第32話 憎悪

 クッソ。さっきまで俺が完全に支配していたはずなのにあいつにしてやられた。


 まさかこんな展開になるなんて思ってもみなかった。顔を上げると俺の連れは全員黙って下を向いたまま、まるで作業かのようにただ食べ物を口に運んでいた。周りの客は美味しそうに食べているのに俺たちだけはちがった。料理はめちゃくちゃ美味しいはずなのに全く味がしない。

 この場にいてはいけない、場違いな人間であることはこの店に入った時に身をもって感じた。だがあいつらだけでなく他の客までが俺たちを見下すような目で見てくる。それが余計に俺たちを惨めにさせた。


 いつもそうだ。学校でもバイト先でも。


『お前は何の取り柄もない、ほんの少しだけスポーツができるだけのクズなんだから黙って言うこと聞いておけばいいんだよ』


『あのな、高校辞めたきゃ辞めていいんだぞー? どーせいてもいなくても同じだからなぁ。ただな、働こうと思ってもお前を雇ってくれるところなんてないからな? 役立たずだからな』


『あー君、もう来なくていいよ。お客さんから苦情が入ってね。君がいるとお客さんが減るんだよね。だからクビね。もう上がっていいから』


 確かに俺はクズだよ。どうしようもないクズだ。しかし最初からそうだったわけではない。真面目だった頃だってあった。だけど俺は悪くない。大人たちが俺をこんな風にしたんだ。




 あれは小学生の時だったか、クラスで金持ちの奴の筆箱がなくなるという事件が起こった。その筆箱は当時ではとても珍しく、みんなが欲しがっていた。


「西島君、後で先生のところに来てね」


 犯人の可能性はクラスの誰にでもあったはずなのに真っ先に疑われたのは、俺だった。それも俺を疑ったのがクラスの誰でもなく担任だった。

 俺は盗んだ奴を知っている。盗るところを見たから。だから俺は犯人じゃないと言うために先生のところに行った。するとそこには校長、教頭、学年主任、担任の四人の先生が座って待っていた。


「君が筆箱を盗んだ西島君かね?」


「俺じゃない!!」


 なんで俺が盗んだってすでに決めつけてんだよ。


「まぁ落ち着きなさい。西島君はまだ小学生だから牢屋に入る事はない。きちんと相手とその親に謝って盗んだものを返せば許してもらえる。だからちゃんと謝るんだよ?」


「だから俺じゃねーって言ってんだろ!」


「西島君、落ち着いて。あなたの気持ちは分かるわ」


 校長と教頭に反論していると、担任が俺をなだめた。"あなたの気持ちは分かる"、その言葉を聞いて俺の味方をしてくれる大人が現れたんだと、スッと怒りが静まった。

 しかしそれはほんの一瞬だった。怒りは増幅してすぐに込み上げてきた。


「どうしても欲しかったのよね?」


 味方ではなかった。それもそうだ。俺は怒りのあまり忘れていたが、初めから疑って俺をここに呼び出したのも担任だった。


「でもお金がなくて買えないからといって人の物を盗るのはいけないことなの。泥棒がいけないのは知ってるでしょ?」


 俺の家はかなり貧乏だった。みんなが当たり前のように持っている物を俺は持っていなかった。ランドセルや上履き、洋服などほとんど親戚や近所の人から譲ってもらっていた。鉛筆だって小さくなって削れなくなるまで使ってたし、消しゴムは使ってなくなったら集めておいた消しカスを消しゴムの代わりにしていた。給食費も滞納していた。

 だが俺はいじめられることはなかった。親に教わったように周りに優しく接し、友人を大切にしていた。困っていたら助け、普段から自分にできることを精一杯やっていたからだと思う。


 それが今はどうだ。この現状は一体なんだ。子どもではなく大人が貧乏を理由に真っ先に俺を疑い、俺が犯人だと信じて疑っていない。しかもその大人が教育者の立場にある人間というのが問題だ。普通こんなことを言う先生や学校はあり得ないだろ。

 

 まずはここに盗った筆箱を持ってきなさいと言われ、担任と教室に戻った。俺は一目散に犯人のところへ行って問い詰めた。


「犯人はお前だろ!俺はお前が筆箱を取る瞬間を見たんだよ!」


「ぼ、僕はそんなことしてないよ!しゅ、しゅ、修也君がと、盗ったから連れていかれたんでしょ!」


「ふざけんなよ!!」


「つ、机の中に入ってるんだろ!」


「あるわけねーだろ!」


 俺が胸ぐらを掴もうと手を伸ばしたところで担任が俺と犯人の間に入り止めてきた。


「何すんだよ!」


「やめなさい。盗っただけでなく、それを人のせいにするなんて最低よ」


「だから俺じゃねーんだよ!」


「なら机の中を見てもいいわね?斉藤君はそこに入っていると言っていたわよ?」


「見ればいいだろ!ないもんはないんだよ」


 俺の態度にクラスメイトは完全に引いていた。というよりビビっていた。すでにかつての俺はもういなかった。こんなことされて黙っていられるわけない。担任が俺の席へと向かっている間、俺は斉藤を睨みつけていた。しかし斉藤はビビるどころかにやけていた。なんでと思った直後、その理由は分かった。


「西島君、あなたの机の中に入っていたこれは一体何ですか?自分の口ではっきりと言いなさい」


 担任が俺の方を見ている今、斉藤は俺に怯えているような表情を作っていた。俺が担任を追うようにして教室を出た時にこいつが机の中に入れたんだ。誰にも気づかれないように。その証拠にクラスメイトからは最低だ、泥棒だと冷ややかな目で俺を見ている。冤罪なのにこの状況をどうすることもできない俺に残された道なんて一つしかなかった。


「筆箱」


「もう一度校長先生のところに行きますよ」


 そして俺は強引に手を引っ張られて教室を出た。その時俺にしか聞こえない声で担任は言った。


「あなたは嘘をついたのよ?本当に最低な人間です」


 そこから俺はやってもいないことを反省させられ、謝罪をし何故か二度とこういったことをしないと約束させられた。


 俺という人間を変えるのには十分すぎる出来事だった。本当に最低な人間は俺じゃなくてお前らだ。この学校はどうしようもない大人が集まっている。みんな死ねばいいと思った。


 後日、俺は親とともに学校に呼ばれ、転校することを勧められた。勧められたといっても半ば強制的に転校しろと言われたんだけど。俺としてはこんな学校にいたくなかったのでラッキーだった。そして転校してから俺は親に捨てられることとなった。アパートの部屋には通帳だけが置かれていた。

 親に教わったことなんて意味なかったんだ。結局金なんだよ。だから俺は力でねじ伏せようと思い、暴力の道を歩いていくことを決めた。



 ここの店にいる俺たち以外は金を持った、不幸なんて知らないような奴らだろう。ここで暴れても捕まるだけだ。捕まっては意味がない。ならどうするか、そんなの決まってる。


「おい、お前らもう食ったな?この店を出るぞ」


 連れは俺の言葉に黙って従った。おそらく今もまだ萎縮してるんだろう。無理もない。俺もさっきまでそうだったからな。でももうちがう。

 

 俺はこいつら英才科のおかげで再び思い出すことができた。


 これから楽しみにしてろよ。


 俺はニヤニヤが止まらなかった。

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