その人は、ハーデースの告白を聞く。

 アンバランサーよ、よくぞ、余のもとにたどり着いた。

 お主は、この地を訪れたはじめてのアンバランサーである。

 スフィンクスの問いに答え、お主は自らを証明した。

 余はお主を賞賛しよう、アンバランサー。


 ……余と、お主は、ある意味、よく似た存在である。

 世界の均衡のためには、なくてはならぬ。

 余は、天秤の片側の重りである。

 余が存在することで、世界の天秤は揺れる。

 天秤は、揺れ続けなければならぬ。けして静止してはならぬのだ。

 しかし、ヒトにとって、余の存在は災厄にほかならぬのだろう。

 ゆえに、余は禍つ神と称される。

 それはやむを得ないことだ。

 余は、天秤の向こう側の神々からも敬遠されておる。

 余に話しかけてくるような神は、ほとんどおらぬ。

 あの、アーテミスをのぞいて。

 アーテミスは、好奇心にあふれ、すべてを知りたがる女神であった。

 新しきことを知るために、ためらいなく余に話しかけてきおったぞ。

 余とアーテミスは、長い間(なにしろ、神には時間が限りなくある)この世界の様々な事柄について、お互いの意見を交わしあった。

 アーテミスは強く願っておった。


 「わたしは、別の世界を見てみたい。できることなら、この星を離れて、新しい星の世界にも行ってみたい」


 もちろん、それはかなわぬ願い。

 神は、自分のよってたつ土地を離れたら、消滅してしまうがゆえに。

 だが、余は、アーテミスと言葉をかわすうちに、そのかなわぬ願いを現実のものとする手立てはないものか、そんなことを思うようになっていったのだ。


 「ハーデース、あなたの地は、この星でいちばん、宇宙に近い。それはどんな気持ち?」


 アーテミスはなんども余に、そう問うたものだ……。



 そして、あるとき、余の眷属が、「ノモス」と接触したのだ。

 その存在には、余はかなり前から気づいておった。

 この星の森羅万象に、神の力で注意をはらうと、そこに、神でもヒトでもない、つまりこの星には属さぬ、なにものかの意思が、密やかに活動をしていることがおのずから分かるのだ。

 余は、その存在を注意深くさぐり、眷属を斥候として、接触をはかり、そして疎通をとることに成功した。

 それまでに、ずいぶん多くの眷属が犠牲になったがな……。


 その、神でも人でもない意思が、「ノモス」である。

 「ノモス」は、この星のものではない。

 あるいは、この宇宙由来でさえないかも知れぬ。

 そんな存在が、いつか知らず、この地球に墜ちてきたのだという。

 「ノモス」とは、その存在の言葉で「いつなるもの」の意味だそうだ。

 そう、ノモスは、たった一つしかおらぬ。

 この地上にいるすべてが、一つのノモスである。

 ノモスは、帰りたがっておった。

 ノモスの本来属するどこかへ。

 ノモスは、余らこの星のものとはずいぶん性質を異にするものの、知性と呼ぶべきものをもっておる。

その知性により、ひっそりとこの星で隠れ住み、空に帰る方法を探っていたのだ。

 一万年以上にわたって、けっしてあきらめず……。


 余は、いにしえの科学文明が興り、そして滅び去るのを見てきた。

 その文明の遺産に「星の船」がある。

 彼らは「星の船」を完成することができず、この星からは離れられなかったが、いくつかの試作品が残された。

 ノモスも、「星の船」に目を付けていた。知られざる遺跡から、一台の「星の船」を、確保してさえいたのだ。

 余は、ノモスと接触し、その望みと、連綿と続けてきた活動を知った。

 ノモスは、ヒトの言葉を覚え、入手した古代文明の遺産を分析し、知識と経験を蓄えていた。この地上に、ノモスの眷属ともいうべきか、その影響下にある人間も組織していた。

 ノモスには、この星の常識や理屈は通用せぬ。

 ただ、星に帰るという強烈な欲求があるのみで、そのためにはどんな犠牲もいとわないであろう。

 目的のためなら、この星が滅びることなど歯牙にもかけないであろうと、余は確信している。

 余が言うのもおかしいが、危険な存在であることはまぎれもない。

 だが、ノモスは、宇宙に帰る手立てを、けして諦めることなく追及していた。


 ノモスの話を、アーテミスにしてしまったのは間違いだったかも知れぬ。

 神である余が後悔するなどあってはならないことではあるが、この件に関しては、余は軽率のそしりを免れぬやもしれぬ。アーテミスに、告げない方がよかったのかと。

 アーテミスが、ノモスの話にどんな反応を示したかは言うまでもなかろう。

 アーテミス自らが、すぐにノモスと接触を果たしたようだ。

 そして、アーテミスは、ノモスから提案をうけたのだ。

 それが、アーテミス自身が星の船の動力となるというものだ。

 ノモスは、星の船の駆動力を完成させる必要があったが、これは科学文明でもできずにおわったことだ。そこで、ノモスの計画は停滞していたのだ。

 ところが、ノモスは余と接触したことで、この地球には、科学文明とはことなる、強力な神の力が存在することを知る。

 神の力を駆動力とすることはできないか?

 ノモスの知性がその可能性を検討し、古代文明の技術と神の力を結合することで、星の船を駆動する方法をみつけだした。

 古代文明の遺産を使い、空間を切り取ることで、神を動力に据え付け、星の船を飛ばすのだ。

 ただ、動力となった神は、その星の船の動力部を離れることはできない。

 星の船の動力部分に守られているかたちで、自らの地を離れることができるからだ。

 星の船から降りるためには、さいど自らの地に戻らねばならない。

 さもなければ消滅するほかない。


 「やってみる。これはまたとない機会だから」


 アーテミスが、余にそう告げた。

 余は、あまりに危険だと止めたが、アーテミスの決意は揺るがない。

 アーテミスによれば、今回のは試験飛行で、月までいって戻ってくる。

 うまくいけば、さらに改良して、神が自由に活動できるようにする、そういう約束だ、そう言うのだ。

 しかし、余はいぶかった。

 ノモスは、余らとは思考が違う。

 目的が一致していれば協力はするが、ノモスには約束などおそらく意味はない。

 飛行が成功したら、彼は、約束など簡単に反故ほごにして、そのままとびさっていくのではないか。

 アーテミスを心変わりさせることが無理だとわかっていたので、余はある仕掛けをした。

 余の禍つ神の力をもって、船に呪いをかけたのだ。

 それは、星の船が、月の軌道を超えてその外に出ようとしたなら、すべてが凍結するという呪いである。星の船の一切の活動が、その瞬間の状態のままで、時間の流れをとめ、完全に凍りつくという呪いを、まんいちの安全策として、かけたのだ。余は、アーテミスを星の涯に失いたくなかった。


 「いってくるわ。月がどんなところか、ハーデース、あなたにも報告するわね!」


 うれしそうな声で、アーテミスは余に告げて、そして船は出発した。

 そして——案の定だ。

 余の呪いが発動した。

 ノモスは、月の軌道を越えようとしたのだろう。

 それ以来、今に至るまで、星の船は、月で凍りついている。

 ノモス本体と、アーテミスを乗せたまま。

 呪いが解けるまで、それはかわらない。

 そして、このままでは呪いが解けることはないだろう……。

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