アイルランド詩人を懐かしむ夢

中田もな

not a dream but reality(1)

 北アイルランドに位置するネイ湖。イギリス最大の湖であり、アイルランド島最大の湖であるその湖畔に、ノアは一人で佇んでいた。時折吹き抜ける風が、滑らかな水面を撫でていく。

 金色の髪に、青い瞳。すらっとした背丈に、長い手足。数年前は無邪気な少年であった彼も、今では大人びた青年になった。実家が営む小さな宿屋の手伝いをしながら、留学のための勉強を進めている。ここではない、もっと遠くの世界へ。それが彼の目標だ。

 大きな瞳を細めながら、彼はじっとネイ湖の流動を観察していた。自室からでも容易に見える、大きな大きな湖。小さい頃は、このほとりでよく遊んだものだ。自分と仲間、そして美しい青年と……。

「……」


 ……今日の明け方。穏やかなまどろみの中で、ノアは懐かしい夢を見た。かつてこの湖にいた、神秘的な青年の姿。深々と被ったフードも、そこから覗くキャラメル色の髪も、透き通るような緑眼も、あの頃と全く同じだった。

「ノア」

 青年はこちらを見つめ、穏やかに笑った。端整な顔立ちに、明るい色が差し込んでいく。

「大きくなったね、ノア。僕の知らない間に」

 そう言いながら、ゆっくりと近づいてくる彼。ノアは何もできずに、ただただその動作を眺めていた。

「覚えているかい? 君の家の近くの湖で、色んな話をしてあげたよね。君と、何人かの友人に」

 ――彼の言葉を聞いた瞬間、ノアの脳裏に懐かしい記憶が溢れ返ってきた。随分前の出来事が、つい最近のことのように思い出される。詩人を名乗る彼が語った物語の数々と、愉快に笑う仲間たちの顔が。

「アイルランドの神々の話に、影の国の女王の話……。名高い英雄、クー・フリンのことも、偉大な騎士、フィン・マックールのことも、全部君たちに聞かせてあげた」

 当然だ、とノアの口が動く。しかしそれは声にならず、一瞬で空気となって消えてしまった。

「話だけじゃなくて、君たちと一緒に遊んだね。フィンレーはいつも追いかけっこをしたがって、本当に困ったよ」

 ノアの幼なじみのフィンレーは、とにかく走ることが大好きだった。そんな彼も、もうこの地にはいない。二年前に、ウェールズへ行ってしまったのだ。

「僕が話して聞かせた子たちは、みんな散りぢりになってしまったんだね。今でも湖の近くに残っているのは、君だけだ」

 ノアの過去を見透かすように、青年は言葉を紡ぐ。それもそうだ。これはノアの夢なのだから。

「マシューもエリスもアイリーンも、みんなネイ湖のほとりにはいない。僕の帰りを待ってくれたのは、とうとう君だけだったね」

 ……ノアと仲間が十歳になる頃、青年は突然旅に出てしまった。「必ず戻ってくるから」と言って、風に乗るかのように消えてしまったのだ。

「遅くなっちゃって、本当にごめんね。でも嬉しいよ。もう誰もいないんじゃないかと思っていたから」

 青年はノアの前まで来ると、ピタリと足を止めた。そして、何も話せないでいる彼の頭を、優しく優しく撫でる。そのぬくもりまで、あの頃と全く同じだった。

 ――どうして。どうして、もっと早く来てくれなかったんだ。

 ノアの青い瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。それは夢の狭間へと溶けて、静かに流れていった……。

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