第13話 夜は更けて


 会議が中止され、参加者たちは各々にあてがわれた客室に戻った。


 しばらくは廊下がバタバタとうるさかった。

 斬り殺された衛兵の血飛沫を浴びた人たちを着替えさせ、風呂に入れて、といろいろ忙しいのだろう。

 俺は大丈夫だったが、ルークはフロントチョークをキメたときに少し汚れてしまっていたので、本人は大丈夫だと言ったが、女中に懇願されて服を替えた。


 その後、俺とルークはテーブルを囲んでゆっくりしていた。

 ルークの前には酒が入ったグラスがある。

 日本で売られていたような透明なグラスではなく、濁っているというか、濁っているのを彩色してごまかしているような感じの青いグラスだったが、形は美しかった。


 我が家にはガラス器はルークが酒を飲むときに使う、もっと濁って形も崩れたものしかない。


「さっきのお父さんの動きは素晴らしかったですが、やっぱり騎士院で学んだのですか?」

 と聞くと、

「ああ、そうだ」

 という返事が返ってきた。


 やっぱり騎士院で学んだ戦闘技術らしい。

 騎士院とかいうから、貴族のおぼっちゃまが修練とは名ばかりの竹刀打ちをしているようなイメージを勝手に持っていた。

 だが、ルークの動きを見る限り、極めて実戦的な戦闘術を教えてるっぽい。


「ユーリはああいうのに憧れるのか?」

「そうですね、少しは」


 憧れないといったら嘘になる。


「少しか。たくさんじゃなくて」

「できるようにはなりたいですが、十年も二十年も修業しなければならないのであれば、ちょっと考えちゃいますね」


 まあ俺には無理だろう。

 運動神経ないし。


「そんなことはないさ。もうちょっと体ができあがってから五年も頑張ればいけるんじゃないか?」


 希望的観測で五年か……。


「それって朝から晩まで走りこむとかなんでしょうか」

「いいや、半日だな。騎士院では運動するのはたいてい、日が昇り切るまでだ」


 半日もか。

 どうなんだろう。


 ニートの感覚でいけば「おえっ」ってなるが、現状でもルークの手伝いとかで半日くらいは労働や鍛錬に費やしているわけで。

 ただ、周りにいるのは気心のしれたルークではなくて、小生意気な貴族のガキとか、ハー○マン軍曹みたいな鬼教官かもしれないので、やっぱり怖いものは怖い。


 トントン、とドアが叩かれた。

「失礼してもよろしいでしょうか」

 という声がドアの向こうから聞こえる。


「どうぞ」

 ルークが言うと、女中さんが入ってきた。

「……失礼します。お夕食はいかがいたしましょうか」

「なんでもいいよ」

 ルークはぞんざいに言った。


 ルークはスズヤにもよくこういう。

 そのたびに「何でもいいっていうのが一番困る」と返されるのが日常だった。

 ルークが当主になったら、あのやりとりもなくなってしまうのだろうか。


「サツキ様がお夕食にお招きしたいと申しておりますが」

「……」


 ルークは傍目に見ても明らかに分かるくらい渋面を作った。

 めんどっくせーなー、部屋で簡単にピザとか食べてイカの干物でもツマミに酒飲んで寝てぇ。

 みたいな感じだ。


「……わかった、招かれよう。準備ができたら呼びに来てくれ」

 行くんだ。

「準備は既にできております。ついていらしてください」

 そっちも準備万端かよ。


 案内された先の部屋は、なんだか家主の私的な空間っぽい部屋だった。

 調度品には豪華な作りのものはなく、窓枠などもきらびやかではなく、壁には壁紙が貼られておらず、綺麗に磨かれた木がむき出しになっていた。

 だが、作りが悪いようには感じない。


 こちらの部屋のほうが、なんだか落ち着くな。


 そこにある六人がけくらいのさほど大きくもないテーブルに、ランチョンマットが四枚敷かれていた。

 サツキとシャムが座っている。


「どうぞ、好きな席におかけになって」


 とサツキが言ってきたので、好きな席に座る。

 空気を読んで、シャムの対面に座った。



 ***



「今日は危ないところを助けていただいて、ありがとうございました」

 サツキはニコっと微笑んで礼をいってきた。


「いえ、まあ、あれくらいは」


 ルークは誇るでもない様子だった。

 誇ってもいいと思うけどな。

 ヘタするとあそこにいた人間全員惨殺というのもありえたのかもしれないし。


「やっぱり、争い事はおきらい? もう十八年になるのかしら」


 十八年?

 ルークは、ヒゲを剃っているせいか二十代にしか見えないが、今年で三十八歳になる。

 逆算すれば、十八年前は二十歳になる。


「嫌いです。だから自分で選んで、借金までして牧場を作って、新しい生活を始めたのに」

「解っていますわ。でもユーリくんを騎士院に入れるつもりだったのは本当なんでしょ?」


 なぬ?


「それは本当ですが、途中で嫌になったら辞めさせるつもりで……」


 確かに前から騎士院にいれるとは言っていた。


「別に、なにごとも強制するつもりはないのよ? 一度くらいは入ってほしいけど、辞めるなら辞めるでかまわないし……ルークさんだって、牧場を続けてもらってもいいのよ?」


「しかし、それでは、その間はサツキさんが本家を取り仕切るのですか? それはあまり良くないのでは」


 俺が察していた通り、かなり良くないことらしく、ルークは真剣に心配そうだった。


「だいじょうぶよ。老後に暇を持て余しているお爺ちゃんがいっぱいいるんだから」

 引退爺どもにやらせるのか。

「でも、任せておくとお金をふところに入れたりする人も出るでしょうから、そのときは私がこっそりルークさんにお教えしますので、ちょっと一筆書いてちょうだいね」

 にっこりと笑った。

 怖い。


『お前の悪事はお見通しだ。潔く切腹せい』

 みたいな手紙を書くのだろうか。

「……わかりました、それくらいは」

 やっぱりルークは気乗りしない様子だ。


「あら、お料理が来ましたわ」


 料理が運ばれてくる。

 ……なんかいろいろあるな。


 チーズにサーモンの燻製を薄切りにしたのを巻いたやつとか、なんだかよくわからないソボロが入った玉子焼きだとか、果物を生ハムで包んだようなのとか、一口大にまとめられた色々な料理が一つの皿にのっている。

 前菜か。

 スズヤが作る家庭料理もいいけど、こういうのもたまには悪くないよな。


 ぱくぱくと食べてゆくと、どれも美味しかった。

 こっちの料理人もなかなかやるものである。


 ルークを見ると、黙って出されてきた食前酒を飲みながら、ツマミを食べるように前菜を食べていた。

 幸せそうだ。


 料理がどうこうより、美味い酒が飲めるのが嬉しいのだろう。

 色がついた蒸留酒のように見えるので、ブランデーの一種かもしれない。

 おそらく家で飲んでいるのより、数段いい酒なんだろう。

 どうもそんな気配がする。


 ふとサツキのほうを見ると、

「たくさん食べてね?」

 と微笑みながら言ってきた。


 親戚のおばちゃんか。


 いや、考えてみたら、正真正銘親戚のおばちゃんだった。


「はい、遠慮なくいただきます」


 そう言いながらも、なんとなく肩肘が張ってしまう。



 ***



 前菜からデザートまで、なんだかんだ六皿も来た料理を食べ終わると、かなり腹がいっぱいになった。

 すると、向かいに座っていたシャムが、妙に緊張した様子で、今日はじめて口を開いた。


「あ、あのっ! 一緒に星を見ませんかっ!?」


 星?

 と思って窓の外を見ると、今日は見事に晴れていて星が見えた。

 絶好の天体観測日よりであろう。


 ルークのほうを見ると、なんだかニヤニヤしている。

 おませな少女が意中の男性をロマンチックなデートに誘っているのだと思っているようだ。


 違うから。

 たぶんかなり学術的な天体観測だから。


「お父さん、行っていいでしょうか」

「ああ、行ってきなさい。わかってるだろうが、屋敷からは出ないようにな」


 出るわけがない。

 つーか、屋敷は掘で囲まれていて出入口は一つしかないのだから、子ども二人じゃ門番に止められるだろう。


「大丈夫ですよ。じゃあ、行ってきますね」


 俺はシャムと一緒に部屋を出て行った。


「こっちです。いい観測場所があるんです」


 ウキウキしたシャムに連れられて向かった先は、階段を二度上がった先、屋敷の屋上だった。


 屋敷は大きな三角屋根でできているが、頂上の一部に乗っかるようにして、二畳ほど平らになっている部分がある。

 梯子を使ってそこに登ると、四方が見渡せた。


 梯子があるだけで、屋根もない。

 さすがに申し訳程度の柵はついていて、出入り口の開いた床は、閉じられる仕組みになっていた。

 屋根がないのは、王鷲などがいる関係上、死角を作らないようにしてあるのだろう。


 これでは家の中に雨がはいってしまいそうだが、どうも床にわずかに勾配がつき、流れるようになっているらしい。

 床を閉じると、その部分もわずかにへの字に加工されている。


 有事の際に四方を物見するための場所らしい。

 屋敷の敷地の四隅には物見台があって、そこには松明が灯され歩哨が立っているのだが、ここからは四つの物見台をいっぺんに見渡すことができた。

 物見の先には城下町が広がっているはずだが、電灯などはないので明かりは見えない。


 絶好の観測ポイントと言えるだろう。


「といっても、僕は星のことは殆どわからないんだが」

 俺が正直にそう言うと、

「じゃあ教えてあげますね」

 などと嬉しそうに微笑んでいた。



 ***



 シャムは今、何歳だっけか。

 俺と同い年か、一歳下のはずだ。

 こんな歳の幼女に物を教えてもらう日がくるとは思わなかった。


「敷物と毛布を用意してありますので、寝転びましょう」


 シャムはさっさっと敷物を敷いて、その上から毛布を敷いた。

 見張り番用に置いてあるものなのか、備え付けの箱のなかに入っていた。

 

 言われたとおり寝転んで、空を見た。

 天井がないので、自分の目と天を遮るものは、何一つない。


 考えてみれば、こうやって落ち着いて夜空を見るのは、こっちに来てから初めてのことだった。

 ルークもスズヤも夜空に興味があるような人間ではなかったし、子どもらしい非常に規則正しい生活をしていたので、夜はすぐに寝ていた。


 天文学はもっとも古い学問の一つで、目さえ見えていれば学問をすることができるが、体力が必要な学問でもある。

 軌道衛星や自動化された天体観測所がない時代では、夜通し起きて星を見ていなければならない。


「いい空だな。良く晴れてる」

「そうでしょう?」


 まだ老化していない若々しい瞳で見た天上は、とてつもなく美しかった。

 空気が汚れていないせいか、新月だからか、光害がないからか、はたまた高度が高いのか、湿度が低いのか、この世界の大気がそういうものなのか、理由はよくわからないが、空いっぱいに無数の星が広がっている。


 日本にいたころにみた星空は、いくら澄んでいても、さほどのものではなかった。

 幼いころなどは、学校でミルキーウェイなどと習ってもピンとこなかったものだ。

 空を見ていても、明々白々に星が密集しているところなど、無かったのだから。


 だが、今ならわかる。

 明らかに密度の濃い星の帯が天界を横断しているのだ。


 古代の人が乳の川と呼んだのも頷けるほど、星々が密集して流れのない大河を形作っている。

 なんと美しいのだろう。


 この密集した星々は、この星と同じ銀河系に属している。

 銀河は円盤状になっており、俺たちは円盤を横から見ているので、線状に密集して見えるのだ。


 あれ? 考えてみたらミルキーウェイがあるってことは銀河があるってことか。

 いろいろ考えてみるのも面白いかもな。


「ねえ、ほら、聞いてますか? あの星はミルラアといって……」

「ミルラアって?」

「この星の周りを回っている三番目の星のことをミルラアというんですよ」


 なるほど。

 三番目というと、水金地、地球か。

 あれが地球かー。


 っておい、ややこしいな。


 いや、なんか変だぞ。

 シャムは、「この星の周りを回っている」三番目の星、と言った。


 ってことは、月が三つもあるってことか?

 いや、天動説で考えてるのか。


 つーか、指差されても星が多すぎて、どれがどれだか分からない。

 ミルラア、という星も、ぶっちゃけどれだか分からなかった。


 天動説というのは、素人考えでは「どうやったらそんな勘違いをしていられるんだ。馬鹿か」と思ってしまうような考え方だが、なにかの本で読んだところによると、天体の動きというのは天動説でも説明できてしまうことがとても多く、楕円軌道を知らないと、むしろ地動説より天動説のほうが理論的に天体の動きを説明できる部分もあり、意外と厄介らしい。


「こういう星は他にも五つあって、特別な星とされています。動きが他の星とは違うんですよ」

「他の星はどう動くんだ?」

「不動星という星を中心に回転しています」

 北極星のことか。


「星座とかはわかる?」

「……わかりますけど」

 隣を見ると、つまらなそうな顔をしていた。


「天文学で重要なのは五つの星なんですよ。他はあまり変化がないので……」

 星座とかにはあんまり関心がないのかもしれない。


 確かに、大型の天体望遠鏡がなければ、外宇宙の星なんぞ退屈極まりないものだろう。

 時々は超新星爆発とかが起きて、新しい星が増えたり消えたりすることもあるだろうが、そうでなけりゃ、ずーっと一定の速度で北極星を中心にぐーるぐるぐーるぐる回っているだけだ。

 研究対象として、こんなに退屈なものはなかなか無いだろう。


 逆に言えば、内惑星や外惑星はソイツらと比べりゃ実に自由闊達に動くわけだ。


「まあまあ、教えて下さいよ、先生」

「しょうがないですね。じゃあ、教えてあげます」


 下手に出てやるとシャムは得意げになった。

 ちょろい。

 そして得意げなのがなんとなくかわいい。


「まず、星座には冬の星座と夏の星座があって、今見えるのは冬の星座です」


 そこからか。

 小学校の先生みたいだな。


「それでですねー、えーと、あれがうし座」

「……なるほど」


 案の定というか、全然分かんねぇ。

 満天の星の下で指さされただけで、星座が解るわけがない。


「あれがこと座で、あれがねこ座です」

「へぇ」


 全然分かんないが物を教えてくれるシャムが思いの外かわいらしいので良しとしよう。

 なんだかお父さんになったような気分だ。


 微笑ましくなる。

 俺もこんな娘が欲しかったな。


 前世では悪い思い出の一度以外は女性と縁遠い人生であり、その一度が最悪だったために、女性恐怖症みたいなことになってしまったが。


「それで、あれがひしゃく座です」


 へぇ。

 うし座もねこ座もこと座もさっぱり解らなかったが、柄杓座はわかった。


 七つの星が柄杓の形を作っており、七つ全ての星が明々白々に他と比べて明るいので、シルエットが目立つ。

 まるで北斗七星みたいだな。


 ……ん?


 俺は自分の目をゴシゴシとこすって、もう一度柄杓座を見た。

 ……んんんっ?

 あまりにも北斗七星に似ている。


 つーか、北斗七星だ。


 頭の中が真っ白になる。

 すぐに目線を移動させ、見覚えのある星座が他にないか探してみる。


 俺も星座には詳しくないので、はくちょう座とか言われても解らないが、明るい星ばかりで作られた有名な星座は覚えている。

 すぐに見つかった。

 オリオン座にしか見えないなにかがあった。


 えっ。


 あるわけがないものがあった。

 異世界で星の見え方が重なるなんてことがありえるのか?


 一瞬で答えが出た。

 まさか。ありえない。


 星座は外宇宙にある恒星や銀河の光や、超新星爆発の残光が、地表に届いて見えるものだ。

 その位置や距離はてんでバラバラで、星座の星は近距離に密集しているわけではなく、宇宙を立体的に捉えれば、とんでもなく離散している。


 宇宙の指紋とかDNAとか言ったら例えとしては変だが、まったく同じような星の配置が、別の世界で現れるなんてことは、常識的にいったら考えられない。

 例えば、いまいるこの星が、地球とは別の銀河にある星だったら、星座も別の見え方をするはずだ。


 なんらかの理由が存在するはず。


 こじつけのような理由はいろいろと考えられるが、剃刀を使ってそぎ落とせば、この惑星は、地球と同じような位置に存在するというのが、もっとも合理的な解釈であろう。


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