伯母vs使命
当時の日本には今からは想像もできないほど魑魅魍魎の類が跋扈しており、うちの家系は諸事情あってそういう者達との戦いに長けていた。だから手っ取り早く食い扶持を稼ぐため、この仕事を始めたのだと云う。
そんな我が家の千年以上の歴史の中で、倒せなかった怪物は一種だけ。
外来の
とはいえ、その
窓口は世界中にあり、日本ではとある駄菓子屋さんがそう。世界中に散った血族の代表はニッカ・カナガレという米国籍の男性。母親が日系人、父親がネイティブ・アメリカンの彼は赤茶けた肌を持つ痩身巨躯の傭兵として知られている。彼の腹違いの妹サラさんは鬼の血こそ引いていないが、それに匹敵する希少種の末裔。だから雫さんに目をかけられ、何かにつけてこき使われている。
今日もあの人はサラさんを雇い、トルコで見つかった遺跡を二人仲良く探索中だそうだ。いや、夏ノ日夫妻も一緒だから四人仲良くか。普通の人なのにあの二人についていけるんだから彼女達こそ一番特殊な存在かもしれない。
ともかく、そんなわけで鏡矢家の当主も夏流のエースも不在の今、その間に舞い込んで来た退魔の仕事は自動的に私へ割り振られた。
「ふう……」
昼近い時間、公園のベンチに一人座り、自販機で買って来た甘いコーヒーを飲みながらため息をつく。
出張帰りだ。昨日まで、とある地方の廃業してから二十年以上経っているホテルにいた。そこに出没する怨霊を祓うために。
こういうオカルトじみた話の大半は眉唾なのだけれど、我が家には真偽を確かめられる専門家達がおり、事実と断定できた依頼だけが受理される。
今回のは後味の悪い仕事だった。そのホテルで二十数年前に起きた殺人事件。不倫していた夫が、それに気付いて尾行してきた妻に詰め寄られ諍いになった末、不倫相手の女性を殺してしまった。腹の中の子供と共に。
そんな悲しい母子の霊が現れ、廃墟となった建物を彷徨っている。そのため解体工事もままならない。どうにかしてくれと頼まれ、依頼通りどうにかしてきた。
できれば話し合いで穏便に祓ってやりたかった。でも、相手は完全に正気を失っていて襲いかかって来たため、やむをえず実力行使で対抗──ベンチに立てかけた筒状のバッグを見やり、もう一度ため息をつく。これの中身は日本刀。それも、この世の殆どのものを断ち切ることが可能な霊刀。
名を
最初に退魔業を始めた祖先・鏡矢
製作者の銘は無く、玲瓏という名は一族そのものの開祖にあたる鏡矢
また鈴蘭様曰く、この刀はここにある一振りしか存在しないらしい。当たり前の話だと思われるかもしれないが、そうではない。
パラレルワールドというものをご存知だろうか? 可能性によって世界は分岐し、数を増やしていく。私達が今いるこの世界の周りにも、良く似た歴史の
私は色々あってそれを事実だと知った。そして玲瓏は、そんな分岐が発生しない特殊な武器なのだそうだ。大昔、別の世界では
そんなものが、なんの因果か私の手中に収まっている。
『今の時代、それは危険すぎる“兵器”です。必要にならない限り、この世界から外へは出さない方がいいでしょう。幸いここは、その子を仕舞っておくための鞘として最適です。管理は引き続き貴女が行ってください』
あの方は、そう言って私の手にこれを託した。当主は雫さんなのだから彼女に任せるのが筋ではないですかと問うたものの、返答は『だからこそ貴女の方が相応しい』とのこと。真の鏡矢として覚醒した雫さんの手でこれが握られると、何かとんでもないことが起きてしまうらしい。
「
かつて、そうなりたいと強く願った立場。けれど、その道から外れたことで別の重要な使命を与えられてしまった。運命の皮肉を感じつつ甘ったるいコーヒーで昨夜の苦い記憶を上書きする。
──女の霊を斬った直後、子供の霊が現れた。
腹の中にいた胎児が死後に母親の胎内から這い出し別の個体となったものらしい。様々な動物の霊と混じり合い、もはや人の姿をしていなかった。けれど母の霊が消えた場所に蹲って泣くので正体を知ることができた。
私は躊躇した。
けれど、あの子は躊躇しなかった。
思わず一歩近付こうとした私に、怒りに燃える目を向け跳びかかって来た。
肩がズキンと疼く。
「……」
あの子に噛みつかれた箇所。肉を喰い千切られそうになって反射的に攻撃してしまった。玲瓏の刃で貫かれた少年の霊は母親と同じように絶叫を上げながら消え去り、後には肩を負傷した私だけが残された。
傷はすでに自前の能力で治してある。肉体を強化し、傷や病を瞬く間に癒せる特異な力。雨道くんが病にかかった時にこの力があれば助けられたのに、いつも私は肝心なところで一手遅れてしまう。
ただ、体の傷は癒せても心の傷まではどうにもできない。悲しい母子の悪霊をこの手で消し去ったことにより、私の手はいまだに震えていた。
雫さんなら、この痛みを抱えたままでもまっすぐに前を見据え、己の弱さを笑い飛ばすだろう。ニッカさんなら、あの母子にもっと優しい結末を迎えさせたに違いない。鈴蘭様なら、それこそ一切の苦痛を与えず二人を救ってくれたはずだ。
でも、私にできたのは斬って終わらせてやることだけ。
やっぱり、あの子にこんな想い、させたくないな。
「大丈夫だからね、雨道くん……」
絶対、歩美ちゃんをこちら側へ引きずり込むような真似はしない。この間はうっかり口を滑らせたけれど、幸いにも鏡矢が退魔師の家系だという話をあの子は半信半疑で聞いていたようだ。多分冗談だと思っている。ならそのままにしておいた方がいい。
それに、この先こんな稼業は廃れていくはずだ。今のこの世界では月の光が届く範囲で小さな変化が積み重なり、大きな変革を起こしつつある。
ほんの少し優しくなれる魔法。
月光に宿ったその力が戦争や犯罪を減少させた。魔法が個々の精神に与える影響は微々たるもので、心の闇から生まれるそれらが完全に潰えることは無い。それでも確実に世界は変化を続けている。
歩美ちゃんが大人になる頃には、もっと平和な時代を迎えるはずだ。
それが彼の──死の間際、奇跡を起こした弟の願いなのだから。
「……よし、行こう」
コーヒーのおかげで少しだけ元気が出た。立ち上がった私は玲瓏を収めたバッグを肩にかけて歩き出す。まずは本社に戻り、改めて今回の顛末を報告しないと。
それから有給の申請だ。明日は約束した大塚家を訪ねる日。
弟の 面影残す 花の笑み
絶対にあの子の幸せは守る。鈴蘭様には申し訳ないが、当主になれなかった私にとって、それこそが最も大切な使命なのだ。
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