2拾い

 いきなり飛び起きた男に、押し倒された。


「.......あ」


 やっと焦点を結んだ青い瞳が、私を捉えてゆらりと揺れた。私の手首と首を驚くほど強く押さえつけた手が、こわごわと離される。


「ご、めん」


 男は、そう言って青白い顔でぱたりと倒れた。


「ちょっと! 起きて! お願い! ご飯を食べて!」


「.......」


「食べたら寝たっていいから! 食べないと死んじゃうの! ね、お願いだから起きて!」


「.......なんで?」


「私、戦争が終わったら好きなだけ拾うって決めてたの! はい、口開けて! あーん!」


 男は拾った時よりいくらか腫れの引いた顔で、困ったように眉を寄せながら、スプーンを掴んだ私を見る。

この男、思っていたより大人びた顔をしている。というか、随分キリッと整った顔立ちをしている。年下だと思っていたのは間違いだったのかもしれない。だけどもう今更だ、あーんとか言っちゃったし。


「.......いや。僕は、もう出るよ、ありがとう。お世話になりました、お嬢さん」


 ベッドから降りようともたもたと動いている男の肩を、軽く押した。先程の力はどこへやら、男はびっくりするくらい簡単に倒れた。何がもう出るよ、フラフラじゃない。


「食べて」


「.......でも」


「食、べ、て! 」


「.......あはは、頑固ちゃんだったかぁ」


 へらりと笑った男の口に、ぬるくなったスープを掬ったスプーンを突っ込んだ。青い目を丸くした男は、ごくん、とそれを飲み込んで。


「.......う」


 顔色を無くして、口元を押さえうずくまった。


「え! ご、ごめんなさい! 不味かった.......?」


 味見はしたはずなのに。

 青い顔の男は、冷や汗を浮かべながらヘラヘラと笑った。


「.......いや、違うんだ。久しぶりに、食べたから.......胃が、受け付けない」


「.......これ、スープよ? あなた、どれだけ食べてないの?」


「あはは、美味しかったのになぁ」


 とりあえず急いで男をベッドに寝かせて、貰った薬を持ってくる。


「.......薬は飲める?」


「飲めないかなぁ」


 生き物は、食べなくては死んでしまう。死んでしまうのは、嫌だ。


「わ、泣かないでよ、お嬢さん」


「泣いてないわ.......あ」


「ん?」


 澄んだ青い瞳が、私を見上げる。今は傷だらけだが、それでなお美しい顔立ちは、さぞ女の子にモテたことだろう。


「ねえ、あなた名前は? 私はアリッサ。アリッサ・グリフィス」


「.......名前.......」


「そう。名前よ、教えて」


 男は、一瞬だけ曇らせた表情を直ぐに隠して、ヘラりと笑った。


「.......ルノ。ただの、ルノだ」


「そう。ルノ、頑張れ」


「へ?」


 また、青い瞳が丸くなる。


「ルノ、頑張ってご飯を食べて、薬を飲んで元気になって。そしたら、いつだって出ていったっていいから」


「.......なんで、君はそんなに僕に親切なのかな?」


 そんなの、決まっている。


「拾ったからよ。私が、あなたが欲しくて拾ったの。元気いっぱいで、幸せにするために拾ったの」


 私には、両親が居ない。正確に言えばそんなことは無いのだが、10年前、私が8歳の頃に別れた。自分達で産んでおいて邪魔になったのか、それまでのように暇つぶしに殴ることも蹴ることもやめて、いきなりぽい、と街の外に捨てられたのだ。

 いらない、とポイ捨てされた私は、まあ良いかと死のうとして。


 拾ってもらったのだ。


 だから、私も拾う。いらないと捨てられた物たちを、私が欲しいから拾うのだ。こんなに幸せにしてもらったから、大家さんに養子にまでしてもらったから、幸せにするために拾うのだ。

 やっと終戦を迎え、やっとやっと拾えるようになったのだから、誰にも文句は言わせない。


「元気いっぱいになるまで、どこにも行かせないわ。幸せになるまで、出ていかせない。それまでは、ルノは私のよ」


 うつむいてしまった灰色がかった金髪を、そっと胸に抱いた。ルノが傷だらけなのは、何も体だけではないのだろう。それはそうだ。戦争で傷つかない心など無い。

 私の腕の中で、細かく震える声が、ぽつりと落ちる。


「.......僕には、拾う価値なんてないよ」


「もう、頑固ちゃんね。私が欲しいって言ってるんだから欲しいのよ。価値なんて、拾った私が決めるの」


「.......」


「拾い主の言うことは聞くものよ」


「.......いえっさー」


 へら、と泣きそうな顔で笑った男の頭を、よしよしと撫でた。


「ねえ、ルノ。本当に薬飲めない?」


「.......苦いからなぁ」


 澄んだ瞳を逸らしながら、いきなり下手くそな作り笑いをしたルノ。正直者か。


「はい、あーん」


「.......」


「拾い主の言うことが聞けないの?」


 真顔で薬を受け取り、真顔で飲み込んだルノは、それからぱたりと気を失った。


「えっ!? 嘘!! やだ、起きて!!」


 急いで大家さんを呼んで医者を呼んで、結果寝ているだけ、これはゴキブリ並の生命力だ.......! と言われた時の気持ちは複雑だった。


 それからまた丸一日経って、また起きたゴキブリ並のルノはヘラヘラ笑ってスープを飲んでまた寝た。多分ゴキブリより強い。


 それから、ルノが部屋を歩き回るようになるまで1週間しかかからなかった。

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