしな。


「将家の歴史は栄光と名誉で満ち溢れています。魔女家なんて偉ぶっていますけど、誰かの為になることなんて一つもしてませんから」


 なんだ。

 魔女家をディスった。

 ミャロはウチの実家のファンかなんかなのかな?


「そういわれると悪い気はしないな。まあ、俺は将家に入るかどうかわかんないけどな」

「えっ?」


 ミャロは目を丸くした。

 かなりびっくり仰天とした顔だ。

 ちょっとおもしろいな。中々みれない顔なのかもしれん。


「ユーリくんは将来はホウ家の当主になるのでは?」

「いや、違うよ」

「えっ」

「俺を当主にするか、イトコに婿を取らせるかって話なんだ。俺はもともと牧場主の息子だしな」

「???? イトコさんに婿を取るというのは次善策ですよね? ユーリくんはこんなに優秀なのですから、何事もなければ、ユーリくんが当主になるに越したことはないでしょう?」

「いや、あんまり騎士院の水があわないようだったら辞めていいって話だしな」


「……え」


 ミャロはなんだか愕然としていた。

 信じられない、みたいな顔だ。


 なんだ、そんなに悪いこと言ったか。

 おもいっきり失望させちまったのかもしれない。


「もともと俺はトリ牧場の牧場主になるつもりでいたからな。騎士に向かなかったら牧場主の仕事も悪くないと思ってるし」

「えっ、牧場主って、もしかして冗談じゃなくて本気で言ってるんですか?」

「冗談じゃないけど。牧場主だって立派な仕事だろ?」


 牧場主は立派な仕事だ。


 俺も、ホウ家の屋敷に入って何年も暮らしていれば、騎士になるのも悪くないと思うようになって、むしろそれを望むようになるのかな、と思ったこともあった。

 前の人生じゃ、片田舎の小金持ちの息子ってだけで、財閥の御曹司でもなんでもなかったんだから、そんな選択を迫られるようなことはなかったし。


 だが、実際に時間が経ってみると、今もだが、ぜんぜん当主になりたくない。

 だって、ルークを見てるとべつに全然楽しそうでもないし、不幸には見えないが、以前にもまして幸せそうとも思えないのだ。

 もちろん、自由に使える金は前と比べたら断然増えたし、社交界ではちやほやしてもらえるし、スズヤは手を荒らして冷たい水で洗濯をしなくてもよくなった。

 だが、それは幸せとは直結しない。


 ルークもスズヤも俺も、前の生活のほうがよかった。と思っているはずだ。

 俺もルークと同じでトリ牧場の運営のほうが性に合ってる気がするので、あっちのほうがいい。


 今となってはシャムにも情が湧いたし、不幸な結婚をさせてまで役目を放り投げるくらいなら、俺が当主になってもいいかとは思っているが、シャムに一目惚れして両想いになる白馬の騎士みたいのが現れたら、喜んで役目を譲るだろう。


「うっ……それは確かにそうですが。ユーリくんはなりたくないんですか?」

「どうだろうな」


 これキャロルと同じパターンじゃん。

 せっかく将家に生まれたのに、騎士に誇りを持たないとはどういうことだ。けしからん。

 っつー感じの。


 騎士といっても、そのへんの野郎ならそんなことも考えないだろう。

 眉を顰めはするだろうが、怒りはしないと思う。


 だが、ミャロは次席か三席だ。

 相応の努力もしてきたはずだ。

 下手すると俺がいなかったら首席になってたかもしれない。

 慎重に答えを選ばないとな。


「牧場主も性に合ってる気がするし、イトコ次第だな」

「えっ……いや、ボクがどうこういう事ではないですが、ユーリくんは向いていると思いますよ。勉強だけではなく度胸もありますし」

「そうか? 俺なんて根性なしだけどな」


 度胸があったら前の人生であんなことにはなっていない。

 権威にやり込められて、女に振られて傷ついて、閉じこもったクズが俺だ。

 俺に度胸はない。


「まあ、このまま行くと、俺が当主になっちまいそうな感じではあるんだけどな」

「そ、そうですよね……そうですよ、ね」


 なんだか目が虚ろになっている。

 なんでこんなにショックを受けているんだ、こいつは。

 あんまり関係ないことだと思うが。


「それより一緒に時間割を考えようぜ。なるべく一緒の講義のほうが楽できるよ」

「は、はい。そうしましょう」

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