1章-1話- ~私の日常と愉快な仲間たち~

1章1話(仮)

「つぐ〜」

後ろから抱きつかれる。この天使のような甘い声と暖かい体温は姫で間違いない。

「おはよう、姫。」

前を向いたまま応える。

「姫って呼ばないでよ〜。私には姫里甘寧(ひめさと あまね)っていう名前があるんだから!」

振り向いて天使の顔を見る。ぷくっと膨らました頬がお顔をさらに尊くしている。今日も推しが尊い。

「よく私だってわかったね。」

私の指からは深い緑色の糸が伸びて、後ろの姫の指に結びついている。色が深ければ深いほど、関係は濃いことを表す。ここまで深い緑色の糸が結ばれていて、私に後ろから抱きつく人なんて姫しかいない。かけがえのない親友だ。

「私は姫検定1級保持者だから。」

「何それ〜。」

なんて会話をしながら教室に向かう。


騒がしい朝の教室に入る。6月後半の暖かい気候は生徒たちをより活発にしているようだ。声と怒声とペットボトルが飛び交っている。野球でもしているのか。

席に荷物を置いたところで前の席の人が後ろをむく。

「ところで、新しく出来たスイーツのお店があるんだけど、一緒に行かない?」

天使のようなお顔が明るい笑顔で話しかけてくる。今日も推しが尊い。

「また?今月何回目?」

「えぇ〜っとぉ?」

姫が指折り数える。

「3回目?」

とぼけたような声で言うが週1回は行っている計算になる。高校生のお財布には優しくない仕打ちだ。

「あのね、相談したいことがあるの。」

急に子犬のような目でこちらを見始めた。

「つぐにしか相談できないの。お願い!」

お財布の中は閑古鳥が鳴いている。だが、私にしかできない悩みとあらば、参上せずにはいられまい。

「しょうがないなぁ〜。」

「ほんとに?!ありがと!大好き!」

また抱きつかれる。あぁ、これ程幸せな事はこの世に存在しないだろう。

「つぐ今日部活は?」

「顧問の先生いない日だから休みだよ。姫は?」

「私も今日はない。だったら授業終わったらすぐにだね。」

抱きつかれたまま会話がすすむ。これを布団として持ち帰りたい。

「甘寧ちゃん。部活の子達が呼んでるって。」

クラスメイトが声をかける。

「わかった〜!すぐいく〜!」

遠くの方に返事をする。

「ごめん、すぐ戻るから。」

さすがに私から離れて、次は手を前に合掌し、頭を下げる。

「ごゆっくり。」

手を振って姫を見送る。

「継葉ちゃんって甘寧ちゃんと結婚してるの?」

クラスメイトがぽつりと聞いてくる。

「うん。」

即答した。

「じょ、冗談なんだけどなぁ〜、あはは。」

クラスメイトは苦笑いを浮かべながら自分の席へ戻って行った。あの反応は、ちょっと引いてたんじゃないかな。

椅子に座って視線をバッグの中の財布に移す。毎週軽くなっていく…が、今日は行くことにしよう。

姫が、甘寧が私に、私しか相談できないと言って来るのは初めてだ。相当深い事情があるに間違いない。親友として行くのは当然である。あと、推しとしても。

クラスの外では甘寧が後輩と仲良く話しをしている。彼女の柔らかくて人懐っこい性格なら、年下に好かれるのも納得出来る。

幸せな時間が流れて、今日が始まった。


特になにかある訳でもなく、今日の授業は終わり帰りの支度を始めた。

「つぐ〜、ごめん後輩に頼まれごとをされちゃって。」

本日2度目の手を前に合掌し、頭を下げるポーズ。

「すぐに終わるから、つぐだけ先行ってて。」

「わかった。待ってる。」

そういってそそくさと教室を出ていってしまった。

私も教室にいつまでもいる気は無いので、廊下に出て昇降口へ向かう。

その途中に見知った顔を見つけた。

「先生?」

「あぁ、衣川さん。」

美術部の顧問の先生がいた。今日は午前中に学校を出ているからいないはずだけど…。

「新しい転校生の子がきたじゃない?あの子が大量の画用紙やら画材やらが欲しいって言って、注文したのが届いたらしいのよ。」

先生の後ろには大量のダンボールが積まれている。

「それで、この量を運んでたんですか?」

「そうなの。でもこの歳じゃ、少し大変ね。」

腰がつらそうな様子だ。

「手伝いますよ、先生。」

「あら、申し訳ないけど頼っちゃおうかしら。」

そんなこんなで荷物全てを美術室の前まで運んだ。文化部の人間にはいい運動だ。

「ありがとう、助かったわ。あとは明日にでも私がやっておくわ。」

嬉しそうだ。こっちも運んだ甲斐がある。

「おっと、他にもやらないといけないことがあるんだった。お先に失礼するわね。」

そういってまた、そそくさと行ってしまった。

「今日はみんな忙しいのかな。」

私もとっとと学校を出ようと思ったが、美術室の中に人がいる気配がした。

窓枠を覗くと案の定中には人がいた。今日は部活は休みのはずだけど。

美術室のドアを開ける。いつもなら鍵がかかっているのに、今日はすんなりと開いた。

中にいる人間は予想できた。

「今日部活休みなんだけど。」

声をかけても反応はない。その代わり筆をおいて背伸びと一緒にあくびをした。

「無視しないでもらえますか~。」

ようやく彼は――神山心音(かみやま しおん)はこちらを向いた。

「君か、今日はサボりか?」

「今日は休みだって言ってるでしょ!」

神山心音——この頃話題の転校生にして、整った顔立ちから女子に人気の男子生徒。そして、数少ない美術部の部員の一人にして、私の席の隣のやつだ。ちなみに美術部員は彼と私の2人である。

「休みの日に勝手に開けて悪いか?鍵も後片付けも全部俺一人でやってる。」

「別に…。」

何も問題はない。でも、

「君もサボってないで、絵のでも練習したらどうだい。」

「だから、サボりじゃないって言ってるでしょ!」

こいつ、きらい!

自分勝手、正論ばっか、厳しいことばっか。整った顔から出てくる皮肉が余計に腹が立つ。

「どうせこれから、姫里さんと寄り道だろ。」

「そう、だからあんたと話してる暇なんてないの。」

「お前が話しかけたんだろ…。」

そんなの知らない。

「まあいい、お前がどうしようと関係ない。俺が次のコンクールで金賞をとるだけだ。」

「勝手にすれば。」

「さっきから勝手にするって言ってるだろ。」

「うるさい!」

強くドアを閉めた。廊下には不快で大きな音が鳴り響いた。


頭にはもやもやが残ったまま昇降口を出た。

ポケットに入ったスマホを取り出し、時刻を見る。思ったより時間は経ってはいなかったが、姫が私よりも先に出発していてもおかしくないぐらいではあった。

急いで出発しようとしたとき、名前を呼ばれた気がした。

「こ、衣川さ~ん…。」

弱々しい声のする方向に振り向くと一人の男子生徒——大空一生(おおぞらいっせい)が立っていた。

「は、ハンカチ落としましたよ。」

彼の手には私のハンカチがあった。スマホを取り出したときに落としたのか。

「ありがとう、確か同じクラスの大空くんだったよね?」

「うん。」

彼の首からは一眼レフが掛けられていた。

「あぁ、これ?僕、写真部に入っててさ、ちょうどここで撮ってたんだ。凄く綺麗でさ。」

昇降口の中から外を映せばちょうど夕日で映える写真が撮れるはずだ。

「私、写ってないよね?作品になるのは少し恥ずかしいかな…。」

風景画を描くとき、よく人が入るように描くが自分自身が入るのはムズ痒い気持ちだ。

「ごめん、わざと入れる構図で撮ってたんだ。すぐ消すね。」

だめだ。

「ちょっと待って!」

それに続く言葉は出ない。言葉だけが先に出てきていた。取り繕うように言葉を連ねる。

「見せ…て…ほしい…の、その写真。」

彼は驚くような顔をする。当たり前だ、さっきと真逆のことを言っている。

「僕のなんかでよければ。」

恥ずかしそうにカメラを渡してくれる。

映っていたのは、昇降口とそのドアから伸びた夕明かり、そして逆光で影絵になった私の後ろ姿だった。あまりにも美しい。美術館に置かれていてもおかしくないぐらい。

「きれい…。」

思えば口からもれていた。

「ありがとう、お世辞でもうれしいよ。」

「そんなことないよ、本当にすごく…なんていったらいいかな…すごいよ。」

語彙力の喪失。

「写真好きなの?」

「うん。お父さんが好きなのに影響を受けたのがきっかけで。」

しかし写真からは、そこらの写真好きとは全く違う、好きだからこそ極めているのが伝わってくる。

私はなんとなく、彼のそんなところを直感で感じ取ったから、写真を消すのを止めたのかもしれない。彼の写真に対する真摯な思いが。

根拠はないけど、そんな気がした。

大空くんを見ると、いい笑顔をしていた。写真部の部員も少ないって聞くし、写真の会話ができて嬉しいのだろう。

私以外の美術部の部員もこんなに純粋で無垢な笑顔をしていればいいものを。

「そういえば急ごうとしてなかった?」

あ。

「そうだった!ごめん、すぐいいかないと。」

そう言って私は走り始めたが、すぐに足を止め振り返った。

「ハンカチ、ありがとね!あ、あと写真も!」

彼も手を振って、「どういたしまして!あと、気をつけて!」と返してくれた。

彼の頬は少しだけ赤くなっていた。

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