第28話:シャルロットとレオン殿下7(レオン殿下視点)
――レオン殿下視点――
夜も遅くなり、多くの人が寝静まる頃。ようやく国王代理の仕事を終えると、コンコンッと部屋がノックされた。
扉からヒョコッと顔を覗かせたのはグレースだった。
「何の用だ」
「ダーリンが私のことを考えてるかなーと思って」
甘ったるい声を出すグレースは、満面の笑みを浮かべて部屋に入ってくる。ゆったりと穏やかな雰囲気があるものの、必要以上に目がギラギラとしていた。
たった一目見るだけで、彼女の目的がわかる。城内を歩き回るには恥ずかしくないのかと思うほど、薄着なのだ。
「ウォルトン家が提示した条件は、婚約だったはず。毎晩来る必要はないと思うんだが」
「またまた~、そんなこと言っちゃってー。本当は私のことが気になるんでしょう?」
自意識過剰だと言ってやりたいところだが、俺はいま、ウォルトン家の手の上で飼いならされているような状態だった。
城内を歩けば嫌な視線を感じるし、抵抗できないのをいいことに、何度も誘惑されている。
みだらな言葉を使ったり、色気のある仕草を見せつけてきたり、体を寄せてきたり。本来の俺なら嫌悪感を抱くのだが、心が正常に働かない。なぜかそれが恋愛感情に変換されて、愛しく思えてしまっていた。
グレースに優しく触れられる度、瞬間的に欲望が膨れ上がって、自分が自分ではなくなるのだから。
「私なら、ぜ~んぶ受け入れてあげるよ。早く堕ちればいいのに」
俺の心の変化を手に取るように理解するグレースを見れば、何かされていることくらいは容易に想像がついた。
グレースとの距離が近いほど、不要な感情が生まれてくる。ベタベタとくっつかれたら、何かに八つ当たりしないと自我が保てなかった。
人の心を操る毒が存在するのだろうか。変な魔法をかけられていれば、城内の誰かが気づいてくれるはずなのだが。
「お前みたいな淫乱聖女には触れたくもない」
「強がっちゃってー。私と愛し合いたくないの?」
上目遣いで顔を覗いてくるグレースに、俺の胸がドクンッと高鳴る。
グレースの言う通り、彼女に身をゆだねれば楽になるだろう。しかし、こんなおかしな感情に振り回されれば、己を失ってしまう。
正確には……、もう失いかけていた。
好きと嫌いという感情がゴチャゴチャになり、過去と現在の気持ちが繋がらない。いったい誰を信じて、誰を疑えばいいのか、もうわからなくなっていた。
たった一人、昔から愛し続けている人を除いては。
「もしかして、ただの政略婚約だったくせに淡い期待を抱いているの? あんな堅物女に片想いでもしてたんだー」
本当に政略結婚であったなら、俺の心は遠の昔に折れていただろう。グレースへの
でも、彼女を裏切りたくはなかった。
ローズレイ家とは思えないほど優しく、本当は誰よりも繊細な彼女と共に、これからの未来を作っていきたい。ガーベラの花にあんな手紙を添えた以上、今では俺の片想いかもしれないが、諦めたくはなかった。
シャルロットと初めて出逢ったのは、まだ小さかった時のこと。この国で唯一の王位継承者という言葉の意味を理解でなかった俺は、ずっと苦しんでいた。
どんな大柄な人であろうと堂々した態度を取ることを強制され、決して対等に接してはならない。王になるべき人として、普通に過ごすことは許されなかった。
当然、それは周りも同じこと。貴族や平民など関係なく、ありとあらゆる大人たちが、まだ小さな俺を次期国王として接してくる。
特別扱いといえば響きはいいが、自分よりも大きな大人たちがヘコヘコする姿は気味が悪く、一人の人間として見られることはない。
国を存続させるために生まれた王子であり、父上の血を引いていれば、誰でもよかったのだ。
次第に大人たちの対応が伝染し、同年代の子供たちまで礼儀を強要されて、いつしか俺は孤立していた。
唯一安らぎをくれたのは、父上と教育係を任せられたロジリーとナタリーだけ。本当の俺をさらけ出せる場所は、とても狭かった。
そんな日々が続いたある日の夜。城内で小規模なパーティーが開かれた時、挨拶を交わし続けることに嫌気が差した俺は、その場を抜け出した。
夜風でも浴びようと中庭へやってくると、珍しく一人の少女がいることに気づく。
ガーベラの花壇の前でしゃがみこみ、独りで花をジーッと眺める彼女は、何かツライことでもあったのか、目をウルウルとさせている。
その瞳とは対照的に、他人を拒絶するかのような険しい表情を持ち、異様な雰囲気を放つ姿に俺は興味をもった。
まるで自分を見ているようだな、と。
月明かりで照らされる彼女にそっと近づき、俺はゆっくりと腰を下ろす。
「………」
「………」
軽く顔を合わせたが、特に何かを話すことはない。下手に話して王子だと気づかれれば、涙ぐむこの子もヘコヘコした態度を取らなければならなくなってしまう。
王子に生まれた宿命とはいえ、大人がいない今だけは普通の子供でいたかった。
眉間にシワを寄せる彼女には、あまり歓迎されていないかもしれないが。
「花が咲いてるから見てるだけよ」
「俺も花が見たくなって眺めているだけだ」
どうして彼女が悲しんでいるのかはわからない。でも、もし独りになりたいのなら、夜会に連れてこられないだろう。誰にも助けを求められず、頼れないのだとしたら……とても悲しいとしか言いようがない。
そんな思いをするのは、俺だけで十分だ。
話したくなるまで待っていようと思い、そのままガーベラの花をずっと眺め続けた。一時間……二時間……と。
耳障りのいい言葉で慰めようとは思わないし、話したくないことを無理に聞きだそうとも思わない。一人の人として、何かしてやれることはあまりにも少なかった。
そうして数時間か経過して、夜会が終わりを迎えた時だ。彼女が帰るために立ち上がると、俺の頭に手を置き、優しく撫で始める。
「あなた、昼間の太陽みたいに動かないのね」
「……暑苦しかったか?」
「ううん、心が温かくなったわ。ありがとう」
それだけ言うと、彼女は去っていった。笑顔を一つ見せずに。
後に、頭を撫でることが彼女にできる最大限のお礼だったと気づいたのは、決して人前で笑顔を見せない家系だと知った時だ。
その不器用な行動と優しさに、俺はいつしか心が奪われていた。
王族のように厳しい環境で生き抜く彼女は、まだ小さいながらも、貴族として与えられた使命を果たそうとしている。次期国王という責任に苦しみ続けていた俺にとって、彼女の存在は大きかった。
本当の自分を押し殺して強気な態度を振る舞う旅、元気づけられたから。
王族の威厳とか、この国で過ごす民のためとか、耳障りの良い気持ちで抑えられるほど、俺は強くない。壊れ始めた心が偽りの愛を受け入れようとするため、グレースへの恋愛感情は高まるばかりだ。
それでも、もう一度彼女と共に過ごせるのなら、屈するつもりはなかった。
どれほど欲望が湧いてこようとも、愛すべき人はシャルロットしかいないのだから。
「俺が誰を愛そうが、お前には関係ない」
「ふーん。まあ、どうでもいいけどね。シャルロットは王妃の座に執着してるみたいだし。でーも、それもここまで。月末の本会議を乗り越えれば、この流れは止められなくなるわ」
「今からでも考え直せ。三大貴族としての誇りがあるのなら、父上の病を治すべきだ。取り返しのつかない事態に陥るぞ」
ウォルトン家の力がなければ、隣国の猛攻を耐えうる術はない。今までの議会を見れば、多くの貴族がウォルトン家に協力していることもわかる。
国の腐敗を止めるためのローズレイ家か、隣国との戦争を防ぐためのウォルトン家か……。
正当な方法で反乱の芽を摘み取らなければ、事態は悪化する。俺の判断一つで、国が滅ぶ恐れがあった。
「脅してるつもり? ふふっ、随分と可愛いのね。魔導士の家系であるウォルトン家にとっては、何の脅しにもならないわ。みんな殺しちゃえばいいんだもの」
不敵な笑みを浮かべるグレースは簡単に言うが、実際は違う。ウォルトン家は焦っているはずだ。
これだけウォルトン派の人が増えても、まだ強硬策には出てこない。王族に手をかけてはならないとわかっているから、こんなにまわりくどい方法を取っている。
「ダーリンが私を選んでくれるのなら、考え直してもいいわ。こう見えて、私は一途なのよ」
そう言ってキスをさせようとしてくるグレースを見れば、何を求められているのかよくわかった。
巧みな言葉で誘惑してくるが、必ず俺に一線を超えさせようとしてくる。それが、取り返しのつかないことに繋がるスイッチなのだろう。だからこそ、一つの疑問が浮かび上がる。
俺はグレースに体を許したと思い込まされているだけであって、本当は何もしていないのではないか、と。
記憶がない空白の夜の真実はわからないし、俺の理性がどこまで持つかもわからない。だが耐え抜けば、後は必ず……。
「こんなに可愛い私にこんなことまでさせておいて、男のプライドはないのかしら」
「人を見る目はある方だ」
「ふんっ! 失礼ね。また明日来るとするわ」
勢いよく退室していくグレースには、やはり焦りの色が見られた。だからこそ、無理な手が増えているのだろう。
それなら、俺は最愛の人を信じるだけだ。
見えない檻に囚われた俺にできることは何もないが、ただ待ち続けているのも癪に障る。彼女が大切な髪を切り落としてまで行動してくれているのなら、心が壊れるその時まで、精一杯の抵抗はさせてもらおう。
一国の王子としてではなく、一人の男として。
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