第252話ようこそ、ディジェル領へ4

「……やるな、あの王女。フォーロイトの名は伊達では無いという事か」

「やるな、というかやりすぎな気もするがな。一体どこの誰があの少女を出来損ないなどと謗ったんだ。あれで出来損ないなら人類の大半は出来損ないどころの問題ではなくなるぞ」


 腕を組み、手合わせを見物していた黒狼騎士団団長バルロッサがボソリと呟くと、隣で同じように手合わせを見ていた蒼鷲騎士団団長ムリアンが物憂げにため息をひとつ。

 常にディジェル領にいる彼等でさえも、『出来損ないの野蛮王女』の噂は耳にした事があるらしい。


「今の一撃、モルスの攻撃はどう考えても入っていた。だが直撃寸前で王女が魔法で作り上げた剣を出し、完璧にいなしたようだな」

「俺達でさえ見慣れるまで時間を要したモルスの攻撃を、外部の人間が初見で見切ったとはな……信じられない話だが、相手はあのフォーロイトだ。どうも納得出来てしまう」

「ああ。あの王女には恐らく──モルスの動きが見えている。あの王女は……一体誰からあのような剣を学んだと言うのか」


 バルロッサの鋭い眼光の先には現在進行形で剣を交えるモルスとアミレスの姿があった。

 同じディジェル領の民と言えども対応する事が難しい、モルスの卓越した剣技とその俊敏さに初見で対応するドレスを着た少女。それはもう異質極まりない光景だった。

 こんなにもアミレスが評価されているのだから、恐らく今もどこかから見守っている彼女の師匠は満足している事だろう。『私が育てました』と鼻につくしたり顔でピースを作っているやもしれない。


(紅の団長さんの癖は分かった。だから次は──……右っ!)


 ドレスを翻して躱す。最早すんでのところでギリギリいなすとかそういう次元ではなく、アミレスは冷静な観察の末にモルスの癖を見抜き、攻撃の予測に成功した。


「ッ!!」

(──完全に読まれた!?)


 当然、モルスはこれに動揺する。だがあのアミレスがこれだけで終わる筈がなかった。


水鉄砲ウォーターガン!」


 まるでダンスを踊るかの如く華麗に躱しながら、残りの二人目掛けて水鉄砲ウォーターガンを連射した。

 突然の事に避ける事も出来ず、団員のカコンは太ももを綺麗に貫かれてしまった。しかしそこで勢いは止まず、アミレスの放った水の銃弾は闘技場の壁を少しばかり抉って気化する。

 もう一人、副団長のザオラースはというと。何とか初撃を剣で防いだはいいが、その後ろに隠れるように放たれていた追撃に右肩を撃たれた。

 ディジェル領の民は強靭な肉体を持ち、そして自然治癒力が高い事で有名だった。故にアミレスはそこそこ大怪我を負わせても問題は無いと、いつも以上に水鉄砲ウォーターガンの威力を上げて彼等を撃ち抜いた。

 当初の目的通り、相手の戦力を削っておく為に。


「まさか、私の攻撃を避けた上で残りの二人を先に倒すとは……お見逸れしました、王女殿下」

「モルス卿との一騎打ちを邪魔されたくなかったので……と言ったら怒りますか?」

「……ふっ。まさかそんな。そのような光栄極まりない事を言われて、怒る騎士など存在しませんよ」


 両者、不敵に笑う。その後の対決はまさに手に汗握る戦いだった。

 十分程経った頃。モルスの猛攻に対応していた為か、アミレスの体力が限界に近くなり、水の剣を維持し続けていた事もあって彼女は非常に疲れていた。しかしモルスは多少息が荒くなっているものの、まだまだ戦える。

 誰の目から見てもモルスに軍配が上がっているこの状況。しかしそんな中でアミレスは水の剣を消し、ドレスのポケットから二つの短剣ナイフを取り出した。


「ふぅー……短剣コレはちょっと専門外なので、変な所に刺したりしても許して下さいね」

「専門外の武器…………私の長剣ロングソードの一撃を、そんな短剣ナイフで防げるのですか?」

「はは。頑張ってみますね」


 相変わらずにこやかな二人。ここまで来るといっそ恐怖すら感じる。


(もう体力は限界だし、一撃で終わらせるしかないかなぁ、これ。……丁度いいし、あれでも試してみるか)


 ふぅ、と一息ついて、アミレスは残りの魔力の半分近くを放出した。その上で、近頃エンヴィーより教わったある奥義を試す事とした。


(師匠が『まぁ姫さんなら出来ると思いますよ。やらない方がいいですけど』って言ってたしやり方は聞いたから、多分出来るでしょ)


 何と、アミレスはその場で瞳を閉じた。短剣ナイフを両手に構えてはいるものの、その場から一歩も動かずに集中している。

 モルスはピタリと体を止めて、一体何が起こるんだとその様子を見守る。流石に目を閉じている少女に攻撃するのは騎士道精神に反するようだ。


「我が身はうつろの水なれば」


 ピチャン、と。美しい水面に水滴が落ちたような、そんな静けさだった。

 静けさの中、幻影のように姿がぐにゃりと歪む少女が小さく呟いた瞬間。


「なっ……!?」


 少女の姿が、完全に消えた。


(消えただと? 一体どこに、どうやって……?!)


 モルスは当然、この戦いを見物する観客達も一斉に疑問の声を上げる。


「とぉりゃぁっ!」

「ぐ、ぁ……ッ?!」


 ほんの一度、時計の長針が時を刻んだ頃。何も無い空中から溶け出すかのようにアミレスはモルスの背後に姿を現し、二つの短剣ナイフでその背中を斬った。

 モルスの大きな背中には豪快な傷が二つ。なけなしの体力を振り絞って勢いよく体を回転させ、彼女の持てる力全てを費やした一撃だった。

 それを受けモルスは地に伏せる。体の半分がまだ不透明で不定形なアミレスは、肩で息をしながらモルスに言葉を投げかけた。


「──この勝負、わたくしの勝ちでよろしいかしら?」

「──はは……参った。まさかこうもあっさりと負けてしまうとは。私もまだまだだな」


 負けたというのに、モルスの表情は清々しいものだった。

 この言葉を皮切りに観客席からは大歓声が湧き上がる。氷の血筋フォーロイトの少女と紅獅子騎士団団長の戦いとは、それ程に観客達の心をわし掴むものであったという事だ。


「すみません、力加減を間違えて思い切り斬ってしまいました。立てますか?」

「すまない、手を借りさせてもらおう……っと、え? 握れない……?」

「あ、やべっ」

「やべ??」

「あはは〜……お気になさらず。ちょ〜っと待ってて下さいね〜〜!」


 モルスが恥ずかしそうにアミレスの手を借りようとするも、まるで水をすくい上げるかのようにその手はどろりと溶けて握る事は出来なかった。


(ええとこれどうやって解除するんだっけな、え〜っと、そうだ! 確か──)

「我が身はうつつの人なれば!」


 独りでにそう宣言すると、放出され辺りを漂っていたアミレスの魔力が再び彼女の元に収束し、器に水を注いだかのように、不透明で不定形だった彼女の半身が元通りの人間らしい肉体に戻る。


(よしよし、これで元通り!)


 ふぅ、と肩を撫で下ろすアミレスをモルスはぽかんとしながら眺めていた。

 その視線に気づき、彼女は「すみませんもう大丈夫です!」と慌てた様子でモルスに手を貸した。

 手を貸すと言っても、アミレスは体力のほとんどを使い果たした状態。なので実質モルスが自力で立ち上がったようなものだ。アミレスの補助はもはや形だけである。


「あの、背中……大丈夫ですか?」

「これぐらい魔獣や魔物の討伐では当たり前ですから問題ありませんよ。寧ろ、折角の王女殿下より与えられた傷が、後二週間もすれば治ってしまうのが惜しいぐらいですとも」

「あら。お上手ですね。そうやっていつも女性を虜にしてるんですか?」

「虜? 何の事です?」

(うっそでしょ、これ天然ものなの……? うちのシャルといい勝負してるわね)


 爽やかな笑顔でサラリととんでもない言葉を吐く天然っぷりに、アミレスは恐れ慄いた。

 その後治療に向かうと告げたモルスと別れ、疲労困憊でイリオーデ達の元に戻ったアミレスは「勝ったよー」と片手でピースを作っていた。


「お疲れ様です、主君。とても素晴らしい戦いでした。ワタシも、いっそう身が入るというものです」

「そっか、次はルティなのね。想像以上に強かったからきっと楽しめると思うよ。無理はしないよう頑張って来てね」

「はっ、主君の活躍に恥じぬ戦いをして参ります」


 アルベルトは侍女服を翻し、アミレスとすれ違うように闘技場に向かっていった。その背を見送るアミレスに、イリオーデが手に持っていた木製水筒を「お飲み下さい」と手渡す。

 ありがとうとそれを受け取り、アミレスは並々と入っていたお気に入りの果実水で喉を潤した。

 ちなみにこの水筒、この長旅の為だけにわざわざシャンパー商会に頼んで作ってもらった試作品であり、まだ保温保冷機能はないものの飲み物を入れる容器としての役割は十分に果たせている。

 実はこれ、アミレスの勝負が終わった際にアルベルトからイリオーデに『これ、主君に渡しておいて』と頼まれていたものなのだ。

 アルベルトは次にすぐ勝負があるので、自分で渡している暇がないと、仕方無くイリオーデに任せたらしい。


「お疲れの所、このような疑問をぶつけるのもいかがなものかと思いますが……よろしいでしょうか?」

「どうしたの急に?」


 水筒の蓋を閉じながら、アミレスはイリオーデを見上げた。

 まるで夜空を丁寧に描き上げたようなその瞳を見つめ、イリオーデはゆっくりと口を開く。


「……先程の、最後の魔法。あれは一体……何だったのかと気になってしまって」


 それは誰もが抱く疑問だった。あの時アミレスは完全に姿を消し、突然姿を現した。その間、アミレスの気配や魔力というものが全く感じられなかったのだ。

 正確にはそれ自体は感じられたものの……まるで辺り一面に浸透するかのごとく、四方八方から彼女の気配を感じられた。

 その為、姿を消したアミレスがどこにいるか、特定不可能だったのである。


「ああ、あれね? どう説明したらいいのかしら……私自身の肉体を魔力で水に変えて、辺りに放出した魔力に染み込ませたの」

「……成程?」


 イリオーデの頭をもってしても、少し難解だったようだ。


「えーと……私自身の肉体を強く記憶しておいて、一度全身を魔力で塗り替えるの。魔力で作った体に置き換える感じかな。その上で、前もって私の魔力を辺りに放出しておく事により、魔力で作った肉体を世界そのものに浸透させる事が出来て……まあその、つまり、あの水の剣みたいに自分の体を水で作ったって事よ」


 諦めた。説明が難しかったのか、アミレスは説明する事を途中で放棄した。


(私だってよく分からないままこの魔法を使ったんだから、仕方無いよね)


 何とも虚しい自己弁護である。

 そもそも何故よく分からないまま未知の魔法を使えるのか。その度胸は一体どこから?


(師匠曰く、私の記憶力と、魔力との親和性が成せる技らしいけど……それ以上の事はあんまりよく聞いてなかったのよね。仕事忙しくて)


 アミレスは苦笑いと共に肩を窄める。決して笑い事ではない。


「……この頭が馬鹿であるが故に、王女殿下のお言葉を理解する事が出来ず恥じ入る思いです。王女殿下が精霊のように御自身の体を自然と同化させ、一時的に我々に視認出来ぬように成られたという事は分かったのですが…………」

「いやもう九割理解出来てるわよそれ」


 申し訳なさそうに口を切ったものの、イリオーデは何故か概要を理解していた。これには思わずアミレスもツッコんだ模様。

 二人がこうして話す間にも、アルベルトVS蒼鷲騎士団の戦いは盛り上がりを見せていた──……なんて事はなく、ほとんどアルベルトの独壇場となっていた。

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