第113話





 練兵場から陛下と一緒に彼の部屋に戻ってリーザ達と合流すると、私は陛下の指示で外出前に入浴をする事となった。

 まあ、強制的に運動をさせられていて汗だくだくだったし、言われなくてもお風呂には入りたかったけれどね?

 指示をするだけして陛下は一度執務室に戻っていったから、私はリーザ達に促されるままに、直ぐに陛下専用の浴場へと向かった。

 本当ならいつもと同様に、仲良くリーザを始めとする皆でお風呂に入りたかったのだけれど、今回は時間も無いという事で、一人寂しく裸になって湯の中に入る。

 浴場内にはリーザや妖精二人、そして此処に着いてから合流したアニが控えていた。


「あれ、今日は、ローラとロッテは此処に居ないの?」

「はい。今回は急ぎのご入浴ですので」


 そう言ってリーザは美しい微笑みを浮かべ、妖精二人とアニは私の首元を、忌々しい珍獣の首輪を見つめていた。

 なぜ急ぎだとローラとロッテが居ないのか私にはサッパリ理由は分からなかったけれど、とりあえず彼女達の視線の先にある首輪について解説する事にする。


「これね、さっき、陛下に付けられたの。珍獣の首輪なんだって。固くて壊せないし、陛下が持っている鍵が無ければ外せもしないらしいよ」


 そこまで説明して、あまりの遣る瀬無さに息をつくと、私は近くに置いてあった石鹸を手に取った。

 そして、直接、石鹸をガシガシと擦りつけて首輪を洗う。

 削れた石鹸が輪と宝石の接続部分に入り込もうがどうしようが私は一切気にしない。

 当然だよね!

 するとそれを見ていたアニが、目を見開いて両手を口元に当てた。


「ち、珍獣様っ」

「なに? アニ」

「それを、そのようにお洗いになるのは……」

「え? ああ、いいのいいの! 汗だくだくの時に付けられて気持ち悪いから一応洗ってるだけで、私ってばもう早く腐り落ちてくれないかなとか思っている憎っくき首輪だから!」


 大きい青い石が某鈴を連想させて、本気で腹立たしいしね!


「あ、そうだ! こんな首輪は激しくどうでもよくて、私、アニに聞きたい事があったんだ!」

「なんでしょう?」

「練兵場で騎士さん達を見て思ってたんだけど、普段は動きやすい服装なんだよね? 略式の軍服っていうか」

「そうですね、礼装となると装飾も多く各段に派手になりますし、動き難くなるかと思います」


 羨ましい大きさの胸を揺らしながらアニが私に近づき、石鹸の削りカスが付着しまくりの首輪に、物凄く丁重な様子で湯をかけ出した。

 どうやら、かなり気になるようだ。


「トリエスの軍服の礼装って、私、見てみたいなぁ。かっこいい感じ?」

「どうでしょう。私個人の見解を述べて良いのであれば、派手なだけで洗練さに欠けるように感じます」


 そう言って、アニは眉を寄せる。

 彼女の手は引き続き首輪に付いた石鹸カスを丁寧に落としていた。


「おおおぅ、そうなの?」

「はい」

「軍服とか制服ってさ、かっこいいのが、やっぱりいいよねぇ」

「私には何とも……」


 アニが苦笑いを浮かべる。

 それはそうだ。いち針子さんや侍女さんが、一国の軍服について、どうこう出来るとは到底思えない。

 そしてそれは私にも言える訳で。


「私とアニでさ、ちょっといい感じに変更しちゃったりしたいけど、やっぱり難しいよねぇ」

「そうですね……。昔からの伝統というものもございますし」


 首輪を引き続き一生懸命洗うアニに、リーザが柔らかそうなタオルを手渡した。


「珍獣様が陛下にお願いをすれば、もしかしたら可能かもしれません」

「え、そうかな? リーザはそう思うの?」

「はい。きっと珍獣様であれば。お話ししてみる価値はあるかと存じます。それに陛下は、伝統を重んじるより、変革を好まれる方でもありますし」

「そうなんだぁ。じゃあ、とりあえず今度、駄目元で話してみようかなぁ。あくまで私個人の趣味でしか無いんだけど、悪の帝国の邪悪で残虐で邪道な軍隊っぽいの好きなんだよねぇ。軍靴の音が聞こえると震えが来ちゃうような!」


 きゃっ、最高!

 想像しただけでゾクゾクきちゃうよ!

 勿論、参考元は、私の愛のバイブル『愛と絶望の黒薔薇魔帝国物語』だよ!

 悪な軍服のパーシヴァル様、めっちゃめちゃカッコよかったんだよね!

 サラサラの長い銀髪に、動脈を切って噴き出した血のような真紅の瞳が、ナイスなデザインの軍服に凄く良く似合っていたの!

 私のハートを鷲掴みで、本当にもうキュンキュンだったんだよ!


「悪の帝国、でございますか?」


 リーザが首を傾げ、アニが眉を下げる。


「うん! 大トリエス魔帝国って感じの! 陛下は勿論、目指せ、魔皇帝な方向で! 軍服のオプション、えっと付属品に鞭と眼帯を付けてもいいかも! 陛下の残虐、嗜虐性を視覚でもハッキリと分らせる為に!」

「鞭と眼帯……」

「うんうん! アニ、陛下の許可が下りたら、一緒に頑張ろうね!」


 そんな話題を繰り広げていた楽しい入浴は、陛下との外食の時間が迫ってきた為に、そこでお開きとなった。








 入浴を済ませ、リーザ達に首輪が隠れる庶民な服装に着替えさせてもらって。

 執務室から戻ってきた陛下も簡素なシャツと地味なスラックス姿になって、用意されていた質素で素朴な馬車に二人で乗り込んだ。

 城門を出て、貴族の居住エリアを暫し走り、庶民のエリアへと差し掛かる辺りで馬車は止まる。

 陛下の補助を受けながら降りると、外は薄暗くなってきていて、にも拘らず、街は人々によって賑やかな様相を呈していた。


「暗くなってきたのに、結構、人が歩いてますね」

「ヴィネヴァルデ、この王都の名称だが、治安は周辺諸国に比べて格段に良いからな。この時間帯であれば、まだ人の往来が盛んでも別段おかしくはない」


 そう説明をしながら、陛下は私の手を取り、庶民エリアに向かって歩き出す。

 街は予想通り、向こうの世界の多少の時代を遡った西洋な雰囲気で、私にとっては海外旅行に来たみたいだった。


「まだ距離はあるのだが、向こうにはお前の大好きな屋台もあるし、具体的にどの建物なのかは把握していないが、この付近に店舗予定の建物があるはずだ」

「店舗予定?」

「ああ。下着屋を開くのだろう?」

「おおおおおおおっ、もしかしなくても『い・ち・ご』の事ですか?!」

「そうだ。指示は出していたから、裏で人が色々と動いていてな? 建物は抑えたから、あとは小娘の希望に沿って、アニやイェルク達を中心に進んでいくだろう」

「やややややっ、すんごい感激です! 頑張ってアニ達と商品を開発していきますね!」

「そうだな。余が投資する分くらいの回収は目指してもらおうか。まあそれは良いとして、店舗予定の建物だが、先代のドリーセン侯爵の愛妾宅を以前に接収したものでな。質も状態も良いとの報告を受けているから安心していい」

「ドリーセン侯爵?」

「ああ。侯爵家といえど以前に色々あって、このままだと没落まっしぐらな家でな? 先代も当代も無能で、今、次代希望者が結果を出そうと頑張っているところだ」

「へぇー…、なんか大変ですね?」

「そうだな」

「あのあの、私ってば、お店の建物、早く見てみたいです!」

「後日に行けば良いのでは? アニやイェルク達と一緒に見た方が話も早いだろうし」

「そうですね! 陛下、ありがとうございますね!」


 進む計画に私はウッキウキな気分になって、繋がれている手をぶんぶんと揺らした。


「そういえば、陛下、」

「なんだ」

「さっき、お風呂の時間に話していた事を思い出しました! あのね、トリエスの国軍の軍服、私とアニでカッコよく変えちゃってもいいですか?」


 まあ駄目元で聞いているんですけど、と続けながら、身長の都合で陛下の顔を下から覗き込むと、綺麗な紫の瞳が此方へと向いた。


「軍服?」

「はい。私ってば、礼装とか色々な種類があるであろう実物を直接見てはいないんですけど、聞くところによると改良の余地はあるっぽいんですよね。どうですか? やっぱり駄目かなぁ」

「現状より良くなるのであれば別に構わない。まあ、最低限、抑えて欲しいものはあると思うから、そこは担当の者にでも聞いてくれ」

「え、いいんですか? そんなにあっさり許可しちゃって」

「そう言っている。何に対してもそうだが、後生大事に古臭いもの全てをそのまま維持し続けていても仕方ないからな。守るべきところは守り、抑えるべきところは抑えつつも、改良できるところは進んで改良をしていかないと何も始まらない。そうは思わないか?」


 古臭い思考に凝り固まった国々がトリエス周辺には多いんだ、と続けて、陛下は進行方向へと視線を戻した。


「そうですかぁ。他の国の事を聞く度に思うんですけど、なんか陛下、周辺の国々と物凄く仲が悪そうですよね」


 そんな私の言葉に陛下は鼻で嗤うと、何かを思い出した様子で再び口を開いた。


「そうだ、小娘、上着は脱ぐな」

「え? はい、分かりました? ―――ていうかさ、私、さっきから薄々感じていた事があるんですけどね?」

「なんだ」

「陛下、目立ってますけど」

「…………」

「庶民な少年仕様の私も人種的に目立っているみたいですけど、そんな私とは比較にならないくらい陛下の方が目立ってますよね? 気づいていると思いますけど、ずっと通行人に見られ続けてますよね?」

「……………………」

「で、陛下は何を目指してその恰好に?」

「商家の下働きだ」

「え」

「…………」

「あのあの、それ、本気で言ってます?」

「……………………ああ」

「無理あり過ぎ! 陛下ってば自分のキラキラ度を自覚してますか? どう頑張っても、高位貴族の箱入り御坊ちゃま三男坊まででしょう?!」

「…………っ」

「それに私ってば、今ちょっと思っちゃったんですけどね?」

「…………なんだ」

「私、トリエスに来てから紫色の瞳の人を陛下しか知らないんですけど、もしかして、ううん、もしかしなくても、紫色の瞳は凄くすごーく珍しい色で、異世界日本の小説や漫画にありがち設定の『王族の色』とかだったりしないんですかね? そこのところどうなんですか、陛下」

「…………」

「………………」

「………………」

「あれあれあれ、図星なんですかね?」

「…………珍しい色ではある」

「陛下が知っている範囲で、勿論、今現在、生きている人でですね、他に紫色の瞳の人は?」

「……いない」

「馬鹿ですか!」

「仕方ないだろう! 瞳の色は変えられん! それに、そもそもお前が厨房を使いものにならなくしたのではないか!」

「おおおぅ、そこにいきますか」

「もういいだろう、この話は」


 些か強引な話題転換と打ち切りに私がちょっぴり驚くと、陛下はプイッとした感じで足を早め出した。

 その間に空はますます仄暗くなっていき、それとは対称的に各建物から漏れる明かりが強くなっていく。

 歩いている道に色々な食べ物の匂いが漂ってくる。

 そんな状況に、意図せず私のオナカは、くぅ、と鳴った。


「で、陛下、どこのお店に行くんですか? 私ってば、凄くオナカが空きました」

「……そうだな」

「…………」

「…………」

「あれ? 下調べは?」

「……忘れた」

「陛下ってさぁ、この世の反則的記憶力保持能力者で大天才なのに、ふっとしたところで抜けてますよね。陛下的には、どうでもいいと思っている方面なんでしょうけど。まあ、いいんですけどね?」

「………………」


 そんな会話をしながら、陛下と私は夜に向かっていく王都の中を、迷子防止の手繋ぎをし続けながらポテポテと歩いた。








 どのような店に入りたい、と聞いてくれたので、「ここは定番のド庶民な飲み屋さんで。王侯貴族風はお城でオナカ一杯です」と答えた私の希望を採用してくれた陛下は、庶民の繁華街エリアへと進路を定めた。

 それなりに距離があるとの事で、私は街の景色をキョロキョロと観察しながら歩き続ける。

 暗くなってきたからか、街灯っぽいものに明かりを灯す作業をしている人達がチラホラと目についた。


「陛下、あれ、何に火を付けているんですか?」


 街灯っぽいものを指し示し、私は陛下に疑問を投げる。

 彼はチラリと其方に視線を遣ると、特に興味が無さそうに答えてくれた。


「固形燃料だ。一晩で燃え尽きる量の。その素材が何かというのは説明が面倒だから聞いてくれるな」

「おおぅ……まあ、聞いたところで私ってば分からないと思いますけどね?」

「だろう?」

「あ、第一屋台発見! あれあれ、でも、もう片付けてますね」


 それなりに歩いて、お店が並ぶ通りが見えてきて。

 目指すは屋台エリアではないと思うから、数多くは見えてはこないけれど、建物に構える店の合間を縫うようにポツリとある屋台。

 何を売っていたのかは暗くなってきているのでよく見えないけれど、食べ物屋さんではなさそうだ。


「もう夜だからな。この時間帯に出歩く客層と売っている物と、照明の燃料費などの採算を考えて閉めるのだろう」

「ですよねー。でもでも、ちょっと覗いてみたかった!」

「それはまた後日だな」


 そう言って、陛下は私の視線の先を屋台から外すような仕草をして、建物内に構えている店へと注意を引く。

 目を向けた先には店が多く立ち並び、各々の窓からは煌々とした明かりが漏れ、様々な料理の匂いが私の鼻とオナカを刺激する。

 人々の楽しそうな笑い声、叫び声、言い争う声に歌い声。

 お城には無い決して上品とは言えない喧噪が其処にはあって。

 異世界に来て初のそんな光景に、若干の懐かしさと、わくわく感が沸いてくる。

 私は陛下の手をギュッと握りしめながら、自分の目が輝いていくのが分かった。


「見えてきたが、何処に入る」


 店から漏れる明かりに黄金の髪を赤く煌めかせている陛下の紫の瞳が、並ぶ店をザッと走る。

 各々の店には看板と、一部の店にはお勧めメニューが書かれたチョークボードのようなものが店先に置かれていた。

 とりあえず私は、それらに目を通しながら歩いてみる。

 トリエス語が読めるのって最高!

 異世界便利翻訳機能は本当に助かるよね!


「うーん、何処がいいかなぁ。陛下は希望とかあります?」

「いや、特に無い。小娘が入ってみたい店でいい」

「そうですか? えー、悩む! 私ってば、よくよく考えなくてもトリエスの料理名を知らないから、メニュー……えっと、献立? 御品書き? 読んでもサッパリかも!」

「……そうか」

「あっ! 陛下、陛下!」

「決まったか?」

「はい! あのお店がいいかも!」

「どれだ?」

「あそこ、あそこ! あのピンク、桃色の看板のお店です!」


 そう言って私は、大きさこそ周囲と変わらないけれど、ひと際、賑やかそうなお店を指し示す。


「愛の巣窟ニーナちゃんの店?」


 陛下が訝しそうな声音で店名が書かれた看板を読んだ。

 彼の足もピタリと止まる。


「陛下?」

「大丈夫なのか? 店の名前が明らかにおかしくないか」

「え? 何処がおかしいんですか? 大丈夫ですよ、きっと。パッと見た感じ普通の飲み屋さんじゃないですか」

「…………」

「なになに―――」


 足を止めた陛下をグイグイ引っ張って店の前まで辿り着いた私は、出入口の脇に置かれていたボードに目を向けた。


「―――愛の巣窟ニーナちゃんの店にようこそ! ニーナちゃんの愛の巣窟には美味しいお酒と料理がいっぱいあるよ! 本日のお勧め料理は直接ニーナちゃんに聞いてね? 愛の力をギュンギュンに詰めて給仕しちゃうぞ! ―――だって、陛下! なんか楽しそう!」

「―――他の店に、」

「しませんよ! さささっ、ちゃっちゃと入りましょう、へ・い・か! メイドカフェみたいだったら私的に大喜びですけど、どうみても普通の飲み屋さんですよねぇ。お料理、美味しかったらいいな!」


 物凄く気の進まなそうな陛下を強引に引っ張ったり、背を押したりして、私たちは愛の巣窟ニーナちゃんの店に入った。



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