第2話:婚約破棄2
王城の外で待つメイドが予定外の早い帰りに驚きつつも、私の異様な雰囲気を察して、すぐにローズレイ家の屋敷へ馬車を走らせてくれた。
そして、屋敷に到着すると、騎士・メイド・執事たちを一斉招集した。
「時間が惜しいの、二度は言わないわ。よく聞いてちょうだい」
事の敬意を説明しようとした瞬間、私の声がいつもより低いせいか、長年にわたって仕えてくれている執事長のフレデリックが制止する。
「お嬢様。何があったか存じませんが、いったん落ち着きましょう。どんな時でも冷静でなければならない、それがローズレイ家にございます」
それくらいわかってるわ、と言いかけて、私は言葉を飲んだ。抑えきれないイライラで心が乱れていることくらいは自覚している。
「私は冷静に判断しているつもりよ」
「とてもそのような顔ではございません」
フレデリックに反抗され、ムッとした気持ちになっている時点で、私はまだまだ半人前なのだろう。
焦りと苛立ちを断ち切るように、大きなため息を吐いた。
「イライラしていることは認めるわ。でも、時間がないのは事実なの。不備があるようであれば、フォローしてちょうだい」
「かしこまりました」
ニコやかな笑顔を向けてくれるフレデリックは、こういうときの対処がうまい。使用人たちが必要以上に焦らないように、バランスを取ってくれるのだ。
ただ、今回の件に関しては、さすがにフレデリックでも予想できないと思う。
「まず初めに、レオン殿下から婚約破棄を告げられたわ。裏でウォルトン家が糸を引いていて、ティエール王家は弱みを握られている可能性が高いの」
「……左様ですか。お嬢様が取り乱される理由がよくわかりました」
人前で笑顔を見せないローズレイ家だが、さすがに家臣たちは私の気持ちをよく理解している。レオン殿下と婚約を結べたことが嬉しくて、人一倍仕事を頑張り、実績作りをしていたから。
お父様が暮らすローズレイ領から離れ、王都の仕事を一任された私は、今まで完璧にこなしてきた。ローズレイ家の仕事・学生生活・王妃教育……スケジュールがパンパンになりながらも、地道に歩み続けてきたのだ。
それがローズレイ家に生まれた私の使命であり、願いでもある。自分で婚約者を選べない貴族だからこそ、愛する人と共に歩むことに強く憧れていた。
こんなことで心が折れるくらいなら、最初から彼と婚約する道を選んでいない。
「レオン殿下の様子もおかしかったわ。婚約破棄を望んでいるとは思えなかったし、言葉を選んで話していたように見えたの」
裏で糸を引くウォルトン家に悟られることなく、親しい貴族たちが気づくようなメッセージをレオン殿下は送っていたはず。
彼がグレースの名前を口にしなかったのは、明確に敵であることの意思表示であり、私の名前を呼んでいたのは、今もなお信じてくれている証拠でもあった。
だから、レオン殿下の言葉が気にある。この時期に夜会という場所で婚約破棄することに大きな意味がある、そう言ったのだ。
「まだ世間には公表されてないけれど、国王様の容態が悪いのは知っているわね。聖女であるグレースが治療しているけれど、うまくいっていないの。普通に考えて、人質に取られている可能性が高いわ」
「治せる病気をあえて治さず、王家を脅している、ということですな」
国王の座を長期間空席にすることはできない。今月末までに回復の兆しが見えなければ、レオン殿下の即位を早めることが閣議決定されたばかりだ。
つまり……、
「ウォルトン家が国の中枢に入り込むために、ローズレイ家は踏み台にされた。夜会という大勢の証人と協力者を得て、計画的に動いていたのよ。このままグレースが王妃になれば、国が乗っ取られるわ」
国を支えるはずの三大貴族の一角が国家転覆を狙うなど、いったい誰が考えるだろうか。最悪、グレースが王族の仲間入りをした瞬間、事態は急変する。
グレースの妊娠が発覚した段階で王族を抹殺すれば、この国の正当な後継者はお腹の子供しかいなくなる。出産して成人するまでの間、母であるグレースが女王の座につき、国を支配するだろう。
たとえ、その子がレオン殿下の子供でなかったとしても、この時期に妊娠すれば騙すことができる……。
深く考えれば考えるほど、事態は深刻だ。ウォルトン家の調査や国王様の病気など、調べなければならないことが山ほどある。
タイムリミットは、約一か月。レオン殿下が即位するまでが限界であり、今月末の本会議が勝負になる。
この国はいま……窮地に追いやられているのだ。
しかし、法の下で罪を裁くローズレイ家が黙ってみているはずもない。愛する婚約者を奪われたのなら、なおさらのこと。
「相手は三大貴族の一角、ウォルトン家よ。一刻も早くお父様と連絡を取り、対処に当たるわ」
フレデリックが紙とペンを渡してくれたので、いま話したことを箇条書きで記載していく。
すでに夜も遅いが、早くも執事たちは動き出そうとしてくれていた。
「旦那様の指示があるまで、各自で情報収集にあたりましょう。婚約破棄を言い渡された以上、お嬢様は外出をお控えください」
「無理な話ね。ローズレイ家を侮辱されただけでなく、婚約者を奪われたのよ。ここまで馬鹿にされて、ジッと待つなんてできないわ」
「しかし、ウォルトン家も明確に敵と認識しているはずです。向こうが万全の準備で待ち構えるのなら、必要以上の行動は立場を危うくいたしますぞ」
フレデリックの言い分は正しい。すでにこの屋敷も監視され、私は要注意人物だと認識されていると考えるべきだ。
グレースに啖呵を切った『悪役令嬢のシャルロット』は、ね。
「言ったわよね、私は冷静だと。現状の様々な可能性を分析した上で、私も情報収集にあたる必要があると判断しているの」
八年間もレオン殿下の婚約者として過ごした私は、庶民にまで顔が割れている。お父様譲りの険しい表情と、お母様譲りの長い黒髪が、公爵令嬢シャルロットのイメージを作っていることだろう。
だからこそ、周りを誤魔化すことができる。
お母様……。こんな形になってしまったけれど、親離れをするときが来たみたい。これからは遠い星空から見守っていてね。
意を決した私は、騎士が腰にかける剣を借り、子供の頃から大切にしていた髪を首の根本でバッサリと切り落とす。
メイドがハッと息を吞む姿を見れば、どれほど予想できない行動だったのかよくわかるだろう。
「近日中には、王城で働くローズレイ家のメイドが解雇され、臨時募集がかかるはずよ。私はそこにメイドとして潜入し、情報収集と協力者を探すわ。文句はある?」
「……ございません」
一人の女として決意した私を見て、家臣たちが反論することはなかった。もしかしたら、私の頬に流れ落ちる涙を見て、声をあげられなかったのかもしれない。
自分でも意地っ張りだと思うし、髪を切っただけで涙声になるなんて、私はまだまだ弱い。
だからお願い、お母様。私に勇気と力を貸して。
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