2 面会の約束

 エイリックのもとにその書状が届いたのは、レヴィンとユキが離れてから、一月が経過しようとしているときだった。


 二人のあいだを引き裂いた張本人であるエイリックは、彼の侍従であり友人でもある青年、アルフレートから書状を受け取るとそれに目を通した。そこには、差出人であるレヴィンからの私的な面会希望が記されている。いずれ来るだろうとエイリックが予想していた通りの内容だった。


 目線を書面から上げると、アルフレートはすでに返書のための準備を終えたところだった。私室に置かれた机の上には、有能な侍従の手によって筆記用具が整然と並べられている。


 机に向かったエイリックは、迷いなく予定通りの必要事項を記載して封をした。そのままそれをアルフレートに手渡すと、受け取った彼は緩やかに首を傾けて言った。


「お会いになるのですか?」

「……君がそういうことを聞いてくるのは珍しいね」


 不快さからではなく、本当に珍しく思ったエイリックはそう言った。


 目の前のこの友人は、優しげな見た目の好青年だが、すぐれた直感の持ち主でもある。惜しむらくは、持って生まれたその特性に彼自身が依存していて、言語化が苦手なことだった。なんとなくであれば誰より場の空気が読めるアルフレートは、論理だてた思考を求められると途端にうまく話せなくなる。文官の家系に生まれた彼が侍従をしている理由が、まさにそれだった。


 自身のそうした傾向を誰より当人が熟知していたから、彼はいつでも裏方と補佐に徹していて、滅多に口を挟むことをしない。もちろん友人同士のじゃれあいはそのかぎりでないが。


 そんなアルフレートが、こうやって口を出してきたことは、エイリックを驚かせた。


「こういうことをする担当が、今は不在にしていますので」


 その一言を聞いて、エイリックはあっさり納得してしまった。つまりアルフレートは、他でもないエイリックのために言葉を発していたのだ。


「僕が、ボードに依存しているように見えるかい?」

「……いいえ。ただ、マシュラムとのやりとりを通して、ご自身の考えを確認されているというか……心の準備をされているのかと感じていました」


「ああ、そうなのかもしれないね」


 言葉にするのが得意でない友人が懸命に探した言葉なのだとわかっていたから、エイリックも無下にはできず素直に認めてしまった。


 ボードが投げかけてくる優しさや良心といった類のものは、エイリックの心にもたしかに存在するものだ。エイリックはボードと対話することで、自分の中の甘さと対面し、それを断ち切る機会にしていたのかもしれない。


「もう一度、ティシャール公と会って話をするよ。これは必要なことなんだ」


 エイリックが言うと、アルフレートの眉が心配そうにひそめられる。


「また、お心を乱されるのですか……?」

「もしそうなったら、そのときはアルフレートが淹れてくれたお茶でも飲んで気持ちを落ちつかせることにするよ」


「そんなものでよろしければ、いくらでもご用意いたします」

「うん。ありがとう」


 毒のない笑みで応じたエイリックを見やって、アルフレートは苦笑を浮かべた。


「……やっぱりだめですね。うまく会話を広げられない。私には、ボードの代わりは務まらないようです」


「いいんだよ。考えてみれば、ボードみたいなやつが二人もいたら、鬱陶しいだけだからね。それで君の良さが失われてしまったら、そっちの方が大問題だ」


 ボードはエイリックの良心を問い、対話し、ときに彼の意図に反することもする。一方でアルフレートは、エイリックを受容し常に肯定してくれる。

 それは、アルフレートにとってのエイリックが全肯定しうる立派な人間だからではなく、エイリックがそういう存在を必要としていることを、彼の鋭い直感が察しているからなのだとエイリックは思っている。


 彼らのうち、どちらが欠けてもエイリックの心の均衡はたもてないだろう。


「……少し日にちが開いてしまったね。そろそろ神の娘のご機嫌を窺いに行こうか……」


 ふと思い至ったかのようにエイリックがつぶやくと、アルフレートは柔らかな声で答えた。


「はい。ついでにマシュラムの様子も見てきましょう」






「お土産持ってきたよー」


 バンッ、と音をたてて勢いよく扉を開けたエイリックは、にこやかにそう言い放った。

 そのとき部屋の中にいた二人の人物は、闖入者としか表現しようのないこの国の王を、それぞれ違った眼差しでもって迎えていた。


 一方の黒髪の美少女は、座った椅子から立ち上がる気配もなく、無表情のまま温度のない瞳でエイリックを一瞥すると、何事もなかったかのように手元の本に視線を戻している。

 

 もう一方、砂色の髪をした厳つい男は、反射的に立ち上がったのだろう、腰を落として身構えた姿勢のまま、はっきりと失望の色が浮かんだ瞳を自らの主へと向けていた。

 

 エイリックは自分に注がれた微妙な視線にはまったく気に留めず部屋に入ると、手にしていた持ち手付きのバスケットを無造作にテーブルに置いてから、定位置である自分の椅子に腰を下ろす。

 

 背後に従うアルフレートは、礼儀正しく「失礼します」と告げて入室すると、別室から酒瓶を抱えて来て籠の隣に並べた。


「ボード、固まってないでカップ用意してよ」


 エイリックが言うと、静止したままだった友人が、諦めのため息を吐いてそれに従った。もはや抗うのも面倒くさいという内心が顔に出ている。


「だから、酒盛りするなら事前予告くらいしといてくれよ……」


 テキパキと準備をしながらもこぼされた不満に、エイリックは「ははっ」と笑い声をあげただけであっさりと受け流した。


「あ、その籠の中身はユキへのお土産だよ。気に入るものがあるといいんだけど」


 エイリックの言葉を受けて籠を覗き込んだボードが、顔をしかめた。


「うわ、果物と焼き菓子。甘いものばっかかよ。うちのお嬢さん、もうすぐ寝る時間なんですけど?」


「マシュラムはいつから子育て中の親になったんですか」


 アルフレートは呆れた声でボードに言う。彼はカップに二人分の飲み物を用意すると、一方をユキに手渡した。


「どうぞ。果実水です」

「……ありがとう」


 つぶやくように言ったユキは、本を閉じて膝の上に置くと、カップを受け取った。今、彼女が座っているその椅子は、最近になってこの部屋に加えられた新しいものだった。


「おまえたちは、五日と開けずに飲んでいるな」


 こくりとカップの中身を一口だけ飲んでからユキが言うと、エイリックは心外そうな顔をした。


「その言い方だと、僕らがいつも飲んだくれてるみたいじゃない? こうして集まってるのは、君のご機嫌を窺うためなんだけどな」


「いや、さすがにそれは苦しいだろ? だいたいこの場で俺らが酒を飲む必要は?」

「僕が楽しいから」


 にっこりと笑って言ったエイリックに、ボードは再びため息をつく。


「……どうして俺、こんな王に仕えてるんだろ……」


「マシュラムは素直じゃありませんよね。エイリック様にお仕えできて嬉しいと、どうして正直に言えないんですか?」


「やめろアルフレート。おまえが言うとそれが真実みたいに聞こえるから」

「いえ、からかっているわけじゃないんですけど……」

「もうやめて……」

「そうですか? わかりました」


 じゃれあう友人たちの様子を微笑ましく見ていると、横手から視線を感じて、エイリックはそちらを見やった。


「どうしたの? なにか言いたいことがあるのかな?」


 エイリックに水を向けられて、こちらをじっと見ていたユキが口を開く。


「レヴィンから、なにか連絡はあったか」


 これがはじめてされた質問であれば、計ったような間の良さにエイリックは感心していただろう。けれど実際は、顔を合わせるたび彼女から聞かれていることだった。


「今日、書状が届いたよ」


 エイリックが言うと、ユキは黒い瞳を見開いた。


「レヴィンは……元気なのか」


 少女の顔が切なげに歪んだ。本当は、書状になんと書いてあったかを教えてほしいのだろう。けれど聞いてもエイリックが答えてくれるはずがないと予想して、せめて答えてくれそうなことを聞いているのだ。


 エイリックは答えた。


「ティシャール公が元気なのかは知らないけど、今度、彼と会うことになったよ」


「レヴィンが、この城に来るのか?」

「そうだよ。彼と会いたい?」


 投げかけた問いの答えが返るまでに一瞬もかからなかった。


「会いたい……っ」


 震える声でそう言って、ユキはすがるような瞳をエイリックに向ける。この少女は本当にレヴィンを強く求めているのだと、エイリックは改めて感じた。


「いいよ。僕との面会が済んだあとで、彼と会えるようにしよう」


 喜びを嚙みしめるように唇を引き結んだ少女は、次の瞬間、はっとしたように警戒の色をにじませた。


「……なにをたくらんでる?」


 精一杯の低い声でそう問われて、エイリックは苦笑した。


「ひどい言い草だなぁ。でも、自分の都合のいいようにしか物事を見ないより、よっぽど好ましいけどね」


 この短い期間で、少女には変化の兆しが見えるようになった。

 表に見えるものだけがすべてではないことを知ったのだろう。口数が増え、相手を知ろうと自ら質問することも多くなった。その変化が、エイリックの要求に応えるために仕方なくそうしているだけであったとしても、エイリックは構わなかった。


「そういえば、僕に敬語を使うのをやめたんだね」

「なにをたくらんでいるのかと聞いている」


 投げた問いを受け流されて、ユキは少し面白くなさそうだった。表情が乏しいことに変わりはないのだが、最近、少しずつ感情が透けて見えるようになってきたのは、彼女の変化のひとつだろうか。あるいは自分の方が、わずかな差異に気づけるほど彼女に慣れてきたからなのか。


「なにもたくらんでなんかいないよ。僕の目的は、最初から隠してないだろう?」


「……この国を存続させること」

「そう。そのために、選択権を持つ君を手元に置いてるんだ」


 だからこそユキに、求めることと与えられることしか知らない、受動的な存在でいてもらっては困るのだ。彼女には、もう少しだけ視野を広げてもらわなければならない。国を滅ぼす選択など、選べなくなるように。


「きっと、レヴィンは傷つく」


 弱々しい声で、ユキはそう漏らした。


「どうしてそう思うの?」


 エイリックは静かに問う。


「……このあいだも、レヴィンは傷ついていた」


 それがわかるようになったのか。エイリックはそう思った。


「なら君は、ティシャール公をどうしたいの?」


「傷つくものから遠ざけたい」


 黒い瞳がまっすぐにエイリックを映して言った。


「視線が痛いんだけど。それって僕のこと?」


 エイリックがおどけると、注がれる視線の温度が一段と低くなった。


「他に誰がいる?」

「向こうが希望してきたから応じた面会なのになぁ……。まあいいや、そんなに心配なら君も聞いていればいいよ」


「……いいのか?」


 戸惑った声でそう聞いてきたのはボードだった。


 ――心の準備をされているのかと感じていました。


 先ほどアルフレートに言われたばかりの言葉を思い返して、エイリックはかすかに口角を上げた。


「いいんだよ。聞かれて困る話をするわけじゃないし。ただし、僕とティシャール公が話しているあいだは口出し無用でお願いしたいね。君はあくまで話を聞いているだけだ。……それでもいい?」

「いい」


 迷いなく即答したユキを見て、エイリックは目を細めた。


「決まりだ。日時が決まったら、君にも伝えるよ」

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