第27話
太郎は目覚めた。まるで永い眠りから覚めたようにぼんやりとしている。
「ああ、ここにいるんだ。早百合の匂いがする。彼女はどうなったのだろうか? 死んでしまったのかもしれない」
虚ろな目で部屋の中を見回した。まだ血の匂いも消えていない。血にまみれた藁科、血に染まった早百合。そして、今は暗闇の中にいる僕。これが現実の世界なのだ。警察の人たちは帰ったのだろう。とても静かだ。
「ヤマトの顔、どうして僕にだけ見えなかったのだろう?」
気になることはまだいくつもあった。ヤマトには負の感情がない。それと同時に何かを失っている。ドクーグの王と、その友人の白ひげの老人の言葉が、僕の頭の中で鐘の音のように響いていた。
「大切な何か……。そうか、彼は負の感情だけでなく、すべての感情を持っていない。愛という言葉に戸惑いを見せたのもそのせいだ。闇を討つのに負の感情は捨てなければならない。それはすべての感情を捨てるということなんだ」
僕はヤマトのことが少し分かってうれしかった反面、彼のことが不憫に思えてきた。ドクーグの王のあの表情は、このことに気がついたからではないか? ここにいる僕とあちらの世界のヤマトは似ても似つかぬ、というより、まるで正反対。早百合があのとき藁科を殺らなかったら、ぼくが殺っていたに違いない。憎しみという負の感情が抑えきれなかっただろう。だから、僕は殺人犯だ。心で人で殺した。
「僕はこれからどうなるのだろう? 警察は僕を犯人として逮捕するだろうか?」
どこにも居場所のない僕には、少年院なんてお誂え向きだ。いっそ、早百合のように自分を終わらせてしまいたい。でも、僕にはそんな勇気もない。情けない話だ。ベッドに仰向けになり目をつむった。すると、フラッシュバックのように、向こうの世界が見えた。驚いて、一度閉じた目を開けるとそこは早百合の部屋。
「まさか、そんなことは……」
ヤマトの物語は夢ではないのか? それとも僕はまだ夢の中にいるのか? またゆっくりと目を閉じると、三人の勇者がドクーグの要塞をあとに旅立つところだった。
ヤマトたちは東に向かっていた。闇の正体が明かされた今、シュリとジュペは慎重になっているようだ。会話も少なくなり、自分の中にある負の感情を意識しているのだろう。このあたりはまるで砂漠のように乾いていて荒漠としている。ところどころに生えたやせた木の陰で、束の間の休息を取り、彼らは黙々と足を進めた。そのうちに日も傾き始め、すぐそこまで夜が迫って来ていた。
「まだ着かないのか?」
最初に口を開いたのはシュリだった。
「ああ、水晶の街はまだ向こうだ」
「もうすぐ日が暮れてしまう」
シュリは闇に包まれてしまうことを恐れているようで不安そうだ。
「急いで歩いても間に合わないよ。どこかで野宿するしかないな」
そうジュペはあっさりと言った。
「こんなところでか? 何もないじゃないか」
シュリは足を止め、二人の背中に言い放った。
「シュリ、足を止めている暇はありません。暗くなれば闇の力が強くなるでしょう。しかし、僕たちはそれに負けるわけにはいかないのです。どうしても闇を恐れるのなら、魔法の壁掛けで空を飛んでいきますか? でも、その途端に、闇が僕たちを見つけてしまいますが……」
弱音を吐いたシュリに対して、今までにない厳しい口調でヤマトが一括した。
「分かったよ。どうしても歩かなければならないのだな」
しぶしぶ、シュリは歩き出した。
「大丈夫だ。あと数時間で着くよ」
ジュペはそう言って、励ましたつもりのようだが、その数時間で辺りは暗闇に包まれるのだ。オレンジ色の太陽が西の地平線へと沈んでいくのを恨みがましくシュリはちらりと一瞥した。そして深いため息を漏らす。
光の国を出たときは意気揚々としていたのに、こんな少年に勇者など務まるだろうか? 薄暗い原野の中、三人は歩き続けた。日が沈むと、星が方角を教えてくれた。辺りはすっかり闇と化して、目が聞かなくなった。
「もう、この辺りで休もうか?」
とジュペが言ったとき、何かの音を聞いた。三人は仲間の顔を見て警戒を促した。
「誰です? そこにいるのは」
ヤマトが闇の中に立つ者に話しかけた。
「お前たちこそ何者だ。こんな夜更けにここらを歩くとは、ただの旅人じゃねぇな」
彼らの前に現れたのは、しゃがれた声の男。
「僕はケシュラ・コウ・ヤマトと申します。ただの旅人でないのはお互い様でしょう。あなたはここで何をしているのです?」
男はしばし黙ったまま。そして、ハッとしたように、
「ケシュラ? 光の国の者だな。ということは、お前たちは伝説の光の勇者」
と声のトーンを上げた。
「おい、ヤマト。私たちのことを知られてしまったじゃないか。そう簡単に名乗ってはだめだ」
「この方なら大丈夫ですよ。闇の者でもありませんし、僕たちの敵でもありません。そうですよね?」
男は何も答えなかった。
「僕が名乗ったのですから、あなたの名を教えてもらえませんか?」
フンッと鼻を鳴らし彼は名乗った。
「そりゃそうだ。俺の名はゴドー。そっちのお二人さんは俺に名乗りたくないようだが、大体分かっているぜ。金髪のノッポはケシュラの王子。そして二つの剣を背負っているのはドクーグの王子。なあ、そうだろう?」
「ええ、その通りです。僕もあなたのことが分かります。あなたは魔術師ですね? この暗闇の中で夜目が利くのも術のおかげでしょう。僕にはあなたの力が見えるのです」
「まいったな。やはり光の子には隠し通せねぇ。まあ、お前が俺の敵でない限り、恐れることじゃねぇがな」
「おい、こんな奴放っておこう。魔術を使うなんて悪者に決まってる」
「いえ、そういうわけにはいきません。僕たちには必要な人ですから。あなたにとっても僕たちが必要なはずです」
ヤマトがなぜそんなことを言ったのか誰にも分からなかったようで、皆、口をつぐんだ。そのとき、ゴウゴウと風の音が聞こえてきた。
「砂嵐が来るぜ。ひとまず、あの大岩に身を隠した方がいい」
夜目の利くゴドーが大岩へと皆を誘導した。岩の隙間に入るとすぐに、強い風が渦を巻き吹き荒れた。地面は削られ、砂と砂利が巻き上げられ、大岩にバチバチと当たった。
「すごいな」
ジュペが口を開くと、すぐにむせ込んだ。
「バカな奴だ。砂を食っちまったか。鼻と口を服で覆え。それが出来なきゃ、しゃべるんじゃねぇ。息も吸うな。肺に砂が入っちまうぞ」
それからゴドーの言うとおり、鼻と口を押え、砂嵐が通り過ぎるのを待った。
「では、改めてこちらの王子をご紹介します。光の国のケシュラ・シュ・シュリと、要塞の国ドクーグのソルジ・ア・ジュペ。あなたが旅をしているのには理由がおありなのでしょう。聞かせてもらえませんか?」
ゴドーはまた、フンッと鼻を鳴らした。
「お前たちに話す理由はねぇ」
「そうでしょうか? だいたい察しついています。闇に襲われたのでしょう。そして、あなたは一人で闇を討つつもりでは?」
「ああ、そうだ。だが、お前らの力なんぞ借りる気はねぇ。これは俺の問題だ」
よほどの事があったのだろう。彼の覚悟は断固たるものだった。
「大切な人を失ったのだな」
ジュペがぽつりと言った。
「けっ。分かったふうなことを言うな。王子様には俺ら平民の気持ち何て分からねぇだろ」
「聞かせてくれ。私たちはただの旅人だ。お前と同じ旅人だ」
ジュペは王子としての身分をドクーグに置いてきたのだろう。彼らしい。
「俺の話なんて……」
そうつぶやいて、ゴドーは語り始めた。彼は水晶の街の者で、昨日、闇に襲われたという。その闇は通り雨のように、彼らの街を通り過ぎて行った。闇に触れた者は皆、凍りついて彫刻のようにその場に立っているというのだ。
「俺の好いた女がいてな、彼女はサーヤという名で、心の優しい人だ。こんな俺にも親切なんだ。分かるだろ? 俺のような見てくれの悪いやつなんかに、誰だって関わりたくないんだ。俺は魔術を使うと恐れられている。嫌われものさ。サーヤはとても美しい人で、街中の男どもがプロポーズするくらいだ。その彼女が闇に飲まれちまった」
彼は悔しそうに歯ぎしりした。
「街の者は皆凍ってしまったのか?」
「ああ。助かったのは俺だけだ」
なぜ彼だけが助かったのか。その理由を聞く前に、ゴドーは懐から何かを取り出した。それは光る水晶玉の付いたスティックだった。
「俺にはこいつがある。闇を退ける力のある水晶だ。俺の家に代々伝わる唯一の家宝。しかし、女一人助けることが出来なかった。あのとき、そばにいたら助けられたものを……」
光る玉はそこにいたみんなの顔を照らした。フード付きのマントを着たゴドーは、自分で言ったように、醜い顔をしていた。浅黒い肌につぶれたような形の鼻、薄い唇。目はぎょろりとしていた。
「あなたは闇を追ってこの辺りを歩いていたのですか?」
「ああ。しかし、見失った」
ゴドーの話によると、闇は街を西の方角に出たあと、気まぐれに辺りをさまよい、やがて夜が来たということだ。
「僕たちはその闇を見ていません。夜の闇に紛れたのでしょう。おそらくその闇は不完全なもの。人が凍りつくのは、その闇が悲しみから生まれたものだからでしょう。闇の集まるところは東です。一緒に行きましょう」
ゴドーはヤマトの言葉にフンッと鼻を鳴らしただけだった。それは承諾したというふうにもとれた。
「仲間がまた一人増えたな」
ジュペは怪しげなこの魔術師を仲間として認めたらしい。シュリだけは複雑な顔をしていた。その晩は大岩の隙間で眠ることにした。
白々と夜が明け始めた。軽く食事をとった後、一行はまず、水晶の街クリスタに向かった。朝陽が辺りを照らす。東の方角に眩しく光る一帯がある。おそらくそれがクリスタだろう。その町は別世界のように美しかった。水晶の塔が街の真ん中に聳え立ち、建物のいたるところに水晶が使われていた。そして、街路の不自然な位置に水晶の彫刻がいくつも置かれている。
「ここの住人だ」
ゴドーがぼそりと言った。彫刻を近くで見ると、彼らの表情は悲しみに満ちていた。
「それに触らねーほうがいい」
ゴドーはシュリに向かって言った。シュリはその手を止め、無言でゴドーを振り返った。
「むやみに触れれば、お前にも災いが起こる」
彼の言う災いとは何だろうか?
「この街は死んだ。もう、どうにもなんねー」
ゴドーは悔しそうに言った。
「いえ、そんなことはありませんよ。生きています。この街も、ここの住人も。僕には聞こえるのです。彼らの声が。助けを求めています。あなたの大切な方の声も聞こえました。あちらにいるのですね?」
ヤマトにはサーヤのいる方向が分かるらしかった。それにゴドーがピクリと反応した。
「ああ。ついてこい」
サーヤは街のはずれにある花畑に囲まれた可愛らしい家の中にいた。ベッドに横たわっていた彼女は、他の住民のような悲壮な表情ではなかった。美しい顔立ちに穏やかな微笑みすら見て取れた。
「なんて美しい方だろう」
ジュペはうっとりしてため息をついた。
「この方は……」
ヤマトがなにやら感づいたようにつぶやいた。シュリはヤマトをちらりと見た。他の二人も彼が次に発する言葉を待った。
「向こうの世界とつながっています。向こうの世界の彼女に何か起こったのでしょう。もしかしたら、この街を襲った闇は彼女の悲しみかもしれません」
何を言っているのかさっぱり分からないといったふうに三人は顔を見合わせた。
「つまり、悲しみの闇は向こうの世界の彼女が生み出したもの」
ジュペはヤマトに確認するように言った。
「その通りです。向こうの世界で何かが起こっている。それが僕たちの世界に影響しているのです。二つの世界をつなぐ者を通じて。僕もまた闇を作り出しているのかもしれません。向こうの世界の太郎の心の闇によって……」
このとき初めて、ヤマトは表情を曇らせた。とはいっても、相変わらず彼の顔は白い光にしか見えなかった。ただ、その顔が何やら憂いを含んだ色に見えたのだ。
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