第8章 【チンピラと死神とヤクザたち】

 アラームが鳴っている。

寝ぼけ眼を擦り、枕元に置いてあるであろうスマホを手探りで掴み画面を見ると『7月24日 金曜日 7:00』と表示されている。

 俺の命も後4日か……。それまでに何としてでも美咲ちゃんの遺体を見つけ出さねば。


 ……できるだろうか? 俺に。いや、やらなきゃなんねぇ。できなかったらそれこそに悔いが残ったまま、に行くことになっちまう。


 ……待てよ。この世に悔いが残ったら、俺は地縛霊になって、霊界には行けない事になるのか?

そもそも――、そもそもって何なんだ?

俺はどんなシチュエーションで死ぬんだ……?


 そんな事を考えているとすっかり眠気が覚めてしまった。

隣を見ると、みちるがスゥスゥと小さい寝息を立ててまだ眠っている。


 ……みちるに聞いても、死因や死ぬときのシチュエーションは教えてくれねぇだろうなぁ……。

彼女を質問攻めにして困らせるのは止めておこうか……。

でもやっぱ気になる……。

聞くべきか、聞かざるべきか……。


               *


1階の食堂で朝食を食べる。みちると向かい合って座り、アジの干物に醤油をかけると、俺の腹がグゥーと音を立てて鳴った。

 目の前で割った生卵に醤油をかけ箸でかき混ぜていたみちるが、手の動きを止め俺の顔を見て笑った。


「わりぃ、わりぃ。美味そうなんでつい、腹が鳴っちまった」


「ウフフ。大丈夫ですよ、美味しそうな朝ご飯ですもんね。ここの旅館は当たりですね!」


 アジの干物の焼き物、生卵、味付け海苔、納豆、厚焼き玉子、笹かまぼこ、大根おろし、きんぴらごぼう、たくあん、梅干し、水菜とレタスのサラダ、豆腐と油揚げの味噌汁……、その上ご飯はお替り自由と来てる。

これだけ充実した『朝ご飯』を食べるのは一体何年ぶりだろうか?


「小野寺さん、朝ご飯はその日一日の活力の源ですから、きちんと食べないとダメですよー」


みちるは俺にそう言うと、先ほどからかき混ぜていた生卵を熱々のご飯にかけ「いただきまーす!」と元気いっぱいに言って食べた。

ホント、死神と言われなければ、どこにでもいる天然ボケの可愛い子なんだけどな……。


「みちる、卵かけご飯美味いか?」


「はい! すっごく美味しいです!」


「じゃあ、俺の分の卵もやるから食えよ」


「え? いいんですかー? 小野寺さん優しいー!」


               *


 朝食を食べ終え、食後にセルフサービスのコーヒーを飲むために2人分をカップに注いでテーブルに戻る。

みちるは満面の笑みで腹をさすっている。とても満足そうだ。


「ほら、みちるの分もコーヒー淹れてきたぞ」


「ありがとうございます!」


 コーヒーをすすっている目の前のみちるに、思い切ってをぶつけてみた。


「あ、あのさ、俺の死因っつーか、死ぬときのシチュエーションって、どんなのか、みちる知ってるんだろ?」


 みちるはカップをテーブルに置くと、意外にも笑顔のまま俺の目を見つめた。


「なんですかー? 急に。いつかは聞かれるだろうなーって身構えてましたけど、小野寺さん、意外にもしてこないんですもん。

こっちも拍子抜けしちゃいましたよ。今聞くのかよ! って」


「お、教えてくれるのか? な、なぁ、俺の死因は? ど、どういうシチュエーションで死ぬんだ?」


「ちょ、ちょっと! 教えるなんて言ってませんよ! 顔、近いです! 第一、死神職務執行法 第3条1項で、死神は対象者に死因や死に至る過程、または死の状況を教えてはならない。 ……そう決められているんです。……イロイロ心の準備が必要だとか、そういう気持ちはわかりますけど、これは決まりですから教えられません」


 彼女はそう言うと、少しバツの悪そうな顔をして、俺から目線を逸らしテーブルの上のカップを手に取り、コーヒーを啜った。


「そうか……、そうだよな。やっぱりそういう事は教えられないよな」


 俺もテーブルの上のカップを手に取り、コーヒーを啜る。


「すいません」


コーヒーを飲み終えたみちるが申し訳なさそうに俺にそう言った。


「いいよ、気にすんな。みちるのせいじゃないし、それに楽しみは後に取っておいた方がいいからな」


そう言ったのは本心からだ。後4日、ここまで来たらだ。

今更どう足掻あがいたって、結末が変わるわけでもあるまい。

それよりも今は、今日の修羅場の事の方が大事だから……、どんな結末が来るかは後のお楽しみって事にしておこう。


               *


 部屋に戻って荷物をまとめ、俺とみちるの2人はそれぞれのキャリーケースを手にフロントで会計を済ませて、女将さんに挨拶をした。


「急に泊めていただいて、ありがとうございました」


「いえ、こちらこそ。大したおもてなしもできませんで」


「もしかしたら、また近内にお世話になるかもしれません。その時はよろしくお願いします」


「お部屋が空いてましたら、いつでもお待ちしておりますよ」


女将さんはそう言うと、笑顔で俺たちにお辞儀をした。

俺とみちるも、女将さんにお辞儀をして旅館を後にする。

旅館横の駐車場に止めた愛車のレガシィツーリングワゴンに荷物を積み込むと、エンジンをかけカーナビの目的地をにセットした。

宮城県……、仙台市……、青葉区……、スマホや手帳を見るまでも無く、組事務所の住所は番地までしっかりと覚えている。

近づくなと念を押されているからだ。


「目的地までは東北自動車道を経由して55.2km、所要時間は1時間1分です」


 スピーカーからはラジオの音声が自動的にミュートされ、カーナビの無機質な女性の声が仙台の組事務所までの距離と所要時間を伝える。

すぐにまた、ラジオの音声が元通りに聞こえてきた。


「……23日の日経平均株価は2万9914円33銭 前日の終値から6円76銭安 ニューヨーク株式市場は、ダウ 32,806ドル37セント 前日より19ドル58セント安

ナスダック 13311.01ポイント 前日より160.55ポイント下落、S&P500 3937……」


「小野寺さん、今度は株で稼ぐつもりですか?」


 みちるが不思議そうな顔をして俺を見つめている。


「え? あ、いや、そんなんじゃねぇよ。ちょっと考え事しちまってな……」


「ファイト!」


おもむろにみちるが歌い出した。どこかで聞いたことのある……あ! 中島みゆきの『ファイト』だ。


「やめろよ、照れ臭い……」


助手席のみちるはガッツポーズをして笑った。


「大丈夫ですよ、小野寺さんにはこの月夜みちるが付いています。可憐な外見とは裏腹に、なんとその正体は死神ですよ!」


「まだ見習いだろ」


「エヘヘ。まぁ、そうですけどね。でも見習いでも死神です。ほら、ジャケットの襟にしっかりと『死神バッジ』が付いているでしょ!」


彼女はそう言って誇らしげにジャケットの襟に付けられたブロンズのバッジを俺に見せつけた。


「そうだな、大船に乗った気持ちでいるよ。頼りにしてるぜ、死神様!」


「はい!」


ギアをDドライブに入れ、車を発進させる。

ラジオではいつしかニュースが終わり、椎名林檎の『丸の内サディスティック』が流れていた。


               *


「まもなく左方向、仙台宮城インターチェンジ 出口です。ETCレーンは左です。その先国道48号線、仙台西道路を直進です」


 無機質な女性の声でカーナビが仙台の街への到着を告げた。

1時間なんてあっという間だ。もう着いてしまったのか……。

紫色の下地に白い文字でETCと書かれたETCゲートをくぐる。すかさずスピーカーから女性の声で「料金は1,060円です」と通行料金が告げられた。

料金所を過ぎてそのまま国道48号線、自動車専用道路の通称『仙台西道路』に入ると、目前にトンネルが見えた。

高台の上にある宮城教育大学や、その近隣にある亀岡八幡宮の下を通る『青葉山トンネル』だ。


少ししてトンネルから出ると、不意にみちるが声を発した。


「あ! また、トンネルですかー」


助手席のみちるが、そうぼやいた。高速道路を走っているときは助手席で寝ていたはずなのに、いつの間にか起きていたようだ。


2つ目の川内トンネル入り口の上に掲げられた青い案内標識を見る。

左車線は松島、宮城県庁、右車線は仙台駅、仙台城址と書かれている。

俺はそのまま右車線を進む。2つ目のトンネルは短い。

トンネルから出ると俺たちの車は広瀬ひろせ川にかけられた橋を渡り、広瀬通りに出た。

ここは仙台市の中心部……。ここまで来れば組事務所まではあと少しだ。

全くこんな街の真ん中に事務所を構えやがって……。


助手席のみちるが不安げな表情で黙って俺を見つめている。

先ほどから一言も言葉を発していない俺の事を心配しているのだろう……。

 赤信号で止まったので、カーナビの画面を見ると画面左上には『10:15』と現在の時刻が表示されている。

俺はすかさずカーナビを操作して画面上の『ルート案内を中止する』のボタンをタッチした。


 信号が青になり、左折をして晩翠ばんすい通りに入る。あとは左折や右折を繰り返すたびに、道は狭くごちゃごちゃした路地に入り込んでいく――


「小野寺さん、ここら辺詳しいんですか? カーナビの案内も無しによくスイスイ進んで行けますね」


「何回か組事務所に行った事もあるし、それにうっかり近寄らないように場所はしっかりと覚えておかないといけないからな」


視線を逸らさずにみちるに返事をしたが、彼女が助手席でソワソワしている様子が伝わってくる。

程なくして俺は静かに車を路肩に停めた。


「着いた」


俺の言葉にみちるが車外をキョロキョロと見渡している。


「……ほら、あそこ。よく見ると監視カメラが数台ついてるビルがあるだろ」


 俺が顎でしゃくって指し示した先には4階建てのビルがある。一見してゴチャゴチャとした雑多な看板などが付いていないので地味で目立たないが、外壁に付けられた数台の監視カメラが、このビルがただの雑居ビルなどではないことを示している。

俺は一旦車を発進させビルの前を通り過ぎると、すぐ先にあるコインパーキングに車を停め、みちると2人歩いて再びビルの前にやって来た。

ビルの1階は黒く塗られた電動シャッターと、シャッターと同じ色で塗られた鉄製のドアがあり

ドアの右横にはスケッチブックよりも一回り小さいくらいで、黒の梨地なしじの上に金メッキが施された代紋だいもんと、その下には同様に金メッキが施された文字で『浅井総業あさいそうぎょう』と書かれた看板が掲げられている。


 俺は意を決して、看板の下にあるカメラ付きドアホンの呼び出しボタンを押そうとした――

不意を突いてドアが開くと、中からは一見してヤクザとは思えないような

まるでやり手のビジネスマンのような仕立ての良いスーツを着た男が現れた。

整髪料でカチッとオールバックに整えられた頭髪、ボタンダウンの薄いブルーのワイシャツに、目に鮮やかに映える赤を基調としたストライプの柄が入ったネクタイ、スーツはダークブルーだがモヘアが入った生地なのかシルクのような光沢を放っている。

男のかけている細身でシルバーのメタルフレームの眼鏡と、その奥にある鋭い眼光、それにスーツの襟に付けられた看板と同じ代紋のバッジが、この男が堅気かたぎではなく極道ごくどうの世界の住人であることを物語っていた。


「突っ立てないで早く入れ」


 男は静かにそう言うと自分はドアの外に出て、俺とみちるに対し中に入るように促した。

俺達がビルの中に入ると、男はすかさずドアを閉め鍵をかけた。

ビルの1階は大半が駐車場となっており、エントランスは狭く、階段とエレベーターがあるだけだった。


「こっちだ」


 男に言われるままにエレベーターに乗り込む。

それほど広くはないエレベーターの中で嫌な汗をかいたのも束の間、2階でエレベーターが停まり扉が開き、男が「お前はここで降りろ」とみちるを降ろした。

エレベーターの前にはいかにもチンピラ、下っ端のヤクザといった風貌の数人の男たちが、まるでみちるを値踏みするような目つきで見つめている。

みちるが俺の方に振り返り、不安げな表情で何か言おうとしている。

俺は一言「大丈夫だ。心配すんな」と彼女に言って微笑みかけた。

そんな俺たちのやり取りなど、何とも感じていない様子で、男がボタンを押して扉を閉じる。

 程なくして4階でエレベーターが停まると、俺は男と一緒にエレベーターを降り、廊下の一番奥にある部屋まで歩いて行った。

全体に彫刻が施された豪華な木製のドアを男が開け、無言で中に入るように俺に促す。

 部屋の中には一面に高価そうな絨毯が敷かれ、黒い革張りのソファと黒檀こくたんのようなつやのセンターテーブルの応接セット、そしてその奥にはテレビドラマで企業の重役の部屋にあるようなウォールナットでできた大きなデスクと、ブラウンに染められた革張りのマネージメントチェアがあった。

デスクの背後の壁には、豪快な筆文字で『敬天愛人けいてんあいじん』と右から横書きされた書が額に入れられ掲げられている。

西郷隆盛が好んで書にしたためたと言われる言葉だが、この書を西郷隆盛本人が書いたのかどうかは分からない。

そして書の上には外の看板、そしてここまで俺を案内してきた男が身に付けているバッジと同じ代紋が、黒地に金色の金属製レリーフとなって掲げられている。


「よぉ小野寺ぁ、おめぇ元気そうじゃねーか」


 デスクの横で立ったままゴルフのパターを持ち、1mほどのパターマットでゴルフボールをカップに入れる練習をしている男が俺の方を向かずにそうつぶやいた。

この男こそが仙台市に拠点を持つ暴力団 浅井総業の3代目組長 平沢一彦ひらさわかずひこだ。

平沢は上等そうなグレーの生地のマオカラーのスーツに身を包み、変わらずパターゴルフをしている。


 俺が何を言っていいのか躊躇ちゅうちょしていると、近づいてきた男に突然下腹部を殴られた。


「ゴホッ」


 俺は思わずそう言って、その場に前かがみになって倒れた。

そんな俺の髪の毛を掴んで引っ張ったのは浅井総業の若頭わかがしらにして、平沢組長の幼馴染みの後長久文ごちょうひさふみだ。


「てめぇ、どのツラ下げて事務所に来やがった? しかも女連れたぁ、俺達をナメてんのか?」


 決して大きな声ではないが、ドスの効いた声で後長が俺にそう問いかける。


「す……、すいません」


 俺はそう言うのが精いっぱいだった。


「まぁ、後長。一応小野寺の話を聞いてやろうじゃねぇか」


 ようやくパターゴルフをめた平沢が「おい」と言って若い組員にクラブを手渡すと、応接セットのソファに腰を掛けて煙草をくわえた。

すかさず組員が歩み寄り、平沢がくわえた煙草に火をつける。

平沢の隣のソファに腰を掛けた後長が、俺を対面のソファに座るように促した。

俺はまだ痛む腹を押さえながら、ヨロヨロと情けなく2人の対面のソファに腰を掛ける。


 平沢と後長、この2人は仙台出身のお笑いコンビに似ているが、俺はこの2人が笑っているのを見た事が無い。

もし、この2人にくだんのお笑い芸人に似ているなどと言ったら、きっと俺は殺されるに違いない。


 黙りこくっている俺にしびれを切らしたのか、平沢が口を開いた。


「小野寺……、お前、組事務所には近づくなって、何度も言ったよな?」


「はい……。すいません」


俺はそう答えながらも、全身にじっとりと汗をかくのを感じていた。


「はいじゃねぇぞ! クソガキが! てめぇ、この、どうつけるつもりだ?」


後長がドスの効いた声で俺を怒鳴りつける。


「あ、あの……、エンコ詰めるのだけは勘弁してください」


俺の発言を聞いた平沢が煙草を灰皿に置き、俺の目を見た。


「なあ小野寺よ、親子のさかずきも交わしてない半グレのお前がエンコを詰めた所で、一体何の価値がある? んん?」


 平沢はそう言って立ち上がると、壁際のサイドボードの方に歩み寄った。

ウォルナットで出来たサイドボードの上には、大きな象牙の置物や、鞘に収められ、刀掛けに掛けられた日本刀などが置いてある。

サイドボードの上の壁には学校の武道場にあるような、名前が書かれた木の名札が掲げてあり、パッと見たところ数十人分の名札が掛けられている。

そのうちいくつかの名札は名前が赤い字で書かれていた。

これは現在服役中などで娑婆シャバに居ないことを示している。


 いずれにしても世間一般の会社の事務所には存在しない、ヤクザの組事務所ならではの代物ばかりだ。


 平沢はサイドボードの上の日本刀を手に取ると鞘から刀を抜き、そのギラギラと怪しく光る刀身を見つめている。

平沢は振り返ると、日本刀を持ったまま、まっすぐ俺の方に進んできた。

これはヤバイ! そう感じた通り、俺の喉元に剣先が突き付けられた。


「俺はな、ナメられるのが嫌いだ。特にお前みたいな半グレのガキにナメられるのはな。お前も仙台で半グレなんぞやってたら、それくらいの事は良く知ってるよな?」


 静かで落ち着いた口調で俺にそう語り掛ける平沢の瞳は、奥に怒りを秘めているように感じた。


「ま、ま、ま……、待ってください! お、お願いが、どうしても親分にお願いしたいことがあって来ました。き、緊急なんです!」


「半グレのお前の願いを聞く義理なんざ、こっちにゃねーんだよ!」


 後長が俺を怒鳴りつける。


「お、俺はあと4日で死ぬんです! 俺と一緒に来た女は人間じゃありません! 死神です! お願いです! 人生最後のお願いを……、どうか、どうか聞いてください!」


 一瞬にして笑いが起きた。部屋にいる組員がゲラゲラと声を出して笑っている。

俺をここまで案内した男が平沢に向かって話しかける。


「親父! こいつ、シャブでもやってんじゃないですか? 連れてきた女も一緒にっちまいましょう。ラリったヤツなんて早々に切らないと、こっちまで危なくなりますよ」


平沢の返事が無い。

平沢と後長、2人を見るとすっかり顔が青ざめて、目が泳いでいる。

――これは……。この2人は霊感があるのか? だから、死神が実在することを知っているのでは……。


平沢に進言をした男がいぶかし気な表情をして彼の顔を覗き込む。


「親父……? どうしました?」


我に返った平沢が慌てた様子で口を開いた。


「え? あぁ、こ、コイツは馬鹿だよなぁ。ま、まあでもこんなヤツは……、あ、アレだ。い、飯田の兄弟の所にでも追いやってよ、根性叩き直したらいいんじゃねぇか。殺すまでもね……、ねぇよ」


「え? ……あの、九州の飯田のオジキの所ですか?」


男が平沢にそう聞き返す。釈然としない……まるでそう顔に書いてあるようだ。


「あ、あぁ、そうだな。こんな奴は仙台……いや、東北に置いておけねぇ。き……、九州にでも追いやっちまえ」


後長がしどろもどろになって、男にそう言った。


 その直後、廊下から誰かが走ってくる音が聞こえたと思ったら、勢いよく部屋のドアが開いた。

見ると、先ほど2階のエレベーターの前で見かけた如何にも下っ端と言った風情の組員が、青ざめた表情で息を切らしている。


「た、大変です! お、お、お、女が! 小野寺と一緒に来た女が、し、し、し……死神に変身しました!」


 再び一瞬にして笑いが起こった。ただ、先ほどと同じく、平沢と後長の2人は青ざめた表情のまま、クスリともしていない。


「おめぇもシャブでもやってラリってんのか? 小野寺の女からシャブでも貰ったか?」


 組員の1人がそう言って、部屋に駆け込んできた下っ端の組員に平手打ちをした。

平手打ちを食らわせられた若い組員は叩かれた頬を右手で押さえながら「ほ……本当です」と青ざめた顔で一言つぶやいた。


 次の瞬間、突如としてドアのすぐ外に身の丈2mはあろうかと思われる人影が現れた。

そこに立っていた人物はボロボロの黒いローブを身に纏い、頭部に被ったフードの中には骸骨がある。

頭蓋骨の眼窩がんかは引きずり込まれそうな漆黒の闇に覆われているが、その奥には小さいがとても強力な光が宿っていて、更には怪しくギラつく大きな鎌を手に持っている。

これはまさしく『死神』……。そう、俺が初めてみちると出会った時に見せつけられた姿だ。

 死神の姿を目の当たりにした組員たちは皆、一様に絶句し、驚いた表情をしたまま、凍り付くようにその場に固まっている。


 ボトッと音がしたので振り向くと、平沢が手に持っていた日本刀を床に落として恐怖におののいた表情をしている。

後長に至ってはソファの背もたれいっぱいに上体をのけぞらせ、大きく目を見開いたまま小刻みに身体を震わせている。


 死神はそのまま部屋の中に入ろうとして、ドアの上枠に頭をぶつけた。

ゴツンという鈍い音と共に「あっ、痛ッ!!」というみちるの声が聞こえた。

まったく、ここ一番という時にドジなヤツだ……。

おでこを押さえてしゃがみこんだ死神は、そのまま徐々に小さくなっていき、骨に肉が付き、ボロボロの黒いローブはリクルートスーツに変わっていった。

見慣れたいつもの月夜みちるがそこには居た。

呆気にとられた組員たちをよそに、俺はおでこを押さえてしゃがみこんでいる彼女の元に駆け寄った。


「大丈夫か、みちる? 助けに来てくれたんだな」


「痛ててて……、小野寺さん大丈夫でしたか?」


みちるはおでこを押さえたまま、目に涙を貯めて顔を起こし俺の方を見つめた。


「あ! お、小野寺さん! 喉元から血が出てますよ!」


 みちるにそう指摘され、喉元を触るとヌルリとした生暖かい感触がして、触った手を見ると確かに血が付いている。

先ほど平沢に日本刀を突き付けられた時に切れたのだろう。ほんの少し触れただけなのに日本刀の切れ味というものは凄いもんだ。


「あぁ、大した事はねぇよ。……それより、みちるの方こそ大丈夫か? 結構大きな音がしたぞ。 どれ、見せてみろ」


そう言って、額を押さえている彼女の手をどけ、代わりに俺の手で優しく撫でる。


「うひゃ! だ、だ、大丈夫です……」


そう言ってみちるは顔を赤らめた。


「お、俺達は何も、……お前らをどうこうしようなんて、か、考えてねぇからな!」


俺の背後で平沢が震えた声でそう叫んだ。

みちるが立ち上がり、ゆっくりと平沢の方に歩み寄っていく。

彼女は平沢の目の前で立ち止まると、再び大きくなっていった。同時に着ているリクルートスーツが徐々に黒いボロボロのローブに変わっていく。


「私たちは組長さんにお願いがあってここに来ました」


そう話す声色はまるで地の底から響き渡ってくるような、おぞましいものだった。


「わ、わ、わ、分かった。な、な、何でも聞くから命だけは助けてくれ!」


平沢が情けない声で死神に変身したみちるにそう言った。後長もソファに座ったまま、無言で首を縦にウンウンと必死に振っている。

すぐさま元の姿に戻ったみちるが俺の方に振り向くと、笑顔で口を開いた。


「私はこれから組長さんとお話がありますから、小野寺さんは下の部屋で傷の手当てをしてもらってください」


「あぁ、分かった。……助けに来てくれてありがとうな、みちる」


俺がそう言うと、みちるはウンウンと頷いて見せた。そして直ぐに険しい表情に変わり、組員たちに向かって語り掛けた。


「組長さんと、そこのソファに座っている偉い人以外の皆さんは席を外してくださいね。私はこのお二人と大事な話がありますので」


組員たちはみちるにそう言われ、我先にと部屋から出て行った。

俺もみちるに促されるままに部屋を出る。


 2階の部屋は4階から追いやられた組員と、元々2階に居た下っ端の組員達とで、ちょっとしたパーティー会場のような人混みとなっていた。

俺は組員に手当てしてもらった喉元の絆創膏ばんそうこうをさすりながら、みちるが上手い事、平沢や後長と話を付けているのか、ぼんやりと考えていた。

4階の部屋を出てから、もうそろそろ30分が経とうとした時、2階の部屋のドアが開き、笑顔のみちるが姿を見せた。彼女の背後には浮かない顔をした平沢と後長の2人が見える。


「さあ小野寺さん、組長さんと話しが付きましたんで、出かけましょう!」


俺はみちるに向かって頷いて、立ち上がった。

先ほど情けない姿を見せた平沢が、ここで挽回せんとばかりに組員たちに

向け威張った態度で語り掛けた。


「お前ら、俺と後長はこの死神のお嬢ちゃんと出かけてくるから、ここで俺の指示を待つんだぞ」


「はい!」


組員一同がピッタリと息の合った返事をする。心なしか組員たちの表情が明るくなったような気がした。


               *


 俺とみちる、それに平沢と後長、4人で組事務所のビルを出ると100mほど先に、先ほどまでは居なかった白いトヨタ マークXが路肩に停まっている。車内には運転席と助手席にそれぞれ人が乗っていて、こちらの様子を伺っているようだ。

これは警察の捜査車両ではないか。もしや振り込め詐欺の捜査の手がここまで及んできたとは……。

ヤクザの組長と若頭、それに振り込め詐欺の番頭である俺が一緒に居るところをバッチリと押さえられたのだ。これは言い逃れが出来ない……。

平沢と後長の方を見ると、2人は顔を強張こわばらせている。


「おいおい、また死神か何かの類かぁ? 勘弁してくれよ」


平沢がそうつぶやく。

また死神? ……死神なら、みちるがここに居る。しかし『また』とは……?

あのマークXに乗っている2人の事を言っているのか?

俺はマークXに近づきながら乗っている2人を凝視した。……あれは! みちるの両親の真二郎さんと美紀さんではないか!

粗方、みちるの事が心配で張り込み中の刑事の真似でもしているといったところなのだろう。

 2人に気付いたみちるがマークXに駆け寄っていき、こちらに聞こえるような声で2人に話しかけた。


「もう! お父さんもお母さんも親バカ丸出しで娘の仕事を見に来るのは止めてよ。恥ずかしいじゃない!」


みちるが恥ずかしそうに両親に抗議しているのを見て、残された3人は一斉に笑った。


「なんだよ、ありゃ死神のお嬢ちゃんの両親か。子供が心配なのは人間も死神も変わらねぇんだな」


そう言った平沢の声には先ほどまでのような殺気は全く感じられなくなっていた。


みちるがこちらに小走りで戻ってくると、息を切らせながら口を開いた。


「ハァハァ、す、すいません。ウチの両親がいきなり。お、お恥ずかしい所を見せてしまって」


「なに、いいってことよ。心配してくれるなんてありがたい事じゃぁねぇか。お嬢ちゃん、立派な死神になるんだぞ」


平沢が掛けた言葉に、みちるが恥ずかしそうに頭を下げた。

マークXが発進してこちらに向かってきた。俺たちは乗っている2人に頭を下げた。

真二郎さんと美紀さんが笑顔で俺達に手を振り、そのまま走り去っていく。

俺達4人はコインパーキングに停めてある俺の愛車に乗り込んだ。


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