第181話 血溜まりのツェツィーリア

「お前は、俺が殺そうとした人間を回復させるのか?俺を殺そうとした人間を?」


目の前の死神は私に向かってそう言った。




目の前の光景は控え目に言っても地獄であった。

初めての戦地への従軍であった私だからそう思ったわけではあるまい。

現に、あれだけ精強を誇る帝国兵や歴戦の従軍神官達が恐怖に顔を歪め、泣き叫ぶ声があちらこちらから聞こえてくる。


けっして遊び半分の気持ちで派遣団に従軍したわけではないが、こんな状況になるなどまるで予想もしていなかった。


村へ突入を開始した部隊を炎と煙に分断されたのが地獄の始まりだった。

炎に炙られ煙に巻かれながら退却する兵士達。

村の反対側から聞こえるのは阿鼻叫喚のみで、最早その様子を確認する事などできなかった。


身体の半分を炭化させた兵士が気が狂ったように「仲間を助けてくれ!」と叫んでいたが、彼の右手が掴んでいたのは、おそらくその仲間だった者の右腕だけであった。


そんな状況をまるで夢でも見ているかのように、フワフワと実感が湧かずに茫然と立ち尽くす私に、神官長が怒鳴っていた。


ああ、コレは夢なのか。そう思った私は頬を叩かれて、ようやく正気を取り戻した。


「しっかりしなさい!後方まで下がります!離れず着いて来なさい!」


「あ、はい……。え?負傷者達は……」

「まずは身の安全を優先します。治療は後方で行います。貴女だって死にたくはないでしょう?」


神官長のその言葉に、「なるほど」という気持ちと「目の前の兵士達を助けないのか?」という気持ちがごちゃ混ぜになったまま、おぼつかない足取りだった私の腕を引く神官長と後退した。


戦争で人が死ぬのはけして特別な事ではない。

いかに最強の軍隊と言えど、戦いが起きれば少なからず人が死ぬ。

その死傷者を減らすべく"奇跡"を行使し、力及ばずとも安らかに御魂を天に帰すのが、我々ゼンラ聖教派遣団の役目であった。


汚された村の不浄を払う為に祝詞を行うべく村へと向かっていたのだが、我々があの爆発に巻き込まれなかったのは不幸中の幸いであった。

思い出しただけで背筋が凍る。


後方で待機していた馬車などを急場の治療所とし、運ばれて来る兵士に治癒魔法で処置をしているが、患者は増える一方である。


「……!……リア!……ツェツィーリア!」


肩を揺すられハッとした。


「一度休みなさい」とシスターのマルレーンから言われたが、「この状況を見てよくもそんな事を!」と、食ってかかりそうになるが、魔力欠乏に陥った私は膝から崩れ落ちてしまった。


「ツェツィーリア、貴方は少し休まなければなりません。貴女が救える命の為にも」


そう言ったマルレーンが目の前に横たわる兵士に、聖印を切って「安らかにか眠りたまえ」と呟いた。

私が必死に治療していた兵士は、既に事切れていたらしい。


「神よ……」

神に祈ることしかできない。

それでも、初めて心の底から神に祈った。

普段の儀式的な形だけの祈りではない。

我らに光を!これが試練と言うならば、導いてくれ!と。


血だらけの私を抱えたマルレーンと共にその場を離れた。


腰を下ろして顔や手についた血を洗い流す。

やけに靴の中が濡れているなと思ったら、誰かの血で靴の中はびっしょりに濡れていた。



敵の攻勢に退却を余儀なくされた我々は、中継地点まで撤退する事となったが、道中の事はほとんど覚えていない。


馬車の上で治療を続けていたが、私は助けられなかった命を数えるのをやめた。



いつの間に眠ってしまったのだろう。

負傷者達と一緒に馬車で横になってた私が目を覚ますと、そこは中継地点を目前としていた。


「ツェツィーリア、起きて。様子がおかしいの。準備をして」


兵士達の動きが慌しい。


「あぁ……、何て事……」

マルレーンの悲壮な呟きに、馬車から前方を覗くと私の目に飛び込んできたのは、破壊された船と焼けた天幕だった。


更なる地獄の幕開けだ。


クソだ。

神はクソだ!


大貴族の子女として、家族や周囲に大事に大事に育てられた私は知らなかったのだ。


戦争とは、いや、この世は特大のクソであると。



「敵襲ーーー!」「敵襲ー!」


先行して中継地点へと駆けていった騎兵達が、血肉を撒き散らしながらバタバタと薙ぎ倒されていく。


「ぁ、ぁぁぁ、ぁぁぁあ!」

やめてくれ!もう、やめてよ!


「待ちなさい!ツェツィーリア!戻っ……」


馬車から飛び降り駆け出した私が、制止しようとするマルレーンを振り返ると、彼女の頭が半分ほど吹き飛んでいた。



それからの事は殆ど覚えていない。

私には兵士のように戦う力なんてない。

回復させる事しかできない。それだけだ。


気がつくと、私の目の前に黒尽くめの男が立っていた。


ああ、これが死神か。初めて見る神の類いが死神とは。

悪魔の類いにしては邪悪な気配はなく、むしろ聖なる気配を感じる。


コレが信仰の足りなかった私に対する神の罰だとしたら、何て狭量な神なのだろう。


「お前は、俺が殺そうとした人間を回復させるのか?俺を殺そうとした人間を?」


男は言った。「神の僕が、神の意志に逆らうのか?」と。


「うるさい!神など死んでしまえ!私は!お前達のいいようにはさせない!」


「それは素晴らしいな。しかし、今のお前では少し力不足だろう?力が欲しいか?」


この男は何を言ってるのだろう?

神の類いかと思っていたが、悪魔の類いだったか?


「貴方は悪なの?善なの?何が目的なの……?」


「俺は俺だ。敵対する者を駆逐するのが仕事なんだ」


「神は、神の意志が私には分からない!神は何故私達を助けてくれないの!」


「お前もアリを見て一々気にしたりしないだろう?踏み潰されようが巣ごと破壊されようが。たまに気まぐれで良くしてくれる事はあるだろうが、そんな都合のいい親切な存在じゃねーだろ」


呆然とする私に、男はニッコリと笑いながら私が助けようとしている将校さんを指差して言った。


「そいつ助けたいんだろ?」

腹に空いた穴から溢れる血を必死に止めようとしていたが、魔力もほとんど残っていない私に、彼を助ける事など無理だろう。


味方の兵士達は?既に逃げたか死んだのだろう。


「力が欲しいか?」


自分がゴクリと喉を鳴らしたのが分かった。


「……対価は?」


「侵攻を止めるように働け。全力でな。これ以上人が死ぬのを見たくないだろ?」


「わ、私にそんな権限なんかないわ!ただの神官の私に!」


「そいつはそこそこ偉い軍人だ。そいつと一緒に帰って報告すればいい。この侵攻作戦は神の意志に反していると。強行すれば鉄鎚が下るだろうと」


この死神のような男はそれだけ言うと私の額に手を当てた。


「頑張って帰れよ。早く侵攻を止めないと、被害が広がるだけだからな?」


頭の中に得体の知れない知識が流れ込んでくる。

同時に体の底から湧き始めた魔力で、将校を助ける為に治癒魔法を使った。


「あ、ああ、ま、魔力が……」

枯渇寸前であった魔力が次から次へと湧いてくるような感覚に言葉が詰まってしまう。

これなら将校さんを助ける事ができるだろう。


気づくと男は消えていた。


「気まぐれか……」

今回は、どうやら神の気まぐれが私達を救ってくれたらしい。



神よ、心からその気まぐれに感謝致します……



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