season4-3:提案(viewpoint輝美)

「えっと、輝美ちゃん? 今日はもう上がっていよ」

 少し怯えたような声が背後からかけられた。振り向くと居酒屋の店長が張り付いた笑みを浮かべて立っていた。

「もう時間ですか……」

 私は居酒屋の入り口を見つめる。

「あのさ、輝美ちゃん。最近毎日バイトに入ってくれてすごくありがたいんだけど、大丈夫なのかい?」

「大丈夫? なにがです?」

「いや、何がって……」

 少し前、日和にそそのかされて陽さんを呼び出してデートをした。そして勢い余って告白をしたら逃げられてしまった。はっきり言って意味がわからない。

 何度か陽さんにメッセージを送っているのだけど既読にすらならないのだ。

「大丈夫なわけないでしょう!」

 感情が高ぶって、店内であることを忘れて叫んでしまった。店長はビクッと肩を震わせる。

 大丈夫なわけがない。陽さんは何を考えているのだろう。そんなに陽さんに嫌われるようなことをしてしまったのだろうか。

「そ、そうだよね。だったら無理してお店に入らなくても大丈夫だよ。就活、大変だよな」

 店長は目を細めて気遣う様子で言った。

 どうやら店長が気にしていたのは就活のことだったらしい。それはそうだ。店長は私が陽さんに告白をして逃げられたことなんて知らないのだから。

 陽さんのことばかり考えていて、自分が就活中だったことを忘れてしまっていた。

「いえ、バイトには毎日来ます」

 私ははっきりと宣言する。

 陽さんにメッセージを読んでもらえないのならば、この店で待ち構えるしかない。

 仕事帰りの陽さんを駅で待とうかとも思ったけれど、それはちょっとストーカーっぽいかなと思った。それに、顔を見た途端にまた逃げられたら、今度こそ立ち直れなくなりそうだ。

 でもバイトに入っていて陽さんがお客様として現れるのならば自然に会うことができる。

 しかし陽さんは居酒屋にも現れなくなってしまっていた。本格的に避けられているようだ。

 本当に陽さんがわからない。私は陽さんに自分の気持ちを伝えただけだ。

 もしも『女同士なんて気持ち悪い』というのならば、野崎満月も同じように避けられるはずだが、野崎満月が避けているなんて話は聞かない。それに、雅と日和が付き合っていると知ったときも、陽さんに特に変化はなかった。

 だからそれは原因ではない。

 いくら考えても、これほどまでに避けられる理由がわからない。私に悪いところがあったのならばいくらでも謝罪する。土下座だっていとわない。だけど私には謝る心上がりがないのだ。

 なんだかムカムカしてきた。

 いくらなんでも陽さんの態度は失礼過ぎると思う。きちんと説明をしてもらわなくては腹の虫が収まらない。

 次に顔を合わせたら文句のひとつでも言わせてもらう。それくらいの権利はあるはずだ。

 そう考えていたら、だんだん陽さんのことを好きなのかさえも疑問になってくる。

 そんなことを考えてしまう自分が本当に嫌だ。陽さんのことを嫌いになりたくない。

 和足はバックヤードに入ってロッカーで服を着替えた。そしてバッグの中から携帯を取り出して画面をチェックすると、メッセージアプリに赤い数字がくっついていた。

 心臓がドクンと跳ねる。

 メッセージは三件。

 やっと陽さんから返事が届いたのか? と期待する気持ちを「どうせ大学の友だちでしょう」と打ち消す。陽さんでなかったときのショックを和らげるための予防線だ。

 少し緊張しながらメッセージアプリを開いて心底げんなりした。

 三件とも日和からのメッセージだったからだ。

 そのままスルーしてしまおうかとも思ったけれど、もしも店に押し掛けられても迷惑なので一応確認することにした。

―― 会いたいんだけど、時間ある?

 ひとつ目のメッセージに心の中で「ない」と答える。

―― 明日、夕方の四時に待ち合わせね!

 土曜日の遅い時間にメッセージをよこして明日会おうとかありえない。見るんじゃなかったと後悔するよりも早く、最後のメッセージが視界に入った。

―― 矢沢さんが会いたいって言ってるから。

「それを先に書け!」

 私は思わず携帯に向かって叫んでしまった。そもそもどうして日和が陽さんからの伝言を私に送ってくるのだろう。意味が分からない。

 私は迷わず日和に電話を掛けた。遅い時間だろうが関係ない。あんな要領を得ないメッセージを送ってくる方が悪いのだ。

 長いコール音が響いてやっと通話になった。

「遅い」

―― なぁに? 輝美

 もったりとした日和の声にイライラする。

「まだ寝てたわけじゃないでしょう。早く出なさいよ」

―― んー、寝てないけど寝てたかも~

「何意味の分からないこと言ってるの?」

―― それで何の用?

「陽さんのことに決まっているでしょう!」

―― だから何の用なの?

 寝ぼけているのだろうか。

「陽さん、矢沢陽さんのこと!」

―― ああ、矢沢さんね。輝美、ちょっと声が大きすぎない?

「日和が寝ぼけたこと言ってるからでしょう!」

 日和とこんな話をしたいわけではないのだ。あのメッセージの意味を知りたい。

―― 矢沢さんから、輝美に会いたいから連絡してほしいって頼まれて~

「なんで日和から?」

―― 友だちだから?

「嘘つかないでよ、陽さんが日和と友だちなわけがないでしょう」

 そう言って日和の反応を待ったが何の返事もない。興奮のあまり電話を切ってしまったのかと思って画面を確認したが、ちゃんと通話になっていた。

「日和? もしかして寝ちゃった?」

 改めて声を掛けたけれどやっぱり返事がない。本当に寝てしまったのだろうかと電話に耳を押し当てて耳を澄ませる。

 するとかすかに声が聞こえてきた。

―― んっ、ちょっと雅、今話してるんだからいたずらしないで。

 もしかしてさっき「寝てたかも」と言ったのは、睡眠ではない意味だったのだろうか。思わず顔が赤くなる。

―― っと、ごめんね。何の話だっけ? ああ、矢沢さんのことだったよね。

 日和の声が復活して私は慌ててさっき聞いた声を頭から追い払う。

「そ、そう、陽さんのこと」

―― なんだか気まずくて連絡しづらいって言うから

「そう、なんだ……」

 陽さんが気まずいと感じるのも理解できるけれど、日和を通して連絡をしてきたことが少し悲しい。

―― それで、明日は来られるの? って、だから雅

 本当に何をやってるんだろう。もう隠す気もないのかもしれない。さっさと話を終らせよう。

「行く」

―― 了解。矢沢さんに伝えておくね。

「よろしく」

 そうして電話を切ろうとしたとき、日和の声がもう一度届く。

―― 満月さんも一緒だから

「は? それってどういうこと!」

 私は慌てて叫んだけれど、すでに通話は切れていた。もう一度電話をして確かめたい気持ちはあったけれど、何かの真っ最中かもしれないと思うと掛け直すことができなかった。

 私は携帯をバッグにしまってバックヤードを出た。

「輝美ちゃん、なんか大きな声がしてたけど……」

 店長がビクビクしながら声を掛けてきた。どうしてそんなにビクビクしているのだろう。

「すみません、苛立つ人と電話をしてたので」

「そ、そうか。まぁ気を付けて帰って」

「あ、そうだ。明日もシフトが入ってたんですけど、休ませてもらうことはできますか?」

 陽さんとの話にどれくらいの時間がかかるかわからないけれど、できれば後ろの予定は開けておきたい。

「うん、もちろんいいよ。ずっとがんばってくれてたしね。ゆっくり休んで」

 店長はニッコリと笑って言った。

「こんな急でシフトは大丈夫ですか?」

 就活シーズンに入ってバイトリーダーは他の子に譲ったけれど、つい最近までバイトリーダーをしていたのだ。急なシフト変更が大変なことは十分に理解している。

「大丈夫。ちゃんとこっちで手配するから」

「ありがとうございます」

 私は深々と頭を下げてから家路についた。



 日曜日は快晴だった。秋と呼ばれる季節になって結構たつはずだけど真夏と変わらないくらい暑い。

 私は陽さんを待ちながら後悔していた。

 待ちきれずに予定の時間より三十分以上早く到着してしまったからだ。暑い中待つことはもちろん、野崎満月も私と同じように早く表れて並んで立っていることに後悔している。

「なんでこんなに早い時間に来てるのよ」

「それはこっちの台詞」

 一メートル以上距離を開けて駅の噴水の前で言い争っているなんてちょっとマヌケだと我ながら思う。

 私は気になってることを野崎満月に聞くことにした。

「陽さんの用件、何なのか知ってるの?」

「私は聞いてないけど……輝美ちゃんは?」

「知らない」

 どうやら二人とも具体的な用件を知らされていないようだ。

「あんたは陽さんから連絡が来たの?」

「え? 日和さんからだけど」

 それも同じだ。だけど野崎満月は日和から連絡が来たことを疑問に感じていないように見える。

「どうして日和から連絡が来たのか知ってる?」

「知らないけど?」

「何か隠してるんじゃないでしょうね」

「隠してないけど……」

「何よ?」

「金曜日に会社帰りにみんなで草吹主任が開いたカフェに行ったの。あ、草吹主任っていうのは……」

「知ってる」

 日和や雅に絡まれていたとき、その人の店の開店祝いに行く陽さんの姿を見た。

「そうなの? まぁ、そのときに草吹主任と用賀さんがお付き合いしていることを知らされてね。なんだか矢沢さんがショックを受けてたみたいだから」

「ショック?」

「矢沢さん、草吹主任のことをすごく慕ってたから」

 日和情報では陽さんと草吹主任とやらは特に恋愛的なものはないと聞いている。日和の情報がどこまで信用できるのかは不明だけど、好きでもない人の恋人の話を聞いてショックを受けるだろうか。

「それで?」

「矢沢さん、お店を飛び出して先に帰っちゃったんだよね。辺りを探したんだけど見つけられなくて。もしかしたら日和さんと会えて、何かを話したのかもしれないなと思って」

「もしも草吹主任の件だとしても、どうして私まで呼ばれるわけ? 私はその人と会ったこともないんだよ」

「あー、そっか。それはそうだよね。なんでだろう?」

 やはり野崎満月と話していても埒が明かない。それでもその草吹主任の件が、こうして呼び出されるきっかけになった可能性はある。

 陽さんは私が告白をしたとき洋食屋を飛び出して行ってしまい、草吹主任の付き合っている人を知ったとき、その店を飛び出してしまった。

 もしかして恋愛というもの自体に嫌悪感があるのだろうか。

 それで私と野崎満月に「キモイからもう近寄らないで!」みたいなことを告げようしているのかもしれない。

 サーっと血の気が引いてくる。

 いや、そうと決まったわけではない。それに私は陽さんに怒っていたはずだ。呼び出されてウキウキと時間よりも早く来てしまうなんて私はどうかしていた。

 気持ちをしっかり持とう。

「あー、満月さんと輝美、仲良しだね~」

 背後から届いた明るい声の主が陽さんではなく日和だということは顔を見なくも分かった。

「仲良くないわっ!」

 振り向きざまにツッコミを入れたら、目の前に陽さんがいた。そしてビクッと体を揺らして日和の後ろに半歩隠れてしまう。

 まさか待ち合わせの場所に陽さんと日和が一緒に来るとは思っていなかった。

「こ、こんにちは」

 私は慌てて笑顔を作って陽さんに挨拶をする。

「こんにちは」

 まだ少しビクビクしながらも陽さんは挨拶を返してくれた。チラリと横目で野崎満月を見ると心配そうな表情を浮かべて陽さんを見つめている。草吹主任のことはそんなに陽さんに大きな影響を与えることだったのだろうか。

「で、どうして日和までいるの?」

「矢沢さんにお願いされたからだよ」

「どうして?」

「友だちだから?」

 私と日和とのやり取りを見て、陽さんが「あの」と声を上げた。

「わ、私が頼んだんです。うまく、話せるかわからなかったから……」

「私はちょっとお手伝いするだけだから、いないと思ってくれていいよ」

 日和はニコニコと笑みを浮かべて言った。陽さんは日和に騙されているのではないかという疑念が浮かぶ。

「立ち話もなんだから移動しようか。落ち着いて話せる場所を予約してあるから」

 そう言って日和は歩き出し、陽さんもそれに続く。仕方なく私もその後に続いた。

「ねえ、日和」

「なぁに?」

「どうして陽さんと手をつないでるの?」

 なぜか日和は陽さんの手を引いて歩いている。

「友だちだから?」

 そんな日和の言葉に反応したのは野崎満月だった。

「ねえ、私も知らないよ。手をつないで歩くほど仲良しじゃなかったよね?」

「満月さん、うらやましいの? だったら輝美ちゃんと手をつなげば?」

 そんな日和の言葉に、私は「どうしてっ!」と叫んでしまう。そして陽さんは肩をビクッと震わせていた。日和がいるとどうにも調子が狂う。

 しばらく歩いてたどり着いたのはカラオケ店だった。

「カラオケ?」

「他の人の目を気にせずに話せるし、ドリンクも飲み放題だし、時間が余ったら歌えるし。最高でしょう?」

 日和は満足気に言う。そんな日和の横顔を見て、陽さんは感心したように何度か頷いていた。

 だめだ、日和の近くにいたら陽さんが毒されてしまう。早く救出しなくては、という使命感に駆られた。

 受付で手続きをして、店員に指定された部屋に移動する。

 その部屋は四人で使うにはかなり広かった。合皮だとは思うが重厚感のある革のソファーが壁に沿ってL字型に置かれており、ドアの正面には小さなステージまである。

「日和、この部屋……」

「せっかくだからVIPルームを予約しちゃった」

 日和はうれしそうに言う。

 そしてソファーには陽さんと日和が並んで座ったため、当然のことながら私と野崎満月が並んで座ることになった。

「あ、飲み物取ってきます。矢沢さん、何にしますか?」

 座ってすぐに野崎満月が立ち上がって聞いた。

「私、カルピス!」

 答えたのは日和だ。

「私も同じで……」

 日和に続いて陽さんが答える。そうして野崎満月が振り向いた。

「輝美ちゃんは何にする?」

 私は小さく息を付いて立ち上がった。

「一人じゃ持てないでしょう。私も行くから」

 野崎満月だけにいいところを持って行かれたくない。それに長年居酒屋店員をしているプライドだってあるのだ。

「じゃあ一緒に行こうか」

 野崎満月はそう言うとそそくさと移動をはじめ、私もその後に続いた。

「陽さんに気が利くところを見せようとしたの?」

 私はちょっと嫌味をぶつけてみる。すると野崎満月はキョトンとして私を見たあと「ああ」とやっと気づいたかのように言った。

「そんなんじゃないよ。私、矢沢さんの後輩だからそれが当たり前かなと思っただけ」

 そういえば野崎満月は今年入社したばかりのペーペーだった。年齢は陽さんの方が下だけど会社としては陽さんが先輩になるわけだ。

 ドリンクコーナーでカルピスを注ぐ野崎満月の顔を見ていると、先ほどまでその顔に浮かんでいた不安の色が消えていた。

「どうしたの?」

「え? 何が?」

「さっきまでめちゃくちゃ不安そうな顔してたくせに、それが無くなってる」

「そうだった? あー、金曜日までの矢沢さんよりちょっと元気になってるみたいだったからホッとしたからかな」

 私は野崎満月の言葉に首をひねった。今日の陽さんも決して元気だとは思えなかったからだ。それになんだかビクビクして怯えていた(私が大きな声で日和にツッコミを入れていたせいだけど)。

 もしも野崎満月の目が腐っているだけで、勘違いをしているのなら放っておけばいい。

 だけど野崎満月の言うことが事実ならば、金曜までの陽さんは本当にひどい状態だったということだ。

 何がそうさせたのだろう。

 陽さんがそんな状態の間、私は陽さんと連絡が取れないことに怒っていた。陽さんがどんな状態かなんて考えもしなかった。そんな自分に腹が立つ。

 それに、もしも陽さんをそんな状態にさせた原因が私の告白だったらどうすればいいのだろう。とりあえず謝った方がいいのだろうか。だけど意味もわからず謝るのも誠意がないような気がする。

 そして、毎日顔を合わせることのできる野崎満月と差を思い知らされた。この差は私が想像しているよりも大きいのかもしれない。

 私が思い悩んでいることも知らず、のほほんとした顔でドリンクをグラスに注いでいる野崎満月の顔が憎たらしい。

 だから注ぎ終わったばかりのカルピスのグラスを奪い去り、

「陽さんの分は私が運ぶから、野崎満月は日和の分ね!」

 と子どものような主張をしてしまった。野崎満月はビックリした顔をしながらも「うん、わかった」と答える。文句も言ないところが余計に腹立たしく感じた。

 私は右手に陽さんのカルピスを、左手に自分のコーラを持ち、野崎満月はアイスコーヒーとカルピスを持ってVIPルームに戻った。

 席に座り、それぞれがひとくちドリンクを飲んだところで日和が口を開く。

「それじゃぁ、何歌う?」

「歌わないよ!」

 気を付けようと思っていたのに、こうして反射的に日和の言葉にツッコミを入れてしまった。

「やっぱり輝美は面白いね~」

 日和は満足気だが私は凹んでしまう。隣に座る野崎満月は「輝美ちゃん、すごいね」と感心していた。

 陽さんは小さく肩を震わせていた。また怯えさせてしまった。そう思ったのだけどクスクスと笑い声が聞こえてきた。どうやら今のツッコミは正解だったようだ。

「仕方ないから歌は後にしようか。司会進行は私ね」

 日和がご機嫌な様子で話しはじめる。

「本日はお忙しい中お集りいただきまことにありがとうございま~す」

 今度はツッコまないぞと心に決めて日和の言葉を黙って聞く。日和は少し不満そうな目を私に向けたけど、そのまま話を続けた。

「まずは状況を説明しておくね。野崎さんが矢沢さんに「好き」って言っちゃったのは一カ月ちょっと前だね。草吹主任が退職する前で矢沢さんを家に泊めたときだよね」

 日和が説明すると野崎満月が顔を赤くして叫ぶ。

「なんで日和さんがそんなに詳しく知ってるの?」

 だが私にとってはそんなことよりも重要なポイントがあった。日和を問い詰めようとする野崎満月の肩を掴んで私の方を向かせる。

「陽さんを泊めたってどういうこと?」

 思っていたよりも声が低くなっていて自分でもびっくりした。

「あ、いや、矢沢さんがすごく酔っぱらって、ひとりで家に帰すのは危なかったから仕方なく……」

 野崎満月がたどたどしく答える。

「そんな状態になるまで陽さんに呑ませたの?」

 私は野崎満月の襟首をつかむ。

「あ、あの!」

 私の動きを止めたのは陽さんの声だった。私は瞬時に野崎満月を開放してピシッと座り直す。

「それは、私がいけなかったので……その……」

 陽さんの言葉を引き継いだのは、まったく当事者じゃないくせに一番事情を知っている日和だった。

「矢沢さんは草吹主任が退職することがショックでつい飲みすぎちゃったんだよね。満月さんはそれを介抱しただけだから輝美は安心していいよ」

「どうして日和はそんなにアレコレ知ってるのよ」

「満月さんが雅に「どうしよう~」って電話を掛けてきたとき、私が隣にいたから」

 私は昨日の電話を思い出して色々と察した。

「そ、そう。状況説明を続けて……」

「はーい。満月さんに好きって言われても矢沢さんはお友だちくらいの意味だと思ってたんだけど、私と雅のラブラブさを目の当たりにして、恋愛的な意味じゃなかな? って考えるようになったのよね」

 日和の言葉に陽さんがコクリと頷く。

「え? 私の気持ちに気付いてたんですか?」

 野崎満月は少し腰を上げて陽さんに聞いた。陽さんは気まずそうな顔をしながら再びコクリと頷く。

 野崎満月は自分の気持ちが陽さんに伝わっていることすら知らなかったなんて、馬鹿なんじゃないだろうか。

「それで、満月さんにどう答えようか一生懸命考えているときに輝美が告白したんだよね」

 今度は私が頷く。

「それで矢沢さんはパニックになって逃げちゃった。こんな感じかな」

 あの日陽さんが逃げた理由が少しだけわかった。野崎満月の告白に対する答えを考えている最中に、私の告白も上乗せしたからキャパオーバーしてしまった感じだろう。

 陽さんを追い詰めてしまったようで申し訳ないとは思うけれど、野崎満月に対する答えを出すまで待っていたら手遅れになってしまう可能性だってある。だから私は陽さんに告白をしたことを謝るつもりはない。

 今日、私と野崎満月を呼んだということは、陽さんはここで何らかの答えを出すつもりなのだろう。

「じゃあここからは矢沢さんががんばってお話してくださいね」

 日和はそう言って陽さんにバトンを渡した。陽さんは少しだけ不安そうな目を日和に向けた後、意を決したように私たちの方を向いた。

「えっと、私、どうしたらいいのかわからなくて。そのせいで嫌な態度をとってごめんなさい」

 陽さんは深々と頭を下げる。「全然大丈夫です!」「気にしないでください!」という私と野崎満月の声が重なる。

「それで、一生懸命考えて……」

 私はゴクリと唾を飲み込んで陽さんを見つめる。

「それでもわかりませんでした」

 一瞬拍子抜けしたけれど、陽さんの言葉はまだ終わっていなかった。

「輝美ちゃんは居酒屋さんでずっと話しかけてくれて、お誕生日にお祝いもしてくれて、仕事が終わってから輝美ちゃんとお話するのが楽しくて。就活のことで私に相談をしてくれたのもうれしかった」

 心臓がドクンと跳ねた。陽さんにそんな風に思ってもらっていたのがうれしい。

「野崎さんはいつも明るくて元気で、私はあんまりうまく仕事を教えられないけど一生懸命聞いてくれて。研修のときはすごく頼りになってやさしくしてくれて。私より大人ですごいなって思ってて」

 ちらりと野崎満月の顔を覗き見ると、だらしなく頬を緩めていた。この顔のどこが頼りになるのだろう。陽さんの採点は甘すぎると思う。

「だから、二人とも好きで……」

 二人とも好きパターンか! と心の中で叫ぶ。それは想定していなかった。

「だけど、お友だちで……。錦さんと雅さんみたいな好きじゃなくて……」

 二人とも好きじゃない方のパターンだった。心の中でがっくりとうなだれる。

 多分、私の隣で野崎満月も同じような顔をしていることだろう。

「一生懸命考えたけど、れ、恋愛の「好き」が私にはよくわからなくて。だから輝美ちゃんと野崎さんにとう答えればいいのか、今もわからないまま、です」

 陽さんはすべてを語り終えたのかカルピスに手を伸ばしてグングンと飲んだ。

 つまりどういうことだろう。私が首を傾げていると日和が補足をした。

「告白をしてくれた二人にはちゃんと考えて答えを伝えたかったけれど、その答えがどうしても見つけられなくて悩んでいたのね。それを草吹主任に相談したら、当事者の二人に聞いてみればいいじゃないって言われたらしいの」

 その草吹主任って人、けっこう無茶なアドバイスをしたものだな、と思ったけれどすぐに考えを改めた。

 陽さんはすごく悩んでくれていたのだ。傍目にも元気がないと分かるくらい悩んでくれた。そのまま一人で悩んでいたら陽さんの心は疲れ切ってしまう。それに答えが聞けない私は苛立ちを募らせるばかりだった。

 こうして陽さんの率直な気持ちが聞けただけでもありがたい。

「それで、二人はどうする?」

 日和が聞く。

 どうするもこうするもどうしようもないではない。陽さんには答えが出せないのだ。

「私は陽さんを諦めません」

 私ははっきりと言う。

「矢沢さんは答えを出せないけどいいの?」

「答えを出せるようになるまで待ちます。私、一年以上、ずっと陽さんのことが好きなんです。待つことくらい何でもありません」

 私は陽さんに向かって話しかける。陽さんはジッと私の目を見て言葉を聞いてくれた。

「わ、私も待つよ。待ちます。出会ってからまだ少しだけど、だからもっと私のことを矢沢さんに知ってもらいたいです」

 野崎満月も私に便乗した。黙って身を引けばいいのに。

 負けじと私も陽さんにアピールする。

「私、これまで色んな人と付き合ってきたけど、本当に好きだと思ったのは陽さんがはじめてなんです。簡単に諦めることなんてできません」

 すると隣で野崎満月が「えっ!」と叫んだ。

「色んな人と付き合ったことあるの? 私、色んな人を好きになったけど、誰とも付き合ったことない……じゃあ私に譲ってよ」

「なんで譲らなきゃいけないのよ。あんたがモテないのがいけないんでしょう」

「はいはーい。喧嘩は後でやってね~」

 日和がパンパンと手を叩きながら私と野崎満月の口論を止める。

「矢沢さん、二人はこう言ってますけど、どうします?」

「あ、あの、ずっとわからないままかもしれないですけど、いいんですか?」

「「大丈夫です」」

 私と野崎満月の声がハモる。

 すると陽さんはホッと肩で息を付いた。今日、ビクビクしていたのは、私が日和にツッコミを入れる声に怯えていただけではないのかもしれない。この話に私たちがどう反応するのか怯えていたのだ。

 はじめて居酒屋で陽さんを見掛けてから、少しずつ話ができるようになって、誕生日を知って、連絡先を知って、長い時間をかけてやっと告白ができたけれど、またふりだしに戻ってしまったのかもしれない。

 いや、陽さんは私の想いを知ってくれている。これはふりだしではなく、新しいスタートラインに立ったということだ。

 そこで私の頭にピシャーンと閃きが落ちてきた。

「はい!」

 私は手を挙げる。

「どうぞ、輝美さん」

 日和は先生然として私を指した。発言権を得た私は立ち上がる。

「それなら陽さん、付き合ってくれませんか?」

「はぁっ!」

 叫んだのは野崎満月だ。私は野崎満月をひと睨みして「最後まで聞いて」と言う。何か言いたそうだったが、野崎満月はひとまず口を閉じた。

「えっと、でも……」

 陽さんも私の提案に驚いているようだ。私は提案を続けた。

「私と野崎満月、二人と付き合ってください」

「それって、矢沢さんが輝美と満月さんに二股をかけるってこと?」

「まぁ、そういうことになるね」

 尋ねた日和に私は答える。

「そ、それは……」

 陽さんは目を白黒させている。

「お試し期間だとでも思ってください。野崎満月はどう?」

 野崎満月はしばし私を見つめ、その後陽さんをじっと見た。そして頷く。

「私もそれでいい」

「陽さん、私たち二人と付き合いましょう」

 陽さんは私と野崎満月の顔を交互に見ながら戸惑いの表情を浮かべている。

 隣に座る日和はニッコリと笑った。

「やっぱり輝美は面白いね」

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