第三章 騎士院編

第17話 ユーティリティ


 十歳の誕生日が過ぎると、約束の騎士院の入学式が近づき、入学試験があるわけでもないのに、ここが正念場とばかりに、俺はしごかれていた。


 それはさておき、ルークの話をしよう。


 サツキはルークの生活は変わらないと言ったが、結局、ルークの生活は激変した。


 全てをほっぽり投げてしまえば、確かに昔のままの牧場経営を続けることも可能だったのだろうが、責任感の強いルークはそうもいかなかったようだ。

 今では仕事の殆どを他の人間に任せてしまって、自分は将家の当主としての仕事を一生懸命やっている。


 配下の騎士たちと会い、話をして、適切なポストを宛てがい、騎士団を再構築しているようだ。

 それでも牧場経営はやめるつもりがないらしく、副業のような形で続けてはいる。

 だが、牧場にいくときはマイ王鷲で通勤している。


 ルークは、牧場主ながら自分の鷲というのを持っていなかった。


 必要なときは調教ついでに、まだ売り物にならない鷲に乗っていたし、鷲を維持するには金がかかるから、売り物でもない鷲をカゴに飼っておくのは無駄でしかなかったのだ。

 だが、今となってはそうもいかないから、ついに人生で初めて自分だけの王鷲というのを飼うことになった。


 スズヤは案外、普通に適応しているように見える。

 侍女と上手いこと関係を構築して、ガーデニングをやったり料理をやったりしながらマイペースに生きていた。

 元からマイペースな性格なのが幸いしているのかもしれない。


 社交界においては、スズヤは体が弱く、なかなか催しに参加できないということになっている。

 苦心の末産み出された病弱設定である。

 もちろん、スズヤの代わりにサツキが参加するための方便だ。


 これによって、どうしても参加しなければならない重要な催し以外、無理して参加しなくてもよくなり、だいぶ負担が軽減された。



 ***



「悪いが、明日は牧場に行かないことになった」


 ある日、夕食の場でルークにそう言われた。


 これはさほど珍しいことではない。

 ルークの予定は一ヶ月先まで埋まっているので、あんまり突然の予定変更というのはないのだが、それでも親戚の爺婆が死ぬ時期までは予想できないので、主に葬式などが突然の予定として現れる。


 とはいえ、残念なことだった。

 俺にとって、今や牧場での単純労働やトリの練習は、最も楽しいエンターテイメントと化していたからだ。


「また誰かの葬式ですか?」

「いや、違う」


 違うらしい。


「じゃあなんですか?」

「疫病が流行った。南の町だ」


 疫病。

 剣呑な響きだ。


「浮痘病らしい」


 なるほど。

 聞いたことあるよ、それ。


「行かないほうが良いのでは?」

 と俺が言うと、

「そんなわけにいかないだろ。領民が困っている時に」

 と言われた。


「ですが、伝染ったら困るでしょう」

「ユーリは心配性だな。そんな簡単に伝染らないよ」


 どうだか。

 経験則に照らし合わせて言っているのならまだいいが、どのみち科学的な根拠のない判断だろう。


「じゃあ、僕も行きます」

「えっ、ユーリも行くのか」

「そんな簡単には伝染らないのでしたら、いいでしょう」

「だが……」


 渋っている。


「浮痘病というのがどのようなものか、一度見てみたいですし。お願いします」

「わかった。だが、俺の言うとおりにしろよ」


 それは、俺のセリフだよ!

 と叫びたいのを、口の中で噛み殺した。



 ***



 翌日、朝はやくから王鷲に乗って出かけた。

 最近は、巡航飛行のときは、練習がてらに手綱を握らせてもらっている。


 ホウ家の領地は広大だ。


 100kmほど移動することになるようだったが、これがなかなか難しい。

 この世界にはGPSなんてもちろんあるわけがなく、それどころかまともな地図や、空中で使えるコンパスもないのだ。


 だから、地上の地形を見ながら勘で飛ぶことになる。

 つまり、地上の地形を事細かに覚えていないと目的地に辿りつけない。

 ボーっとしながら飛行していればたちまち迷子ということだ。


 一時間くらい飛んだろうか。

 なんとか、目的の都市につくことができた。


 都市はいいランドマークになるため、地形は基本的に都市を基点にして覚える。

 主要都市と主要都市を繋ぐ直線の地形を覚えていれば、だいたい問題はないらしい。

 航空路みたいなもんだな。


 都市からは道が解らないのでルークに手綱を渡した。

 ルークは西のほうに進路をとって、しばらく飛ばしていた。

 そのうち、黒々とした煙が空に上っているのが見えた。

 狼煙だ。


 ルークに手綱を返すと、鷲はそこ目掛けて降下していった。



 ***



 浮痘病というのは、ものの本によると、昔からある病気で、まだシャンティラ大皇国があったころ、クラ人の国からもたらされた病気であるらしい。


 一度かかれば有効な治療法は存在せず、まあ半々の確率で死ぬ。

 俺が持っている知識といえばその程度だった。


 浮痘病が流行っているという村落に入る前に、俺はルークに手ぬぐいのような長い布を三枚ほど渡した。


「どうぞ」

 と俺が言うと、

「なんだ?」

 と不可思議そうに言われた。


「口と鼻を覆ってください」

 俺は自分の口と鼻を手ぬぐいで隠した。

 息苦しくなるが、呼吸はできる。

「なんでだ?」

「病気予防のために決まってるじゃないですか」


 自分で言って、しまったと思った。

 この世界ではそんな常識は通用しないのだ。


 病原菌やウイルスの存在なんか知らず、病気を祟りだの地面から吹き出した毒だののせいとか考えているのだ。

 一応は伝染るものとは考えているようだが、認識としてはその程度だ。


 どう説明したらいいものか。


「ともかく、これで病気が移る可能性を大幅に少なくすることができるんです」

「でもなぁ、これじゃかっこ悪いぞ」


 嫌がってる。


 領主としての体面もあるのだろう。

 おい領主様、あんなふうにマスクして病気にビビっちゃってんぞ。

 やっぱ一般出は駄目だな。


 こんなかんじか。


「お父さんが病気を持って帰ったら、看病するお母さんにも伝染ってしまうかもしれないし、サツキおばさんにも僕にも伝染る可能性があるんですよ。そうしたら一家全滅でホウ家はおしまいです。そういう危険を冒すほうがかっこ悪いと思いますけど」


 俺が真剣にそう言って諭すと、

「わ、わかったよ……つけるよ……」

 と、ルークは不承不承擬似マスクを装着した。


 よかったよかった。



 ***



 そうして、俺たちは徒歩で村落の中に入った。


「ここには、世話をしてくれる人がいない病人が入っています」


 案内人が説明をした建物は、どうも町の宴会場というか、集会場のような建物だった。

 ドアを開けてくれる。


 中に入ると、むわっとした異臭がたちこめていた。


 ベッドとも言えないような、麻袋をひいただけの寝場所に横たわった病人たちを見た瞬間、俺は目を覆いたくなった。


 彼らの顔や腕には、指先ほどの液疱がみっしりと広がっていたのだ。

 おそらく体のほうにも広がっているのだろう。


 その程度は患者によってまちまちだが、状態が酷い患者になると、顔から腕がびっしりと水疱に覆われていて、健常な皮膚を見つけるほうが難しい有り様だった。

 彼らは一様にして高熱にうなされているようだ。


 これ、ヤバいやつだ。


 皮膚をかいてしまって顔中が血まみれになっている患者も散見される。


「お父さん、絶対に病人に触らないでくださいね」


 さすがに病人に聞こえてはまずいので、小声で言う。

 欲を言えば、ルークを今すぐこの建物から出て行かせたいくらいだった。


「分かってるよ」


 ルークは心外だというふうに言った。

 さすがに、病人に触れたら病気が伝染るくらいのことは知っているのだろう。


「しかし、酷いな……」


 ルークはしげしげと病人を観察しながら、部屋を一回り見て戻ってきた。

 見てるこっちは気が気じゃない。

 研ぎから戻ってきたばかりの短刀を、赤ん坊が無邪気にいじっているのを見ているような気分だった。


 ひと通り見終わり、帰ってきたのを見ると、ルークの手を持ってひっぱった。


「お、おい。ちょっと待てよ」

 力いっぱい引っ張って、出口へ誘導した。

「ドアを開けてください」


 俺が言うと、案内人さんは若干不審そうな顔をした。

 そんなに急いでるなら自分で開ければいいのに、とでも言いたげだ。


 そんなことできるわけがなかった。

 このドアノブにはべったりと液疱の中の膿が付着しているはずだ。

 俺からしてみれば、猛毒が付着しているようなものだった。


「早く開けてください」


 もう一度言うと、案内人さんはドアを開けてくれた。

 急いで小屋の外に出る。


「一体、どうしたんだ」

「あの部屋に居たら、お父さんは同じ病気になりますよ」

「大げさな」

 ルークは困った息子を見るような眼差しを俺に向けた。


「大げさでもなんでもありません」


 俺はあの病気に心当たりがあった。

 あまりにも天然痘に似ている。


 天然痘は天然痘ウイルスによって引き起こされる病気だ。

 感染から半月ほどの潜伏期間を経て発病し、ああいう風に体中に膿を内包した水疱が浮き上がる。

 それは体表面だけのことではなく、内臓にも同様の症状が現れ、内から外から炎症を起こしはじめる。


 そうして四〇度近い高熱に見まわれ、それが数日続く。

 その間に体力が持たなかったものから死んでいく。


 数日で抗体ができ、体内からウイルスを駆逐できるのが幸いなところで、だから致死率は四割程度に収まるが、四割というのは十分に高い致死率だ。

 四割というのは平均の値だから、例えば凶作などで食うものが減り、住民の体力が衰えているようなコミュニティで流行れば、もっと死亡率は上がる。

 これは人間の話だから、シャン人だともっと酷いかもしれない。


 天然痘が厄介なのは、非常に感染力が強いことに加え、その症状にある。

 体中に膿を内包した水疱ができるので、そこから出た膿や皮膚の一部が、周囲に付着してしまうのだ。

 もちろん、それらには天然痘ウイルスがたっぷり含まれていて、感染性がある。


 さらに厄介なことに、天然痘ウイルスは非常に丈夫で、体外に出た途端すぐ不活性化するHIVなどと違い、皮膚片などのなかで生きながらえ、一年近く不活性化しない。


 そうして、膿や皮膚組織の一部が人の手や靴の裏、服の繊維などに付着し、どんどん感染を拡大してゆく。

 様々な特徴が合わさって、感染力と致死率の高い、非常に厄介な病気になっているのだ。


「わかった。わかったよ。何をすればいいんだ?」

「今すぐ屋敷に帰りましょう」

 と俺が言うと、


「それはできない」


 といわれた。


 は?


「俺にも領主としての務めがある。ここの住民を救ってやらなきゃならないんだ。病気が怖いからって、逃げ出してなにもしないってわけにはいかないだろう」


 まったく、もっともなことである。

 俺はため息をつきたくなった。


「じゃあ、何をするんですか」

「そりゃ、周囲から人を集めて、蔵を開いて食料を出して……」


「食料を出すのはいいですが、人を集めたら病気を拡散させるだけですよ。領主の仕事は、ここにいる百人を助けて千人を病人にすることじゃなく、病人を百人に留めることでしょう」


「それは確かにそうかもしれん。だが、それなら、どうするっていうんだ? ここにいる連中は死ぬまで待てっていうのか。それは、領主として……」


 へんなところで真面目な男である。


「話を聞いてください。ここに人を集めるにしても、感染しないようにすればいいんです。人を一定期間この病気に感染しない体質にする方法があります」


「……なに?」

「この村で雌牛を飼っている農家にいってみましょう。たくさん牛乳を出して、村に分けているような農家がいいです」


「なんだ、帰りたいんじゃなかったのか」

「帰ってから人をやって確認させるのが一番だと思いますが、すぐ済むことですので行ってもいいでしょう」


 考えてみれば、もし感染してしまっているとしても、すぐにワクチンを打てばまだ間に合う。

 天然痘ウイルスが体内で増殖するより先に抗体ができて、症状が顕在化しないためだ。


「わかった。じゃあ行ってみるか」



 ***



 案内人さんに聞いた農家に辿り着いてみると、案の定、彼らはまったく普通に生活していた。

 その家庭の人たちは、感染を怖がってはいるものの、一人の天然痘患者も出してはいなかった。

 礼を言って辞去した。


「やっぱり、元気ですね」

「偶然じゃないのか?」

 懐疑的だ。

「違いますよ。この家の人たちは皆、感染しない体質なんです。みんなで乳を絞っているんでしょうね」

「どういうことだ?」


「なんというか……牛がかかる病気で浮痘病と同じようなものがあるんですよ。牛が浮痘病と同じような症状になるんです。といっても、症状は乳の周りに水疱が幾つか出来る程度です。牛が死ぬことはありません。それで、その病気は牛から人に伝染するのですが、伝染しても症状が軽く、水疱が一個二個できて、もしかすると体が少しだるくなる程度で、日常生活に差し支えはありません。この人たちは、病気にかかった牛を乳搾りしてる間に、病気をうつされたんです」


「……わけがわからないんだが、それがなんで病気にならない理由になるんだ?」

「それは……まあ、言ってみれば、同じような敵と戦った経験が体にあるから、致命的な病気にかかっても負けないってことですかね。槍の達人と戦うにしても、前もってもっと弱い同じ流派の人間と戦った経験があれば、有利に進められますよね。それと同じです」


 本当はぜんぜん違うんだが、そういう例えをしたほうが、ルークには分かりやすいだろう。


 牛がかかるその病気を日本では牛痘という。

 牛痘を使った種痘は天然痘の予防法として早期に確立された手法だ。

 牛痘というのは天然痘の近縁種のウイルスで、人間にも感染するがほとんど害がない。


 天然痘に対する原始的なワクチンを種痘というが、それは簡単にいえば天然痘の弱毒種である牛痘に感染して免疫を作るもので、つまりは予防接種である。


 天然痘は凶悪な伝染病だが、HIVやインフルエンザと違い、予防接種が非常に効果的な病気だ。

 予防接種で免疫がつけば、免疫が切れるまでは天然痘にかかることは絶対にないし、発生しても、周辺住民全員に予防接種をすることで、感染を最小限で食い止められる。


「やっぱり、わけがわからん。そんな話は聞いたことがない」

「そうなんですか。でも、そういう話があるんです」

「つまりは、何すればいいんだ?」


「乳に水疱がある牛をどこかから探して、その牛の水疱を針かなにかでつついて潰します。そして、人の腕かどこかに内容物を塗布して、その上から少し血が出る程度の傷をつけます。うまく病気が移れば、なんらかの反応がでます。それで終わりです」


「そうか……まあ、わかった。ユーリがそこまでいうなら、やってみるか」


 ようやく重い腰をあげてくれたようだ。


 重い腰というが、十歳児に唐突にそんなことを言われて、実行しようと思う大人がどれだけいるだろうか。

 ルークも俺を常日頃から信頼していなかったら一笑に付していたに違いない。


 信頼していても、物分かりのいい大人でなかったら、従ってはくれなかっただろう。

 ルークには感謝だな。


「じゃあ、今日のところは帰りましょう」



 ***



 王鷲に乗って屋敷に戻ると、俺は人を遠ざけて靴や服を全部脱がせて行李に入れ、蒸留酒で露出していた顔や手を洗い、水浴びをして新しい服を着た。

 ルークもかなり苦笑いしていたが付き合ってくれた。


 なんだか今回のことでだいぶ株が落ちた気がするが、仕方がない。

 行李は倉庫の奥深くにしまい、二年以上は隔離しておくことになった。


 その二日後には牛痘感染の牛が発見され、あの村落のまだ病気にかかっていない住民全員に種痘接種が施され、村落は感染が落ち着くまで隔離されることになった。

 大丈夫だとは思うが、ルークも俺も発症してからでは遅いので、種痘接種を行った。

 四日目のことだから、大丈夫なはずだ。

 もし発症しても症状はかなり抑えられる。


 種痘に関しては、効果については不安があったが、接種した人は殆ど感染を免れたというから、やはり想定通りの効果があったのだろう。

 極小数ながら感染してしまった人々は、恐らく種痘接種を失敗したのだ。


 やっぱり天然痘だったか、と、少し大掛かりになってしまった種痘プロジェクトが成功したことに安堵しつつ、薄ら寒さを感じるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る