ブレークポイント

愛してないの?

 町を歩く。僕だって町くらいは歩く。

 ウーが僕に「ランチに行きませんか?」と誘ってきた。六本木に行くのは本当に久しぶりだったが、相変わらずいけ好かない町だった。金持ちが金の匂いをちらつかせてる町。

 そんな町にある飲食店だからやっぱりどこか鼻持ちならないというか、癇に障る店だった。僕の目の前に座ったウーが笑った。


「コンさんはこういう店、嫌いそうですね」

「君と食べるなら中華が良かったんだが……」

 ここは見た感じイタリアンである。

「中華にすると、僕の気が強くなりすぎます。今日はコンさんとフェアにお話ししたくてお呼びしました」

「フェアな話って?」

 僕はメニューを広げる。「地中海の気まぐれジェノヴェーゼ」「シェフの基本、アーリオオーリオ」……まぁ、何と洒落たこと。


「あのお方がお困りです」

 ウーの言葉に、僕はメニューをめくる手を止める。

「お困りとは?」

「まぁ、これを見てください」

 ウーがスマホを差し出してきた。画面には、一枚の画像が表示されていた。

 どうやら公園を撮影したものらしい。吸い込まれるような青空の下、青々した芝生が広がっている。美しい写真だ。ただ、一点を除けば。

「こんな女性、僕が撮影した時はいなかったんです」

 ウーが示す先。

 芝生の隅。白い服を着た女性。長い髪で顔が隠れている。

 でも分かる。顔が見えなくても、服が没個性的でも、髪型が滅茶苦茶でも分かる。

 美咲だ。これは美咲だ。


「いわゆる心霊写真ですね」

 淡々と、ウー。

「今時こんなの画像編集でいくらでも作れるぞ」

「……作ることにメリットがありますか?」

 ウーの真っ直ぐな言葉に、僕は口をつぐむ。

「あの方が彼方に送ったはずの彼女が、此方に来ている」

 ウーはやはり淡々と告げる。

「あのお方は日本古来の神様ではありません。私と同じ大陸出身、私たちの言葉で言うとフーシェン(狐仙)です」

 分かってる。そんなことは分かってる。

「日本の神様より力が強いです。受川さんの神社は、そんなあの方の力を受信できる唯一の場所、言ってしまえば本場中華料理店の日本支店……」

「そんなありがたみのなくなる例えはやめろ」

 しかしウーはにこりともせずに(もともとにこやかな顔なので表情としては柔らかいのだが)続ける。

「大陸から海を越えて力を送ってくださっています。国際通信みたいなものなので、多少ですが、弱まります。しかもあのお方は、わざわざ日本の形式に合わせた形であなたの願いを聞いて下さっています」

 あの方が僕を戒める時に見せてくる赤い鳥居。

 あれがあの方が日本様式に合わせてくれた結果、らしい。

「それでもあの方がコンさんの言うことを聞いてくれるのは、あなた方夫妻が新婚旅行で行った中国で、あの方に所縁のある獣を助けたからです。言わば義理を通しているだけ」

「分かってる」

「そんなあなたが不義理を働いて、一度彼方へ送ったはずの彼女をまた此方に呼び寄せてしまうと……」

「分かってる。分かってるさ」


 僕はメニューをテーブルに置く。

「僕だって頑張ってるんだ」

「迷える魂を導いてあの方の実績を作ったとしても、あの方が応じる義理はかつてあなたが助けた獣の恩だけ」

「中国の田舎で狐一匹助けただけでここまでやってくれることには感謝の念しかない」

 僕はイライラとテーブルを突いた。

「分かった。分かったよ。だから、少し待ってくれるようあの方に伝えてくれ」

「……胡、黄、白、花、そう呼ばれることに、あの方は抵抗を覚えていません。好きな呼び方をしていいとおっしゃっています。僕としては音が同じ胡を推奨しますが……」

「君だって『あの方』と……」

「それはコンさんがそう呼ぶからです」

 僕は黙る。


「気持ちに嘘をつくのは辞めた方がいいですよ」

 ウーの言葉が、ちくりと胸に刺さる。

「あなたは嘘をつくのが仕事だと思っているようですが」

「分かった。分かったよ」

 僕は手を挙げウェイターを呼ぶ。

「善処する。許してくれ」

 ウェイターが注文を聞きにやってくる。僕はアーリオオーリオを頼むことにした。

 背後で、おそらく痴話喧嘩か、恋愛相談でもしていたのだろう。女性の声がした。


「愛してないの?」

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