~深淵の空から~③

 わたしの見解を聞き終わった刑事が言った。

「やはりそうでしたか……この署にも、先住民族の末裔のモノが勤務していて、先生と同じように代々伝わり聞いた『深淵の空から這い出てくるモノ』に似ていると言って怯えていました。

怪物が出現した大学図書館がある土地は、先住民族から『忌む地』と呼ばれて畏怖から、特別な地として扱われてきたそうです……ダン・ウィッチ卿と、その娘が居住する先祖から受け継いだ屋敷も『忌む地』の中にあるそうです」


 刑事が、わたしの心中を察知したような口調で言った。

「ダン・ウィッチ卿に、直接会って真相を確かめるのはやめてください。屋敷がある管轄地区は、お恥ずかしながら治安があまり良いとは言えませんので……署としては身体の安全保障はできません」

 椅子から立ち上がった年配の刑事は、ドアを開けると、わたしに向かって。

「今日は、おいでくださりありがとうございました。参考になりました……後は我々にお任せください」

 そう言って微笑んだ。



 警察から家に帰ってきたわたしは、書斎で『深淵の空から這い出てくるモノ』に関する書籍や文献を、見落としていなかったかと再確認をした。

 以前に読んだ時は、見落としていた数行に『深淵の空から這い出てくるモノ』に関する記述を再発見した。

 それによると、忌み地近くに居住していた先住民族と『深淵の空から這い出てくるモノ』の間で交流らしきコトを、試みた時期もあったらしい。


 先住民族のシャーマンは『深淵の空から這い出てくるモノ』を呼び出す方法を知っていて。

『深淵の空から這い出てくるモノ』から、運命を知る叡智を得ていた。

 そして、文献に挟まっていた新聞記事の切り抜きには、忌み地には洞窟のような横穴を掘った、海塩が練り込まれた赤土の盛り丘が存在していて。

 数多くの掘られた赤土の穴の中には、入り口を積み石や土で閉じられ……穴の中に白骨化した先住民族の遺体が数十体、近年に発見されたとの記事が書かれていた。

 さらに奇怪なコトに、発見された白骨は。すべて下顎が縦に裂けていたと記事には書いてあった。


(今の今まで、こんな新聞の記事を切り抜いて、本の間に挟んでいたコトさえ忘れていた)

 わたしは、下顎が縦に裂けた白骨が『深淵の空から這い出てくるモノ』と、何か関連がありそうな気がして仕方がなかった。


 それから数日後──わたしが呼ばれた警察から連絡があった。

 ダン・ウィッチ卿の屋敷が全焼してしまい、ダン・ウィッチと娘のルイエの消息は不明で現在出火原因と二人の安否を確認中だという。

 警察からの電話を受け終わった時──玄関のチャイムが鳴り、郵便局員が玄関に立っていた。

 受取人指定の配達指定日時の封筒にサインをして、封筒を受け取ったわたしは書斎で差出人の名前を見て、心臓に氷の短剣を突き立てられたような衝撃を受けた。


 差出人の名前は、ダン・ウィッチだった。

 震える手で持ったペーパーナイフの柄でロウ封を砕いて封筒を開封すると。

 中には数枚の手紙と厳重に礒の香りがする、海塩紙で封をされた封筒が入っていた。

 直筆の手紙の冒頭はこんな言葉ではじまっていた。


『我が親愛なる知人、ミスカ・トニックへ──警察からの電話で、わたしの屋敷が燃えたことを知ったと思う……この手紙は、その直後に届くことだろう』

 その一文だけで、わたしは恐怖した。


 わたしは、引き寄せられるように文面の続きを読む。

『まず、何から話したら良いものだろうか……少なくともこの手紙を、君が読んでいる時は、わたしと娘はこの世にはいないだろう……わたしは君が警察で語った『深淵の空から這い出てくるモノ』との接触に成功して叡智を得た……まずは、君が警察で見せられた。図書館の防犯カメラに映っていた映像について語ろう……わたしの手紙には混乱するだろうが、最後まで読み終えてほしい』


 手紙には『深淵の空から這い出てくるモノ』 の助言で、図書館に忍び込んだ目的は。

 先住民族シャーマンの最後の末裔が書き残して図書館壁の亀裂に隠してあった。

『深淵の空から這い出てくるモノ』について詳しく書かれた、手記の手帳を見つけるためだったらしい。

 

『先住民族のシャーマンは、より適切に『深淵の空から這い出てくるモノ』と交流をさらに深める方法を知っていた……わたしは、それを知るために図書館に忍び込み……そして、眠りの中で自動書記で彼ら『深淵の空から這い出てくるモノ』と、意思を的確に伝え合う方法を手帳から学んだ』


『彼ら〔深淵の空から這い出てくるモノ〕は、邪悪な存在ではない……むしろ人間には好意的で、人間と交流を深めるコトを望んでいた……その親愛の印に彼らが、人間に与えるのは〔変えられない運命の近い未来を見るコトができる力だった〕……古代の先住民族にとって、天候の異変で発生する厄災は食糧難の死に直結する、重大な問題だった……干魃かんばつ、洪水、長雨、山火事……シャーマンは『深淵の空から這い出てくるモノ』の力を借りて少し先の未来を知り、先住民族は食糧を蓄え全滅から逃れる』


 そして『深淵の空から這い出てくるモノ』から、変えられない運命の未来を知る力を与えられたシャーマンは。

『深淵の空から這い出てくるモノ』の、異界からの干渉にやがて精神に変調をきたして。

 先住の民の手によって

赤土の丘の穴に閉じ込められる』

 ダン・ウィッチの手紙には、わたしが疑問に感じていた白骨死体の下顎が縦に裂けていた事柄にも触れていた。


『深淵の空から這い出てくるモノ』の本当の名前は人間の声帯では発音できない、ムリに発音しようとすると下顎と喉が縦に裂けてしまう。

 閉じ込められた暗い穴の中でシャーマンは、『深淵の空から這い出てくるモノ』の真の名を叫び、自らの命を絶つ──それが、必要以上に人間と交流を持ちたがっている怪物から逃れる唯一の方法だった。


『──人間は、未来を知らないから生きていける。今日明日に起こる変えられない運命が頭の中に次々と勝手に浮かんでくることが、どれだけ苦痛と恐怖なのか……わたしは知った』

 ダン・ウィッチの手紙は四枚目に突入して。

 わたしは、読み続けた。

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