「奇妙な朝」

「えへへへ、おはよ♥」

「……あぁうん。おはよう」


 もう少しで鼻と鼻がぶつかってしまうんじゃないかと思うくらいの至近距離から放たれた挨拶に、私は何とも言えない表情で答えた。こんな朝っぱらから勇者はベッドの脇の椅子に腰かけ、私の顔をじっと食い入るように見つめていたわけだが、一体この人はいつからこうしていたのだろうか。……なんだか怖くなってきたので考えないことにした。

 それよりも、


「……」

「どうかしたの?魔王」

「いやなに、異空も日は昇るのだなと思ってな」


 ここは異空。勇者がその魔力で生み出した異世界で、私は今勇者の手によってこの世界に幽閉されているのだが、魔導の道を究めんとするものとしてはこんな状況でもやはり興味が勝ってしまっていた。何しろ異空は伝承にのみ伝え聞く神代の秘術である。その仕様や特徴が気になってしまうのも致し方ないというものだ。


「うん。ここはボクの生み出した世界ではあるんだけど、ゼロから世界を創るのって疲れるからさ。ある程度はボクたちのいた世界の記憶をベースにしてるんだよね。だから基本的には元の世界とあんまり変わらないよ」

「ふむ……」


 勇者の解説を聞いて、私はしばし考え込んだ。ということは、術者の認識をもとに発動するタイプの魔術という事になるのだろうか。

 細かな物理法則や魔力の流れや何かを全て意識して作り上げることに比べれば、まだ自身の記憶に基づいて作り上げる方が労力的にもバランス的にも効率がいいのだろうが、こんな形式の魔術はお目にかかったことがない。これも勇者の桁外れな魔力がなせる業だというのだろうか。


「やっぱりこういう魔術的なことって魔王的には気になるものなの?」

「ああ、まあ少しはな。あと魔王はやめてくれ、ヘリオスでいい」

「ぇえっへ、よ、呼び捨てっ、い、いきなりはハードル高いよぉ♥」

「……」


 あの距離で寝ているところを凝視したり、昨日みたいにトイレを無理矢理覗こうとしていた奴のセリフとは思えない。こういう恥じらいとか奥ゆかしさ的なものはもっと早い段階で出してほしかったものだ。


「まあそんなことは置いておいて、と。勇者……じゃないな。セレーネ、聞きたいことがあるんだが」

「よ、よびっ、よびすっ、え、えへ、えへへへへ……♥な、なあに?へ、ヘリオス……♥♥」

「……」


 今鏡を見たらきっととんでもない顔をしているんだろうな……と思うが、おそらく目の前にいる人類最強は今それどころではないので気づかれてはいないだろう。というか勇者……セレーネは確実に昨日よりもダメになっている気がする。なんというかこう、メッキがはがれていっているというか、本性が滲みだしてきたというかそんな感じで。

 私は眉間に寄ったしわを隠すように額に手を当てた。


「……私たちはここで一晩を明かしたわけだが。向こうの世界も一晩経ってるのか?」

「ううん、違うよ。ここと向こうは時間の流れ方が違うから、向こうはまだ五分くらいしか経ってないんじゃないかな?」

「そうなのか?」


 こちらでの一晩……半日が五分とすると、こちらでの一日に対して向こうは十分程度という事だろうか。もしこれが本当なら私にとっては僥倖だ。向こうよりこちらの方が時間の流れが速いのであればある程度の余裕をもって行動することができる。この世界からの脱出が急務であることに変わりはないが、時間的猶予があると考えるだけでいくばくか精神的に楽になるというものだ。


「そ。それでね?」

「うん?」


 見ると、セレーネがやけにもじもじとしている。顔がにやけているのはずっとだが、何か照れているような、少し怖がっているような、不思議な表情だ。まあどちらにせよ目は依然として淀み切っているので恐ろしいことこの上ないが。


「あ、朝ごはん、作ったんだけど、さ。た、食べる……?」

「朝ごはん?」


 何を言われるのかと身構えていたので、少し拍子抜けしまった。朝ごはん、成程朝餉か。確かにここにずっといるというのであれば食事も必要になってくるだろう。

 勇者の作った料理を魔族の長が食べるのもいかがなものかとは思うが、さすがに飯に何かを盛ったりはしてこないだろう。そんな回りくどいことをしなくても私一人どうとでもできてしまう力があるのだから。


「……ああ、頂こうか」

「ほ、本当!?うん……うん……!あ、あっちの部屋に用意してあるからさ!さめちゃう前に食べようよ!」

「あ、ああ」


 ぱあっと顔を輝かせて私の腕をつかむセレーネ。そんなに嬉しいことだろうか。よくはわからないが、きっとこれはセレーネにとって意味のある行為なのだろう。脱出の糸口のつかめない今、ひとまずは彼女の意をくんでおくべきだろう。

 私はそんなことを考えながら彼女についてドアをくぐり、


「う、うわあああああああああああああああ!?!?!?」


 そして、朝一番の悲鳴をあげた。

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