彼女は使徒になるようです

夜坂夜谷

第1話 はじまり

目が覚めたらそこは真っ白な空間だった。

 上も下も全部白で距離が掴めない。叩くと音がすることから一応は地面はあるらしい。


「痛い? ……うわ、なにこれ」


 後頭部に触れるとべっとりと血がついていた。

 いや、触れば傷があるのがわかる。触れると結構痛いが、骨は見えてなさそう。たぶん。

 よくよく見れば、制服も結構汚れてるし、私は何をしてたんだまじで。


「なにここ!? どうなってんの!?」

「うっわ、上も下も右も左も真っ白!? ありえないんですけど!?」


 後ろを見ると同年代の子供達が何やら騒いでいる。というかあいつらクラスメイトだわ。

 はてさて、なぜ彼らがここに? 自慢ではないけど、グループで遊べるほど私の交友関係は広くはない。

 ……あ、よく見れば先生も混じってる。担任と副担任の二人。頑張って混乱を治めようとしてるけど、焼け石に水のようだ。

 あれ? あの帽子にスーツの男の人誰? 学校の警備員の人たちよりも若い二十歳後半くらいの男がいるけど、いくら考えても思い出せない。誰だっけあいつ。


《混乱するのも無理はありません。ですが今は私の言葉に耳を傾けてはいただけないでしょうか?》


 突如、頭の中に女の人の声が響く。

 それは皆同じだったようで、全員が一旦騒ぐのをやめて、声の主を探している。


「あ、あそこ!」


 一人の女生徒が指差すその先、そこにあったのはまさしく人並外れた美しさを持つ女性であった。

 エメラルドのように輝く緑色の髪と瞳、マシュマロよりも白く柔らかそうな玉肌、金銀で彩られた錫杖のような物を携えて純白の衣を身に纏い、後光を輝かせる女神の如き女の人がそこにいた。


《私はあなた達から見て遠い異界ジエルの女神、メルダと申します》

《本日は訳あって地球の神々と交渉し、あなた方をこの世界に召喚させていただきました》


 彼女が話す度に、一人また一人と彼女の美声に聞き惚れる人が現れる。

 特に見た目はクラス一不良っぽいが実はクラス一思いやりの心がある桐ヶ崎やオタクで有名な伏野と田村など女に耐性のない人らはわかりやすい。特に田村、頬赤めるだけじゃなく表情もだらしない。だらしないのは体型だけにしとけ、そんなんだからこの前だって体育館のフローリングぶち破るハメになったんだぞ。


「待ってください! 異世界!? 召喚!? あなたは何を言ってるんですか! それよりも早くは私たちを海暖かいだん高校に帰してください! 今日は待ちに待った修学旅行だったんですよ!」


 ああ、そういえば今日は修学旅行だったっけ?

 担任の前田先生の怒鳴り声で段々と思い出してきた。

 今日は修学旅行とは名ばかりで何を学ぶのかはわからないが学生や教師も楽しめるであろう国内で一番有名な遊園地に行く予定だった。

 学校について、事前説明を経てからバスに乗り込んで……乗り込んで?

 その後が思い出せない。

 いや、思い出そうとするとなぜか頭痛がする。まるで思い出すのを私自身が嫌がってるみたい。


《それは不可能と言わざる得ません。あなた方は既に死した身なのですから》

「…………え?」


 女神が発した言葉に、全員の動きが止まる。

 一瞬の静寂の後、彼らは再びざわつき始める。


「え、うそ俺死んでんの?」

「いやいやいや私ここにいるじゃん何言ってんの?」

「あー、これが噂の異世界転生ですか」

「ハハハ、ナイスジョーク」

「嘘にきまってるじゃん、きっとドッキリだって」


 混乱五割、悲観四割、完全理解したのか落ち着いているのが一人、というか田村。体だけじゃなく肝も太かったか。


《なるほど、死んだショックで記憶に翳りが見られますね。残酷ですが、隠していてもいずれは思い出してしまうこと、……いいでしょう。まずはそこから始めるとしましょうか》


 彼女が錫杖を振るうと、それぞれの眼前に小さな映像らしきものが浮かび上がる。

 というか、空中に映像を映す技術なんてないはずなんだけど。これってやっぱり地球じゃありえない魔法的な何かが使われてます?


【では皆さん、乗り込みましたかー?】


 映像の中ではバス内で前田先生が点呼を取っている。


【27、28。はい、全員確認できましたので、出発しまーす!】


 楽しげに運転手さんに指示を出す。よほど遊園地が楽しみだったらしい。大人になっても子供心を忘れないのは大切なことよね。見てて微笑ましい。……まあ私、年下だけど。


 そんなことを思いつつ見守っていると、バスは片側一車線の細い山道へと入る。

 高速道路に乗るためには必ずここを通る必要があるけど、柄の悪い人が集まることで有名なので普段ならあまり通らない道だ。

 うん、確かにここまでは思い出せる。でも、この先のことを思い出そうとするとなぜか頭痛がひどくなる。

 見てはいけない。そう何かが警告しているようにも感じる。

 しかし、同時にこの先に答えがあるような気がして、目を逸らせない。


【ん? 何あの車?】


 後ろにいた女生徒の誰かの声がする。

 映像がそちらを向くと、遠くから猛スピードでこのバスに迫る高級車が映し出される。

 明らかに法定速度以上のスピードで爆走するそれは禁止にもかかわらず他の車を次々と追い越し、このバスの前へと躍り出た。


「あ」「やめて」


 突如、コントロールを失ったのか反時計回りに回転し始め、ついに遮音壁へと衝突してしまった。

 高級車は何度も左の斜面へと激突を繰り返し、周囲にガラスの破片やら金属を撒き散らす。

 その時だった。高級車のタイヤの一つが外れ、こちらへと向かってきたのだ。


【嘘だろ!?】


 運転手は咄嗟にハンドルを切ろうとしたが、間に合わない。

 タイヤはそのままバスに衝突した。直前でバウンドしたためか、タイヤはフロントガラスへ当たり、それを突き破って運転手へ襲いかかった。

 破損したガラスと20キロを超える重さの物体を座席に座ったままの彼が避けられるはずもなく、そのまま彼を押しつぶした。

 彼は力なく体を倒す。シートベルトでなんとか体勢は保たれてはいるが意識はない。というか胸の形や出血からして大怪我しているように見える。

 こちらにいる運転手を見てみるが、どう見ても怪我一つしていない。


【きゃあああああああああ!?】


 車内が悲鳴に包まれる。

 惨状を目撃してしまった生徒の悲鳴が周囲の生徒に伝播する。

 そして車内にいた全ての人間が、現状を理解した。

 泣き喚く者、窓から逃げようとして止められる者、どうして良いか分からず見ているだけしかできない者など様々であった。

 そして、事態は最悪の展開を迎える。


【ああっ!? バスが!】


 運転手を失ったバスが左右に揺れる。

 ハンドル操作をしていない上に、アクセルに足が乗りっぱなしなのだから速度が上がり続け、ついに限界を迎えたのだ。


【いけない! ブレーキを】


 副担任がバスを止めようとして立ち上がった時であった。

 急にバスが大きく揺れた。どうやら前方に転がっていた先程の高級車の一部に衝突したらしい。

 副担任も車内の誰もが近くの物にしがみつくことしかできずしがみつくことしかできなかった。

 そしてわずかな時間ではあったものの、現状況において誰も動くことができなかったのは最悪であったのだろう。

 障害物によって進路を強制的に変更させられたバスは、そのままガードレールを突き破る。

 ここは山道、ガードレールの下には何があるか? 考えるまでもない。

 谷だ。深い谷がそこには広がっている。


【あ……】


 一瞬の浮遊感、そして直後に訪れる転落。

 バスは一気に谷底へ落ちるのではなく、斜面を転がるように勢いをつけて落ちていく。

 回転する車内はまさに地獄のような有様であった。上下左右、あらゆる方向から悲鳴が響く。

 不運なことだというべきか、殆どの人間はシートベルトをしておらず回転するバスに翻弄され、イスや割れた窓ガラス、さらには床や天井に叩きつけられる。

 回転が止み、谷底へ辿り着いたところで映像は終わる。

 最後に見た車内の映像では誰一人動くことはなく、力なく横たわる生徒たちが映し出されていた。

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