第121話.依依の策



「ひゃあっ」


 深玉があられもない悲鳴を上げる。申し訳なさそうに涼が言う。


「下に馬を繋いであります。そこに着くまでの間だけ、我慢してくださいね」


 そのまま抱きかかえていくつもりらしい。

 重い――といっては深玉に叱られるだろうが、豪奢な衣をまとった女人ひとりだ。そう軽いはずがない。


 しかし涼は口を真一文字に引き結んで、牛鳥豚が導く険しい山道を下っていく。

 深玉に負担がないよう、なるべく揺らさないように気をつけてもいる。宇静に鍛えられたのは、何も牛鳥豚だけではないのだ。同期の立派な姿を依依は見送る。


(それにしても円淑妃、どうしたのかしら)


 遠目に見ても、深玉の頬が真っ赤になっている。あわあわと狼狽えて、両手を彷徨わせてと忙しない彼女に、涼が「しっかり掴まってくださいね」と声をかけていた。


(援軍に安心して、熱が出ちゃったとか?)


 ようやく味方に会えて、気が抜けたのかもしれない。


「愉快な同僚だな、依依」

「はぁ……」


 飛傑が笑いながら話しかけてくる。明らかにおもしろがっている。

 しかし飛傑はすぐに笑みを消すと、依依のことをじっと見つめてきた。


「怪我の具合はどうだ」

「これくらいなら、動くのに支障はありません」


 依依は軽く左腕を回そうとするが、その腕に飛傑が触れる。


「無理に動かすな。包帯に血がにじんでいる」

「大した怪我じゃありませんってば。というか陛下、早く彼らについていってください」


 牛鳥豚が振り返ってこちらを見ている。

 しかし飛傑は彼らに向かって、軽く首を振ってみせた。


「そのつもりはない」

「えっ」

「皇帝陛下、どういうことです?」


 割って入ってきたのは宇静だった。

 厳しい顔つきの将軍と依依を見つめて、飛傑が言う。


「余は、ここに残ると言っている」


 飛傑はきっぱりと断言する。誰に説得されたところで意見を翻すつもりはないと、その声色が告げていた。

 依依はその理由に思い当たる。


「黒布たちが、灼家の人間だから……ですか?」


 忠臣であった灼家が、今回の襲撃に関わっている逆賊だとするなら――皇帝である飛傑は危険を犯してでも、その手で断罪するつもりなのだ。だから彼は、この場を動こうとしない。


(それなら私は黒布を倒して、それから純花を守らないと)


 何も知らないだろう純花には、累が及ばぬように依依が守る。

 もしも一族郎党皆殺し、なんて事態になったなら、純花を連れて後宮から逃げるのだ。


(二人で外国に渡るっていうのも、いいのかもしれないわ)


 一度は辺境に戻り、若晴に都での出来事を報告すると約束した。その約束を果たすのは難しくなるが、殺されそうだった依依を連れて逃げてくれた若晴ならば、きっと分かってくれるはずだ。

 依依の小さな頭の中では、今後考えられる様々な方策が、走馬灯のような速度で流れていた。


 しかしそんな依依の思考を、飛傑はあっさりとぶった切る。


「そなた……たまに難しい顔をしていると思ったら、そんなつまらないことに悩んでいたのか」

「…………はい?」


 どう考えても、つまらないことではない。依依にとっても純花にとっても、とてつもなく重要なことである。

 しかし飛傑は訂正しない。なんだか困ったような顔つきで依依を見ているだけだ。宇静まで、なぜか同情するような表情を浮かべている。


「悪いことをしたな。だがそなたと二人きりで話す機会が、ちっとも巡ってこないものだから」


 後半は、なぜか責めるような調子である。しかし別にそれは依依のせいではない気がする。


「えっと、どういうことです?」

「つまりだな……」


 混乱する依依に、飛傑は短い言葉で推測を語ってみせた。


 ――その結果、依依はちょっと怒りたくなった。


(もう、さっさと教えておいてよ!)


 どれだけ依依がもやもやしたと思っているのだろう。

 飛傑の言った通り、二人で話すのが難しかったのだから、情報共有できなかったのも致し方ないが。


「問題は、どうやって奴らを一網打尽にするか、だが……」


 飛傑の呟きを聞きとがめて、依依は一本指を立てる。


「そういうことなら、私に考えがあります。罠を仕掛けましょう」


 敵の正体について、飛傑や宇静も確証が得られているわけではない。ならば、それを得るために確実な手段がある。


(やられてばっかりは、性に合わないしね)


「罠? どうするつもりだ?」


 飛傑に問われた依依は、にやりと笑ってみせる。


「ここまで、純花に来てもらうんですよ!」



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