20. ルビーは情熱の赤
市長さんのテントを出た時、すでに辺りは暗くなっていた。
でも、あちこちの地面に立てられた街灯のおかげで、まるで暗さを感じない。
「もう夜なのに、ずいぶん明るいですね」
「オアシスの街灯には、
「
「日中、太陽光を吸収させておくと、暗くなった時に光を発する石です。ちょうど明け方まで光がもつんですよ」
ハリー様ったらよくご存じね。
ちょくちょくオアシスに来ているみたいだし、ここの設備にも詳しいのかしら。
それにしても、
夜に読書する時とか、蝋燭に火をつける必要がなくて便利ね。
「……っと、そんな話もいいですが。せっかくのオアシスですし、どこかに行きませんか?」
ハリー様の言う通りね。
せっかく訪れた新天地だし、もうちょっといろいろ見て回りたいわ。
次の行き先を考え始めて、私は出張オペラについて開演の日取りも調べていないことを思い出した。
今のうちに確認しておかないと。
「ハリー様。出張オペラの開演日程はご存じですか?」
「ああ、オペラですか。たしか……明日の夜だったと思います」
「そうですか」
明日の夜ということなら、まだ焦ることはないわね。
「ザターナ嬢は、オペラがお目当てでしたよね?」
アルウェン様が話に加わってきた。
「はい。オペラを観終えたら、私の用件は済みますね」
「では、聖都への帰還は明後日の朝ということでいかがでしょう? あまり長いこと聖女様が聖都を留守にするわけにもいきませんし」
アルウェン様のおっしゃる通りね。
オアシスから聖都までは四日。
二日間ここで過ごすとして、お屋敷に戻るのは六日後になってしまう。
行きも含めれば、十日も聖都を留守にすることになるわ。
旦那様とヴァナディスさんがシルドライトへ行くに当たって、宮廷には私と使用人が一時的に秘密の別邸に住まうことを連絡してある。
十日の間に私の留守が知られることはないと思うけど、不測の事態に備えて聖都には早めに戻っておきたいわね。
「その予定でお願いしますわ」
私の返事を待って、ハリー様とアルウェン様が頷く。
「聖都に戻る頃には、親衛隊の選抜結果が出ているかもしれませんね」
「あ。やっぱりアルウェンも立候補を?」
「ええ。若輩者ですが、ザターナ嬢のお役に立ちたく」
「よく言うよ! まぁ、そうなるだろうと思ってたけどね」
そうだったわ。
親衛隊の最終候補の選定もあるんだっけ。
お二人とも親衛隊に立候補しているのなら、ぜひとも選抜に通ってほしいわね。
見ず知らずの殿方が傍にいるよりは安心できるもの。
「ところで、ザターナ嬢。もしも行き先を迷っているのなら、見世物小屋にでも行きませんか?」
「見世物小屋ですか」
「世にも珍しい幻獣を見られます。本物のドラゴンがいるかもしれませんよ」
ハリー様の勧めとはいえ、見世物小屋と聞くとちょっと怖い印象がある。
どうしようか悩んでいると、私の隣で弟くんが目をキラキラ輝かせていた。
……男の子って、ドラゴンが大好きね。
「弟くん、見世物小屋行きたい?」
「行きたいっ!」
「そう。それじゃあ、行きましょうか」
「やったぁっ!!」
飛び跳ねるほど喜んでくれるなんて、私も嬉しくなってきちゃう。
頭の上のサラマンダーも、心なしか楽しそうな気がするわ。
私は弟くんと手を繋いだまま、見世物小屋へと向かう。
後ろから熱い視線をふたつ感じるけど、気にしないでおきましょう。
◇
見世物小屋は、市長さんのテントからそう遠くない場所にあった。
「あ。きっとあれですね!」
ハリー様が、正面に見える背の高いテントを指さした。
たしかに看板には見世物小屋と書いてあるわ。
入口に長蛇の列ができていることから、その人気が察せられるわね。
「しかし、ずいぶん人が並んでるな。こりゃ入場するのに時間がかかりそうだ」
ハリー様がうんざりした面持ちで列を見入っている。
でも、ちょっと待って。
こういう時にこそ、
「準特命大使のブローチは使えませんか?」
「そうかっ! これを見せれば、大使特権で並ばずに済みますね」
ちょっとずるいけど、せっかく特権があるんだし使わないと損よね。
「じゃあ僕が――」
「ここは私が、見世物小屋の責任者に話を通してきます!」
ハリー様にかぶせて、アルウェン様が言った。
渋い顔になるハリー様と、勝ち誇ったような笑みを浮かべるアルウェン様。
馬車の時と真逆ね。
もしかして、アルウェン様の意趣返しかしら……。
「ちぇっ。それじゃあ、任せたよアルウェン」
「任されました!」
アルウェン様が見世物小屋へと駆けて行く。
使い走りみたいな真似をさせて申し訳ないけど、本人はなぜか嬉しそうな顔をしていたわね。
「あっちに屋台があります。アルウェンが戻るまで、見学でもいかがです?」
「いいですね」
夕食もとりたいし、屋台はちょうど良いかもしれないわ。
お屋敷以外での食事なんて、ずいぶん久しぶり。
「屋台なんて、
「あっ。待ってってばっ」
弟くんが急に走り出したものだから、手を引かれている私は危うく転びそうになってしまった。
まったく、男の子はやんちゃなんだから。
屋台に近づくと、私の鼻にまで美味しそうな匂いが漂ってきた。
「香ばしい匂いね。一体何の料理――」
と、その時、私の視界に
「ぎ……」
「ぎゃああああぁぁぁぁっっっ!!!!」
――ネズミ。
「で、出たあああぁぁぁっっっ!!!!」
私は、ネズミが死ぬほど大嫌い!
その姿を見ただけで、体が勝手に飛び跳ねるほど恐ろしい。
……と言うか、すでに私は無意識のうちに地面を蹴って、弟くんに全力タックルを食らわせてしまっていた。
「ぐはぁっ!」
私の肩が弟くんの顔面にヒットして――
「ぎゃんっ」
――背中から倒れた彼は、地面に後頭部を打ちつけてしまった。
「だ、大丈夫っ!?」
慌てて弟くんの顔を覗き込んでみると、白目を剥いてしまっている。
……ああ。
私ったら、
「おい、しっかりするんだバスチアン!」
「バスチアンくん、生きてるっ!?」
ハリー様とライラが駆け寄ってきて、弟くんを揺さぶる。
でも、彼が意識を取り戻すことはなかった。
えぇ……!?
ま、まさか死ん――
「……気絶してるだけですね」
――ではいなくて、ホッとしたわ。
とは言え、この子をこのままにしておくわけにもいかない。
そう思った矢先、ライラが弟くんをおんぶした。
「バスチアンくんは、私が医療院へ連れていきます」
「ごめんなさい、ライラ。お願いできるかしら」
「お任せください。ハリー様、ザターナ様の護衛をお願いしますね」
ライラの言葉に、ハリー様は親指を立てて応えた。
「弟くん、ごめんね。あとで美味しい物ご馳走するから!」
きっと届いてないだろうなと思いながらも、ライラに運ばれていく弟くんへとお詫びの言葉を送った。
「まさかのトラブルでしたね」
「お恥ずかしいところをお見せしてしまって……」
「ザターナ嬢って、ネズミが嫌いなんですね」
「昔、ちょっと嫌な思い出が……」
「お屋敷に大きなネズミが出るとか?」
「いいえ。貧民街にいた頃――」
うわっと!
またうっかり余計なことを言うところだったわ!!
「え。今、なんて?」
「……こほん。お屋敷に大きなネズミが出たことがありまして」
「今度、僕が退治に行ってあげますよ!」
なんとかごまかせたみたい。
もしこの場にヴァナディスさんがいたら、痛い視線が刺さっていたでしょうね。
「……ザターナ嬢。ちょっとこっちへ来てもらっていいです?」
私が返事する間もなく、ハリー様に手を取られた。
どこへ連れて行かれるのかと思えば、テントの裏側に造られた小さな庭園へと案内された。
「まぁ、素敵! こんなところに庭園が造られているなんて」
街灯の明かりが届いていないテント裏なのに、庭園がしっかりと目に見える。
それは、一面に咲くツキボタル草の輝きのためだった。
子爵邸の中庭よりも広い分、とても幻想的だわ!
「オアシスは大きな湖があるとは言え、地理的には乾燥地帯です。ここまで広い庭園を造るのは苦労したそうですよ」
「綺麗ですわ。どんな土地でも、美しい花は咲くものですね」
不意に、ハリー様が私の手を離した。
彼に向き直ると、懐から小さな箱を出すのが見えた。
「邪魔者がいなくなったので、ようやくこれを渡せます――」
ハリー様が箱を開けると、中から赤い宝石のネックレスが現れた。
「――受け取ってもらえますか、ザターナ嬢」
この美しい深紅に輝く光沢……。
まさか、これってルビー?
「ハリー様、これは一体……」
「ぷ、プレゼントですっ」
ハリー様が、落ち着きなく視線を泳がせている。
いつもハキハキしている彼らしくないわ。
「私、誕生日はまだ先ですよ?」
「贈り物をするのは、誕生日だけと決まってるわけではありませんから」
……参ったなぁ。
今までも殿方から贈り物はいただいたけど、
聖都では、男性から女性に宝石を贈るのは求愛の――
えっ。
求愛……? 求愛っ!?
「は、ハリー様っ!?」
幻想的な場所!
素敵な贈り物!
向かい合う男と女!
このシチュエーションは、私が読む小説でもたまによくある
「ルビーの石言葉には、愛を冠する言葉が多いのはご存じですか?」
「……いいえ」
「これは僕のあなたに対する気持ちです。僕の胸に燃え
ルビー。ルビー……。
ハリー。ハリー……。
いけない、あまりに突然のことで頭が混乱してきたわ。
「舞踏会でダンスをご一緒したあの時から、僕の心はあなたに囚われたまま。もうこの気持ちをしまっておくことなんてできない!」
顔を真っ赤にしながらも、ハリー様が思いのたけをぶつけてくる。
なんと言うか……情熱を感じるわ。
「ずっとあなたの傍で、あなたを守る使命を僕に与えてください! 僕の想いを受け取ってくださいっ!!」
「あ、あうあう……」
混乱してしまって、動揺してしまって、うまく口が回らない。
この後、ハリー様が口に出す言葉まで私は想像できてしまっているわ……。
「好きですっ! 僕と結婚を前提にお付き合いしてください、ザターナッ!!」
な、なんですとぉ~っ!?
結婚てっ!
お付き合いてっ!
予想の一歩先の言葉までついてきたわっ!!
いやいや、私達まだ17歳ですよ?
そんなのまだ早い……ということはない、か。
「あー。うー。えぇと……っ」
ど、どど、どうしよう!?
私、
「僕がこの時代に生を受けたのも、すべては聖女であるあなたをお守りするためだと心の底から確信しています!」
……聖女。
その言葉を聞いて、興奮した気持ちが急激に冷めていった。
そうだ。私は聖女。
ハリー様が好きなのは、聖女ザターナ。
私は、ダイアナ。
ハリー様の告白に動揺する必要はないのよ。
私はザターナ様の代わりとして、
「ザターナ嬢? 返事を……」
「ハリー様」
「は、はいっ」
ついさっきまでの動揺が嘘みたい。
自分が聖女だと思えば、私の苦渋も焦燥も当惑も、別の色に塗りつぶされる。
今、私の心は一抹の曇りもないほどに晴れやかだ。
「私は聖女です。今はまだ、誰かお一人のものになることは考えられません――」
ハリー様のお顔が、見る見るうちに曇っていく。
「――我が身、我が心は、その使命のために在り。ゆえに、その贈り物は受け取れません。ごめんなさい」
私は今、覚悟を持った殿方の告白を真っ向から切り捨てている。
でも、
「う……っ」
ああ。
ハリー様の目に、大粒の涙が……。
「うわああああぁぁぁぁぁっっ!!」
ハリー様は子供が駄々をこねるように叫びながら、目にも止まらぬ速さで私の前から走り去って行ってしまった。
これ、
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