第97話緑の竜7

「アミレス王女殿下! 無事に戻られたようで本当に良かった…!」

「多大なるご迷惑をおかけした事、ここに深くお詫び申し上げますわ。オセロマイト王」


 ここは謁見の間ではなくあの時の貴賓室。とんでもない精神的負荷を負いながらも私はこの件の報告の為、オセロマイト王の元を尋ねた。

 念の為にとミカリアにも共に来てもらった。呼んでないけど皆も着いてきた。どうやら、少しでも目を離すと何しでかすか分からないから私から目を離したくないらしい。

 オセロマイト王は私の帰還を喜んでくれた。そして私の謝罪にも「貴女様がこうして無事にお戻り下さった事が何よりだ」と返して来た。

 そして草死病そうしびょうの話…の前に、まずはミカリアからオセロマイト王に話があるとかで、一旦場を譲ってあげる事にした。


「この度は我が国教会の大司教が大変失礼な対応をしてしまった事、聖人ミカリア・ディア・ラ・セイレーンの名において謝罪します」

「良いのだ、確かに大司教殿の言い分も確かであった……」


 しかめっ面のオセロマイト王と瞳を伏せ謝罪するミカリア。口では仕方ないと言いつつも、やはりオセロマイト王も悔しい思いをしていたのだろう。


「彼の者は教義に反して救いの手を差し伸べなかった。彼の者が要請を受けた時点でこちらに来ていたならば、被害はもっと抑えられた可能性もあります。ですのでやはりこれは国教会の責任です」

「…それでも聖人殿が来てくださった事もあり、我が国は救われた。これ以上はもう何も言えまい」


 …ああそうか、ミカリアは部下の尻拭いに来たのか。だからこうしてオセロマイト王に頭を下げている。

 その事もあってオセロマイト王も困惑しているようだけど。そりゃあ相手は聖人だもんね、無理もないわ。

 そうやって私がボーッと物思いに耽っている間に二人の話し合いは終わったらしく、最後に固い握手をしていた。

 次は私の番ね。とオセロマイト王にニコリ微笑みかける。これは圧をかけているのである──今からちょっとやらかすけど見逃してくれよな、という旨の圧だ。


「……大丈夫よ、ナトラ。あなたは私が守るから」

「…お前が我を?」


 不思議そうに眉を顰め小首を傾げるナトラの頭を撫でる。さっきまでナトラに気づく余裕のなかった皆が徐々にその存在を疑い始めていた。誰あいつ? みたいにヒソヒソ話しながらナトラを見ている。


「──ではちょっと失礼。満ち満ちよ、深海結界しんかいけっかい


 露骨に笑顔を浮かべ、ちょっとお洒落に指パッチンをする。私の指パッチンを起点にまるで波紋が広がるかのように魔力の波がこの部屋に行き渡り、やがて満ちる。

 この空間は擬似的な深海……外界からの音も何もかもを通さぬ密室となったのだ。この屋内限定の結界魔法、深海結界しんかいけっかいの効果でね。

 私が予備動作無しに結界を張った事にオセロマイト王は驚愕したようだったが、すぐにこれの理由を察し、真剣な面持ちをこちらに向けて来る。


「…部外者に聞かれる訳にはいかぬ話、と言う事か」

「えぇ。この情報を共有するのは最小限にとどめたくて」

「良い、話してみたまえ」


 オセロマイト王を初めとした皆の視線が私に集まる。

 私にはナトラをここに連れて来た責任があり、ナトラを守る義務がある。だからこそこの注目のど真ん中で、私は簡潔に話す事に決めた。


「結論から申しますわ。草死病そうしびょうは──病ではなく呪いです。それもただの呪いではなく、竜種の撒いた呪いなのです」

「──っ!?」


 オセロマイト王の表情が愕然としたものに移り変わる。更に、これを聞いてる皆も似たような表情をしている。

 まぁそりゃあ私もこれ聞いた時めちゃくちゃ驚いたもん、分かるよその気持ち。顎外れそうなぐらい驚くよね。


「この事を事前に話せず申し訳なく思います。しかし、あれが竜の呪いと分かれば呪われていた者はその場で即死してもおかしくないようなもの…呪いは自覚したら最後らしいので。なので誰にも話せなかったのです」

「ま、待ってくれ。では何故アミレス王女殿下は何ともなかったのだ?」


 悪魔からの受け売りを口にしていると、オセロマイト王が突然待ったをかけてきた。

 その疑問について私は自分の中で出していた仮説をもって答えた。


「私、毒と呪いが全く効かないみたいなんですよ。後多分…感染症などの病の類も。何だかそういう体質みたいで……まぁ、なので、どれだけこの国で動き回っても呪われる心配の無い私が原因を何とかする必要がありまして。それで一人でその原因の竜の所に行ってたのですよ、今朝」


 私の発言にオセロマイト王は茫然自失。ミカリアを含めたほぼ全員が開いた口が塞がらない状態に陥っている。


「で、その原因となっていた竜がこちらのナトラです。とっても可愛い子なので安心して下さい」

「我は偉大なる緑の竜、ナトラ。アミレスは我の恩人じゃ。アミレスの言う事だけは聞くつもりでおるからして…せいぜいこやつに媚びへつらうがよい、人間共」

「との事ですので安心して下さい」


 ナトラを抱き寄せ、皆に紹介する。ナトラは八歳〜九歳ぐらいの容姿だけれど…本当に軽いし可愛いなぁ。

 害はないよ! 安心して! とアピールするも、皆はざわつきながらナトラを見るだけだった。

 その空気を感じ、ナトラが意を決したように口を開く。


「………我の放った呪いの種の所為でこの美しい国が滅びかけたと聞いた。故意ではなかったと言えど、我の所為である事には変わりない。その恨みも憎しみも、甘んじて受け入れてやるのじゃ」


 ナトラがオセロマイト王に語りかけると、それに王はピクリと反応した。オセロマイト王はやるせない表情でナトラを見つめた。

 長い、とても長い一分だった。その後オセロマイト王が深く息を吐き、口を切った。


「…余達はつい先程まで草死病そうしびょうを未知の病としていた。だからこそ、突然呪いだの竜だの言われても実感も湧かぬ……故に、聞かなかった事にする・・・・・・・・・・・。余は…草死病そうしびょうの原因をアミレス王女殿下が排してくれた事しか知らぬ」

「オセロマイト王……」

「その少女が何者だろうと、我々の預かり知らぬ所よな」


 オセロマイト王はそう言い切った。これはきっと彼にとっても苦しい選択であっただろうに…こんな風に配慮して貰えるだなんて。

 もしもの時は私の手首足首で手打ちにしてくれって言うつもりだったのに、オセロマイト王がとても寛容な人で良かった。


「この国はとても綺麗じゃ。我も…白の姉上も赤の兄上も青の兄上も認めた美しき自然の国じゃ。確かな不幸だったのじゃろう、我がこうして話す権利もないような悲劇だったのじゃろう。だがそれだけ──緑の竜に侵される程に美しき国だったのだと誇れ。我から言えるのは、これだけじゃ」


 複雑な感情に表情を歪めていたオセロマイト王に向け、ナトラは雄弁に語った。

 その言葉にオセロマイト王が俯いた時ナトラが私の服を引っ張って、


「アミレス、また魔力を分けてくれぬか」


 と小声で頼んで来た。何をするつもりなんだろうと思いつつ、私は残る魔力の半分近くをナトラに分けてあげた。

 私の魔力を受け取ったナトラは、祈るように両手を合わせた。程なくしてその手元から黄金の輝きが溢れ出す。


「…黄金の種。幸福を齎す願いの樹。運命を知らせる花。死者を弔い生者を慈しむ実。富を生み育む根。いつか聞いた事があるじゃろう──伝説と呼ばれる世界樹の種。それを、お前にやろう」


 誰もが目を見張る中、ナトラは黄金に輝く一粒の大きな種をオセロマイト王に渡した。

 それは古くから伝わる御伽噺にある伝説の種。それをまさか目の当たりにする日が来るなんて。


「この程度では人間達の苦しみや憎しみの償いにもならぬ」

「…………いや。過分だ、こんなもの受け取る訳には…」

「それを受け取ってくれねば我は困るのじゃが」

「……世界樹なんて代物、我々が育てられる筈もありますまい」

「自然豊かなこの国であればすぐに育つじゃろう」


 オセロマイト王とナトラによる言葉のやり取りは、伝説の種の出現により更なる混迷を極めた。

 結局はオセロマイト王が押し切られ、伝説の種を受け取る事で話は落ち着いた。少しでもオセロマイト王とナトラの間のわだかまりがなくなったらいいのだけれど……と思案していた時。

 ミカリアがスっと手を挙げ、


「姫君にお聞きしたいのですが…何故姫君はこれが竜の呪いである事と竜の居場所を知っていたのですか? 姫君が単独行動を始めたのはほんの数日前……たったの数日で解決出来る問題ではありません。姫君は最初から全て分かった上で動いていたのでしょうか」


 と疑問を口にした。ミカリア相手に隠してもどうせ無駄だろうなと思い、私はこくりと頷いた。


「なんと言えばいいのか分かりませんが…天啓のようなものがありまして。私一人が頑張るだけで大勢が救えるのならば、それが最善かと思い」

「…万が一の場合はどうするおつもりだったのでしょうか」

「勿論簡単に死ぬつもりなんてありませんよ? やれる限りの事をしてそれでも無理だったら、道連れにでもして敵を殺してやりますね。死なば諸共ってやつです」


 夢の中で悪魔から聞いたとか言えないので適当に天啓という事にしておいた。

 その後、私の死なば諸共発言が気に食わなかったらしい人達に追及されたりして………質問責めと説教責めを受けて更に精神的に疲れた私は、急遽話を切り上げ、「今日は疲れたのでもう休ませていただきますわ!!」と結界を解除してあの空間から脱兎のごとく逃げ出した。

 そして城内ですれ違う全ての人に拝まれながら私に用意されていた部屋に行き、はしたなくもベッドにダイブした。疲れていたのは事実だし、今回ばかりは逃げ出した事も許して欲しい。

 ベッドでゴロゴロしていると、瞼が重くなって来て…気がつけば私は……食事も忘れ、数日ぶりにゆっくりと眠りについた。



♢♢



 ──星暦七百八十三年。四月二十五日。半年程前よりオセロマイト王国を襲っていた未知の伝染病『草死病そうしびょう』が完全に撲滅される。

 人々はこれを撲滅した立役者たる少女を賞賛し、聖女と崇めるようになった。

 氷結の聖女。後に帝国の王女という呼称をもじり救国の王女と呼ばれる僅か十二歳の少女。

 彼女のその言動の全てが多くの人間の歯車を狂わせ、多くの人間の世界を変えた事を、彼女はまだ知らない。


「………お帰り、おねぇちゃん」


 真夜中。まるで時が止まったかのような静けさの中、少年はアミレスの銀色の髪に触れ、愛おしそうに口付けを落とした。

 騎士も、聖職者も、竜も、精霊さえも欺き、少年はここに立つ。

 天使のような愛らしい外見に不似合いな、悪魔のごとき不敵な笑みを纏って。


「本当に飽きないなぁ…君は」


 ……──訂正しよう。彼女は人間の歯車だけではなく、人ならざる者達の歯車も狂わせたと。

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