隠匿

 休憩時間が終わり、対策本部へと戻った猪又はそしらぬ顔で割り振られていた席に着いた。

 他の人間たちも会議室へ戻って来る中、手元の資料を手繰り寄せて内容を目で追いつつ、メモ帳にペンを走らせる。書き込み終わるとそのページを引き千切って、宇野へ渡した。

 宇野はメモの内容を確認した後、折り畳んでポケットに仕舞い込んだ。そして猪又にこっそりを視線を合わせ小さく頷く。これで消防の協力は取り付けたと言っていい。

 メモ帳を捲って猪又はもう1枚を認め、今度は通信の人間に手渡した。 

「現場に確認を頼む」

「はい」

 紙を受け取った通信員は、内容の確認を行うため上岸地区に展開する第2小隊への回線を開いた。最も、この時点で猪又が一芝居打とうとしているのは部下たちへ事前にメールをした事で知れ渡っているため、あえて警察側の誰も深く追求はしないようにしていた。

「至急至急、ゲンポン指揮班から県機02、県機02、聞こえるか、どうぞ」

『こちら県機02、聞こえます』

「射殺した野犬の死骸はその後どうなっているか」

『放置状態です。回収しますか? どうぞ』

「少し待て」

 受令機を置いて猪又に指示を仰ぐ。これを待っていたと言わんばかりに、猪又は立ち上がった。

「射殺した野犬の死骸がそのままになっています。時間は経ってしまいましたが、ゲノム解析の方へ回しますか?」

 日本検疫衛生協会東京診療所の大久保医師へ問い掛けた。片手間で何かをやりつつ、彼女は答える。

『そうですね、サンプルは1体でも欲しい所です。移送には十分に注意して下さい。国立感染症研究所にはこちらから連絡を入れておきますね。以後は向こうから直接の指示があると思いますので、それに従って下さい』

「分かりました。宇野さん、ヘリか何かを要請出来ませんか」

 その要望に警防部長こと宇野は渋い顔付きになった。腕を組んで暫し考えた後に喋り出した。

「残念ですが動物用のドクターヘリがありません。人間用の物はありますが、パイロットへの感染を防ぐ手立てが必要です。それに今回のような事態に対するガイドラインが無いので即決しかねます。この時間帯でヘリポート以外への離着陸は近隣住民への不安を煽るでしょうし、少し時間を下さい」

 これも仕込みの内だ。猪又が次の一手に踏み切る。

「では取りあえず、車両はこちらで用意しましょう。佐川警視、1両程度でいいんだが回して貰えるか」

「分かりました、手配します。それで何所へ移送しますか」

「東京までは空路の方が早いだろう。ヘリが離発着出来る場所がいいんだが、まずそのヘリをどうやって用意するかだな」

 ワザと思案に暮れるような仕草を見せた。この時、役場側の席へ宇野が何気ない視線を送る。助役の2人は状況が少しでも動き出しそうな気配を感じ取り、期待の混じった眼差しを向けている。だが、こちらの関心は牧田の動向だった。

 本当は何かを知っているのではないか。そんな事を思いながら牧田をそれとなく見るも、特に変わった様子は見えない。しかし、それはそれで問題無かった。最も重要なのは、こちらが起こそうとしている事を向こうに察知されない事である。それがバレてしまうと、この場の関係性は一気に冷え込んでしまうだろう。

「それではこちらでヘリを用意しますので、相馬原の駐屯地へ移送しましょう。あそこならヘリも自由に降りられます」

 頃合を見計らったように田川一尉が発言した。ここからは、如何に役場側を介入させないかが重要だ。

「宜しいのですか」

「早急的な事態解決は急務です。そのためでしたら、協力は惜しみません。現場にはこちらの人員も同行させて下さい。何かアドバイスが出来れば恐縮です。それと申し訳ありませんが、我々は丸腰です。道中で野犬が出て来ないとも限りませんし、回収作業中に襲撃される可能性もあります。最低限の武器弾薬を我々も携行しますので、その準備が終わるまでは待って頂きたいのですが――」

 役場側の空気が変わった。一種の高揚感を醸し出している。後は押し切ってしまえばいい。

「分かりました。準備は進めますので、そちらの用意が整ったらお声掛け下さい」

「ありがとうございます。須藤二曹、連絡を頼めるか」

「はい」

 須藤が席を立った。会議室を出て行く彼に構う事もなく、会議は進んで行く。

「宇野消防監、感染者搬送用の陰圧ストレッチャーをお借り出来ないでしょうか。犬の死骸を運ぶのに必要となりますので、可能でしたら用意して頂きたいのですが」

 田川が宇野へ申し出る。これは仕込みに入っていなかったが、感染を防ぐには必要な機材だと判断した宇野はこれを承諾した。

「承知しました。大至急で用意させます」

 事態解決へ一歩進み出した事に、役場側の空気が柔らかくなった。牧田も皆と同じような表情で、心なしか安堵しているように見える。それが本心からなのか、裏で何か企んでいる事が明るみにならずに済みそうな事からなのかは、まだ分からない。


 佐川警視は現場に展開している警備部隊の中から、待機中の小型警備車1両に銃器対策部隊員2名と機動隊員4名を乗せて役場へ来るよう命令した。これに陸自隊員2名と移送用の陰圧ストレッチャーが同乗し、放置状態の死骸を回収するため再び上岸地区へと出向くのだ。

 命令を受けた小型警備車が役場に到着し、乗って来た隊員たちへ作戦の説明が始まる。この時間が終わる直前になって、相馬原駐屯地から新たに出発した軽装甲機動車と2両の高機動車が武器弾薬を運び込んで来た。

「装備受領後は別命あるまで待機。火器への弾薬装填はまだ許可しない。お互いに入念なチェックをしておけ」

 田川一尉の命令により、隊員たちが装備品の受け取りを始めた。1両目からは小銃やボディアーマー、2両目からは弾薬を受領し、役場の裏手にある倉庫の中で準備を進めていく。

 会議室では猪又と田川が死骸回収に伴う一時的なガイドラインを制定していた。回収作業中に野犬の襲撃が発生した際は、相互を護るために銃器の使用を許可。万一にでも傷を負った場合は上白井運動場の防疫拠点に一時収容の後、渋川医療センターへ搬送する事となった。

 阻止線崩壊と言う考えたくもない最悪の事態も想定し、第一次収容施設を渋川医療センター、第ニ次収容施設を渋川中央病院に選定。ベッド数はそれぞれ20床ずつを確保。渋川広域消防本部が保有する高規格救急車も6台を動員させた。

 また、野犬集団が道に沿って山を下るとまずこの役場がある敷地の前を通るため、境目の辺りに機関銃を搭載した軽装甲機動車と武装した陸自隊員を配置した。これでもし集団が下って来ても一応の抵抗は出来るだろう。こうして、取りあえずの陣容は整った。

秋山あきやま三曹、村瀬むらせ士長。この2名をそちらに預けます」

「分かりました、必ず無事にお返しします」

 装備を身に着けた秋山と村瀬が小型警備車に乗り込んだ。基本的に回収作業は同乗する機動隊員が行うので、武装した計4名はそれを見守るか場合によっては銃器を使用して援護する事となるだろう。

「では、出発します」

「頼んだ」

 赤色灯を回し、サイレンを高らかに鳴らす小型警備車が走り去る。夜の森に赤い光を撒き散らしながら山道を疾走するその姿は、何者をも寄せ付けない威圧感があった。

 それを見送った猪又と田川は、作戦を次の段階へ進めた。小型警備車の進路確保と、上岸地区以外の場所に野犬が居ないかを探る名目で、軽装甲機動車を使用したパトロールを行うと役場側に進言。これには機動隊の現場指揮官車1両が同行する。投石防護用の金網を装備しているので、野犬に囲まれても無碍にやられる心配は無いだろう。人員は武器弾薬の搬入に伴って増援としてやって来た偵察隊員5名と、阻止線から新たに呼び寄せた銃器対策部隊員が4名の編成だ。

 

 現場指揮官車と軽装甲機動車によって編成されたパトロールチームは、先発した小型警備車を追い掛けるように出発した。先頭を行く現場指揮官車に乗り込む、銃器対策部隊第3分隊長の新田にった巡査部長が車載無線機を持ち上げ、予め打ち合わせしていた周波数に合わせて陸自側と交信を図る。

「こちら現場指揮官車、銃対第3分隊長の新田巡査部長です。後続聞こえますか」

 返事は直ぐに返って来た。軽装甲機動車に乗っているのは、第12偵察隊の増援だ。

『第12偵察隊、堀越ほりこし陸曹長です。感度は良好、問題なく聞こえます』

「了解です。こちらの人員は、私を始めとして安岡やすおか関口せきぐち坂東ばんどう巡査となります」

 続いて、陸自側が隊員たちの名前を伝えた。助手席に座るのが堀越。運転手は大津おおつ三曹。銃座に赤羽あかばね士長。後部座席は鷹山たかやま筒井つついの両一士である。

「それでは、行動手順を再確認します」

 2両はこのまま前進。阻止線で行われる死骸の回収を見届けた後、更に山の上を目指して進む事になっていた。山を下った向こう側では、県警機動隊の第3小隊が規制線を張っているので、取りあえずそこまでをパトロールする予定である。

 道中は舗装こそされているものの、街灯が無いので速度を出した運転は出来ない。下手をすれば文字通り谷底へ真っ逆さまだ。しかも山側は岩肌がむき出しになっている場所も多く、所々で森林が地獄へ誘うようにその口を開けていた。無闇に踏み込めば、引きずり込まれて食われるのではないかとも思える。

「ドローンをお持ちだと小耳に挟みましたが、本当でしょうか?」

『はい。状況に応じて使用します。詳しくは話せませんが、夜間でも使用出来ます」

 新田たちは堀越の言葉に安堵した。ドローンのように便利なツールがあるなら、不意に襲撃される事もないだろう。特に銃対の4名は、偵察隊の隊員たちと違って夜間行動を補助出来るような装備が無い。有難い限りだ。

「分かりました、当てにさせて貰います」

 こうして2両は山道を進んでいった。上岸地区に到着した所、既に死骸の回収が終わったらしく、小型警備車が狭い道で苦労しながら方向転換しようとしている場面に遭遇した。

 堀越たちは阻止線に展開する県警機動隊第2小隊長の小原警部補や、銃器対策部隊長の八幡警部と顔合わせ及び情報共有を行い、予定している行動計画書を手渡した。同時に、何があってもこちらへの増援や救援は必要ないとも伝える。

「既に通達が行っていると思いますが、この事態が人災による物かどうかを調べるための行動ですので、無駄足に終わる可能性もあります。もし最悪の場合でも、銃対の方々はお返ししますのでご安心下さい」

 堀越の発言に、八幡が食い下がった。

「いえ、こちらとしては決死隊を送り出したに等しい人選です。携行している実包も予備を含めて我々の倍を渡しています。ですので、特別扱いはしないで頂きたいです」

 あの4人は死を覚悟した上で呼び掛けへ応じた事に、堀越は驚いた。だが当然だ。噛まれれば即ち死を意味するようなこの病気には、相応の覚悟が無ければ立ち向かえないだろう。こちらもそれぐらいの気持ちで望まなければならないと言う事に、自身の心を改めた。

「分かりました。責任を持ってお預かりします」

「宜しくお願いします」

 堀越、小原、八幡の3人は固い握手を交わして別れた。小型警備車の下山を見送った後、2両は山の上を目指して走り出す。


渋川署 交通捜査課

 上岸地区で発生した異常事態対処のため現地に赴いた猪又次長の要請により、交通捜査課の係員たちはここ数日の内に市内で発生した交通事故の記録を洗い直していた。特に運送業者のトラックや、個人輸送事業主として走っているトラックに関してを重点的に探っている。

 そんな中、二週間前に上岸地区でトラックが横転炎上した単独事故の記録を見つけ出した白井巡査部長は、初動対応に当たった沼田署の警官に詳細を聞くため電話のダイヤルボタンを押していた。

「もしもし、渋川署交通捜査課の白井しらい巡査部長と申しますが、柄本巡査部長は居られますか」

 相手も同じ交通捜査課の人間だ。別に何かを追求する訳でもないし、この事故の話を聴くだけなら警戒される事はないだろう。

『柄本ですね、少々お待ち下さい」

 保留音が鳴る間、資料を捲り続けた。10秒ばかりが経過した頃、相手が電話に出る。

『お待たせしました、柄本ですが』

「白井と申します。二週間前に当署の管轄で発生したトラックの単独事故で初動対応に当たって頂いたと思いますが、もう1度詳細を聴けないでしょうか」

『ああ、あの事故ですか。でも、そちらに提出した報告書以上の事は分かりませんよ』

「因みにですけどこのトラックは、感染症医療研究センターから排出されるゴミを運んでいたと調書にありますが、積荷については何か言っていましたか」

『車体の殆どが燃えてしまっては何を積んでいたかもう余り意味は無いと、初期消火を行った処理施設の職員が言っていましたのでこちらも深くは追求しなかったんですがね。何かありましたか』

「上岸地区で現在発生している異常事態ですが、これの切欠を探っているんです。もしかすると、この事故の時に何かが流出した恐れがあります。これ以外で怪しい事件事故が今の所は無いんです」

 そこまで言うと、柄本は押し黙った。あの時、もっと上司にしつこく上申するべきだったと悔んでいるのだろう。

『くそ、今になって繋がるか。調査不足でした。大変申し訳ありません。何か手伝える事はありませんか』

「こちらは事態への対処と関係機関の調整で手一杯です。可能なら、このトラックの管理会社と連絡を取って貰えますか。出来れば積荷のリストが欲しいです」

『分かりました、直ちに行います』

 電話が切られた。同時に白井は立ち上がり、今の内容を課長に報告した。これを受けて、交通捜査課の係員2名と鑑識1名の派遣が決定。役場側に動きを悟られないよう、刑事課の協力によって覆面車で急行した。


 現地でパトロールの第二陣として準備を進めている陸自の高機動車へ乗り込んで、そのまま待機していろとの命令があったのでこっそりと入り、鑑識機材を抱えて出発の時を待った。

 既に渋川署から猪又を通じて3人の事は陸自側にも通達されているため、バックドアから乗り込んで来た完全武装の陸自隊員たちは何食わぬ顔で3人を取り囲んで座った。足元に垂れ下がる小銃の銃口に驚く間もなく、1人の隊員が話し掛けて来る。

「陸上自衛隊第12旅団、第12偵察隊の加藤かとうと申します。件の事故現場には既に我々と銃器対策部隊の合同チームが向かっていますので、それを追い掛けます。現場検証中は我々が防護しますのでご安心下さい」

 3人は、拳銃を持って来なかった事を悔んだ。もっと言えば、それについて一言も発しなかった上司たちを恨んだ。ここは身を護る物が必要になる危険な場所なのだ。気付くチャンスは幾らでもあったが、どうして何も言ってくれなかったのかと心の中で恨み言を吐き続けた。

「……どうしました」

「あ、いえ。何でもありません。申し遅れました。交通捜査課の宮内みやうち警部補です。こちらは岩木いわき巡査部長です。それと鑑識の安達あだち巡査。この3人で捜査を担当します」

「岩木です」

「安達です、宜しくお願いします」

 挨拶もそこそこに高機動車は出発。大きな車体の割に快適な乗り心地だと思った。しかしその道中、3人は横目で車体前方の中央に立つ隊員をチラチラ見ている。そこには機関銃が備え付けられているため、異様な空気を感じさせる慣れない存在となっていた。

 その頃、上岸地区から回収された野犬の死骸は、無事に陸上自衛隊相馬原駐屯地へ到着していた。


陸上自衛隊 相馬原駐屯地

 赤色灯を回してサイレンを鳴らす小型警備車が、正門から敷地内へと入って行った。警衛隊によってグラウンドまで誘導されて停車する。

 車体から降ろされた陰圧ストレッチャーには、既に死後数時間が経過した野犬の死骸2体が鎮座している。同乗していたガスマスクを装着する機動隊員たちによって迅速に運び出され、駐屯地内のヘリポートで待機中のUH-60JAへと乗せ換えられた。

「この状態で外に内部の空気が漏れ出る事はありません。このまま運んで頂いて大丈夫ですが、取り扱いには十分に注意をお願いします」

「分かりました、後はお任せ下さい」

 エンジンスタートによって高周波が一帯を包み込む。機動隊員たちがヘリから離れると、ローターが回り始めた。力強いエンジンの音を撒き散らして機体がゆっくりと浮かび上がり、機首を南東に向けて飛び去って行く。現在の時刻は夜の23時を少し回った所だ。東京に到着するのは、早くても30分から40分後である。あのヘリが何所に降りるのかまでは聴かされていないが、目的地の国立感染症研究所までは今暫くの時間が掛かるだろう。

 ヘリを見送る4人の機動隊員は、自分たちの仕事が終わった事に安堵していた。同乗する銃対隊員2名と秋山三曹に村瀬士長もまた、ヘリを眺めながら同じ気持ちに浸っている。

「戻りますか、三曽」

「その前に消毒だ。念のためマスクも取り替えるぞ。警察の方々もこちらへどうぞ。化学防護隊が用意を整えています」

 全身を覆うゴム製の防護スーツに身を包んだ隊員が近付いて来た。6人はそのまま消毒テントに案内され、そこで銃器や装備類に付着したウイルスを除去するための処置を受けた。

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