6-3. 散歩道

「分かったこと?」

 私は首を傾げる。

「何が分かりました?」

「犬だ」

「犬」

 いきなり核心的なところに迫ってきて、私は驚きを隠せなかった。だが私の驚きの表情は、どうやらただの関心として受け取られたようだ。

「呪われた家政婦。部屋まで様子を見に行ったな」

「行きましたね」私は頷く。

「犬が好きなようだ。柴犬を象ったマスコットやぬいぐるみが置かれていた。犬と撮った写真なんかも飾られていた。どちらの部屋にもだ。被害に遭っていた家政婦二人の共通項は『犬が好き』だ」

 彼の話はまだまだ続く。


「次に嘉穂さん。彼女の部屋にも写真がいくつか。その中に息子の緑逸くんが犬を抱きしめている写真が何枚かあった。ただ単に息子が好きなだけなら息子単体が写っている写真でいいはずだ。複数の被写体が写る写真があっても家族の集合写真なんかが普通だろう。わざわざ犬と一緒になっているところを撮って、それを飾っているということは犬が好きなんだろうな、多分」

 そして、とコンさんは続ける。

「嘉穂さんの部屋の写真で分かったように、息子の緑逸くんも犬が好きだ。抱いて写真に撮られるくらいだからな。最後に親戚のあの女子高生。話を聞くところによると月に一度ペットのチャブを連れてこの家に来るらしいな。犬が好きだ」


 コンさんはすっと顎を撫でる。髭が丁寧に剃られたつるりとした顎。

「犬が関係しているらしいことは分かった。だが問題は、どういう仕組みで家族が呪われるか、だ」

 コンさんはさらに具体的な話をし始めた。

「まず考えられる条件は『犬に触れた』だ。犬が呪物になっていて、触れた人間を誰彼構わず呪う。けどこの条件は棄却できそうだ。庭を見て分かったよな。呪われていない家政婦さんたちがおやつやおもちゃでチャブをあやそうとしていたが見向きもされていなかった。きっと撫でたり抱き締めたりということもしているはずだ。それなのに呪われていない。つまり犬との接触は条件じゃない。そもそも接触が条件なら、親戚の女子高生がこの家に来るまでの過程で呪いに苦しんでいる」

 なるほど、面白い。私は少し、助け舟を出してみる。自分の首を絞める助け舟だが、しかしこの霊能力のない人間がどこまで私の呪いに迫れるか、試してみたくなった。

「……呪いにはいくつかパターンがあります。物が呪われている場合、場所が呪われている場合」

「……そしてその複合型」

 私は笑う。なるほどいいセンスをしている。

「パターンAとパターンBがあるならパターンA&Bもあって然るべきだ。例えば、呪われた物品がこの家に着いた途端発動するようになっていたら? 三度の襲撃で、この家に恨みがある人間が呪いをかけていることは明らかだ。この家を狙い撃ちにするなら、ある物品に呪いをかけておいて、それがこの家の敷地に入った途端に発動してくれた方がいい。呪いのネタを外で仕込むことが出来て、なお且つ家にいる人間だけを集中攻撃できる」

「一理ありますね」

 私は平静を保ったまま続ける。

「となるとあの女子高生が持ち込んだ物に呪物があると考えるべきですね?」

 あえて私は正解に誘導する。だが捻くれ者のコンさんのことだ。こう言えば、きっと……。

「その可能性はある。だが他のことも検討しておかなければ」

 ほらね。


「他の可能性としては何がありそうでしょう」

「女子高生は親戚だと言ったな。遊びに来ればお菓子くらいは出すだろう。家政婦二人がそのお菓子に触れることは考えられる。女子高生の叔母に当たる嘉穂さんと、従兄弟の緑逸くんがその菓子に触れることもあるだろうな」

「お菓子が呪われていた場合」

「外から呪物を持ち込んだのなら、例えば靴が呪われていたということも考えられる。呪われた靴でこの家の敷地を踏んだ途端に呪いが発動する……これは呪う対象を狙えないから、あり得そうなパターンではないが」

 もっと情報がいるな。コンさんはすたすたと歩きだすと廊下で呆然としていた爺さんを捕まえた。


「呪いは一度に発動したのか? いきなり五人が苦しんだ?」

「いや違う」

 爺さんは慌てて首を振る。

「まず麗良が苦しみ始めた。緑逸の従姉妹だ。次に緑逸が、そして嘉穂が、最後に家政婦が二人……」

 そうか。チャブはその順番で「家族」を認識していったか。飼い主、次に遊んでくれる家人たち、最後に餌をくれたり構ったりしてくれる家政婦たち。

 簡単だ。「犬が懐いている人間が呪われる」。ただそれだけの仕組みだ。私がかけた複雑な呪いも、現象面だけを見れば「犬が懐いているか懐いていないか」の呪いに過ぎない。


「麗良っていう女子高生が始まりだったんだな……」

 コンさんは鋭い目つきで玄関の方を見る。

「やれるだけ……やってみるか」

 そのまますたすたと歩きだすコンさん。何をするのだろう、と好奇心から私はついて行く。

 荒い息のまま床に伏す相見麗良がいた。その隣には同じく虫の息の緑逸くん。父親なのだろう。中年の男性が縋るようにして二人に手を添えている。またしても私は、ほくそ笑みそうになるのを堪えながら、コンさんの様子を見た。彼はぶつぶつとつぶやいていた。

「この間は受川くんが近くにいたからうまくできたが……頼む」

 立て続けに何本か、相見麗良の額に線を引いた。

「臨兵闘者皆陣列前行」

 九字を引いたのだと一目で分かった。

 だが狐眼の呪いは九字くらいでは打ち消せない。多少効果はあるだろうが、根本的な解決にはならないはずだ。さて、コンさんがここからどんな手を見せるのか……。


「話せるか? 話せるな?」

 痛みに喘ぐ相見麗良を助け起こしながら、コンさんが訊ねる。九字が多少呪いを和らげたのだろう。まぁ、意思の疎通くらいはできるようにした、というところか。

「最近何か変なことはなかったか? どんな些細なことでもいい。不思議なこと、不自然なこと、なかったか?」

「不思議な……こと? 不自然な……こと?」

 苦しみながらも彼女は、必死に頭を働かせているらしかった。脂汗が額に滲んでいた。かわいそうに。かわいそうに。

 まるで神様に縋るような目つきで天井を見つめていた相見麗良は、不意に、自分の後ろ髪を掴むと、それをコンさんの方に示した。それから告げた。

「髪紐が……ちぎれました。買ったばっかりだったのに……」

「紐が、ちぎれた」

 どこでだ? 続けざまにコンさんが訊く。相見麗良は答える。

「チャブの……散歩道の……途中……」

「散歩道の途中? いきなりか?」

 相見麗良は頷く。

「その道の特徴は? どこで紐が切れたか、何か目に付くもの、目印になるようなものはなかったか?」

「なかっ……た……何も……ないところ、で……」

「何もないところで……?」

 打つ手がなくなったのだろうか。

 コンさんが拳を握って項垂れた。まぁ、そうだろうな。「何もないところで紐が切れた」。情報としてはゼロに等しい。後少しというところで手がかりがなくなったのだ。


「なぁ、なぁ、あんた、あんた」

 ふと気づけば、緑逸くんを抱いていた父親らしい中年男性がふらふらと、コンさんの元へやってきていた。腕の中にはぐったりした緑逸くん。ははぁ、なるほど。どうやら。

「麗良ちゃんにやったことを、緑逸にもやってくれないか。少しでも、少しでも楽になるなら……」

 コンさんは困ったような顔をしたが、しかし相見麗良で一応の効果があることを確認できたからだろう。すぐさま「臨兵闘者皆陣列前行」と緑逸くんの額に九字を切った。途端に、荒かった緑逸くんの呼吸が少し穏やかになった。するとコンさんが不意に、顔を上げた。

「九字を切る……切る……紐……」

 おや。もしかしたら。

 私は笑う。どうやら彼は、何か思いついたみたいだ。

「ウー。犬の扱いは?」

 訊かれる。犬の扱い? そんなのどうってことはないよ。私は暴れる犬を狐と一緒に箱の中に詰められるくらいには犬の扱いには慣れている。

 まぁ、とは言えず。

「実家では犬を七匹飼っていましたね」

「じゃあ、チャブを頼む」

 コンさんはポケットから車の鍵を取り出した。それからぐったりする相見麗良に告げた。

「チャブの散歩道を教えてくれるか?」

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