楓の葉舞う頃

しらす

落ち葉掃除の日の出会い


「ちょっと、冷えて来たなぁ……」

 十月の夕暮れに吹く風は僅かだが冷たく、長袖のTシャツに袖なしのベストで作業をしていたひろしは、立ち止まると軍手をはめた手で自分の腕をさすった。


 今年の秋は急速にやって来た。じっくりと紅葉し、日暮れまで体を温める太陽の下でそれを愉しむような、そんな余裕も無いままに、気温は夏から一気に冬へと温度を下げた。

 そのせいだろうか、木々は一気に葉の色を赤や黄色に染め、更には先日の強風で吹き飛ばされ、さほど広くもない大学の敷地内に、用務員の手では足りないほどに落ち葉が飛び散っている。


 入学して三年目にして、初めて講義の時間を構内の清掃に当てられるという珍事に、同回生の間ではかなり不満の声が聞こえた。

 それでなくとも翌年には卒論か卒制で、そこで何をするのか決める大詰めの時期だ。おまけに就活も始まっていて、みんな他の事に時間を割く余裕が無い様子である。


 しかし窓を開ければ風と共に落ち葉が吹き込んで来るような状況で、講義も何もあったものではない。

 広葉樹が多く、季節の巡りと共に花が次々と咲き、秋には一面に紅葉した楓の並木が楽しめる構内は、今年はそれが災いしたとしか言いようが無い。


「こんなの一回生にやらせればいいのにな」

 最後までうだうだと文句を言いながら赤い落ち葉を集め、ひたすらゴミ袋に詰めていた友人は、袋の口を縛るとぽいと集積所に投げ上げた。

 山と積まれた落ち葉の袋は、この後回収業者が来てくれることになっている。


「そう言うなよ、最近ちょっとカリカリしてたし、気分転換も兼ねてちょうど良かっただろ?」

 寛がそう言って肩を叩くと、彼は意外そうに軽く目を見開くと、

「まぁ、確かにな」

と頷いて立ち去った。


 

 そんな友人の背中を見送り、寛も持っていた袋の口を締め直すと、積み上げられたゴミ袋の端の方へそっと乗せた。

 奇妙な声を聞いたのは、ちょうどその時だった。


「ぴぃ……ぴぃい……ぴぴ……」

 ひよこが鳴くような、しかしそれよりは低く小さく、そして何となく泣き疲れたように聞こえる声だ。

 どこかに何か生き物が挟まってしまったんだろうか、と咄嗟に思った寛は、今積み上げたゴミ袋を下ろすと、耳を澄ませて鳴き声のした方を探った。

 

「ぴぴぃー!ぴ!ぴ!ぴぃ!」

 とたんに、まるで寛が探っている事に気付いたかのように、鳴き声は大きくなった。そのお陰で声の聞こえてくる場所はすぐに判明した。

 今まさに寛が降ろしたゴミ袋の下にあった、同じく落ち葉の詰まったゴミ袋が、中に動物でも入っている様子で内側からモゾモゾと動いているのだ。


「おいおい、何で気付かなかったんだよこれ!」

 寛は慌ててそのゴミ袋を引き下ろすと、固く締められた袋の口に指を掛けた。

 しかしかなりきつく縛ったようで、緩めようとしてもびくともしない。

 結び目に指を突っ込み、左右から押し、解こうと悪戦苦闘している間にも、ぴぃぴぃと騒ぐ声がする。


 焦りながらも寛は、少しずつ結び目に隙間を作ると、カッターの尻を突っ込んで無理やりこじ開けた。

 途端に、落ち葉の山が爆発でもしたように弾け、ジャガイモくらいの大きさの何かが、鳴き声を上げながら飛び出してきた。


「ぴぃぃぃぃぃぃ!」

「うわっ、何だこれ!」

「触っちゃ駄目よ、おじさん!」


 ほぼ同時に辺りに響いた声に、えっ、と一瞬気を取られたものの、寛はその注意の言葉を耳に入れる暇も無かった。

 

 飛び出してきたそいつは、赤や黄色の楓の葉をぶわりと撒き散らしながら飛び上がり、そのまま寛の前へと落ちて来た。

 咄嗟に受け止めようと差し出した両手に、ぽとんと収まったそいつは、思ったよりも随分と軽く、そして柔らかい。


 うっすら黄色味を帯びたジャガイモのような色に、卵の真ん中をくびれさせたような丸っこい体で、頭と思われる所に黒い小さな目が二つある。

 更に頭のてっぺんからモサモサと緑の葉を生やしたそいつは、軍手をはめた寛の手の平に納まると、くるりと一回転した。


「ぴぃ!」


 一声上げると、そいつはすっと立ち上がった。その時初めて、草木の根のようなものが胴体の四か所から、まるで手足のように生えていると気が付いた。


 そのままそいつは礼のつもりなのか、ぴぃぴぃ鳴きながら寛の手の平の上でくるくる回り、踊るように飛び跳ねた。

 一体何の生き物だか分からないが、その姿は妙に愛らしくて、寛の顔は自然と笑みに崩れた。


「おじさん……笑ってる場合じゃないって分かってる?」

 目を細めて奇妙な生き物の踊りを見守っていると、突然耳のすぐそばで女性の声が聞こえた。

 

 びっくりして寛が振り向くと、そこに小さな小さな、カゲロウのような翅を生やした女の子が浮かんでいた。

 まるで絵本の中から抜け出して来たかのような、妖精としか呼べないその姿に、寛は思わず息を呑む。


 全身を覆う程長い金髪に、透けるような白いドレスと肌、うっすらと緑に透ける翅。琥珀のような透き通った金茶色の目は、呆れたように軽くすがめられている。


 彼女は肩に絡む髪の毛をさらりと掻き上げると、すいと寛の手の横まで飛んできて、未だ踊っている謎の生き物の頭をつん、とつついた。

 すると一向に止まる気配を見せなかったそいつは、ぴたりと動きを止めると妖精の方を向き、ぺこりとお辞儀するように頭を下げた。

 どうやら知った仲のようだ。そう思いながら寛がじっと見つめていると、妖精はこちらを向いて謎の生物を手で示しながら口を開いた。


「この子は『森蟲もりむし』って呼ばれてる生き物なの。普通、こんな人間の多い場所には現れないから知らないでしょうけど。おじさんが今無事なのは、その手袋のお陰よ」

 言いながら彼女は、その森蟲と呼ばれた生き物の頭を軽く撫でた。

 それが嬉しいのか、森蟲は「ぴぃ……」とうっとりしたように、ただでさえ小さい目を更に細めた。


 そんな目の前の光景があまりに非現実的すぎるせいだろうか。それともただ彼らのその姿が愛らしく美しいせいだろうか。

 寛は驚きも慌ても逃げることも忘れて、冷静にその妖精に突っ込みを入れた。


「よく分からないけど、とりあえず俺、おじさんって歳じゃないから。名前は森村寛もりむらひろしって言うんだけど、君は?」

「そう、ヒロシ。私は花の妖精、リンよ。でもそんなに髭を生やしてるのは、おじさんって呼ばれる類の人間じゃないのかしら」

 そう言うと、妖精リンは寛の顎を指差した。

 

 寛は思わず自分の顎に手をやって、つい苦笑してしまった。

 確かにそこには、毎日丁寧に剃っている同年代の友人達には決して無いような、酷い無精髭が生えている。

 伸びるスピードは比較的遅いので、数日剃らなくてもそう見苦しくはならない方だが、それにしても今は伸び放題という様相だ。


 そう言えばここ一週間、きちんと鏡を見ることもしていなかった。

 それまではボサボサにならないようにそこそこ整えていた髭は、今やさぞ見苦しい状態なのだろう。おじさんと言われても仕方ない。



「ま、まあ確かにね……。それはさておき、手袋のお陰で無事、って言うのはどういう意味だい?」

 話題を変えよう、と思って寛がそう言うと、リンは森蟲を指差して呆れたような顔をした。


「そのままの意味よ。あのね、森蟲は動物の体で直接触ると、触った者を樹木に変えてしまうの」

「えっ!? 樹木って、要するに植物になるって事? えっ、この子に素手で触ったら俺、人間じゃなくなってたって事?」

 いきなり聞かされた恐ろしい話に、寛は森蟲を乗せている両手を放してしまいそうになった。


 が、辛うじて踏みとどまる。

 少なくともこの森蟲には、寛に害を為そうという様子はまるで無い。無邪気に踊っていただけで、素肌に触ろうとはしなかった。

 それに直接触らなければいい、という事なら、軍手をはめているだけで防げるという事だ。


「その通りよ。普通は森の奥深くに住んでるし、人間とはまず接触しないところに、ひっそり暮らしてるんだけどね」

 リンがそう言うと、森蟲は根っこのような手を伸ばして、彼女のドレスの端を引っ張った。

 もの言いたげに見上げるその姿に、寛もリンも目をやると、森蟲はまた「ぴっ」と鳴いた。


「ぴ、ぴぴっぴ、ぴぃ……」

「……そう。確かにこんな時期に大風なんて珍しいものね。仕方ないわ」

「ぴぃ。ぴぴぃ、ぴっ!ぴぴぴ、ぴぃ」

「うーん、困ったわね。この辺りで人気のない場所なんてそうそう見つからないし……」


 いきなり「ぴ」だけで喋りだした森蟲とリンの会話に、寛は完全に置いてけぼりにされた。

 どうやら妖精のリンには言葉として分かるようだが、寛の耳には森蟲の声は、雛鳥がぴぃぴぃ鳴いているのと変わらない。


 だが森蟲の方は、寛の方を向いて両手足をパタパタ動かしたり、頭の葉っぱを振ったりと、彼にもどうにか意志を伝えようとしていた。

 しかも何やら深刻な様子で、リンは腕を組んで考え込む格好になっている。

 寛にもそれだけは分かったので、困っているらしいこの謎の生き物を、リンに預けてさようなら、と言う気にはなれなかった。


「リンさん、でいいのかな。この子は何を困ってるって? 俺に手伝えることがあるならするから、何言ってるか教えてくれるかい?」

 そう言うと、リンは驚いたように目を丸くし、森蟲は頭の葉っぱをぱーっと、まるで花を咲かせるように大きく広げた。

 

「ぴぴぴ!ぴぃぴぃ!ぴぴー!」

 森蟲の方は寛の言葉が分かるのか、明らかに嬉しそうに足を伸ばしてぴょんぴょん飛び跳ねた。

 そんな森蟲と寛の顔を交互に見るリンの顔には、しばらく驚きと戸惑いの表情が浮かんでいたが、やがてふっと目を細めて笑った。


「人がいいのね、ヒロシ」

「いやだって、困ってるんでしょ?とりあえずさ、ここで立ち話してると誰かに見られそうだし、俺の部屋に行こうか」

「ぴぃ!ぴぴぴぃー!」

 全く意味は分からないが、賛成してくれているのだけは分かる調子で、森蟲は元気に鳴き声を上げた。

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