いつか桜の咲く頃に

雪白楽

1-1


仁科にしなさんは、世界を飛び回る写真家としてご活躍ですよね。何か信条のようなものを持って写真を撮っていらっしゃるんですか?」

「そんな大した人間じゃありませんよ。私は撮りたいものを撮っているだけです」


「撮りたいもの、ですか。例えばどんな時にシャッターを切りたいと感じますか?」

「どんな時……ああ、何が撮りたいのかはいつも同じですよ」


「同じなんですか?」

「ええ。魂をね、撮りたいんです」




 私は写真家だ。

 少なくとも、そう呼ばれているし、それで生計を立てている。


 若い時にカメラ片手に日本を飛び出し、撮りたいと思うものを撮って生きて来て。

 それで日本に帰って来たら、知らぬ間に名前が売れていて。


 最初のうちは、有名人になった気分で多少は浮かれている部分もあった。

 ただテレビやラジオのコメンテーターとして呼ばれたり、雑誌の取材を受けているうちに、自分自身とその写真が勝手に定義付けられていくような気がして。


 そんな風に、中途半端に芸術家を気取っているような自分も嫌で。


 自由に写真を撮ることすらままならなくなって、呼吸の仕方を忘れそうになったある日、私は全ての予定をキャンセルして消息を絶った。





 電車を乗り継いで、適当な所で降りて。日本全国を気ままに撮ってみようか、と。

 世界は色々な所を旅して写真に収めてきたが、案外と日本は撮っていない。そう思ったのがけの一つだった。


 大抵は民宿に住み込みで世話になって、空いた時間は好きなだけ写真を撮って過ごした。

 世界を巡っていた時と、全く同じスタイルで。



 久々に『生きている』と言う感じがした。



 私には、カメラやマイクの前に座って綺麗事を並べるのには向いていないのだと思う。

 そういう事は、得意な奴に任せておけば良いのだと、そんな風に気が軽くなった。


 カメラに収めたいものは幾らでもあった。だから、長く一処ひとところに執着する事はなかった。それがカメラを初めて手に取った時から変わらない、私の旅のスタイルだ。

 一生のうちで、撮れる写真の枚数なんて限られている。それなら、自分の撮りたいものだけを撮れば良い。


 その場所で『撮りたい』と思うものをみんな撮ったと思うなら、次の街へ行けばいい。

 もう一度撮りたいと思うなら、また行けば良い。ただ、それだけ。


 それだけの簡単な事が、ちょっとしたしがらみに囚われると、途端に難しくなるらしい。

 まして、この国の人々にとっては、なおさら。






 家族とか、恋人とか、そう言う守るべき大切なものを持っていたならば、私もそうだったのかも知れないと思う事がある。でも生憎あいにく、私はそういうものを持つ機会は無くここまで来た。だから、そういう『普通』の感傷が判らないのかもしれない。



 何か一つのものに執着する、という情動が分からなかった。

 唯一、手放す事無く、息をするようにそばにいたのはカメラだけ。


 私をつき動かす唯一は、ただ世界を写真に収めてやりたいという衝動。

 そんな、得体の知れない目的意識だけだった。



 何故なぜ、いつから『そう』なったのかは記憶にない。



 別段、レンズ越しの世界の方が、生身の世界よりも美しいなどと言うつもりもない。

 ただ、いつからか人間の基本的な欲求であるはずの、食欲やら睡眠欲やら性欲やらをも放り出すほど写真にせられていた。



 私はカメラにこだわりが無いワケでは無いが、あれこれ持ち歩くのは好まない。


 好事家こうずかの連中は、レンズにカメラはどこのメーカーだと色々言いたがるらしいが、紛争地帯とか治安の悪い場所でそれをやっている余裕は無いのである。



 身一つに、カメラ一つ。




  

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