第16話 暗黒魔術師の誘惑

 環を狙った刺客は翌日も現れた。


 ただし、現れた場所は前日と同じく裏庭だった。

 目の下に隈を作ったギムレストによると、環にあてがわれた部屋は幾重にも守りが施されているということで、刺客が出現できる場所は限られているという。

 そんなわけで、環は部屋から出ないよう厳命され、本格的な引きこもり生活になっていた。こうして、最初に刺客が現れてから三日目の夜を迎えた。


「ふぅ……」


 環は寝室のベッドの上で膝を抱えてため息をついた。

 体が重く、ひどくだるい。なにもしていないのに疲労が取れない。立ち上がって歩くのさえ億劫になりつつあった。


「はぁ……」


 血の気の引いた白い手をぼんやりと眺める。


(……白すぎて気味が悪い。まるで―――みたいだわ……)


「……ん?」


 脳裏に節の立った真っ白い手の映像が過ぎる。


(……なんだっけ?)


 どこかで見た気がするのだが、もやがかかったようにはっきりと思い出せない。


(……どうでもいいか……)


 重い頭で考えるのが億劫で、環は思考を放棄した。そうこうしているうちに、窓の外の気配が変わったのがわかった。


「……はぁ」


(また来たのね……)


 のろのろとベッドから降り、窓から空を見る。星空が出ているはずの空は、黄色と赤と黒が混ざった薄気味悪いグラデーションに染まっていた。


 裏庭を見下ろすと武装したギルド員が数人いた。カイラムとヴィラードの姿も見える。マディリエは隣のリビングスペースで待機している。最初の襲撃以降、護衛の数は増えてローテーションを組んでいるようだった。


(……そこまでしなくていいのに……)


 眼下で影から現れた複数の刺客とギルド員による剣戟が始まる。

 ヴィラードは全体が見渡せる場所で、片手に剣を下げた状態で時折指示を出していて、カイラムは元気いっぱいに襲い掛かっていた。名前も知らない他のギルド員も腕は確かで、危なげなく交戦している。


 引け目を感じて環は眉を下げる。環のために大勢の人間が動いてくれている。その事実がひどく申し訳ない気持ちになる。


(……そこまでしなくていい……。他人に命をかけてもらう価値なんて私にはない……だって私は……)


 環は暗くなる考えに気づいて、かぶりを振った。


(違う、こんな事を考えたいんじゃないのに……)


 体調が優れないからか、どうにも思考がネガティブな方向に引っ張られている気がする。

 ギムレストはもの凄く忙しいらしく、最初の襲撃の翌朝に、翻訳魔術を使う余裕が持てないと申し訳なさそうに謝られてしまった。

 環が文句を言う筋合いのことではないので、気にしないでくれと伝えたが、結果として手帳による片言の意思疎通しかできないので、詳細な状況が全くわからない。

 刺客も呪いも何一つ自分では対応できず、むしろ冒険者ギルドのお荷物になっている。


 そういう思いが心に圧し掛かっている。不安を見せれば、ヴィラードを筆頭に慰めてくれるだろう。

 しかしそんな、自分が安心を得たいためだけに、更なる迷惑をかけるような真似はとてもじゃないができない。

 せめて笑顔でお礼を言って、頭を下げることしか環にできることはなかった。おかげで「ありがとう」と「大丈夫」という言葉は上手く言えるようになった。


 環が悶々としているうちに、戦闘はギルド員の勝利で幕を下ろした。

 窓を振り仰いだヴィラードと視線が合う。相変わらず愛想のいい笑顔で手を上げるヴィラードに、環は仕事で身につけた笑顔で応じ会釈を返す。大きく手を振るカイラムには、小さく手を振り返した。

 背後で扉の開く音がする。


『タマキ、大丈夫ね?』


 マディリエが扉の取っ手を握って立っていた。環はマディリエにも笑顔を返した。


『だいじょうぶ。ありがとう』


 そう言って頭を下げて表情を隠した。マディリエは観察眼が鋭い。じっくりと顔を見られて作り笑いを見破られ、余計な心配をさせたくなかった。


『そう。今夜はオックスたちが隣に詰めるから、何かあったら言って』


 マディリエが何か言うと、ひょいと緑の髪と赤茶色の髪の若い男性が顔を覗かせた。環を見て一瞬ぎょっとした顔になったが、すぐに手を挙げた。


『緑の頭の猫背がオックスで、赤毛のにやけたのがアルスターツよ』

『お前なぁ、なんて紹介の仕方だよ』


 緑色の髪の男性がマディリエに文句を言っているようだ。


「……よろしくお願いします」


 環は頭を下げる。


『ちょっと、部屋に入るんじゃないわよ』

『わかってるって』


 赤茶色の髪の垂れ目の男性が軽く答えている。二人はマディリエと軽い掛け合いをして引っ込んだ。


『それじゃあタマキ、ゆっくり休んで』


 言葉が通じないことを承知しているマディリエは、環の答えを聞かずに出ていく。環の体力に負荷がかからないように、やり取りが最低限になるよう気を遣ってくれているのだ。

 最後まで笑顔で見送った環は、誰もいなくなると作り笑いを解いた。一瞬で無表情になる。昨夜も同じことがあったので、今のが今夜の護衛の紹介ということは理解できている。


 環はベッドに腰を下ろして、何度目かわからないため息をついた。いつまでこの状態が続くのか、そもそも解呪が出来るのかさえ不明で、正直気が休まらない。

 ベッド横の小さいテーブルに乗っているランプの灯りを落として横になる。リビングスペースからかすかな話し声が聞こえる以外、物音ひとつない。


 環は窓から見える白く輝く月をぼんやりと見ていた。疲れてはいるが、眠くはない。それどころか、昼間より夜間の方がしんどさが軽減されているような気さえする。


 どれくらい経った頃か、月の中に一点の黒いシミが見えた。かと思うと、それはあっという間に大きくなり、一度羽ばたくような動きをしてから、音もなく窓の縁に降り立った。


 環は重い体を起こして目をらす。


 窓の外のさんに、手の平よりひと回り大きいくらいのサイズの、小さなフクロウがいた。小首をかしげて、丸い目で部屋を覗き込んでいる。


(……かわいい。羽休めかしら……)


 環はこの世界に来て初めて目にしたかわいい生き物を、もっと近くで見たくなって、驚かさないように静かに移動する。

 近寄ってもフクロウは逃げずに環を見ている。金色の目に、大きな黒い瞳孔をしていた。頭や羽根は濃い茶色で、白い斑点が散っている。反対にふかふかした腹の羽毛は白が主体で、ところどころが茶色になっていた。


「……あら?」


 環は小さな声を上げた。フクロウが小さなくちばしに指輪をくわえていることに気づいたからだった。心なしか、フクロウは丸い目で何かを訴えたそうな顔をしているような気もする。


(……刺客が出たときは窓を開けるなって言われてたけど、刺客はもういないし、大丈夫よね)


 そう考えて窓のロックを静かに外す。


「危ないから少し避けてね」


 環が囁きながら両開きの窓の片方をゆっくり押し開くと、フクロウはまるで環の意図を理解しているかのように、小さいながらも立派な爪の生えた足をちまちまと動かし、えっちらおっちらと反対側へと移動する。


(……か、かわいい)


 久しぶり癒しに環の口元が自然とゆるむ。フクロウは開いた窓の内側に、コトリと指輪を置いて環を見上げた。


「…………」


 環は指輪とフクロウを交互に見た。

 頭の回っていない環でも、さすがにこれが普通でないことはわかる。羽休めに寄ったのではなく、環に指輪を届けに来たように思えてならない。


 隣室の護衛に声をかけた方がいいのかもしれない。だけど今、隣にいるのは話したこともない人たちで、言葉も通じないこともあり、ためらわれる。


 マディリエが呼ばれるとしたら、せっかく環の護衛から解放されて休んでいるかもしれないというのに、悪い気がした。


 迷っている環の前でフクロウはくちばしで指輪をつつき、環の方へ押し出した。またもや小首をかしげて環を見つめる。


(……どう見ても、この指輪をくれるって言ってるわよね……)


 ここが呪いのある異世界でなければ、可愛い配達人に喜んで指輪を手に取っていただろう。しかし、すでに呪いを受けている身としては単純に喜んでいられない。


 環はまじまじと指輪を観察してみた。


 指輪は真珠のような乳白色の光沢を放つ素材で作られていた。

 リングの部分は数本の蔦が絡み合うようなデザインで、ところどころに可憐な小花が咲いている。清らかな印象の可愛らしい指輪だった。


 環のピアスのような、禍々まがまがしさはかけらも感じられない。


「…………」


 しばしためらい、試しに指の先で軽くつついてみた。フクロウの蹴爪に向かって動いた指輪を、今度はフクロウがくちばしでつついて、押し返してくる。その仕草がいちいち可愛い。


「ふふ……この指輪をくれるの?」


 警戒心を緩めてしまった環は、指輪を手の平に乗せてみた。サイズは大きめで、親指にはめても落ちてしまいそうだ。


(たぶん、何も起こってないわよね……)


 体に異変は感じられない。もっとも、ピアスの呪いもギムレストに言われるまで自分では気づけなかったのだが……。


「……ん?」


 視界の端でフクロウが動くのが見えた。えっちらおっちらと室内に入ったかと思うと、羽を広げて音もなく指輪を持った環の腕に舞い降りる。


「んんっ!?」


 驚く環の腕をちょんちょんと移動して手の平から指輪をくわえ上げ、器用に環の中指に指輪を落とし込んでしまった。


「……えっ!?」


 すると、大きかった指輪がみるみる縮んでぴったりとはまる。フクロウはまたもや音もなく窓辺に舞い戻った。

 予想外の出来事に環が顔色を失くしていると、不意に扉が叩かれた。


「おい、どうした? なにかあったか?」

「あ……」


 声と同時に扉が開かれ、緑頭の護衛が入ってくる。環はとっさにフクロウを背中に庇って、護衛に向き直った。室内を見回した護衛は、環の背後の開いた窓に気づいて眉をしかめる。


「窓は閉めといてくれ、なにかあったら俺が怒られちまう」

「…………」


 固まる環に、護衛は言葉が通じないことを思い出したのか、窓を閉める仕草をした。


「窓を閉じるんだ」


 ぎこちなく振り返ると、フクロウは姿を消していた。内心で安堵してぎくしゃくと窓を閉める。


「頼むから大人しくしといてくれよな」


 窓が閉まるのを見届けた護衛は、そう言葉を残して出て行った。少し不機嫌そうだったが、環は衝撃でそれどころではなかった。


「……言葉が、わかる……」


 ギムレストの翻訳魔術がかかったときのようだった。環はおそるおそる白い指輪を見つめる。心当たりはこれしかない。


 コンコン。と窓から音がして、ビクンと肩が跳ねた。なんとか声は出さずにいられた。

 振り返ると窓の外には再びフクロウが止まっていた。護衛に気づかれないように、ゆっくり窓を開けてフクロウを迎え入れる。


 当たり前の顔で入ってきたフクロウは窓の縁に置いた環の手に、たしっ、と片足を乗せて見上げ、


「異界の女よ、大きな声を出すな」


と、可愛げの全くない押し殺した渋い男の声を出した。


「――――っ!?」


 環が驚愕の声を抑えられたのは、ひとえに取れない疲労のおかげだった。悲鳴をあげる体力が残っていない。

 それでも漏れそうになるうめき声は空いた手で口を塞いで防いだ。またあの護衛に勝手に入ってこられるのは、環もご免だった。


「それで良い。なんとか生きているようで安心した」


 小声で続けるフクロウに、環は口を覆っていた手を外してしゃがみ込み、顔を近づけて囁いた。


「あなたは誰?」


 フクロウが丸い目で環を見つめる。


わしはエーベリュック。神殿の地下で会うたろう。タルギーレの魔術師だ」


 フクロウは軽くくちばしをらして偉そうな態度になった。


「……あのときフクロウはいなかったと思うけど……」

「このフクロウはわしの使い魔だ。おぬしとは翻訳魔術がなければ話せぬゆえ、翻訳術の込められた指輪を運ばせた。今は離れた場所から使い魔を通して話している」

「使い魔……?」


 使い魔と言われると、ファンタジー映画のフクロウが思い浮かぶ。映画の中では手紙を運ぶだけで話していなかったが似たようなものだろうか。

 この世界では、どうやら使い魔は電話のような役目を果たしているようだ。さすが異世界、なんでもありだと、環はさして疑問にも思わず納得した。


 環が神殿の地下で会ったタルギーレの魔術師というと、例の高笑い男と、怒り心頭だった五十代くらいの男だ。確か赤い目に黒髪をしていたと記憶している。

 そう思うと、フクロウの渋い声は怒っていたその男に似ているような気がした。


「思い出したか?」


 環は偉そうな物言いのフクロウをにらむ。


「忘れるものですか。あなたたちが私を勝手に召喚したんでしょう?」


 怒気がにじむ声に、フクロウは少しの間黙り込んだ。


「……その件に関しては謝罪する」

「謝罪ですって?」


 環の声はとげとげしいままだ。


「我らの目的は全く別の術であった。しかし、あの忌々しい生意気な小僧めが、おぬしを呼んでしまったのだ」

「……小僧って、高笑いしてたもう一人の赤い目の男のこと?」

「そうだ。あいつはよりによって、貴重な国の予算を使って、目的と違う異界からの召喚術なんぞを研究しておった」


 フクロウが怒りにプルプルと震えている。


「……つまり、嘘をついて研究費の横領をしていたと?」

「その通りだ」

「あなたたちは間抜けにもそれに気づかず、まんまとやりたい放題させたと言いたいの?」

「……そうだ」


 環は奥歯を噛みしめる。我慢しないと、なけなしの体力を使って怒鳴りつけてしまいそうだった。


「そんなふざけた理由で、私は知らない世界に連れてこられた挙句、召喚したあなたたちには置き去りにされ、あまつさえ訳のわからない呪いまで受けて命を狙われているってこと?」

「……すまない」

「どうして私なの? 私に恨みでもあるの? 手違いだというのなら日本に帰してよ!」

「声が大きいっ!」


 フクロウの注意に我に返った環は、固唾を呑んで扉を振り返った。

 お互いに声は押し殺しているが、感情がだんだんと抑えられなくなりつつあった。護衛らのかすかな話し声は続いている。

 どうやら気づかれてはいないようで、環は安堵の息をついた。


(今夜の護衛がマディリエさんじゃなくてよかった)


 鋭いマディリエだったら間違いなく踏み込まれていただろう。危ないところだった。


 環はフクロウに向き直る。フクロウは神妙な様子でくちばしを開いた。


「おぬしには気の毒なことになったと思っている。だからこうして謝罪しているのだ」


 環は泣きたくなってきた。


「謝罪で済むと思ってるの? 私の国じゃそういうの、ご免で済めば警察はいらないって言うのよ」

「…………」

「どう責任を取るつもり? まさか本当に謝罪だけじゃないでしょうね?」


 フクロウは環を真っ直ぐに見つめた。


「おぬしを元の世界に戻してやる」


 環は自分の耳を疑った。


「…………もう一度言って」

「元の世界に帰してやれると言っている」


 環は思わず両手でフクロウを握り締めた。ふかふかな見た目とは裏腹に本体は細い。


「……本当に?」

「ぐえっ、掴むな馬鹿者」

「あ、ごめんなさい……本当に帰れるの?」


 環の手を逃れたフクロウは、ボサボサになった羽毛をせっせとくちばしでつくろう。


「ちょっと、答えてくれないと、また掴むわよ」


 マディリエのような脅しをかける環に、フクロウはくちばしを開いて威嚇いかくした。


「くどい。あの忌々しい小僧から術の詳細を聞き出した。帰すことは可能だ」


 環は力が抜けて床に座り込んだ。こみ上げてくる涙を必死にこらえる。


「……家に、帰れる。……ありがとう……」


 出てきた声はかすれていた。

 犯人の一味にお礼を言うのは変な気がしたが、今の環は本心からお礼を言いたい気持だった。フクロウは感情の読めない表情になる。


「……小僧の間違いを正すだけだ。礼を言われる筋合いではない」

「……それもそうね」


 少し余裕の出てきた環は、指先で目元を拭いながらそう言った。フクロウは不機嫌そうに目を細める。


「ところで、あなたたちがやろうとしていた術って何?」

「…………」

「言わないと掴んでしぼるわよ」


 環の精一杯の脅し文句に、フクロウは人間くさいため息をついた。


「国土に残る大魔の影響を弱めるための儀式だ。国内の神殿にはその儀式に必要な魔力が残っていない。それで手つかずの魔力が残っているエルー神殿に目を付けた」

「……大魔の影響って?」

「……闇に閉ざされる時間が長く、日照時間が少ない。呪われた土地は痩せて作物が育ちにくい。魔物が生まれやすく、無辜むこの民がその犠牲になる。強大な魔物が水源を汚染することもある。何もかも、六大魔の影響が色濃く残っているせいだ」


 想像以上の惨状に、環はフクロウを掴もうと待機していた手を下ろした。


「……それは、ひどいわね」

「理解できたか?」

「ええ、まあ……」


 それだけ苛酷ならば、なんとかしようと国外に出てくる選択も理解できないことはない。


「そんな環境なのに、もう一人の魔術師は予算を使い込んだのね?」

「……そうだ」


 フクロウは再び怒りでプルプル震える。


「それはなんというか、本当にひどいわね」


 環はとんでもない部下を持ったフクロウに少し同情した。


「納得したようだな。ではしばし待っておれ。迎えを寄越す」


 そう言って、えっちらおっちらと背を向けるフクロウを環は引き止めた。


「待って、ここの人たちに挨拶しなきゃ。明日の朝まで待って」


 フクロウが背を向けたまま、頭だけぐるりと回して目を剥く。


「挨拶だと?」

「……びっくりした」

「何を考えておる、そんなこと出来るわけがなかろう」

「どうして? ここのギルドの人たちに助けてもらわなきゃ、私死んでたわ。得体の知れない、報酬も払えない私をずっと助けて守ってくれているのよ? 不義理はしたくないの」


 フクロウは再び環に向き直る。顔は動かさずに体だけ回転するから少し怖い。


「なんと挨拶するつもりだ? タルギーレの魔術師に着いて行くとでも? 許されるわけがない。おぬしも殺されるぞ」

「殺されるだなんて大げさな……そんな人たちじゃないわよ……」


 フクロウは器用に鼻で笑った。


「よく聞け、異界の女よ」

「環です」

「よく聞け、タマキよ」


 フクロウは律義に言い直した。


「サンティーユ山脈で東西に分かたれた我ら西のタルギーレと、東諸国アクレドランの奴らの仲は、話し合いが成立するような生易しい間柄ではない。奴らはタルギーレと見るや、問答無用で捕らえて縛り首にしてくる野蛮人だ」


 世話になっている人たちをおとしめられたようで、環はムッとする。


「それはタルギーレの過去の行いに原因があるのでは? 恐怖政治を敷いていたんでしょう?」


 怒るかと思ったフクロウは、意外にも同意した。


「さよう、我らが先祖は世界を恐怖で満たした。許されざる行いだ。と、言うであろうな」

「違うの?」

「我らには我らの言い分があり、それは奴らも同様だということだ。立場の数だけ、正義は異なる。

 六大魔が降臨して四百年、我らの間に出来た溝はガルデリント峡谷よりも深く、彼我ひがの距離は広い。理解しあうなど到底不可能だ。

 試しに聞いてみるがいい、タルギーレの魔術師を捕えたらどうするか? とな。東諸国アクレドラン共は笑って答えるだろう。もちろん縛り首だ、これで世の中が一つ平和になるぞ、と。それが奴らにとっての正義だ」


 淡々とした言葉に、環は反論の口を閉じた。この世界の歴史を知らない環には、否定も肯定も出来ない。過去の出来事に関する見解の違いは、世界は違えど非常にセンシティブなことに変わりない。

 六大魔と一緒になって世界を支配したことに、どんな言い分があるのか見当もつかないが、そう語ったギムレストもまた、全てを話しているとは限らない。


「……一方の意見だけで恐怖政治と決めつけたことは謝ります。よそ者が口出していい事じゃなかったわね。

 だけど、私を召喚して放り出したあなたたちと、助けてくれたギルドの人たちを比べると、私にとっては彼らよりも、あなたたちの方が悪人に思えるわ」

「それに関しては言い訳のしようがないな」


 そう言ったフクロウは、なんとも言えない微妙な表情をした。苦笑いに近い気がする。環も責めてはみたものの、このタルギーレの魔術師は当初思っていたほど悪人ではないような気がしてきていた。


「……少し考える時間を貰えない?」


 出ていくにしても、自分の中で情報を整理してから結論を出したかった。帰れるという待ち望んだ言葉に、疑いもせずに飛びつくのは怖すぎる。フクロウは丸い目で環を見つめた。


「優雅に悩んでいる時間なぞ、おぬしには残されておらぬぞ」

「……え?」


 フクロウは茶色の羽を環に向ける。指を差しているつもりかもしれない。


「その神殿の呪いで、おぬしのもとへ毎夜現れている亡霊騎士のことだ。今は退しりぞけていても、いずれ白の騎士が現れて殺されるだろう」

「白の騎士? あの黒い騎士から白い騎士に変わるってこと?」


 フクロウは小首をかしげた。


「聞いておらぬのか。ああ、ここの奴らが知らぬだけか……。神殿に魔力が残っているくらいだからな……」


 独り言のように呟いていてから環を見る。


「白の騎士は黒の騎士とは比べ物にならないほど強い。我が国で将軍職にあった剣豪が、白の騎士の手に掛かって殺されたことがある」


 環は息を飲む。


「そんな……」

「一度は退しりぞけたのだが、白の騎士は止めを刺すまで何度でも現れる。狙われたら決して逃れることはできない。

 有象無象うぞうむぞうを揃えたところで、いたずらに死人が増えるだけだ。ここの奴らに恩義を感じているというなら、なおさら離れた方が良いのではないか?」

「……ここを離れたら、その呪いから解放されるの?」

「呪いは異界へは届かない。おぬしが元の世界に戻れば、おのずと解呪される」

「それを信じる根拠は??」

「嘘を言ったところでわしに益はない。見殺しにしても良いところを、わしが危険を冒してここへ来たのは、おぬしを帰還させるためだ。界を渡れば呪いは解けるのに、ここに残って無駄死にはしたくなかろうと思ってな」

「……どうしてそこまでして助けてくれるの?」

「言ったであろう、小僧の間違いを正しているだけだと。しかし、それを信じるか否か、決めるのはおぬしだ」

「…………」


 環は唇を噛んだ。フクロウの言う通りならば、環がヴィラードたちを頼れば頼るほど、親切な彼らを危険に晒すことになる。そんなことは望んでいない。

 悩んだ末に環は口を開いた。


「……あと一日だけ考えさせて」


 フクロウは無言で環を眺めると、えっちらおっちらと窓の縁に寄った。


「もう一度言うが、おぬしに時間は残されていない。生きて帰還を望むなら、明日の真夜中に窓を開けて待て」


 それだけを言うと、フクロウは夜の闇へ飛び立つ。環は小さな影が見えなくなるまで立ち尽くしていた。

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