終末は真夏日だった 作:水仙
『――ご覧下さい! こちら現在の朝鮮半島の様子です! 朝鮮半島が、一部を残し! 完全に消滅しております!』
ヘリの轟音に負けないように、誰かが必死で声を張っている。それが誰かなんて気にも留まらない。映像が衝撃的過ぎて。
いやご覧下さいじゃないが。何だこれ。ドッキリか何かかと思ったけど、何度確認しても目を擦っても付けているチャンネルはニュース番組、番組表でもこの時間帯はニュースしかやってない事になってる。CMかと思って十分待った。変わらない。どうやら現実らしい。
今中継しているらしいその映像に映っているのは、穴だ。島がいくつか浮いている海。霧が出ているのか、海面の様子をはっきりと見る事はできないが、紛れもない海。そして聞こえてくる声が正しいのであれば、それは朝鮮半島の成れの果てだという。
『現在様々な組織による懸命な捜索が続けられていますが、今までに救助された人数は僅かであり――』
続く言葉なぞ耳には入ってこない。意味が分からない。ネットを探ったところで、ニュースで聞いた以上の事は分からない。え、マジで何事?
確かな事は、西暦二〇二二年、五月を以て、様々な事柄でこの国を悩ませてきた独裁国家と、様々な問題で外交上衝突し続けてきた半島国家がどうやら滅んだらしいという事だけだった。
問一.あと一ヶ月で人類は滅びます。家に親は居ません、帰ってくる事もありません。貴方はどうしますか。
回答.親が居ないのはいつものことなので旅に出ます。(中学二年・男子)
朝鮮半島が消し飛んで一ヶ月。沖縄と北海道が消し飛んで一週間。GPSが消し飛んで数日。両親が勤務する会社と実家がある隣町が多分両親ごと消し飛んで一日。
人類に、というか多分地球に、残された時間は一ヶ月ほどらしいと計算されたある日。俺は自転車で旅に出ることにした。最初に思いついた「面白そうな事」がそれだった。
まずは海まで行き、それから適当に海岸沿いでも走ろうかと考えていた。その日は準備に費やし、出発したのは翌日。少しだけ感傷的な気分になりながら自宅に最後となるだろう「行ってきます」を告げた。
そしてその日の夜。俺は自宅の前に立っていた。
「ここが君の家か。お邪魔するぞ」
「ど、どうぞ?」
何かかっこいい女の人を連れて。
紹介しよう。何かやたらかっこいい女の人こと化学系研究者の藤井夏美さんである。簡潔に説明するなら、俺はこの人に『雇われた』、そういう事になる。
夕方に海に辿り着き、夜を過ごす場所を考えていなかった事に気付き、少し戻って街に入り、ネカフェを探していたら声を掛けられた。
普段は、というか元々関東に住んでいたらしい藤井さんはこの異常事態下において、西を目指して旅に出ようと思ったらしい。俺とは違って好奇心に釣られた実地調査、とかなんとか。そうして車に食料やらなんやらを積んで自宅を出発、したはいいのだが、カーナビが死んでるのでいちいち地図を確認しながらここまで来たそうだ。
つまり、大荷物背負って自転車こいでる男子に声を掛けたのはそれが理由だった。ナビ担当兼話し相手が欲しい、対価は車という個人所有に限るなら陸上最高級の移動手段と旅の目的、そしてある程度の衣食住の提供。だいぶ破格の申し出だった。
曰く、「どうせあと一ヶ月で滅ぶのにそこまで難しく考える必要あるか?」とのことだった。正しい。つよい。そして俺はその取引に乗った。
そして、そう、我が家に来た理由だが、至って単純で、物資その他の補充と宿泊を目的としている。両親が多分会社ごと消し飛んでる以上、とりあえずここの家主は俺だ。どうしようが俺の自由だ、多分。
で、ライフラインが生きていて、何やかんや色々置いてあって、寝られる場所があるのならそっち使おうぜ、というのが藤井さんの主張。違いない。
「さて、君には明日から早速助手席で働いてもらうわけだが、まず私のこの旅についてもう少し説明をしておこう。夕方はざっくりした説明しかしてないからな」
「え、あれ以上に何かあるんですか」
「あるとも。例えば今日は幸運にも君に会った事によってこうしてゆっくりと風呂に入りぬくぬくと布団で寝る事もできるわけだが、勿論基本はその限りではない。まあそれは私の車を見れば分かるだろうが」
「キャンピングトレーラーでしたもんね」
実物を初めて見た。自家用車に牽引されたキャンピングトレーラー。我が家に二台止められる駐車場があって良かった。
「西を目指す、それ以外は行き当たりばったり、と言ったが、まあ西を目指した理由が何もないわけではないんだ」
「と、言いますと」
「西、というか広島に、大学時代に仲が良かった同期が住んでいる。主に私が忙しいせいで十年近くは会ってないのだが、こんなご時世だからな。最期に一回会うのも良いかと思ったのさ」
まあ広島が残っていればの話だが、もし消えていたら九州までは行けないな、などとノンアルチューハイを片手に、どこか上機嫌に言葉を続けた。
「まあつまり今のところ考えている最終目的地は長崎県だ。広島同様、残っているかどうかは知らないがね。そしてその途中で広島の知り合いの家に寄る。状況によっては君にはその日はトレーラーかどこかで一人で宿泊してもらう事になるが」
「別に構いやしませんけど何でです?」
「君より二つか三つ年上の娘が居る」
「なるほど」
「理解が早くて助かる。まあ私に娘はおろか子供もいやしないが、子供を持つ親というのはそういう危険は排除しておいた方が安心できるのだろう?」
「俺に聞かれても分からないんですが……先に寝ます、両親の寝室はここの隣です」
「うん? おおそうか。了解した。明日からはよろしく頼むぞ、おやすみ」
「おやすみなさい」
冷蔵庫の中身を使って適当に朝食を作り、トレーラーと後部座席に荷物をありったけ放り込み、いざ出発。運転は藤井さん、ナビゲートは俺。高速道路を使うと崩落してたときに引き返せないので地道に下道を行く。インターネットから、どこが消えているという情報を引っ張りだし、出来るだけ最短のルートを選ぶ。
「関西より西、思ったより消えてないですね」
「東北と関東が穴だらけだがな。私の自宅と職場も消し飛んでいるようだし、これで私もめでたく住所不定無職、自称研究者の藤井何某ってわけだ」
「住んでいるところが物理的に消し飛んだ場合ってその扱いで良いんですかね。次の交差点を左です」
しかも土地ごとだ。
「ほい。やはりナビがいると楽で良い」
「前はどうしてたんですか」
「地図と睨めっこしてできるだけ道順を覚えて走って不安だったら車を止めて道端で地図と睨めっこして、の繰り返しだった。下手に狭い道も通れないから、標識に完全に頼るわけにもいかない」
「なるほど。デカいですもんねこの車。後ろにトレーラーあるし」
おまけにトレーラーを牽引しているのだ、おちおちUターンも出来やしないとなると、それはそれは面倒だっただろう。
「トレーラーはどこかで……そうだな、後ろの荷物を消費しきったら置いていくつもりだ、寝ようと思えば車の中でも寝られるし、滝本君のお陰でキャンプセット一式が手に入ったからな」
「何かもったいないような気もしますけど」
「小回りが利かないというのがこの先致命的になる可能性もあるからな。最後まで生き残ってしまえば、最悪最後は車も捨てて歩きになるかもしれん。あるいはこの謎現象が止まってくれれば捨てずに済むんだがなぁ」
「明後日には着けますかね」
「……難しいところだな。ネットから情報を拾えないとなると進みはかなり遅くなる」
開いた地図を二人で覗き込む。
むしろ今まで生きていたのが奇跡というべきだが、インターネットが死んだ。これによりルート設定が面倒な事になった。とりあえず岡山県が消えているのは確認しているのでここから北西、鳥取に進む事になるだろう。
今居るのは近畿の西側。中国山地入り際、峰山高原キャンプ場。本来であればグランピング施設もあるのだが、こんな状況のせいか、開いてないのでキャンピングトレーラーが役に立つ。水道は生きているのでありがたく使わせてもらう。
「まあ、進んで戻ってを繰り返す事になるだろうな」
「島根からまっすぐ南下できれば早いんですけど」
「そううまい事いくかな」
「まあ、無理ですよね」
一週間に一度だった消滅は、すぐに数日に一度になった。そして多分今は、毎日、同時に、複数のどこかが消えている。消えて海になるか湖になるかのどちらかだ。
「ま、時間はないようであるんだ。ゆっくり行こうじゃないか。幸い山の中で、それも消滅した地域に近い。治安の問題はないからな」
都市部では治安が悪化しているようだ、というのが、ネットが死ぬ直前にSNS経由で入手できた情報の一つ。警察やら自衛隊やらが忙しく働いているらしいが、全部を抑え切れているわけではないとのこと。
「それでも隠れはするんですね」
「そりゃあ、死にたがりだったらむしろ消滅した地域に寄ってくるからな」
「そういえば藤井さん」
「なんだ」
「毎度毎度事あるごとに取り出してる機械って何してるんですか」
「ああ、あれか。あれは日記みたいなもんだ」
「日記」
「前は手書きとかパソコンに打ち込んでたんだが、こんな旅をするなら嵩張るものはできるだけ持ち出したくはないだろう。悩んだ末に声で記録することにした」
「なるほど」
「それとあれだ」
「どれですか?」
「かっこいいだろう?」
「そういえばとても今更だが滝本君」
「はい」
「なんで取引に乗ったんだ?」
「なんで、とは」
「いや、あんな状況下で言うのもなんだが君から見た私は完全に不審者と言っても過言ではないというか声をかけたのはぶっちゃけ事案だろう」
「あー、そう言われればそうですね」
「でのこのこ着いてきて家に入れる許可もあっさり出したわけだが軽率過ぎやしないか」
「まあ、何というかその……」
「なんだ?」
「わくわくしたので」
「は?」
「その、明らかに非日常な感じがしたので、このビッグウェーブに乗るしかない、と。元々自転車で適当にぶらぶらしてましたけど、それで行ける場所なんてたかが知れてるじゃないですか」
「まあそうだな」
「なので──あ、次右です──なので、車でぶらつけるんならそれはそれでアリかなぁ、と。ほら、こう物語みたいじゃないですか。世界の終わり、元々赤の他人だった人間が何人か偶然にも出会って、一緒に旅に出る。えーっと、なんだっけ、ポカリみたいな名前の」
「ポストアポカリプスか?」
「それです」
「文明が死に絶えた後、もしくは死に絶える様を描いた物語──なるほどね。分からんでもないな」
「最初の時に言った車で動ける、ってのもまあ理由の一つではあるんですが、比重としてどれが大きいかと言われるとわくわくが大きいんですよ。親も親戚も、顔を知ってる人達は大体死んでて、行く先もなく暇を持て余した状況で垂らされたわくわくへの糸ともなればそれはもうつり下がるしかないかなと」
「私はお釈迦様じゃないから確実にわくわくを提供できるとも限らないが、それは心配しなかったのか?」
「まあ、それこそ俺がどうするか、でしょう。幸いにして後続居ないみたいですから切れる心配もありません。それに俺としてはこういう状況そのものが既に楽しいので」
「そうか。まあ、わくわくを提供してくれと言われても今の私には何もできないが」
「安全運転してくれれば文句はありませんよ。事故で死んだらすっきり成仏できないじゃないですか」
「そういえば、何年前だったかな、十年は経ってないと思うが。こんなニュースがあったのを覚えているか? どこかで星々が消えたらしい、と」
「いえ、初めて聞きました」
「私も専門外だからあやふやだがな、どうもそういう観測結果が得られたそうだ、以前まで観測できていた星が観測できなくなったと」
「それが、今回のこれに関係があると?」
「ある日、唐突に、星の一部が欠けて、そうして欠け続けて最終的には消滅する、とすれば辻褄は合うと思うが」
「……まあ、確かに」
「だからといって何があるというわけではないが、それならばこう、諦めもつくような気がしたのさ。広い宇宙、持ち回りで起こる災害、それがたまたま、今回地球に当たってしまったんだと」
「それが事実なら、また、何とも運が悪い事ですね」
はるばる我が家から四日。広島県大竹市に至った。
「ここですか?」
「そうだ、ここがアイツの家だ」
割と一般的に見える二階建ての家。恐らく二台止められるだろう駐車スペースには一台だけ駐められている。表札には「月見里」と書いてある。これで「やまなし」と読む、と来る途中で聞いていた。「山が無いから月が見える里」、故に「月見里」で「やまなし」。何というか、つよい名字だ。
目の前に車を路駐し、とりあえずは呼び鈴を鳴らす。応答無し。
「……留守かな……藤井さん、居ないみたいですけど、どうしま──何やってるんですか」
玄関脇にわっさわっさ置いてある植木鉢をどかす姿が目に入った。
「うん? ちょっと捜し物をね──ああ、あったあった」
「……鍵? まさか」
「合鍵」
「うっそでしょ今時そんな」
「──メールでな。二ヶ月ほど前か。今年の夏は会いに行くぞっつったのさ。夏っつってもまあ職場の人間の兼ね合いもあって夏休みはずらさにゃならんので今の時期だが」
リングに右手の人差し指を通し、そのまま立てて回しながらそう言葉を零した。
「──そしたらまあ、『時間のすりあわせとかするの面倒だから合鍵隠しておくね』とか宣いおって。アイツも働いてるからそんな台詞出てくるんだろうが」
「どういう思考回路してるんですかその人」
「知るか。私も本気だとは思っちゃいなかったさ。ただ──車があってカーテンは閉まってて電気メーターが回ってる。誰か居るかもしれん、居ないかもしれんが。ワンチャン何かあるぞ、喜べわくわくの時間だ」
「それわくわくの後にどきどき付きますよね」
「邪魔するぞ美千留!」
突っ込む前にさらっと入っていったので嘘だろと思いつつも後ろに続く。なるようになれ、見つかっても怒られる時は藤井さんが先だ。
家の中はまあまあ静かだ、人が居るようには思えないが。そのまま藤井さんに続く。開いた扉から冷たい空気が流れてきた。エアコンは付いているらしい。電気メーターが回っているのはこれか。
「──誰も居ませんね」
「だが誰か居たかもしれないし、多分その誰かは帰ってくる可能性が高い」
「エアコンが付いてるからですか?」
「その通り。じゃあ大人しくリビングで待たせてもらおう」
「えぇ……」
「──おかしいな」
と、藤井さんが呟いた。確かにもう日は暮れているなあと思いつつ読んでいた漫画本を閉じる。そして率直な感想を告げた。
「おかしいのは藤井さんと月見里さんの思考回路だと思います」
「美千留は変なところで几帳面だからエアコンを付けたままにしていくからには帰ってくるものと……いや、そうか。よし、良いか、滝本君はここに居ろ」
「俺はここに居ろって、いや藤井さんはどうするんですか?」
「二階に行く」
「はい?」
「長時間外出する時エアコンを消す奴がエアコンを付けたままにするのは、すぐに帰ってくる時か──家に誰か居る時かのどっちかだ。寝室はどれも二階にあると聞いている」
「でも誰か居る気配無いですよ」
「そりゃあお前。誰も居ないし入れないはずの家に唐突に人が入ってきたら見つからないように息を潜めるだろ。どう考えても不法侵入者だぞ」
「自覚はあるんですね」
「私は美千留から鍵を貰ってるからノーカンだが。いやそんな事はどうでも良い。つまり上に居るのは私が来る事を知らないか私を知らない奴──美千留の夫か娘だ。どっちに転んでも君が行くのはまずかろう」
「確かに」
「というわけで待機だ」
そう言って藤井さんは二階に上がっていった。じゃあいいやと漫画を開く──何か二階が騒がしいな?
「初めまして、月見里美歌と、言います。高校一年生です」
「改めて、藤井夏美という。君の母親とは大学で同期だった。んでこっちが──」
「初めまして、滝本啓斗と言います。中学二年です」
他に何を話せばよろしいので?
「滝本君はちょっとした訳ありでね、別に私の親戚とかではないが……まあ、今回の旅の連れだ」
「はぁ……」
「んで、つかぬ事を聞くが、美千留は?」
「……お母さんも、お父さんも、一昨日から帰ってきてないです……」
なるほど。つまり恐らくはうちの両親と一緒で、月見里さん夫妻はもう、という事なのだろう。
「そうか……」
藤井さんは黙って天を仰いだ。さて、こういう時どうしたものか。と、ふと思いついた事があったので手を勢いよく合わせた。
「ってぇ……あー、時間も割と良い時間なので、ご飯、食べませんか?」
空気が死ぬほど重い。米と肉を噛み締めつつその原因を見やる。さてさてどうしたものか。
俺と月見里先輩では状況が大きく違うので知ったような口は利けない。としてもまあ他に出来る事など限られているわけで。
『私はお釈迦様じゃないから確実にわくわくを提供できるとも限らないが、それは心配しなかったのか?』
『まあ、それこそ俺がどうするか、でしょう。幸いにして後続居ないみたいですから切れる心配もありません』
まあ多分、あと一人くらいなら、この糸も余裕で耐えるだろう。
「──月見里先輩、一つ、提案があるんですが」
『六月十日 金曜日 晴れ
不審者か強盗だと思った。違った。ロマンが向こうからやってきた。最高じゃん。』
「──それ何書いてるんですか?」
「日記。啓斗君も書く?」
「良いんですか?」
「まあ、記念に?」
渡された日記。前のページに書かれた一文は先程まで沈んでいたのと同一人物が書いていたとは思えないほど軽く楽しそうだった。
何を書こう?
『六月十日 金曜日 晴れ
これに何の意味があるかは分からないけど自分もこれに書き込むことにした。下手すると明日にも何もかも消えてしまうというのに我ながらずいぶんとのんきな事だと思う。ただ今のところこういう事くらいしかやる事がないのは事実だ。
我々は今藤井さんの運転する車で西へ走り続けている。ネットが死んでいるせいで現在位置を紙の地図で照らし合わせながらどうにかこうにか、消えた陸地のすきまをぬうように道をたどっている。
車に乗っているのは、運転手として研究者だという藤井さん、助手席のナビとしてこんなご時世にひまを持て余した男子中学生な自分、後部座席ににぎやかしとしてどこにでもいるような女子高生な月見里せんぱい。よく分からない面子だ。』
「──何か文章が硬いね?」
「そうですか? って近い近い先輩近い。文字が書けないんですけど」
そうかもしれない。ここ最近話し相手が藤井さんしかいなかったのと藤井さんの音声記録がやたらかっこいいので文体が感染したか。
『藤井さんは実地調査の為、自分は物見遊山、今日着いてくる事になった月見里せんぱいはよく分からない。正直自分達はだいぶ怪しい道連れだと思うのだけどどうしてついて来る気になったのか。いや、藤井さんにさそわれてほいほいついてきた自分も自分だけど。』
「それ説得してた君が言う?」
「我ながら不思議なんですよ。何で着いてくる気になったんですか?」
「何でだろうねぇ、私にもわかんないや。あ、でも文章は良い具合に柔らかくなってきたよ」
「んー……じゃあこんな感じでどうでしょうか」
『──まあ、でも悪くはないと思う。世界の終わり間際に血のつながりもない偶然で集まった面子で車に乗り込んで旅行、なんてマンガかラノベの世界観だ。正直わくわくしている。せんぱいの言葉を借りるならこうだ。
ロマンが向こうからやってきた、最高じゃん。』
「……人の台詞盗るのは良くないかなぁ」
「じゃあそれ以外は良いって事ですね」
焚き火が弾け爆ぜる音がする。その近くの椅子に座り、何かを書き連ねている人影。ぶっちゃけ月見里先輩だ。
「先輩また日記書いてるんですか?」
「藤井さんみたくボイレコ持ってないからさ、手書きしかないんだよねぇ、スマホは電池がもったいないし、充電切れちゃったら再生できないし、手書きならいつでも誰でも読み返せるでしょ?」
「誰でも、ですか」
「そうそう。ほら、もしかしたら私達がいなくなった後にこれだけ誰かの手に渡るかもしれないじゃん」
「肌身離さず持ってるのにですか?」
「だから気が向いたら手放そうかなって。今のところは鹿児島に置いておくつもりだけど」
鹿児島。福岡まで辿り着いた俺達の次の目的地。
「いつかこの現象が止まったら。その時私達が生きていようといまいと、鹿児島が残っていれば、いつか誰かの目に留まるかもしれない。その時に、『私達はここに居たぞ』って痕跡が残ると良いなって」
「いつか、ですか」
「人は二度死ぬ、って知ってる」
「まあ聞いたことはあります」
曰く、一度目の死は生物学的な死。呼吸が止まり、心臓が止まり、脳が死ぬ。
そしてもう一つは存在的な死。自分を知っている全ての人の記憶から忘れられた時。『自分』という存在が本当に、この世のどこにも存在しなくなる時。
「日記に、私って存在を一部だけでも刻みつける。読んだ人はそこに『月見里美歌』という存在を浮かべる。その人が忘れるまで、あるいは死ぬまで、『月見里美歌』は生きていられる」
「──何というか、先輩らしくないですね」
「私いつもそんな考え無しに見えてた?」
「……そんな事はないですよ」
「怪しい。よし、罰だ」
「えっ」
「何か一文書いて! 出来ればかっこいいやつ! 表紙に、何か小説の題名みたいに!」
「えぇ……」
無茶振りにも程がある、と思いつつも指摘は図星なので大人しくペンを握り、脳味噌をこねくり回す。何か良さげな一文よ降ってこい。
「怖いんだ」
「へ?」
「誰も知られない間に、誰にも知られずに消えるのが、怖い。だから、日記を書いてるの。これが残っていれば、誰かが私を知ってくれる希望が生まれるから」
「希望……」
「希な望み。でもそれがあるとないとではきっと違うからさ」
誰かに覚えてもらえるかもしれないという希望。誰かに知ってもらえるかもしれないという希望。
「消えるのはね、怖くないんだ。誰にも知られずにっていうのが、何か、嫌だ。だから日記を書いてる」
「……俺は、正直に言えば、怖くはあります。誰が覚えていようと、俺自身はそこで終わってしまうんで。俺自身に後が、ありませんから。ただ、その……そうですね。俺は諦めてます。諦めてるから自転車で家を出て、諦めてるから藤井さんの話に乗って、諦めてるからこうしてのんびりしていられるんです」
だって、そうだろう。地球規模の天災だ。そんなものに巻き込まれて死ぬんだ。厳密には消滅=死かは分かっていないけど、先が分からないという点では死と大して変わらないだろうと思っている。
星規模の、あるいは宇宙規模の天災に巻き込まれて死ぬのなら、たかが中学生には何もできやしない。ただただいつか訪れる終わりを待ち続けることしか。
「──先輩は、すごいですね」
「急に褒めるね?!」
「世界に先がある事を、諦めてない」
自分はここで終わるかもしれない。だけどもしかしたら、自分ではない誰かには、自分のことを知ってくれるかもしれない誰かには、先がある。
「そんな大層な事考えたつもりは、ないんだけどなぁ」
とそう言って、先輩は欠けた月が浮かぶ空を見上げた。パチリと木が爆ぜる。同時に時計が小さな電子音を鳴らす。日付が変わった。週末が終わった。今日は月曜日。きっと二ヶ月前なら仕事やら学校やらに追われたであろう日。もう今となってはほとんど意味を成さない暦。
週末、週末……しゅうまつ。あっ。
思いついた文章を縮め、ペンを走らせた。温度計はないけれど、きっと昨日もそうだったに違いない。だってあんなに暑かったんだ。
いつかこの日記帳を見つける者よ、俺の言葉選びと文章センスに恐れ慄け。
「──リクエスト通りだ。良いんじゃない?」
と、脇から覗き込んだ先輩が耳元で囁く。近い近い近い何か良い匂いするお願いだからやめて。思わず手にした日記帳で叩く。
「何すんのさ!」
「毎度毎度近いっつってるでしょうが!」
翌朝。ランクルの後部座席に乗り込む先輩が抱えた日記帳。我ながらよくできたと思いながら眺め、ふと目線を上に上げると、右手の親指を立て満面の笑みを浮かべた先輩と目が合った。
本当のそれがどうなるかは知らないけど、一週間ほど前の予想が正しいのならきっとその題名も正しいものになる。人類の完全な滅亡まで残り三週間。つまりそれは恐らく七月頃。今年の気候は随分おかしいので、その頃にはきっと。
『終末は真夏日だった』
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