【戦闘準備】

 皆を川越駅の西口で降ろして別れ、俺はバスターミナルの邪魔にならない所に車を停めた。

そして、車の後ろにあるテントの下のビニール袋を手に取り、シャチの服一式を出してジャケットとズボンのポケットから奴の財布とキーケースを取り出した。

高級ブランドの財布と同じブランドのキーケース。財布を開いて免許証の名前と住所を確認する。

 名前は山中砂知男。住所は東京渋谷区上原。住所の最後に五〇一とあったので一軒家ではなく、おそらくマンションだろう。俺はエンジンをかけて、その住所にそのまま向かった。

 圏央道から八王子方面へ行き、そこから中央高速に入って渋谷方面へ向かう。

目的は車を返すのと、シャチが家庭を持っているかどうかの確認だ。あと、奴の生活行動も把握する必要がある。もし家族が居たとして捜索願を出されたら発見が早まるだろうし、会社勤めで何日も無断欠勤をしていると、それはそれで早期発見につながる。あいつの息の根を止める瞬間、奴に家族が居るなんてことを俺は考えもしなかったが、奴は四十代の男。普通に考えたら結婚して子どもが何人か居てもおかしくない。

その場合、俺は一家の大黒柱の命を奪ったことになる。残された家族は間違いなく悲しみや苦しみのどん底に落ちるだろう。俺は関係のない人間は巻き込まないと皆に宣言した。しかし、誰にでも家族は存在する。俺がこれから復讐する人間達の家族はどうなんだろうか。どこまでの人間が犠牲にしてもよい、関係ある人間と言えるのだろう。

 昨日から一睡もしていない止まりかけた脳で、そんなことを考えていると、今また再びシャチの死体を捨てに行くときに湧き出た願望というか、しがらみから解放され本来の自分になった感覚が蘇った。

『そんなことを言っていたら、結局何もできやしない。どう正当化しようが俺はもうすでに人一人殺しているし、おそらくこれからも何人か殺すだろう。どんな立派な思想を持とうが何をしようが、人を殺しは絶対悪だ。だから、何も考える必要はない。俺が一泡吹かせる奴らの家族は、関係ある人間だから不幸になってもしょうがない。とにかく自分のやりたい、やるべき使命を全うしよう』

 車は中央道を経て国道二十号へと入り、俺は通り沿いにあるホームセンターに寄った。服装に合う帽子とマスクとナイロン製の手袋を買うためだ。

 会計を済ませて車に戻ると自分のキャリーケースが目に入り、ここから近いので先に自分の荷物を置きに行くことにした。国道二十号をまっすぐ行き、環七に入って高円寺方面へ。アパート近くのコインパーキングに車を停めて自宅へと戻った。

 部屋に入ると、何だか清々しい気分になった。おそらく出掛ける前に部屋をだいぶ綺麗にしたからだろう。とりあえず荷物を玄関に置き、すぐに駐車場へと戻って渋谷上原へと向かった。環七から井の頭通りへと入り、しばらく行ったところの緩い下り坂を下ると渋谷区上原となる。

三十分ほどで付近に着き、井の頭通り沿いのコインパーキングに車を停めて、帽子を被りマスクをしてシャチの荷物とホームセンターで買った手袋を持って外に出た。

 久しぶりに太陽に直接当たったせいか、頭がクラクラする。ポケットから自分のスマホを出し、地図アプリを開いて奴のマンションを探した。すると、目の前に見える大きなマンションと一致。信号を渡ってマンションの前に着き、改めてスマホと照らし合わせる。

ここで間違いない。

結構立派はマンションだ。玄関には自動ドアと、その横にカメラ付きの全室共通のインターホンがあった。住民は番号を押して鍵穴に鍵を挿して回すと自動ドアが開いて内部に入れ、住民に用がある人は部屋の番号を押しインターホンを鳴らす仕組みなのだろう。

その付近に防犯カメラがあることを確認し、とりあえずカメラに顔が映らないように部屋の番号を押してインターホンを鳴らしてみる。もし誰かが出たとしても、部屋の番号を押し間違えたと言えばいいと思いながら。

しかし、インターホンからは何も反応がなかった。俺は再び部屋の番号を押し、持ってきた鍵を挿してマンション内に入った。入ってすぐに管理人室と書いてある部屋があり、窓口みたいなものもあったが閉めきられている。集合ポストを見ると新聞が刺さっていたので、それを取りエレベーターで五階へと上がった。

 エレベーターを出て一番奥の五〇一の部屋の前に着き、ナイロン製の手袋をはめてドア横にあるインターホンを鳴らす。返事がないことを再確認して、ドアに鍵を挿して恐る恐る部屋の中に入った。

今までに経験したことがないことをしているせいか、心臓の鼓動がウーハーから出る重低音並みにうるさい。

 玄関の鍵を閉めて中に入ると、薄暗い廊下が続いていた。入ってすぐに左右両側にドアがあり、とりあえず人が居ないか確認する。まず左のドアを開け、中を覗いた。そこには洗面所と洗濯機があり風呂場の扉があったので、一応風呂の中も確認。誰もいない。

廊下に戻り右のドアを開けて覗くと、パソコン三台が一つの大きなテーブルに置いてあった。ドアを閉め廊下を先に進むと、また両側にドアが二つ。左はトイレ、右は寝室。

最後の正面のガラスが張ってあるドアを開けると、そこはキッチンとリビングだった。すべての部屋に人が居ないことを確認し、再び最初からじっくり調べることにした。

 結果、シャチはここに一人で住んでいて、おそらく結婚はしていない。仕事は株か何か投資のようなことをしている。そして複数の通帳などから、相当な金持ちだということがわかった。

 俺は奴のスマホを出し、新聞屋へ電話して3か月ほど海外へ行くので止めてくれと言った。ポストに新聞が溜まると管理人とかに怪しまれ、発見が早まると思ったからだ。

とりあえずは家族や仕事上から、奴の死体の発見が早まることはなさそうだということに安心した俺は、すべての通帳と印鑑を持ち洗濯機に奴の服を入れて部屋を出た。

そして、地下の駐車場の行き場所を確認して車に戻る。駐車場にも防犯カメラがあったため、帽子を深く被りマスクをしてばれないようにして駐車場に車を戻し、防犯カメラと人に出くわさないように気を付けて外へ出た。

 これで今日のやるべきことはすべて終了。井の頭通り沿いを歩きながら達成感が体中を駆け抜けた。

代々木上原駅まで歩き、そこから新宿経由で高円寺に戻る。駅前のコンビニに寄り、いつものコーヒーとカレーパンを買って、その足である期待感を持ちつつ、コンビニ内に設置されている銀行のATMの前に来た。

その期待感とは、奴の銀行の金を下ろせるかもしれないという期待感だ。

俺は奴を殺す前、シャチが撮っていた動画を消すためにスマホのパスワードをシャチから聞き出していた。3142。

これはシャチに関する誕生日やらの数字ではないので、どこから来ているのかと考えていたら、昔ポケベルで打つ数字を文字に直すと3142は「サチ」になることに気がついたのだ。これは中々の発想で、他人にはわかりにくく良い考えだと思った。

俺は、これからの活動資金をどうするかということも考えていたとき、ふと頭によぎったのがシャチから聞いたパスワードだった。その後、大体の人間はスマホのパスワードが四桁の場合、銀行の暗証番号と同じにしているんじゃないかとも思った。かく言う俺も一緒にしている。

ATMに奴のカードを入れ、願いを込めて3142と打ってみた。

ビンゴ!

金額を入れる画面に切り替わり、嬉しさから来る鼓動やニヤケを抑えながら、とりあえず5万円下ろすことにした。

その他の銀行のカードも試したかったが、ここで複数のカードを試すと怪しまれるので、とりあえず外に出る。

そして、ワクワクしながら近所の複数のコンビニや銀行を回って、シャチのカードを全部試してみた。すべてのカードの暗証番号が3142。

 おそらくシャチ自身、この番号の安全性には自信があったため、同じ番号にしてしまったのだろう。

『油断したな』

 ウキウキしながら自宅に戻り玄関のドアを開けると、ウキウキはどこへやらという感じで急激に疲れが体中を巡った。そして、何とかシャワーだけ浴びて横になった。

 目が覚めて時計を見ると、夜の十一時十八分。一瞬何が何だかわからず、昨日の出来事が夢だったのかとも思ったが、テーブルにあるシャチの通帳とカードを見てすぐに現実だと気づく。すると、またすぐに睡魔が襲ってきたのでトイレで小を済ませ、水を一杯飲んで再び横になった。

 二度目の目覚めは眠りが浅かったためか、意識や記憶はわりとはっきりしていた。時計を見ると朝の六時。とりあえずウェアに着替えて日課のマラソンへ。その後、体幹をしてシャワーを浴びた。

昨日一日で急激に人生が変わったというのに気分は特に変わらず、昨日コンビニで買ったパンをほおばってコーヒーを飲みながらテレビを観ていると、スマホが鳴った。りんからだった。

 出ると朝だというのに異常に高いテンションの声が耳に飛び込んできた。

「もしもし。三十二にもなって童貞君の携帯電話ですか?」

「そうです。三十二にもなって童貞なので、AV観すぎて最近では骨壺でもイケるんじゃないかと思っている変態野郎の携帯電話です」

 負けずに言い返すと、りんは無邪気に笑った。

「ほんとウケる!っていうか今日暇?」

 俺はもしかしてシャチについてのことかと思い、若干心臓がドキっとした。

「いや、ちょっと色々準備があって夕方までは忙しいかも・・・何?どうかしたん?」

「・・・なんていうか・・・あの時助けてもらって、ちゃんとお礼を言ってないから何かお礼がしたいなと思って・・・」

 俺の心臓が今度は、りんの恥ずかしそうな小動物のような声にドキドキする。

「えぇ?お礼?お礼って?」

「うん、ご飯でもご馳走しようかと・・・」

 俺はわかってはいたが、話を盛り上げようと冗談っぽく答えた。

「え?ご飯?なんだ、そうだよね?ビックリしたぁ!」

 りんは、いまいち理解していない感じで返してくる。

「え?何?何だと思ったの?・・・あぁ!何考えてんの最低!」

 りんが俺の想像とは違うリアクションだったので、俺は素直に謝った。女の気持ちはやはりわからない。

 りんとは夕方五時に新宿で待ち合わせて電話を切り、俺はすぐに行動に出た。

まずは着替えてインターネット。賃貸の一軒家の物件探しと、格安のバンタイプの中古車調べだ。

目星を付けた後シャチのすべてのキャッシュカードの会社にアクセスして、近くの店舗の場所と店舗での引出し限度額を調べ、必要な書類を印刷して外に出た。

 調べた近くのシャチのカードの店舗をすべて回り現金を引き出すのだが、ある額を超えると身分証明書を出さないといけないため、身分証明書を出さなくてもよいギリギリの限度額を下す。

下ろした現金全てを背負っていたリュックに入れ、今度は電車で地元の八王子に向かう。自分の実印を取りにいくためだ。

家を借りるにせよ車を買うにせよ必要になると思ったからだ。二十歳の誕生日に両親が作ってくれたのだが、自分で持っているのは不安だと、実家に置きっぱなしにしてあった。

実家に到着し母親に会った時のための言い訳も考えておいたが、あいにく両親は居なかったため勝手に入って実印を取ってすぐに家を出る。

八王子駅前のファーストフード店で軽く飯にしようと思ったが、両親や知り合いに会ったら気まずいと思い、とりあえず電車に乗ろうと決めた。

 昼時の地元八王子駅のホーム。前にここに立った時は死ぬための準備で、実家の車を借りた後だった。あの時は何か、心の中全てがネガティブと言った感じだったが、今は結構ポジティブな感じ。心が弾んでいた。

電車に乗り込み若干混み始めていた車内で吊革持ち、身を任せる。

 これから拠点とする家と車を見に行く。家を借りたとして、いつごろになるのか、車もどのくらいで手に入るのかわからなかったが、どちらにせよそれまでの期間は高円寺のアパートでの活動となる。狭いし、ぼろい。昨日行ったシャチの家の方が断然広いし綺麗だし、パソコンも何台もあるから、そっちの方が便利で都合が良いのではないかとも思ったが、それはあまりにもリスクが高過ぎると思い、やめた。

 吊革に身を任せてボーッとしていると、窓から見える多摩川の水面に太陽が反射して一瞬眩しくなった。その輝く水面を通り過ぎると、河川敷にある何個かの青いビニールシートが目に入った。

 頭の中の思考モーターが回転し始める。

『あそこには浮浪者となった人が住んでいる。彼らはただの怠け者なのだろうか。それとも何か理不尽な目に遭ったのだろうか。もし後者ならどんな理不尽な目に遭ったのだろう。まだ働ける身なのに会社が倒産したのか。それとも人員削減のために理不尽に会社を解雇されたのか。いずれにしても、職を失い金が無くなったからあそこで生活をしているに違いない。この世の中は金がある者が勝ち組といわれ、無い者が負け組とされる。あそこで暮らしている人は、負け組と言われる人間達だ。あの人たちから職を奪い、金を奪った人間は大体が勝ち組とされる。結局この社会は金の奪い合いなのだ。どんな手を使おうが最終的に金をもっている奴が勝ちとなる。でだ、その大元というか、そういった風潮を作ったのが社会システムを作った政治家達だ。俺はこれから名聞名利に溺れ、理不尽に弱い立場の人間から金と幸せを奪った奴らと、その大元となる政治家達にきついお灸をすえてやる。子どもの頃から社会の流れに乗れない能無しの、この俺がだ』

 俺の心は踊り出し、電車の中だが「やってやるぞぉ!」と叫びたい衝動にかられた。

 電車は国分寺のホームに着き、ここから西武多摩湖線で萩山へ行って萩山から西武拝島線で小平、そして西武新宿線で花小金井へと向かう。

目星をつけた理想の物件が西東京市にあり、その物件を扱う不動産屋が花小金井駅近くにあるためだ。ついでに、その近くの中古車センターで、目星をつけておいた車も見に行く。

何げなく時間を計りながら向かっていると、国分寺駅から二十二分で花小金井駅に着いた。

近くのファーストフード店でサッと食事を済ませて不動産屋に行き実際に物件を内見させてもらい、その場で契約。

駅前に戻ってタクシーで中古車センターに向かい、ここでも実際に車を見てすぐに契約した。どこにでもありそうな銀のハイエースだ。

 すべてが終わり時計を見ると十六時。りんとの待ち合わせまであと一時間あるが、とりあえず新宿へ向かうことにした。

電車に乗って一息つく。家も車も一週間はかからないとのことだったが、それまでは高円寺のおんぼろアパートが拠点となる。色々と考え事をしていると、あっという間に電車は新宿のホームに滑り込んだ。

 待ち合わせの東口アルタ前に着くと、十六時半ちょっと過ぎ。見回すと、昨日とは違って清楚な格好をした、りんらしき女性が立っているのが見えた。

マスクをしていたので、もしかしたら違う人かもと思いながら小走りで横断歩道を渡る。

近づくとやはりりんだ。りんも俺に気づいたがすぐに目を逸らし、俺が声をかけるとあたかも気づいてはいないと言った感じで可愛く驚いた。

 俺は言った。

「いやいや、その前に気づいてたでしょ?」

「え・・・そこはさ、やっぱあれじゃん。社交辞令っていうか・・・そっかそっか、そうだった。連にはそういうの必要なかったね」

 俺はりんの話の内容より、その何とも言えない表情にしばし見とれていた。

「何?どうしたの?」

「あいや別に。それより何食べる?っていうか来るの早くない?」

 さすが元芸能人。姿勢の良い立ち方から風で髪がなびくのを抑える仕草まで、すべて人に見られているものだと刷り込まれているためか、一つ一つがめちゃくちゃ可愛い。

「店はもう決まってるし、たまたま早めに着いちゃったからさ・・・っていうか連こそどした?なんか見すぎじゃない?」

「あ、いや、そうなんだ・・・」

 俺はあまりの可愛さというか、美しさに未だ体の全ての機能がフリーズしたままだ。

「何?何かついてる?」

 はっとなって、もう負けましたと言わんばかりに正直に答える。

「あいや、なんつうか、全部が綺麗で可愛いなぁと・・・」

「はぁ?もう何言ってんの」

 彼女得意のグーパンが俺の胸に入ったが、全然痛くない。

俺たちはちょっと早かったが、りんが予約してあった店に向かった。店に行く途中も、隣で歩くりんのシャンプーか何かの香りが心地良い。

また、歩きながらのたわいもない会話が楽しくてしょうがなかった。

 着いた店はというと、今まで行ったこともないような店で軽くカルチャーショックを受けた。ジャンルでいうと居酒屋、ダイニングバー、イタリアンに当たるらしい。

ビルの5階にある店内に入ると海の中をイメージしているのか、全体的に青一色。

個室に案内されて、さらにビックリ。イメージしているだけかと思いきや、水槽があって実際に綺麗な魚が泳いでいた。

メニューを見ても横文字が多くてさっぱりわからない。ここはへんに格好つけるより素直にりんに全てを任せた方が良さそうなので、お願いした。

注文して出てきた物は、今までに食べたことがないような物ばかりで、世界の三大珍味はもちろん、どう表現してよいのかわからないものばかり。しかも、どれもとんでもなく美味い。口にする度に俺の大きいリアクションが楽しいのか、りんも楽しそうだった。

しかし、ある程度食事と酒が進み、落ち着いて来た頃から、りんの表情が曇ることが多くなった。俺はストレートに聞こうと思ったが、自分の女心の理解の浅さを思い出し、思い留まる。

 するとりんが、話を変えるといった感じで頭を下げながら言った。

「それよりさ・・・なんていうか、あの時は助けてくれて本当にありがとうございました」

「え?いやいや、当たり前のことをしただけだよ」

 俺は若干誇らしげに答えたが、りんの晴れきっていないような空気を感じた。

もしやシャチのその後の詳しいことを聞きたがっているのかとドキリとしたが、勇気を出して聞いてみる。

「何?どうしたん?何か気になってるん?」

「うん・・・実はあの時さ、あの人動画撮っててさ・・・」

 俺は一瞬何のことだかわからなかったが、すぐに理解して一気に叩きこむように説明した。

「あぁ、大丈夫だよ。心配いらない。俺も車にセットしてあった奴のスマホに気づいたし、ちょっときつめのお仕置きをした後にちゃんと削除させたから。もちろん俺は内容は観てないし、ちゃんと消えたかの確認は奴のスマホを手に取ってしたから、何も心配することないよ。しかも奴の弱みをたんまり握って脅かしておいたから、これから先奴がりんや俺に関わってきたり何かしてきたりすることはないと思う」

 りんは安心したのか、表情がみるみる崩れていく。泣くか泣かないかといったりんの顔は、何とも言えない可愛らしさと美しさで、俺の心を大きく射抜いた。

 俺は何も言わずりんは若干震えながら下を向き、すべてが停止したかのように時だけが過ぎていく。

実際何分かわからなかったが、その沈黙時間は生命自体の蘇生の時間のように感じ取れ、不思議と気まずい気分にはならなかった。

そして、りんが顔をあげた瞬間から再び時が動き出し、通常のりんに戻るとその後はシャチの話は一切なく楽しそうに食べては飲んで、テンション高めで色んな話をした。

俺は心の片隅でシャチの動画の話から自然とりんさんではなく、りんと呼んでいることに驚きながら、その時を楽しんだ。

 時が過ぎ夜も更けてきたので、この至福の時間が終わることに寂しさを感じつつ、俺からそろそろ出ようと切りだして店を出た。あまり好きではなかった新宿独特の臭いと空気感が、今日に限っては心地良く感じる。これもりんのお陰なのかと思いながら帰ろうとすると、りんがもう一軒行かないかと誘ってきた。

俺は明日からのこともあるし、普通にその誘いを断った。だが帰りの電車の中のりんの表情を見て、俺はまた女心の無理解さを痛感。

 そして、りんが大久保で降りる直前に謝った。

「なんか俺わからないけど、ホント女心ってのがまったくわからなくて・・・今日もなんか2軒目の誘いを断っちゃって・・・気に障ってたら謝るよ。ごめんなさい」

 りんは思いがけないと言ったような表情をして、降りる間際に俺の肩を叩いて言った。

「全然気にしてないよ。大丈夫。気にしいなや!なっ!昇ちゃん!っていうか今日は本当にありがとね!また明日!バイバイ!」

 俺が「昇ちゃんって誰?」と聞く前にドアが閉まり電車は走り出した。

まぁ、何はともあれ良かったと思いつつ、電車に揺られて高円寺に帰った。

いよいよ明日から俺の第二のというか最終的な人生の幕が開ける。そう思うとなかなか寝付けなかった。

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