第2話: いかな鬼才とて、気付かれるとは思わない



 ──侍、そう、武士に手を上げる。




 その言葉だけを見れば、誰しもが青ざめるだろう。


 どうしてかって、江戸時代において『侍』という立場は、いわば特権階級。白を黒に、黒を白に、一方的な言い分がまかり通る存在だったからだ。


 しかし、実際の侍たちが、本当に特権階級だったかと言えば……それは年代によってけっこう違うと言われている。


 と、いうのも、身も蓋も無い話だが、殺し殺され天下が荒れまくっていた戦国時代では、侍の立場は滅茶苦茶強い。



 単純に、逆らったら殺されるからで、それが出来る環境にあったからだ。



 野心を持って天下を取ろうとする者にとって、自分を含めて命の扱いが極めて軽い。そんな者たちが、はたして民草と呼ぶ者たちの命を大事にするかといえば、そこまでではない。


 侍は自分たちの食い扶持を確保する意味でも領地を守るので、結果的に領民たちも守られ……それが巡り巡って、侍の立場を盤石にしていたわけである。



 では、天下泰平の世が来た後で、侍の立場はどうなるか? 



 これはけっこう誤解されがちなことだが、江戸時代の全てにおいて侍が本当に特権階級だったかと言えば、そういうわけでもない。


 確かに、様々な特権はあった。庶民が羨むような特権もあった。


 しかし、それも江戸時代初期の話であり、時を経るにつれて武士としての義務だけは厳しく課せられるのに、特権は徐々に剥がされていったというのが実情である。



 なにせ、特権を維持する為にはとにかく金が掛かるのだ。



 世が荒れていた時は、良かった。他所の領地を奪い取り、それを報酬として宛がうことで様々な特権を維持出来たからだ。


 けれども、世が安定してしまえば、その手段は使えない。使えないとなれば、どうするか……答えは決まっている。



 身銭を出して養うか、自ら稼ぐしかないわけだ。



 当然ながら、どれだけ優れた名君であろうと、そんなことは不可能だ。乱世ならばともかく、泰平の世では侍なんて無駄飯食らいもいいところ。


 治安を守る立場に収まるならばマシだったのだろうが……残念なことに、大半の武士たちは特権階級に頭から浸かってしまっていた。


 すなわち、生まれ落ちたその時から自分たちは格上であり、庶民であり民草である下々は自分たちに奉仕し、それが当然なのだ……そんな常識を抱えていたわけである。



 もちろん、そんな常識が永遠に続くかと言えば、そんなわけもない。



 上からしても、地を耕す事も育てる事もせず、読み書きは刀を振るうしか能の無い、たまたま武士という身分に生まれ落ちた馬鹿を養っていくかといえば、そんなわけがない。


 やはり、時を経る度にそれらがジワジワと経営を圧迫し始めるのは必然で……徐々に、金食い虫である侍の特権が減らされていくのもまた、必然であった。



 まあ、そんなわけで、だ。



 『吉原』に勤めていた者たちの日記などに残されている話に、『貧乏旗本は態度ばかり大きくて、金払いは悪いケチな野郎ばかりだ(意訳)』という愚痴が残されているあたり、江戸末期における侍の暮らしはけして裕福ではなかったのは、想像するまでもないだろう。


 ……とはいえ、だ。


 それはあくまで歴史上の話であり、現在、白坊が生きている今はまだ、『侍』の身分が高い時代なのは言うまでもなく。



「──白坊、申し開きをせよ」

「申し開きも何も、何度も話しております。いきなり怒鳴られたかと思えば、有無を言わさず刀を抜かれたのです」

「──では、何ゆえ乱暴を働いた?」

「乱暴も何も、馬から落ちたところを助けたのに、突き飛ばした挙句に刀を振るわれたのです。思わず、拳も出ましょう……そうしなければ、私はあの場で殺されていましたから」

「──ふむ、そうか」



 一方的に切られた側だというのに、まるで罪人の如く縄を掛けられ連行され、牢屋にぶち込まれた翌日、ドカッと乱暴に白州(しらす)の上に座らされた白坊に……それらを覆す力はなかった。


 どうして白坊がこの場に居るかといえば、それはひとえにミエたちの為であると同時に、状況が悪かった。



 どんな理由であれ、特権階級である侍に手を上げたのは事実だ。



 そして、現場を見ていない他の者たちからすれば、互いに何かがあって、双方が怪我をした……客観的に分かるのは、それだけだ。


 そんな状況で、騒ぎを聞きつけて駆け付けた役人の前で、自分は悪くないと抵抗してしまえばどうなるか。


 現代ですら、どんな理由であれ協力しない者に対する心証がどうなるか……ましてや、この世界でソレをすればどうなるか……考えた結果が、この状況なのであった。



 ……あ、そうそう、白州しらすとは、アレだ。



 時代劇の裁判シーンなんかで毎回登場する、砂利が敷き詰められた庭にゴザを敷かれ、被告人とか証人が正座している、アレだ。


 そこに、白坊は座らされていた。そして、それは不幸なことに。


 連行した者たちも、見張りの者たちも、奉行所ぶぎょうしょに集まっていた者たちも、『いきなり有無を言わさず切られて気が動転した』という白坊の言い分を欠片も信じなかった。



 ……ちなみに、奉行所とは、現代で言えば裁判所の役割も担っていた場所である。



 本来は様々な業務が執り行われている場所なのだが、今日、この時は、裁判所として機能しており……で、被告人となった白坊を、裁判官兼役人である侍たちがズラッと囲っているわけだ。


 それで、どうして言い分を信じていないのが分かるかって、それは表情だ。


 全員がそうではないが、それでも程度の差だ。視線は冷たく、取るに足らない雑草を見るかのように無機質だから、である。



 それ自体は……もはや乾いた笑いしか出ないが、そこはいい。



 調書(つまりは、取り調べ)もせず、いきなりこの場所に連行された時点であまりにおかしすぎるが、そこもいい。



 気になるのは、わめいて自らの無実を訴え、これ見よがしに自らは被害者である事を訴える、白坊を襲ったあの男への対応だ。


 明らかに、部外者である白坊の目から見ても、この場に居る者たちの目が……同僚に向ける類の眼差しではない。


 そう、不始末を起こした同僚に対して向ける、怒りの類ではない。


 まるで、蟻の巣に運び込まれようとしている虫を見るかのような……そんな、冷たい色がそこにあった。



「……埒が明かんな、やり直しだ」



 そうこう白坊が考えているうちに、裁判は進んでいたようで……その言葉と共に、この場での採決は一旦見送りとなった。







 ……さて、結局は何一つ白坊の言い分が届かないままに次回となったわけだが……そこからが、白坊にとっての地獄であった。



「うーっ!! うーっ!!」

「吐け! あの時何があったのか、嘘偽り無く吐けぃ!!」



 まず、最初に行われたのは、笞打むちうち


 竹を加工した箒尻ほうきじりという、麻糸あさいとが巻かれた棒を使い、身体を打つ拷問の一種……現代で言えば、鞭打ちのことだ。



 それは、従来の裁判の流れから考えれば、あまりにおかしいやり方であった。



 と、いうのも、時代劇や漫画などの影響で、すぐに拷問が行われると思いがちだが、実際に拷問が行われるのは相当に重い罪であり、かつ、証拠があるのに自白しないといった状況。


 たとえば殺人、放火、盗賊などがそうで、実際に拷問が行われるのも、当人が否認し続けた末の果て、最後の最後である。



 どうしてかって、単純に時間と労力と金が掛かるだけでなく、刑を行う役人の精神的な負担も大きいからだ。



 いくら、ほとんど確定な証拠を掴み、あとは駄目押しの自白が必要になると分かっていても、だ。


 生きる糧となる獣ならともかく、生きた人間を自らの手で痛めつけ、のたうち回る姿を見て、平然としていられる者はそう多くはない。


 たとえ相手が極悪人だとしても、同じ人間を殺すというのは本能的に忌避感を覚えるのだ。


 それが出来るのは、幼少の頃から暴力が当たり前の環境にあるか、先天的にタガが外れているか、様々な要因が重なって楔が外れた場合ぐらいなもの。


 実際には、利害(刑罰を受けた方が結果的には得とする)などを示して上手に自白させる者の方が評価が高く、ナニカ有ればすぐに拷問しようとするのは下の下とされていた。



「どうだ!? 何かあったか言うか?」

「うー……うー……」

「まだ吐かぬか! 水をぶっかけろ! 気絶させるな!」



 だからこそ、現在の白坊が受けているこのやり方は、あまりに異常であった。


 なにせ、何かを話そうにも、舌を噛めないよう布で口を縛られている。布が邪魔をして、あーとか、うーとかしか言えないのだ。


 当然ながら、拷問に掛けている者たちは理解している。何の意味もない行為だと。


 なのに、それには目を逸らし、ただひたすら『口を割らない極悪人』を相手にするかのように、拷問を行うのである。



 明らかに、異常だ。



 しかも、拷問の合間に行われる詰問も不自然だ。普通、掛けられる詰問に対して求められるのは、『はいorいいえ』の二択。


 つまり、合っているか、違っているか、この二つだ。



 けれども、今回は違う。



 あの場所で何が有ったのかという、質問だ。『白坊の方から侍に暴行を働き、その際に胸を切りつけられたのか?』という、二択で答えられる質問ではない。



 どのように言葉を変えても、返答は何時も同じ。


 嘘を付くな、本当の事を話せ、この二つである。



 もちろん、白坊は何一つ嘘を言っていない。


 加えて、状況証拠だけを見ても、白坊の言い分の方が正しい。だって、仮にあの男の言い分通りなら、馬上の男へジャンプして殴ったということになる。


 もう、その時点でおかしい。というか、そんな事する前に、そもそも馬が反応して逃げる。


 それに、仮にそれが真実だとしたら、男は馬上から受け身も取れずに転落した事になるわけだから、もっと大怪我を負うはずで……何から何まで、不自然な点しかないわけであった。



(ちくしょう、いてぇぞ……こんちくしょう……)



 けれども、残念ながら……そこを突く気力が、白坊にはなかった。


 どうしてかって、純粋に激痛で気力体力精神力、『力』と名の付く全てが諸々底を尽いているからだ。


 当たり前だが、白坊は今の身体になる前も、今の身体になってからも、拷問の類は一度として受けた事がない。



 多少なり怪我の経験があって、痛みも経験している。



 だが、痛みを目的とした拷問がもたらす激痛は、白坊がこれまで培ってきた経験などフッと吹き飛ばされてしまった。


 というのも、鞭打ちの際に使用する箒尻だが、これがまあ、拷問道具として使用されているだけあって、非常に極悪なのだ。


 軽い竹で出来ているとはいえ、ザラザラとした麻糸が巻かれたそれを叩きつけられれば、肌と擦れて皮が捲れ、鮮血がジワッと滲み出てくる。


 それだけでも滅茶苦茶痛いのに、そこに水やら砂やらをバカバカ交互に被せられるせいで、痛みに全く慣れない。


 常に、痛みが新鮮だ。


 おかげで、箒尻を叩きつけられるたび、誇張抜きで視界に光が飛び散り、息が詰まり、意図せず涙がボロボロと零れてしまう。


 それが、夜まで続いた。


 枷を外され、牢屋に戻された時にはもう痛みと疲労で意識が朦朧としており、気付けば朝を迎えていた。



 ……だが、拷問はそこで終わらなかった。



 翌日も、翌日も、翌日も……何の為に行われているのか分からない拷問が続き、もはや声一つ発することすら出来なくなっていた。


 その頃になると、白坊の風貌もすっかり様変わりしていた。


 様々な手法にて肉体と精神を痛めつけられ、身体中は青痣に裂傷だらけ。風呂に入れず、破れた衣服が辛うじて残っているだけの、全身が泥だらけのボロボロ。


 これ以上は無理だと判断されたら、御世辞にも快適とは言い難い牢屋に放置される。当然、疲労や苦痛が回復するわけではないから、意識は常に朦朧としていた。



 そうして……拷問が始まってから、7日目の朝。



 もはや、自力で立つ気力も体力も無くなっていた白坊は、半ば引きずられる形で牢屋から出され……何時ものように、はりつけにされる。



 その身体は、たった7日とはいえ、悪い意味で見違えるようになっていた。



 元々太いとは言い難い手足は細く、うっすらと骨の上に乗っていた筋肉は落ちて、見えなかったはずの肋骨が確認出来るようになっている。


 頬もこけて、顔色も悪い。唇はかさついていて、震えっぱなしの身体は声一つまともに出せず、目もどこか虚ろに見える。


 素人目にも、このままではいずれ……そう思わせてしまう程に酷い状態であった。



 だが、この日の役人たちは変わらない。



 何時ものように道具を揃え、何時ものように準備を済ませ、何時ものように白坊を所定の位置へ固定して。


 さあ、今日も地獄が始まるぞと……そういう空気になった、その時であった。




 ──何をしておるか!!!! 




 その怒声が、白坊の身体どころか、建物すらも震わせるほどに響いたのは。


 ビクッ、と。


 誰もが、肩を震わせる。もはや、その気力すら無くなっている白坊すらも、朦朧としていた意識が我に返るぐらいだ。



(……なんだ?)



 初めてとなる変化に、白坊は……なんとか顔を上げる。気付いていなかったが、本当に大きな声だったのだろう。


 誰もが困惑に手を止め、視線をさ迷わせる最中『──と、殿、このような場所に!?』見張りとして入口に立っていた者たちの狼狽する声が聞こえてきたかと思ったら。



「──貴様ら! 誰の指示でこのような愚行を仕出かしたか!!」



 どす、どす、どす、と。


 全身で怒りを露わにした男が1人、室内に入って来た。


 その男は、鋭い眼光を持っていた。加えて、その眼光に全く引けを取らないオーラ……ただ前に立つだけで他者を圧倒する、オーラとした表現しようがない気配を放っていた。



(……どこかで?)



 初めて会う人だ……率直に、白坊は思った。


 だが、どうしてか……白坊は、その男を何処かで見たような覚えがあった。



「──と、殿!」



 そして、その違和感というか、デジャヴュは……己を拷問していた者たち全員がその場に膝を突いて頭を下げてすぐに、答えが出た。



(との……殿? 織田? 織田、のぶなが……信長……?)



 フッ、と。


 脳裏を過ったのは、歴史の教科書等に載っていた自画像。


 記憶にあるソレと、眼前にて悠然と仁王立ちする男との姿が些か合致しないが……それでも、この場に居る者たちの反応が、眼前に立つ男が、織田信長であることを示していた。



「貴様ら……誰の許しを得て、このようなことを仕出かしたのか……申してみよ」



 そう、問い掛けた男……信長の言葉の調子は、先ほどの怒声とは打って変わって落ち着いていた。


 だが、それで優しさを感じられるかといえば、そんなわけがない。


 この場にいる誰もが一言も発せられないまま、額を地面に擦りつけている。それは、本来であれば絶対に許されない行為である。



 信長の問い掛けに無言を返す。



 それだけで、下手すれば切り殺されても仕方がない行為。それは誰もが理解しているようで、土下座をしていてもその身体は小さく震えていた。



 ……そんな彼らを見て、信長は……それはそれは、大きなため息を吐いた。



 直後、信長に続いて室内に入って来た男たち。その動きは実に荒々しく、「──捕らえろ!!!!」その怒声が室内に響くと同時に、土下座していた者たちを引きずり出してゆく。


 つまりは、白坊を拷問していた者たちだ。


 いったい、何が起こったのか……あまりな状況の変化に目を白黒させていた白坊を他所に、信長に続いて入って来た男たちの手が、白坊へと伸びて……固定していた身体を、開放した。


 ──途端、支えを失った白坊の身体は、カクンと崩れ落ちた──が、その身体が地面に横たわることはなかった。



「──すまなかった」



 何故かといえば、そうなる前に抱き留められたからだ。


 誰にって、それは織田信長に、だ。しかも、謝罪の言葉まで付いてきた。



 ……泥と汗と血と垢でボロボロに汚れた平民の身体を、衣服が汚れるのも構わず抱き留める。



 それは、正しく吃驚仰天きっきょうぎょうてん(たいへん驚くの意味)な出来事なのだろう。


 その証拠に、ざわっ、と。


 場の空気が、一気に変わる。


 連行されようとしている男たちも、連行しようとしていた男たちも、一様にギョッと目を見開き……信じられないと言わんばかりな様子であった。



「──例の痴れ者を、ここへ連れてまいれ」



 そっと、下ろされた白坊の視線を他所に、信長は部下たちに命令する──直後、猿ぐつわを掛けられた男が引きずられるように白坊の傍まで連れて来られた。


 その男は……ヒゲも剃らず風呂にも入っていないのか、うっすら臭いが出ていたが……確かにあの日、白坊に切りかかった男であった。


 加えて、なにかしら痛めつけられているようで、肌のいたるところに青痣が……いったい、何があったのだろうか? 


 ぼんやりと眺めていると、男はその場に膝を突かせるようにして力づくで押さえ込まれる。


 さすがに、大人4人掛かりで押さえ込まれてしまえば身動き出来ないようだ。まあ、そうでなくとも痛めつけられてまともに抵抗出来ないのだろうが……と。



「……よくも、わしの顔に泥を塗りおったな」



 すらり……と。ソッと、部下より差し出された刀を受け取り、鞘から……抜かれた刃が、キラリと光った。


 声色だけではない、額に血管が浮き出るほどの怒りを全く隠しきれない……そんな信長の姿に、押さえ付けられた男は声すら出せずに、青ざめた顔で。



「この──愚か者がぁ!!!!!」



 なにか、弁明しようとしたのか……それは分からないが、首を落とされる瞬間……ぽかんと開かれた唇が、何かを言おうとしていたのは、確かであった。


 ひゅん、と。


 空気を切り裂くかのような音で、男の首がポロリと落ちた。瞬間、サッと部下の一人が布で断面図を覆い隠し……血が辺りに散らばるのを防いだ。



「──改めて、謝罪致そう」



 呆然と、首を落とされた男を見つめていた白坊は……そう言って、その場に膝を突いて頭を下げる信長へと視線を移した。



「と、殿……殿が、頭を……!」

「そ、そのような……なんと……!」

「お顔を、上げれくだされ……!」



 信長の部下たち(つまりは、侍たちだ)が、一様に言葉を失くして狼狽している……まあ、客観的に見れば、そうもなるだろう。


 けれども、当の信長は顔色一つ変えることなく、三度白坊へと頭を下げると……スッと立ち上がり、部下たちへと声を張り上げた。



「速やかに、医者の下へ連れてまいれ」

「──はっ!」



 とはいえ、さすがは直属の部下……なのだろう。


 どんな状況であれ、信長の命令一つですぐさま我を取り戻した部下たちは、その場に膝を突いた。



金子きんすは全てワシが払う。最高の医者を付けろ」

「──はっ!」



 部下たちの返事を聞いた信長は、一つ頷くと……白坊へと振り返り。



「死ぬな、生きて再び顔を合わせるのを楽しみにしている」



 ただ、それだけを告げると……颯爽と、部屋を出て行った。






 ……。



 ……。



 …………後に残されたのは、白坊と命令を受けた部下たち……まあ、そこはいい。



 部下たちは、非常に忠実であった。


 武士ではない白坊を丁重に抱え上げ、担架に載せる。そして、怪我をしている白坊の負担にならないよう、優しく拷問部屋の外へ。


 そうして、体感的には何カ月ぶりにも感じる、日の光を浴びながら……白坊は、考えていた。



 ……仮に、だ。



 仮に、白坊がこの世界で生まれ、この世界の常識で育ち、何の特殊能力も持っていない普通の青年であったならば。



 今の……今しがたの、織田信長の手による救出劇は、心から感動していただろう。



 なにせ、この世界の人達からすれば、織田信長という存在は殿上人……現代で言えば、総理大臣みたいな存在だ。


 そんな存在から直接助けられ、治療費は全て受け持ち、治ったら改めて会おうとまで言われたのだ。


 現代とは比べ物にならないぐらいに身分というものが強固な時代(この世界でも、同様)で、そこまで目を掛けてくれる。



 なるほど、そりゃあ感涙して言葉も失くすだろう。


 たとえそれが、中身が現代社会で生きた白坊だとしても。



 巡り巡って信長の不手際だとしても、気付いて助けてくれたのは事実だから、同様に感涙していた……ところだが。



(……ああ、なるほど)



 けれども、そうはならなかった。



(なるほど、なるほど、なるほど……そういうことね)



 何故ならば、白坊は気付いてしまっていたからだ。


 いったい何に気付いたのか……それは、一連の流れ、その全ての違和感に関して。


 そう、白坊は……白坊と自らを名付けた元現代人である彼だけは、『歴史』という形で織田信長という人物を知っている。


 もちろん、この世界は過去ではない。『剣王立志伝』の世界に酷似した異世界であり、歴史の通りの人物である保証は何一つ無い。



 だが、それでも。



 これまで人伝に、あるいは人々が醸し出す空気の中で白坊は……この世界の織田信長も、『歴史』の通りに優れた先見性と類稀なカリスマ性を持った人物であると思っていた。



 ──そんな人物が、自分の膝元に居る『稀人』が受けている仕打ちに気付くのに、7日も掛かるだろうか? 



 わざわざ感性が柔軟な佐野助を監視に付かせ、人切りの経験を積ませるためだけに囚人を用意し、異変が起これば翌日には訪問しに来る体制を作っておいて。



 ──今回だけ気付くのが遅れる……なんてこと、あり得るのか? 



(ありえない……もし、それが成せるぐらいに裏工作が出来る状態なら、とっくの昔に信長は暗殺され……豊臣とか、徳川とかが上に立っているはずだ)



 では、いったいどうしてか──答えは、決まっている。



(……茶番だ、全部)



 そう、全ては盛大な茶番劇。白坊に恩を売りつけ、情でこの地に、ひいては織田に縛り付けるための……マッチポンプ。


 それは、諜報術や心理学に関して無知ではあっても、現代社会で生きてきた白坊だからこそ気付けた事。


 様々なサブカルチャーなり何なりで知り得た知識が無かったら、気付けなかった事。



(あの男……たぶん、あいつも騙されたんだ。体よく汚名を被せられ、信長の手で口封じされた……それなら、一連の流れに納得出来る)



 それを、皮肉にも織田信長が自ら証明してしまった。


 そして、それに気付いてしまった以上はもう……白坊にとって、ここはもう、完全な意味で敵地も同然で。



(……絶対に)



 同時に、白坊は……自分でも気づかないうちに、『技』を発動させていた。



(絶対に──許さねえぞ、糞野郎、侍の糞野郎どもが……!!!)



 その名は、『剣王立志伝』では御馴染みの技の一つである、『起死回生』。ファンの間では『博打』とも揶揄される、ステータス向上系の技である。


 この技……発動すると、自キャラのみステータスの大半がカンストまで上がるというゲームバランス必至の技なのだが……実は、弱点が二つある。


 一つは、その名の通り、瀕死の状態の時しか使えないということ。


 そして、二つ目は……防御に関するパラメータはカンストにならないということだ。


 つまり、最低でも1ターンは無防備になる。


 防御力も回避力も一切変わらない無防備な状態で、敵がミスするか攻撃しないかを祈るしかない状態になるわけだ。


 それゆえに、『博打』。


 上手く行けば逆転だが、駄目なら順当に殴られてゲームオーバー……プレイヤー間でも、その技を使うのは本当の本当に最後の賭けという認識であった。



「……? おい、動くな、傷に障る──っ!?」



 けれども、それはあくまでもゲームでの話。


 ゲームなら戦闘時でしか使えない『起死回生』も、そんな制限など無い今では……ただ、担架の上で揺られていても、使えるわけで。


 白坊が纏っている空気が変わった事に、部下たちが気付いた時にはもう遅く……あっ、と思った時にはもう、全ては遅く。



(侍共の糞野郎……信長の糞野郎……ぜってぇに、許さねえからなぁ!!!)



 白坊はもう塀を飛び越え、城下町の屋根から屋根を信じ難い速度で飛び越えていき……『実らず三町』へと向かうのを辛うじて確認出来た時点で、誰しもが諦めて足を止めたのであった。


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