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大橋博倖

第1話

 Op.Bagration


 0.


・ピョートル・バグラチオン

 帝政ロシアの軍人。ナポレオンによる侵攻時にロシア帝国の将軍としてこれに対した。

 ホラブルムの戦いでは5倍の敵軍と戦い麾下の半数を失いながらも、敵軍を退けることに成功する。アウステルリッツの戦いでは、ミュラとランヌによって率いられたフランス軍左翼と対峙した。アウステルリッツの敗北後も転戦し、果敢に戦闘を指揮した。


・バグラチオン作戦

 第二次世界大戦中、白ロシアで開始されたソ連軍最大の反撃作戦である。長期戦により兵力を消耗していたドイツ軍は膨大な物資に支えられる赤軍流の電撃戦に敗走を重ね、同年7月末までには開戦時の国境付近まで押し戻されることとなった。作戦名は帝政ロシア時代における祖国戦争で活躍した将軍、バグラチオンに由来する。

 この作戦以降終戦に至るまで遂に、東部戦線に於いてドイツ軍が戦いの主導権を奪回する機会は訪れなかった。



 目を閉じ、深く深呼吸。一回、二回。

 何の意味もない。

 貴重な数秒を空費しただけだ。いや浅く、早まる息を整えただけましなのか。

 酸素消費を少しは抑制出来たのか。

 再び目は見たくはない、しかし磁力に誘われるかの如くに、インジケータに吸い寄せられる。

 残量、5分、いや切っている。

 宇宙を徒に恐れることはない。

 共に空間作業員だった父母は幼い彼をそう諭した。

 もちろん、畏敬する必要も。但しだ。

 決して舐めるな、侮るな。隙を見せるな。

 必ず、後悔することになる。その二度目があるとは思わないことだ。

 その教えを忘れたのではない。

 事故というのはそういうものだが、今回も幾つかの連鎖と、僅かな不備があった。


 MS-21C、“ドラッツェ”。

 この機体について語るのは少々難しい。

 まず、正規の型式番号が発行されているように見えるがそうではない。

 つまり、突き付けられた要求仕様に応じて企業が試作し、軍に機材として制式採用された機体、ではないということだ。

 その意味はこの機について少しでも知れば理解出来る。

 実は、21Cは既存の、二種の機材により構成されている。

 その外観に面影はないが、制御系を含め主要部位は名機、MS-06“ザク2”からなる。

 そして推進機関には、SA-10“ガトル”のモーターが使用されている。

 聞けば奇妙、というより奇怪な取り合わせと多くは懐疑するのではないか。ガトルなど05の出現により陳腐化した、プレ・ルウムの遺物ではないかと。06は優秀な機体だが、それとガトルを掛け合わせて有力な戦力化など期待できるのだろうか。

 前例はあるだろうか。紀元前、東洋の帝国では当時、技術不足により液冷エンジンが揃わず、数ある“首ナシ”のタイプ3“ヒエン”に応急で空冷エンジンを搭載したところ最高速度以外はかなり満足のいく機体、タイプ5が誕生した、というような化学反応がここでも起きたのだろうか。

 戦闘性能。結論から述べれば21Cは多くの面で06に劣る。唯一、ガトルより得た線形加速性で勝るが、宙間MS戦でこれをアドバンテージとするのは無理がある。

 否、21Cの美点はまだある。例えば整備性に優れること。

 ジャルガ・ンダバル上等兵の様な、熟練に遠い整備兵にも扱えるくらいにだ。

 1機でも多く。

 ベテラン達が寄ってたかって戦力、新規機体をビルドすべくスクラップの山相手に悪戦苦闘の傍ら、彼が任されたのがその、MS-21Cの1機だった。ジャンクの中のジャンク。あけすけにいって06としての規格を満たせない、“よりぬるい”スペックであるからこそそうしたクズパーツの流用が許される、それをしてレストアと呼ぶことすら躊躇われるのが21Cという機体だった。

 査定は甘あま、だから状態はカツカツ。

 06の面影は微塵もない。無論SA10の気配も。機体後部に長く伸びた一対のプロペラントタンクは一見、脚部のようだが可動せず、AMBAC、“Active Mass Balance Auto Control = 能動的質量移動による自動姿勢制御”の役には立たない。両肩に突き出た球状のスラスター・ポッドが顕著だが、そのくらい機体の基本運動性は低い。

 あと5回、いや3回。出撃出来るかなこいつ。各部を見て回りながら彼は、チェックシートではなく胸中に書き記す。

 使えば、減る。行って還るだけで命数は確実に縮む。当たり前のことだ。

 ドラッツェはさすがに。

 実はライダー志願で空シートを狙っている彼でもそう思う。

 それでも。ジャンクパーツをこね合わせたようなこんな機体でさえも。

 今は貴重な戦力なのだ。それも彼は理解している。

 そこにどれだけの性能格差があろうとも。

 勝敗を最後に決するのは両者の戦意の多寡だ。

 ニュートン物理学が決定的に支配する宙戦の原則、現実に、これは無矛盾で並立する、精神論とは画する戦場が見せる一面の事実である。

 そして我が軍が、戦意に於いて連邦に後れる局面は在り得ない。

 公国は先の大戦で数多のエースを輩出した。古来よりスコア5でエースとされる。ダブル、トリプル、は当たり前。それは交戦機会の比率、彼我の戦力格差の反映でもあるが。

 そしてなお、彼の総ては、終戦を境として連邦に“認定”された存在だ。

 未だ戦い続けるもの。

 ジャルガを含め、構成員その全将兵が最上であるとはいわない。

 だが殊、ライダーに限っては。

 一騎当千という言葉すら面映い。全員が全員、教導部隊の指導教官が務まる、どころか向こうに回してゼロから再教育、鍛え直すくらいの水準にある。最精鋭。他にどんな表現があるだろう。

 であるからもちろん、メンテの一員としても全力を尽くしたい。せめて職掌範囲でのベストに仕上げてやりたい。

 だからだ。ジャルガは自らその小石につまづいた。

 丹念に診ていった。外回りは余命が読める不治の病のようなもので、取り敢えず“今はまだ”健常。ただ少しでも機に無理を強いればどうなるか保障できない。

 ライダーがコメンテートしていたのはインターフェイス。

 ジャイロコンパス。ナヴィ、電装が死に絶えた後での、航宙での最後の命綱だ。

 少し眺めて彼は舌打ちを漏らす。なるほどズレてる。これではただのデッドウェイトだ。

 メカニクスか。乏しい経験ながらジャルガは当りを付け、装置そのものをバラしてみた。結果ビンゴ。指の先に乗るくらいのカケラ。文字通りのパーツである微小な、ボールベアリングの摩耗が原因だった。

 判ってジャルガは困惑する。さてどうしよう。

 作戦行動中の機が帰還不能になる。

 レスキュー可能であればサルベージする。機の投棄をライダーに命じることもある。それ以外は。基本的に対応出来ない。

 何れにせよジャイロコンパスが必要な局面は生じない。新兵の、航法慣熟での教材になったくらいだろうか。戦訓は明白に不要、と断じている。

 事実06の後継機はもちろん、後期生産型でも廃止撤廃された計器なのだ。

 しかし。ライダーは死に装備の撤去を要望しているのではない。

 こんなものはムダです、1gでも軽くしましょう。そう押し切るにはジャルガは若輩に過ぎる。それにそれが出来るなら前任が何とかしていた筈だ。

 或いは。ジンクスの類であるのかもしれない。

 戦闘員を足らしめる要素としてメンタルが占める比重は軽視出来ない。この一事が彼のライダーのコンディションに大きく関与する可能性をジャルガは否定出来なかった。何とかしてやりたい、が。それが困難であることとその事由は既に記した。更に補記するなら戦前戦中、公国のモータリゼーションの未熟を示すが如くそのベアリングは何とも間の悪いことに共用規格のものではない。

 これでコネでもあれば何処からともなく、何かをバーターに“何故か”新品の06のコクピットから今では誰も欲しないその計器を貰い受け、他の何かを放出。

 しかし入隊して半年未満の彼のポケットには全部裏返してみても何も入っていない。まるでカスミから必要部材を調達してくるような、班長の魔法を自分がどう詠唱すればいいのかその見当すら。

 深い考えは無かった。

 同僚がハッキングしている補給部の資材管理リストにログインしてみた。このぐらいの知恵は身に付いている。

 ジャルガの手が止まる。あった。MS-06A1。前期型の、コクピット。新品だ。

 俺が貰ってもいいだろう。

 もちろん、本来であれば補給部への申請が必要だ。それは整備本部の承認を経て提出され、必要であれば受理される。だいたい1週間コース、場合により1月。この決済の流れもどういうシステムなのか個人スキルにより長短があり、ほくほくと即日で必要部材を獲得する者もいるがさて、やはり彼には作法も文化も読めず、指をくわえるしかないが。彼の立場でこれが、ここについてるハズのこの計器だけくれと言っても通らないだろう。というよりこの06A1はどこかの要請で調達された部材で、で、ジャイロコンパスはそこでぽいと投げ捨てられるのだろう。

 なんとなく腹が立って来た。だからだろうか。

 気が付けば彼は動いていた。いつもであれば必ず班長殿にお伺いを立てるシチュエーションなのだが。

 そしてまずエアロックで引っ掛かった。

 環境モニタがスーツの、携行酸素残量が規定値を満たしていないと警告する。ありゃ。

 前回外出後に消費量を補充しなかったのか。既に無意識の慣習であるので逆に自覚的な記憶がない。珍しいこともあるもんだ。こんなときに限って。

 何を急いていたのか判らない。ジャルガはアラートをマニュアルキャンセルした。スーツからは文句を言われていない。30分あれば余裕で片付く。

 思えばそれすらも無根拠な独断だった。

 外に出て、手近なプラットホームに飛びつく。

 確か、“そこ”だ。

 補給部と整備部のセクションに明白なカテゴライズなど存在しない。両者を隔てるのは10k程の宇宙空間だ。

 km。

 重力井戸の底ならなにがしかの意味を持つだろうが、ここ高真空、自由落下の世界での1kmなど1mm程の意味も持たない。精度の”最小”単位だ。

 一吹かしで易々と越境する。

 そう、ここらへんのはず。だ。

 ない。

 レイアウト変更か。当然だなくそ。

 それでもパターンはある、あった、はずだ。

 無い。

 くそ、どこだ。

 アラーム。

 愕然とした。

 活動限界が10分を切っている。

 流石に、焦った。

 プラットホームをデフォルト、初期位置に。

 血の気が退いた。

 ナヴィがランしてない。前の搭乗者がマニュアル・モードに設定している。そんな基本的なことすら。空気よりも自然な。

 彼は凍り付く。

 ここでは、空気すら“タンスターフル”(There Ain't No Such Thing As A Free Lunch、無料の昼食などない、総てにコストがついて廻る)なのだ。当たり前、その厳然たる事実を前に。

 つまり、オートでは還れない。

 ジャルガは周囲を見渡す。

 全く、現在位置が掴めない。

 父母の言葉が蘇った。

 いつでも死ねる。それが人生だ。

 死ぬ、のか。

 こんなつまらない処で、つまらない理由で。

 メイデイ、はない。“秘密基地”にそんなものはない。

 一兵の生死に組織全体を晒すことなど出来ない。

 消耗品。

 その意味を、彼は今こそ理解していた。

 神より尊い班長が、辞めろ抜けろと陰に陽に諭していた理由も。

“全くだ。ライダーを死なせるつもりかおまえは”

 幻聴が聞こえる。

 いえ、自分は生かそうと。

“自分の始末も出来んで。二等兵に降格するか。機付きなど100年早いわ!”

 ……あれ。幻聴と会話してるのか。

 末期だな。

 ジャルガは声に出して嗤う。最期なんてこんなもんか。

≪だが人手不足でな。贅沢は言っとれん≫

 ……あれ。

≪は、はんちょう殿?!≫

≪なんだ?≫

 気付けば目の前にもう一機のプラットホームが出現していた。

≪何をやっとるんだおまえは≫

 彼の耳には、再び音声が届かなくなっていた。

 動きを止めた。まるで凍りついたように完全に静止している。

「……曹長殿、あれ、なんでしょう」

 近くまで漂って来たジャルガに軽く肩を叩かれ、班長、ゴイ曹長もそれを見た。

 ジャルガの視線の先に自らのそれを重ねる。

 視界に現れた物に班長、曹長、ゴイも動きを止めた。

 コンテナだった。旧、ダイクーン軍の正規の規格のものだ。

 だが、二人の視線はコンテナそのものではなく、昨日ステンシルされたかの様に鮮やかな発色の、真紅のダイクーン国章に吸い付けられていた。

 何かの予感が、あった。

 

 男はいつものように定時の5分前に姿を見せると、課員と短い挨拶を交わしただけで席についた。

 デスクに自身を認証させ、彼はすぐに業務を開始する。

 彼の前に2列3台、同様の作業環境と着座した課員。静かなキータッチ音。

 それは一見、どこにでもあるありふれたオフィスの光景に見える。

 が、少し注意すれば、室内の何箇所か、中空にモノが置かれていることに気づく。

 自由落下状態。外に広がるのは高真空、宇宙空間だ。

 暗礁宙域。かつてコロニー群サイド5が存在したここは現在、その残骸及び、戦争により新たに発生した宇宙ゴミ、大は破壊され放棄された戦闘艦から小は戦闘時に排出されたカラ薬莢まで、様々なデブリがラグランジェ点に引き寄せられ集積された、非常に危険な一画となっている。

 茨の園。

 ダイクーン残党を一軍として糾合統率し、現在もなお地球連邦政府に対し頑強な抵抗を継続している。

 デラーズ・フリート。その本拠地がここに設営されている。

 港湾部の整備区画に隣接して設置された補給区画。そこが現在、彼の“戦場”だった。

 設置された……端から見る限りでは何の秩序も見出せないような、バラ撒かれたように雑然と物資、カーゴ、コンテナの類が、廃艦処分を受け現在はターミナル機能としてのみ運用、係留され余生を過ごしているパプア級補給艦を中心に、その周辺を取り巻くように配置されている。

 戦闘艦たちが集う勇壮美麗な港湾部の景観と見事に対照的な、それは惨めなくらいにみすぼらしくまた見苦しいありさまだがしかし、武器弾薬、整備消耗品から機体、糧食に至るまでデラーズフリートの作戦行動能力は当然、補給部により支えられている。なればこそ常に全力稼動しており、美観にまで気遣うような余力は、ない。

 それら情報を遂次吸い上げ、自身を含め僅か7人の課員で掌握、管理、運営している彼、ナンディ・ガレス課長、大尉の、軍務官僚としての、そして部隊指揮官としての手腕は、まずまず評価されてよいだろう。

 未読のメールをチェックする。見慣れないものが一通あった。

 最重要、に更に至急、のフラグが付されたメール。

 あまり例がない。ふだん使われるのはせいぜい注意、くらいで重要、も数えるほどの記憶しかない。

 至急についてはさらに縁がない。内部の人間であれば無意味なことを知っている。全ての処理はまず例外なくシーケンシャルに扱われている。大尉がそれを徹底させている。ことにより、必要とされる最低限の秩序が維持されている。

 つまり外信か。

 と、いうようなことを頭の片隅にひらめかせながら送信元に目を走らせる。

 僅かに顔を歪めた。

「整備部が?」

 本隊付、A整備中隊、第二整備小隊、第一整備班、班長、ウェン・ゴイ曹長。

 いつもの抗議か。

 内心辟易し、また今回は随分と大仰だなとぼやき掛けながら、

『最大限の努力の上、善処する』

 自動返信し掛けた手が止まる。

 本文は短かった。

 ID:ATO-783-N-001167について至急確認されたし。

 当該位置については浮標を設置済であるので別添ファイルを参照されたし。

 ガレスの目が開く。

 ATO、だと。

 腹の底で言葉を漏らし、ベルモントくん、と課員の一人に声を掛ける。

「はい、何でしょう、課長」

 マイカ・ベルモント軍曹。お世辞にも決して美人の仲間ではなく、といって可愛い、というのでもなく、しかし妙に愛嬌がある。有能なデスクワーカでごりごりとデータ処理をこなしている……然るべき組織に属すれば相応の待遇が保障されるだろうに。大いに助けられているのでそれはそれで有難くはあるのだがしかしやはりなんでこんなところで働いているのか不思議な一人で、つまりは彼女も連邦が嫌いなのだろう。

「先週、公国関連の書類を一括処理してたと思うが」

「はい、少し手が空いてたのでデジタイズしてました、同時に内容確認も実施しましたが何れも緊急性が低いと判断しました。一部まだ未整理なのでローカルで持ってるんですが。至急ですか?」

「だと嬉しい」

「了解です、5分下さい」

 ATO関連の文書ファイルは直ぐに見つかった。手際よく、文書のヘッダがファイル名にリネーム済みだった。

 僅か数行のリストだった。しかも塗りつぶされ、実質は1行の。

 状態があまり良くない。原本ではなく、何度も複写を経たハードコピーだった。

 ズームし、リタッチして判読出来た。ID:ATO-783-N-001167。

 そこまでだった。報告にあった物件を照合出来た、確かに管理物の一つなのだと確認出来ただけだ。結局、実際に現物のコンテナを開いてみなければ未だ内容は不明だ。

 だが。

 ATO。Antarctic Treaty-Object。南極条約関連物件。

 その情報だけで十分だろう。コンテナの中身は。

 どういう経緯だったのだろうか。査察から抜け落ち、秘蔵され。公国が崩壊する混乱の中、他の多くと共にこの地に流れ着き。

 そして。

 そう、そして。

 彼は初めて気づいた。この情報が未だ自分の手の中にあることに。

 ありきたりだが、「パンドラの函」という言葉が脳裏に浮かんだ。

 なにか想像を超える揉め事の予感に、ガレスは衝動的にメールを消去しようとした。

 辛うじてそれを思い留まらせたのは。

 未だ抜き難い、ダイクーン軍人としての矜持。では、無かった。

 そんなものはもう持ち合わせがない。乗機もろともソロモンで灼かれてしまった。

 目の前で太陽が爆発したような、凄まじいまでの光だった。

 ソロモン攻略に際しての事前準備射撃、太陽光熱光学砲撃、連邦軍によるソーラ・システムによる照射攻撃が開始されたそのとき、彼の乗機、高機動改修型ザク2は配置転換の命令に従い戦闘ブロック間を移動中だった。

 軌道上、二隻のムサイ級と反航で行き違っていたときに、それは起こった。

 モニタが瞬間的にホワイトアウトし、次いでブラックダウンした。

 何が起きたのか判らなかった。メインカメラが突然、死んだか不調になったのは理解したが、切り替わったサブカメラもただ白い光の映像しか送ってきていない。

 いや、一方向からの映像はやや暗い。ムサイが影になっている。

 影、だと。

 判断以前の挙動だった。手足が自動で動き機体に制動を掛ける。ガレスの高機動ザクは“影”に留まった。

 この刹那の機体制御が生死を分けた。

 二隻のムサイが相次いで爆沈した。

 そして一瞬、ガレスのザクも光の奔騰の中に飲み込まれる。

 全てのカメラが瞬時に灼き切れ、機体表面及び外部の温度が爆発的に上昇するそれを伝えるセンサもあっさりダウンする。

 が。

 光は去った。ゆっくりとソロモンの地表を薙ぎ払ってゆく。

 外部の状況を知る手段は無かった。ガレスはそれを、未だ自分が生きていること、機体が爆発していないこと、として確認した。

 だが危機はこれからだった。

 まずプロペラントタンクが危険なまでの温度上昇を警告してきた。緊急冷却。反応無し。推進剤緊急投棄。結局、推進剤残量の半分以上をリリースして何とか収まる。機体温度も幾らか下がったようだ。

 だがアラートはそれ一つでは終わらなかった。機体各部の動作部、腕部や脚部のアクチュエータも駆動系制御系共々次々と悲鳴を上げて来た。機体背部の命の綱、最も重要な推進用メインモータの様子も怪しい。手の付けようがないアラートの連鎖であっという間にきらきらと“クリスマスツリー”が輝き始める。

 まずいな。背筋が冷えるような予感の直後、体がシートに沈んだ。

 メインモータの暴走。

 それは1分を切るほどの短い突発事故だったが、現在位置も方位も確認出来ない状況では致命的だった。もはや完全な宇宙の孤児だ。

 戦闘行動など思いもよらなかった。何とか生き延びたがこのままでは漂流した挙句の酸欠死が待っている。 

 たぶんムダ、とは思いながらそれでも一連のエマージェンシーシークエンスを機械的に実行。何も解決しない、が、予想通りなのでとくに落胆もない。煩わしいだけのアラートを全てカット。少し、落ち着いた。

 とりあえず外部の視界を確保しないことには仕方がない。広大な宇宙空間で唯一のセンサが己のアイボールのみというのはかなり厳しい状況だが。

 機内のエアを生命維持系に吸引し、ハッチを開放する。

 それでようやく、機体がゆるやかに回転していることに気づいた。熱循環にもなるのでそのまま放置する。

 ソロモンが、視界に現れては、消える。

 無数の光条が虚空を切り刻み、ソロモンに突き立つ。連邦軍のビーム兵装による射撃、砲撃。

 力なく、ただそれを眺めるだけだ。

 開戦劈頭、ザク1で参加した戦闘で、セイバーフィッシュを3機喰った。

 南極条約の締結という小休止の後、戦争の継続と地球本土への侵攻が決定すると、当然、彼も地球方面軍への配属を希望したが、ガレスに与えられたのは宇宙専用新型機への機種転換任務だった。

 一月ほどの訓練の後、新型機を受領し前線に戻った彼を待っていたのは、磐石となった公国による制宙権の掌握。封じ込めた宇宙唯一の連邦側拠点、要塞「ルナ・ツー」封鎖の任に配備された艦隊での、平穏で単調な哨戒任務だった。 

 もしかしたらこのまま戦争が終わるのか、それでもいいかと、今から思えば諦めにも似た、夢想じみた思いを抱きつつ日々を過ごす間、地上での戦況は次第に悪化していった。

 そして、オデッサの失陥、続くジャブロー強襲の頓挫で、地上での、そしてこの戦争での公国の敗勢は明らかになった。

 まずは地球軌道上での制宙権の奪還、確保に動く連邦と、地上から撤収する戦力を支援する公国との、地球軌道での交戦が頻発する。

 自軍の劣勢という不本意な局面ながら、それでも、再び公国の為に戦える、彼の想い、闘志はしかし。

 部隊は、ソロモン防衛を目的として早々に後送が決定された。

 歯軋りしつつ、遂に今日という日を、連邦のこれ以上の進撃をここソロモンの固守により断固阻止せん、ルウム以来の戦友達と血気滾らせ共に迎えた防衛戦、この時に。

 何をしているんだ。

 ふと虚空に、ただ静かに輝く星々に目が合った。

 人の愚行に関わりなく、太古から天を照らす。

 巡る星空を、ただ眺めている。

 機と共に、自分もあの光に灼き尽くされてしまったのだろうか。

 ソロモン放棄、の宣言も聞こえたような気がしたが、よく覚えていない。

『そこの高機動ザク!生きているのか死んでいるのか、生きているなら応答しろ!』

 それからしばらくして、何度も呼び掛けられているのにようやく気づいた。

 ソロモンから撤退する戦力の内の一隻。パプア級補給艦だった。軌道前方をまるで漂流するように航行している機体を発見、コールしてきたらしい。

 どうやら偶然、公国の最終防衛線、要塞「ア・バオア・クー」に向かう軌道に乗っていたようだ。

 一命を取り留めたとはいいながら或いは、そうして補給艦に拾われたのが”運のツキ”だったのかもしれない。

 何とかパプアへ着艦は出来たものの、予想通り機体はどうにもならなかった。点検し、ざっと見積もってオーバーホール、パーツもあらかた換装しなければならないだろうことが直ぐに判った。パーツ取りにも使えない完全なジャンクだった。他に方法もなく、その場で投棄された。

 そして、自機を失ったガレスに次のシートが回されてくることは無かった。

 敗走と敗勢。元から脆弱だった公国の軍制は混乱から崩壊に向け突き進んでいた。ソロモンに派遣されていた戦力の一員が、装備を失い生還したといって、従員させ再び装備を与え再編成する、等の、軍隊としての当然の機能が既に麻痺していた。

 ガレスはそのままなし崩しに、拾われた補給艦で戦争に参加することとなった。後方部隊は正面以上に戦力不足でその補給艦も当然のように充足割れ状態で、ガレスでも出来る事がいくらでもあった。

「ア・バオア・クー」で戦われた激戦では、艦は補給艦としてではなく、MS母艦戦力の一翼として投入された。 

 よし出来た出せ、次!。MSと艇がほぼ切れ目無く発着艦し怒声と物資と人員が飛び交う、弾が飛んでこないだけでそこも間違いなく激戦の場。

 そのさなかだった。

「ああ?ギレンザビが死んだぁ?!」

 偽電か、風評か。

 否、事実だった。

 両軍が吐き出す戦火が確実に、走る射線が見て判る勢いで衰え減って行き。

 風が凪ぐように途絶えた。

 停戦勧告だかなんだか。それっぽい電信が平で飛び交い、音声でも流れたが艦とは無縁のようだった。

 06や14がいつのまにか艦に群がり、取り巻いている。

 補給や整備を要求する艦載機、では無かった。であれば自軍に向け砲門を突き付けることはしないし不要だろう。

 この艦は我々が占拠した。

 一機の、戦い疲れたかに見える半壊した05が、発光信号でそう、宣言する。

 まだ、戦い足りないのか。

 自身、胸中で毒付き、そして殆どの正規の要員が退去する中、なぜ艦に残ったのか。自分でもよく判らなかった。

 そして結果として、自分もまた形を変え、徹底抗戦を続けている。

 おれこそが。

 その自分が。

 兵でもなく、職業人としてでもなく。

 自らの内に一瞬兆した、小役人の自己保身にも似た薄汚れた心の動きに、嫌気が差した。

 “貴重な情報提供に感謝する。可能な限り早急に然るべく対処する。”

 彼は短く返信すると、それ以外の未処理のメール、案件に一通り目を通し、必要があれば返信し、また処理した。

 30分程の作業の後、彼は席を立った。

「少し現場に出て来る。何もなければ1時間くらいで戻る」

 もちろん、部下に作業を任せて事後報告を受けることも出来たが、自身で立ち会う気持ちが固まっていた。

 もしそれが推定した通りのものであれば。

 或いは。


 サイド6が唱える“中立”などとは。

 旧世紀、国力の限りを尽くして外敵に寸土も渡さず国民皆兵、武装中立を掲げ貫いたスイスや北欧諸国などからすれば鼻で笑う、いや噴飯モノ、か。

 実態は“鳥無き島のコウモリ”に近い。

 公国優勢の戦局では、まあこれも機を見るに敏、の類だろうか。ルウムを見ては中立を謳い強者に擦り寄り、連邦の反攻と時を同じくして、公国の駐在武官を叩き出すと、連邦に向け“中立”を宣言した。そして、これを討伐する余力は、公国には無かった。

 それでも国力を削り、最低限の自衛戦力を保持していたのはまず、評価されるべきか。武装中立とはほど遠いとしても。

 そうした経緯で、わずか1年、否、永遠にも等しい1年を、仮初めとはいえ中立を押し通したサイドの文化は、先鋭化したスペースノイドのそれとも、腐臭を放つアーシアンのそれともまた異なる、独特のもの、ではある。

 リボー。サイド6の首府。

 首府であるだけに賑わっている。

 巷で謂われるフェデラリアンとスペースノイドの確執、などどこ吹く風、右も左も誰もが忙しくビジネスに勤しんでいる。

 ここにも一人。

 だが、伊達そうな眼鏡の奥で光る輝きは怜悧と評するには鋭過ぎる。或いはそうした関係であるのかもしれない。彼の臨席と、その隣のテーブルに座する関係者と思しき者たちも、商戦とはまた別の世界で磨かれたような剣呑さを漂わせている。

 その中心らしい、初老の男はさりげなく時刻を確認した。

 僅かに目尻を動かしたが、それ以上の反応は示さなかった。time is money、に代わる原理がやはり彼らの間には働いている、らしい。

 お待たせした。

 足早に歩み寄った男が一人。言葉を投げながら対面に座した。

 男は相手を、言葉でも態度でも咎めなかった。むしろ労るような眼差しさえ見せる。

 共にそこらの一山いくらのスタッフではないらしい。中小ながらそれでも代表か、間違っても部課長より下ということはなさそうだ。

 対面した二人は、しかし言葉を交わさない。

 共に今時めずらしい、ハードコピーを手に視線を落としたまま無言で向き合っている。言葉はここに至るまでに既に充分積み上げ崩しぶつけ合っているのだろう。

 表紙には小さく、opbの三文字。

 中身は。数字がただ羅列してある。見積でもなさそうだ、縦横が合わない。

 いや、末尾に一行、文字が混じっている。

 Hktt。

 そして少し離れて、0。

 何の暗号だろうか。

 半ば無意識か。初老の男の指が叩いている。

 “最終工程”に、懸念が。

 呟いた相手の、短い頭髪はやや整いすぎ、少しぎこちない。変装であることは何となく判ってしまう。むしろ思い切ってそう、スキンヘッドにでもした方が落ち着きそうだ。

「大いに」

 小声に、はっきり口に出して肯定の意を示す。

 その声に、相手は少し強い目線を向け、口を開いた。

「確かに、最重要課題です。でした、と、敢えて申しましょう。この件についても解決の目処がついたものとああ、いえ、弊社としては思慮しておる次第でして」

 明らかに操り慣れない言葉遣いながらしかし、信念を宿し確信的に行動する者の、仄かな自信すら響きの端に滲んでいる。

 二言、三言。それで決着した。

 決意に要される、短い間。

 そして直後、静かで短いが決定的な言葉が両者で交換された。

 最後の最後、妥結は為った。

 構想は、終わった。

 現刻を以て作戦は発動したのだ。


 アナハイム・エレクトロニクス。

 読んで字の如し、電子機器取り扱いの大手でもあるが、ある方面の関係者にはむしろモビル・スーツのメーカーとして馴染みが深い。

 先の大戦、人類史上最大規模の戦争となったこの戦いで華々しく歴史の表舞台に登場し、或る意味主役を張った戦術兵器。汎用装脚装椀戦闘機、通称、MPRFS(マルチ・パーパス・ロールプレイング・ファイティング・システム)、マフュー(ス)。となるのだがこの名称を用いるのは余程偏屈な職人気質の技術者か学者くらいのもので、その形態が概ね人型、であることからか、通常の宇宙服であるノーマルスーツ、と兵科区分である機動兵器、からのモビル、という呼称を組み合わせ生まれた俗称、前出通りのモビルスーツ、或いは単にその頭文字2字でMS、と普通は誰もが、呼ぶ。

 本社は月面都市フォン・ブラウンに所在するが、それ以外にも様々な拠点、設備を保有している。中でもドック船、「ラビアン・ローズ」はアナエレのみならず、現存する、航宙能力を持つ建造物としては最大規模を持つ。

 その一室。コミュニケータが軽やかな呼び出し音を鳴らしている。

 船内時間は本社のそれと同期している。今はその早朝。

 三回鳴って、切れる。それが1、2。

 3セット目で観念し、彼女は出た。

「Yes ?」

 目一杯不機嫌に応じる。

 オデビー技官?。

 声が静かに誰何する。

 相手が誰か。特徴ある鳴らし方で、実は判っていた。

 それでも間違い電話だと思った。今の私に何の用があると。

「ええ、間違いではないわ。貴方を呼んでいるのよ、ルセット」

「所長?」

 彼女は小さく叫び、混乱した。一度軽く頭を振って立て直す。

 解はすぐに得られた。余りいい報せではない。

「パープルトン技官に、何か」

 幾つかの可能性から選択したほぼ唯一の解答。

 ルセットの反応に相手、「ラビアン・ローズ」所長であるクレナ・ハクセルは一瞬、言葉を詰まらせた。

「そう、そうよ。流石ねルセット、助かるわ」

 一度言葉を切り、改め、所長は発令した。

「ルセット・オデビー技官。GP約定に基づき、本日現刻より貴職に機付専任監督官を命じます。直ちに職務を遂行されたし」

「拝命します」

 淀みないルセットの答礼に、安堵の吐息が伝わった。

「本当に急で申し訳ないけど、次席ってそういうものだから諦めてね。詳細は別添を参照のこと。期待しているわ、ルセット」

「微力を尽くします」

 半ば上の空だった。

 切れた。

 頭のなかで何かがぐるぐる渦を巻いている。

 それとは別に手が動き、同時に着信していたメール、略式の任命状を初め数々の別添資料を高速でスクロールさせながら脳に読み込んでいる。

 体が起きあがった。頭脳は既に全力で稼働している。

 1G環境エミュレーションを走らせながらでの、月面での実機試験に立ち会っていた正監督官、ニナ・パープルトンは終了後、暫くして急な体の不調を訴え、倒れた。

 過労では無かった。天文学的な不運だった。太古、活発な火山活動で地球から月まで漂着した嫌気性ウィルスを持ち帰って吸引してしまったらしい。本人が無理したぶん発見が遅れ、命に別状こそないが衰弱が激しく、職務遂行には不適当な状態にある。

 一方、花々もややご機嫌斜め。

 やはりというか、セミ・オートセクションが未だに苦戦している。このままトリントンに乗り込んだら所詮は技術屋の夢想と失笑されるのがオチだ。機名に引っ掛けて“お花畑”扱いされたとして、それを拒否出来なくなる。元からフル・マニュアル想定の02はまだいい。01は。どう仕上げるか。

 カット・オーバーは切られている。破れば今期での予算化が流れる。プロジェクト主幹のコーウェーンはまだ何も言って来ていないがしかしそうなれば面子丸潰れだ、それは出来ない。多少の技術上の課題、仕様実現で妥協してでも。

 ざっくりロードマップを描いてみる。だめだ。睡眠その他を2時間まで圧縮してみてもまだ300、いや180時間ほど、ショートする。

「ごめんデフラ。今から地獄巡りに付き合って!」

 04:16。呵責ない連コールで叩き起こした最も信頼するスタッフに形だけの詫びを口にしつつ、ルセットはプランニングのスクラップ&ビルドを脳裏で明滅させる。どう納めるか。

 文字通り、分秒を惜しむ今の彼女に、これから先、本当の意味での地獄巡りが始まる、などと、考える余地も理由も無かったし、ルセットは優秀な技官ではあっても当然神でも、また預言者などでも無かった。

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