第169話 【本編・完結】




 あの結婚式から四十年という歳月が流れた。

 十八歳で異世界にやってきた私は五十八となり、そんな私は今、死の床についている。

 理由は病気。パパ方のお婆ちゃんの最後と同じような状態だから、日本の国民病とも言われているやつだろうなと自己診断した。

 あれからこの世界は目覚ましい発展を遂げた。けれど四十年では向こうの世界にはまだまだ追いついてはいなくて、大陸中の優秀なお医者さん達が私を治そうと懸命な努力をしてくれたのだけれど、勿論、治す事は出来なかった。

 身体中の酷い痛みに耐えられなかった私は、痛みだけでも緩和してくれるようお願いをした。

 彼らはかなり渋っていたけれど、私の側に居て、沈黙を続けていた陛下が「やってくれ」とポツリと言った。

 意識はある。けれど、何処かフワフワとしてもいる。

 今、私が居るのは陛下の部屋の寝台だった。此処まで悪くなる前に部屋を変えると何度も言ったのだけれど、陛下は頑として首を縦に振らなかった。

 陛下の部屋には今、私の瘦せ細った手を握る陛下と、寝台の端に大人しく在るウオちゃんしか居ない。

 お医者さんも、陛下と私の子供達も、親しい人達も、皆が皆、遠慮して退室していった。

 誰か一人でも他の人が居れば、私の手をずっと握り続ける六十七歳の皇帝陛下が泣けないのを皆が分かっていたからだ。

 彼は今、子供のように泣いている。

 出会った時からずっと綺麗に澄んでいた紫の瞳を持つ目を真っ赤に濁らせていた。

 陛下の嗚咽も此処にきて初めて聞いた。

 そして年老いて尚、皇帝としての威厳と美貌の一切を失わない陛下が私の枕辺で語り出したのは、私が異世界に来てから彼と結婚するまでにあった事の全貌だった。

 語り終わった後、陛下は彼自身の人生も終焉へと近づいてきた今この時であっても、それらの事を成したのに一片の悔いも無いと言い切った。

 けれどただ一点だけ。元の世界への帰還手段を絶った、その事だけは懺悔しているような色を帯びながらの告白で、だからといって、もし過去に戻る事があったとしても同じ事をするだろうとも言った。私だけは失えない。嫌われても、恨まれても、私という存在は自分の命よりも大切であり、側に居たい、決して離れたくはないのだと。

 過去の出来事の全貌を語った後も、陛下は私の手を握りながら泣き続けている。

 そして、骨と皮だけになってしまった私の胸元にそっと顔を埋めて「お前は余よりも若いのに、何故、先に逝こうとする。置いていかないでくれないか。海、お願いだ、余を一人にしないでくれ」と酷く憔悴しながらに言うのだ。

 力の入らない痩せ細った自由な方の重く感じる手で、私は頑張って胸元にある白いものが混じる黄金の髪を触った。

 本当は頭を撫でてあげたかったのだけれど、今の私には此れが精一杯だった。

 私の為に弱々しく泣き続ける私の可愛い陛下に、もうあまり上手く動かなそうな声帯を最後の力を振り絞って震わせる事にする。

 ちゃんと言えるといい。上手く伝わるといい。そう願いを込めて。


「ねね、陛下。私ってばね、陛下と出会ってからの四十年間、とっても楽しかったよ? 確かに元の世界には戻れなかったし、それでもって、その原因が陛下だったのを知って驚いたけどさ。でも、陛下と恋愛して、結婚して、いっぱいエッチもしたよね? 子供もたくさん出来てさ。私に陛下を恨む気持ちは全く無いからね? 帰還か残留かって選択肢が与えられたとしても、私は残留を絶対に選ぶもん。陛下とずっと一緒に居たいし。私ね、どうしても陛下を残して先に逝っちゃうけど、その代わりさ、陛下があの世に来るまでに、陛下が命を奪った人達にいっぱい謝っておくね。だから安心して、あの世に来てね。ちゃんと与えられた寿命を全うしなきゃ駄目だよ? 陛下、私ってばね、ずっとずっと陛下の事が大好きだよ。すんごく愛してる、マティ―――」


 ちゃんと陛下に伝わったかなぁ、と思いながら、これが生のある私の最後の記憶だった。








 トリエスが王国から帝国になって、陛下が国王から皇帝になって。

 同タイミングで行われた陛下と私の婚姻を境に、帝国は益々の隆盛を極めた。

 元々が引きこもり属性で、警備の問題があって陛下も嫌がった事も有り、全くという訳では無かったけれど、私は皇妃となってからの殆どを皇城の外に出ること無く過ごした。

 それもあって私には全く実感が無かったのだけれど、帝国は過去に類を見ない巨大国家となっていったようだ。大陸の三分の二と多くの島々が帝国領土となったらしい。また、新大陸も発見されたようで、海軍の増強を図り、陸から海に転身して、男の夢だロマンだと元気良く出動していった騎士さん達も居た。お蔭で帝国は新大陸にも領土を獲得、強い影響力を持ったのだとか。その辺りの詳しい事は敢えて聞かなかった。現代日本出身の私にはきっと、聞くに堪えない事が多そうだったからだ。口は挟まなかった。そう心掛けた。この世界の先に進んでいる世界から私が来たのを、私自身が強く認識していたからだ。

 まあ、それであっても、私の意図しない無自覚な失言で陛下を動かしてしまって、宰相で在り続けたルドルフさんと遠征組筆頭のラードルフさんからは時折お小言を貰っていたのだけれど。

 死後の事は本来なら誰も知る事は出来ないと思う。けれど、陛下と私は神獣であるウオちゃんのお蔭で、あの世に行ってもある程度だけれどその後を知る事が出来た。

 帝国の礎を盤石に築き繁栄へと導いた陛下は、比類なき賢帝として後世まで称えられたらしく、私はそれを献身的に支えた皇帝に深く愛された皇妃として、数多の物語となり、帝国の繁栄と共に後世に長く語り継がれたようだった。

 私が死んでから一年後と思っていたよりも随分と早くにウオちゃんと共にやってきた陛下と、ウオちゃんに用意してもらった空間と可愛らしい家で、永い時を喧嘩しながらも面白楽しく、そしてあの世だからなのか、出会った時の姿のまま、二人でほんわかとした感じで過ごした。

 陛下は皇帝としては出来なかった事を、あの世に来てから意思疎通が可能になったウオちゃんに用意してもらって色々とやっていた。

 それは農業だったり、釣りだったり、研究だったり、開発だったりといった事だ。成果を上げたところで、あの世だから何の役にも名声にも勿論繋がらなかったけれど、陛下の探求心は大層満たされたようだった。

 私はその傍らで、トリエス皇城の陛下の部屋でのようにのんびりダラダラと過ごして、暇に感じたら、何らかの作業中の陛下にちょっかいをかけたりしていた。なんだか私達はあの世でもたくさんエッチをしていて、死んでいても出来るんだねぇ、なんて言ってウオちゃんを呆れさせた。

 陛下と私は気が向いた時に下界を覗いた。

 下界は、一体平和は何処にいったの状態な時が多かったけれど、陛下が、時代が流れるというのはこういう事だと静かに語った。

 時が過ぎ、陛下が築いた大トリエス帝国に危機が訪れた。陛下が言うには、無能で愚鈍な皇帝が数代に亘って続いたのと、取り巻く情勢が重なったのが原因なのだとか。このままでは私達の子孫であるトリエス皇室と帝国は消滅する、その段階になってようやく優秀な者が皇帝に就いた。彼は非常に上手く立ち回った。結果、帝国は多くのものを失いはしたけれど、向こうの世界でいう日本の皇室や英国の王室のような立ち位置に収まる事が出来た。トリエスという国は残った。私達の子孫も存続を許された。それを黙ってあの世から覗いていた陛下は「良くやった」と頑張った子孫の皇帝に言った。彼の最大の誉め言葉なのだと思う。

 このように時折二人で下界を覗いて、語り継がれる自分達の数多の物語の存在を知った時、陛下と私は爆笑してしまった。だってね? 語り継がれる物語は、とても美しくて綺麗で素敵でロマンチックだったけれど、実際の陛下と私は喧嘩をよくする夫婦だった。まあ大抵は陛下の方が私の行動言動に怒っていたのだけれど。でも、それでさえも今は良い思い出のひとつだ。

 陛下と私がこのウオちゃんの用意してくれたあの世の箱庭にいつまで居られるのかは分からない。永遠ではないと思う。消滅するのか、輪廻転生をするのか、それは神のみぞ知るという事なのだと思うけれど、残された箱庭での時間を陛下と共に大切に過ごしていきたい。

 私達は恋愛をして、いっぱい愛し合った。可愛い子供達にもたくさん恵まれて、愛しいと心から思える存在に囲まれながら人生を全う出来た。周囲の人達にも恵まれて、私達は楽しい日々を過ごせた。凄く感謝している。私の人生は素晴らしいものだった。とても幸福だった。

 陛下と出会えて良かった。陛下を愛し愛されて本当に幸せだった。

 そう思うでしょう?




 ね、陛下――――――。








【 陛下と私・本編END 】



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この後、電子書籍の方では、

・終幕 陛下の死(本編総括)

・後日談 金色のおじさん(日本側の設定・伏線回収)

と続きます。


という事で、『Web版・陛下と私』は此処で本編完結となります。

前半から後半まで、なにかと幅広い耐性が必要だったかと思いますが、それでも此の長い物語をラストまでお付き合い下さり、本当にどうもありがとうございました!(感謝


この物語をラストまでご覧になり、面白かった、という感想を抱いて下さるようでしたら、宜しければ、★等の評価を頂ければ幸いです。

続きを書くことを再開し、『陛下と私』にかかりきりだった此の二年間が報われるような気がします。笑


この後、来週あたりに、本編後の小話を二本投稿予定ですので、あともう少しだけお付き合い下さると幸いです。


ではまた数日後に!


桂木翠



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