序章

感じたぬくもり

 呆然、絶望。どうして? 眠っている間に何かされたのか? いや、何かってなんだ? 人をドラゴンに変える魔法? いやいや馬鹿げてる、ありえない。


 色んな感情が渦巻く中、背後からズシンという足音が響いてきたと同時に我に返った。


 そうだ、自分の姿がどうであれ、今俺は命の危機に瀕している。あれこれ考えるのは後回しだ。

 かと言ってどうしろというのか。前門の水、後門の竜。どっちに転んでも詰みではないか。


 いや……いや! 取って食われるより、可能性は低くとも逃げきる方へ賭けるのがいいに決まってる! そう! 迷っている時間など無い!


 「キューーーっ行っけーーーっ!!」


 迫り来る竜の手から逃れるべく、俺は意を決してその場から飛び降りた。しかしドラゴンの雛に跳躍力など期待できる訳もなく、飛距離はまったく伸びず斜面を転がるようにして落ちていく。


 そうして転がり続ける事しばらく、ついに着水。すぐさま両手足を必死に動かして対岸へと向かい始める。


 うおー! こんな訳の分からん状況で死んでたまるか! 頑張れ俺! 踏ん張れ俺! 俺はやれば出来る男! あの時ドラゴンも殺した・・・・・・・・男だろー!


 短い手足をばたつかせ、水をかき続ける。が、どれだけ必死にもがいても、対岸への距離はまったく縮まっていなかった。

 最初こそ勢いのあった俺も、次第に体力の限界を迎え始める。気が付けば、水面に顔を出すだけで精一杯だった。


 ああ、そりゃそうだよ。地面の上でもあれだけ走りづらかったのに、水中は違うなんてそんな上手い話あるわけがない。

 おえっぷ。すんごい口の中に水が入ってくる。ここの水は綺麗なんだろうか? そうでないと困る。だいぶ飲んじゃったから腹壊す可能性大。


 て、腹壊す前に溺れ死ぬのが先か。


 「キュ……キュ…ゥ無…理…」


 雛だからか。体力はあっという間に尽きた。

 自分の体が沈んでいくのを感じた時、辛うじて水面から出ていた顔もついには水中へ。もう、もがく力さえ残っていなかった。


 苦しい、息が出来ない。当たり前だ。


 生き延びたかと思いきや、目覚めたばかりでドラゴンに追われ、自分の体は人間ではなくなり、挙句の果てには溺死とか……ははは、なんの冗談だよこれ。


 俺の人生こんなのばっかりだ。なぁ、教えてくれよ。俺が一体何をした? 足掻いて、我慢して、耐えて耐えて耐えて、耐え抜いて……その結末がこれ? ふざけるな。

 俺はこれまで一度だって、自分の為の人生すら歩んでいないのに、こんな意味の分からない状況で理不尽に命を奪われるなんて事があってたまるかよ!


 尚も体は沈んでいく。見上げる水面には天井から降り注ぐ太陽光がゆらゆらと煌めいていて、こんな時なのに綺麗だなぁなんて思ってしまった自分が情けない。

 届かないと分かってる。それでも俺は、最後の力を振り絞って光を掴み取るように右手を伸ばした。


 やがて視界が暗転していく。息苦しさはとっくに限界だ。もう何をした所で無意味。


 今度ばかりは死んだな……まぁ、ドラゴンに生きたまま食われて死ぬよりは余程マシだろう。そう諦めて目を閉じようとしたその時、キラキラと輝いていた水面に不意に影が落ちた。


 なんだ? と思う暇もないまま、次に感じたのは体を持ち上げられる感覚。あれだけ遠くに感じていた水面が一気に近付き、ついには完全に浮上した。


 体が欲していた空気。それを感じた瞬間、俺は思いっきり息を吸った。何度も何度も咳き込んで、それでも必死に空気を貪る。


 「けふっ! けふっ! キュウ……キュウ……!」


 空気が、美味い!生きてる。信じられない事だが、俺はあの状況から生き延びたのだ。

 ……でも、何でだ? 助かる要素なんてどこにも無かったのに、何で水中から浮上できた?


 「グルルゥ」


 「キュ?」


 ふと目が合った。それも間近で。

 俺をすくい上げたのは誰あろう、俺を追いかけ回していたあのドラゴンだった。


 最悪である。あんだけ勇気振り絞ってダイブしたのに、結局こうして捕まってしまうんだもの。今夜は俺の踊り食いよ〜ってか? はははは……笑えねぇ。


 「(……! 食われるっ……!)」


 俺を乗せた手を引き寄せ始めたのを感じた瞬間、もはや逃げられないと覚悟を決めて固く目を閉じた。


 次に感じるのは痛みか。いや、丸呑みだったら痛みも何もないかもだが。食われるって事に変わりはない。


 そうやって目を閉じてどれだけの時間が流れただろう。待てど暮らせど食われるような感覚は来ず、代わりに全身を包む温もり。

 辛抱できずに俺が目を開ける。ドラゴンは変わらずそこに居る。でも、俺を食おうなどとはせず、壊れ物を扱うように……いや、まるで我が子を抱く母親のように、俺をその胸に抱いていた。


 「……」


 「キュ…」


 ジッと見つめ、ゴツゴツとした鼻先を俺に擦り付けてくる。愛おしく、慈しむように、溺れそうになった我が子を助けて心から安堵するように。


 うすうすそんな気はしていた。でもいきなりの事で頭の理解が追いつかず、その可能性を受け入れようとしなかった。

 どういう経緯でこんな状況になっているのかなんて分からない。でも、どうやら俺は、このドラゴンの子供としてこの場に居るようだ。


 じゃあやっぱり俺は死んだのか。これってなんて言うんだろう? 生まれ変わり? それが正しいと仮定したとしても、じゃあそもそも何故生前の記憶を丸々覚えているのか。普通そんな事はありえないだろ。


 「……キュ?」


 考え込んでいると不意に頬を撫でられた。


 大きな手で、びしょ濡れになった俺の体を拭いてくれる。外遊びで泥だらけになって帰ってくるような、そんな手のかかる子供を優しく迎えてくれる優しい母親。俺はそんな光景を瞬時にイメージしてしまった。


 これまでの人生、一度だって体験した事のないその光景が鮮明に思い浮かび、気が付けば俺は涙を流していた。

 どうしようもない暖かさだ。じんわりと心の中に染み込んで、冷え切って凍り付いていた親への感情が溶けだしていく。


 すげぇな……母親って、こんなに優しくて、暖かいもんなんだ。知らなかったよ。





――――




あとがき。


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