第48話 大叔母、バーバラ・スタンワース
「本当に、聞いたときは驚きましたよ」
ウォルトン邸のサロンに陣取ったバーバラ・スタンワースは、いかにもあきれ果てた、といった調子で言った。彼女はビアトリスの父方の祖父の妹、つまり大叔母に当たる人物だ。
「ビアトリス・ウォルトンは我が儘で身勝手で、おまけに虚言癖があって男にだらしなくて、あとなんでしたっけね。とにかくアーネスト殿下が暴力をふるったのは、ふるうだけの理由があったと、こうですよ。もちろん私がその場できっちり叩き潰しておきましたけどね。ああ本当に、私があのお茶会に出席していて良かったこと!」
案の定というべきか、噂をばらまいているのはアメリア王妃の取り巻きのご婦人たちであるらしい。危惧していた王妃の嫌がらせが、ついに現実になったというわけだ。また「筋金入りのアーネストファン」であるところのパーマー夫人も、王妃らに加勢しているとのこと。
かつて「王立学院における嫌われ者」であった自分が、今度は王都の社交界における嫌われ者へと華麗なる転身を遂げるのかと、暗澹たる気分になりかけたが、バーバラはそんな懸念をあっさりと一蹴して見せた。
「あらビアトリス、そんなに心配そうな顔をしなくても大丈夫ですよ。なんといっても暴力事件は暴力事件ですからね。アメリア王妃の一派が何を言ったところで、みんな内心は半信半疑ですよ。この私が本気でかかれば、こんな流れは簡単に覆せますから、大船に乗ったつもりでいてちょうだい」
「ありがとうございます。大叔母さま」
「ほほほ、いいのよ。プライドの高いアルフォンスが私に頭を下げて頼んできたんですもの。まあ、これくらいのことはね」
バーバラがちらりと視線を向けると、同席していた父は居心地悪そうに苦笑いを浮かべた。父は昔から勝気で噂好きの叔母を大の苦手にしており、今までほとんど交流してこなかったらしい。そのためビアトリス自身も、彼女に会った記憶は数えるほどだ。
しかし今回ビアトリスから王妃との一件を聞いた父は、こうなることを見越して苦手な叔母に面会に行き、いざというときビアトリスのために労をとってくれるよう頼みこんでくれたのである。父曰く、バーバラはかつて社交界を牛耳っていた女傑であり、今でもそれなりの勢力を保っているので、こういう場面では力になってくれるだろうとのこと。
「それに私も今回のアメリア王妃のやり口は、さすがにどうかと思いますしね。……まあ彼女が必死になる気持ちも、分からないではありませんけど」
バーバラは紅茶を一口飲んで、いかにも楽し気に言葉を続けた。
「自慢の息子が婚約を解消されたうえ、元婚約者の新たなロマンスのお相手は、メリウェザー辺境伯家のご令息なんですものねえ。彼女としてはさぞやたまらない思いなんでしょうよ」
「大叔母さま、その、新たなロマンスのお相手というのは、一体どこから来た話なのですか?」
「あら、例のパーティの晩、あのメリウェザー辺境伯家の令息が、貴方を助け起こして家まで送ってくれたのでしょう? 聞けば大変ハンサムで優秀な青年だというし、家格だって釣り合うし、これはどうしたって新たなロマンスの始まりじゃないの」
「……彼とは良い友人です」
「ふうん? まあいいでしょ。とにかく周囲からはそう見えるってことですよ。アメリア王妃はそれが気に入らないのね。彼女にとってメリウェザー家は因縁の相手ですものねえ」
バーバラの話によれば、アメリアは幼いころから王太子アルバートの婚約者候補の筆頭に挙げられており、アメリア本人もすっかりその気でいたらしい。ところがいざ正式に決定されるという時期に、隣国と緊張状態に陥ったために、急遽防衛の要である辺境伯家のアレクサンドラが選ばれることになったという。
おまけに肝心のアルバートも、アレクサンドラに会った途端、あっさり心を奪われたとのこと。侯爵令嬢アメリアの怒りは、それはもう凄まじいものであったらしい。
「彼女には他の縁談もあったのだけど、本人が頑なに王家に嫁ぐことを希望したので、結局側妃になったんですよ。まあアレクサンドラ王妃は早く亡くなって、ああして正妃になれたわけだし、今じゃ何の関係もないわけだけど、アメリア王妃はなかなか執念深いところがありますからね、今でも思うところはあるんでしょうよ」
「そういう事情があったんですね……」
実際にはカインは単なる「メリウェザー辺境伯家の令息」どころではない。他でもないアレクサンドラがアルバートに嫁いで産んだ息子だ。アメリアがカインに向ける感情は、バーバラが想像しているよりも、はるかに激しいものだろう。
ビアトリスはふと、先日の悪意に満ちたやり取りを思い返した。
――彼は王子なんかじゃないわ。護衛騎士の子よ。ねえ、私が髪の色だけでこんな風に言っているなんて思わないでちょうだいね。ちゃんと侍女の証言もあるし、他にもいろいろとね。
アメリア王妃はどんな思いであの科白を口にしたのだろう。心からカインを王の子ではないと信じているのか。あるいは半信半疑だからこそ、あえて強調せざるを得なかったのか。あるいはそもそも侍女の証言自体が――
ふいに浮かんだ考えに、ビアトリスは背筋が寒くなるのを感じた。その推測はいくら何でも王妃に対して不敬に過ぎる。
「とにかくね、アメリア王妃に対抗するためにも、ビアトリスはもっといろんなお茶会に出るべきなんですよ」
バーバラの甲高い声が、ビアトリスの意識を現実へと引き戻した。
「この子の美貌なら年配の夫人たちにも大いに可愛がられるでしょうに、今まで勿体ないことをしたものですよ。ふふ、それにしても本当に美しいこと。社交界の花とうたわれた私の若いころにそっくりですよ」
「……この子はスーザン似だと思うのですが」
父が横から口をはさむも、バーバラは「馬鹿おっしゃい。この顔立ちは明らかにウォルトンですよ!」とぴしゃりとはねつけた。
――かくしてビアトリスはバーバラに連れまわされて、高位貴族の夫人たちの催すお茶会に出席することになったのである。
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