第27話 父の言葉

 婚約を解消したいというビアトリスに対し、父は驚き、困惑し、やがて労わるような眼差しを向けた。


「殿下とはうまくいっているとばかり思っていたが、まさかお前がそんなに悩んでいたとはな……」

「ごめんなさいお父様、もっと早くにお話しするべきでした」

「いや、私の方こそお前の気持ちにもっと気を付けるべきだった。すまなかったなビアトリス、お前は一人でずっと苦しんでいたんだな」


 その声はどこまでも優しく、包み込むように温かい。

 思わず涙ぐみそうになるビアトリスに対し、父は言葉を続けた。


「これからは時間を設けて、親子でもっとちゃんと話をすることにしよう」

「はい……それでお父様、婚約解消についてなのですが」

「うん、そのことなんだがな……今だから言うが、私も結婚前はスーザンと上手くやって行けるかどうか、大層不安に思ったものだよ。スーザンの方も私のことをいかめしくて気難しい人だと思って、嫁いでくるまで不安に思っていたらしい。――しかし、結婚してしまえば意外となんとかなるものだ」

「あの、お父様、そういうことではないんです」

「まあ聞きなさい、私にも覚えがあるんだが、若い時はちょっとしたことでこじれたりすれ違ったりするものだ。相手の思惑を大げさにとらえて、酷い人だと思い込んでしまったりな。それにお前は王家に嫁ぐわけだから、王妃としてうまくやって行けるかという不安も大きいだろう。しかしお前ならきっと大丈夫だ。前にお会いした時、アメリア王妃もお前を褒めていらしたよ」

「お父様、先ほど申し上げた通り、アーネスト殿下は私が実家の力で無理やり婚約者になったと侮辱なさったんです。そのような方とやっていくのは不可能です」

「その暴言について、アーネスト殿下ははっきり認めておられるのか?」

「……覚えてないが、冗談で言ったことがあるかもしれないと」

「そんな曖昧な理由で人を責めることは正しくない。試験で不正をしたという侮辱にしても、その平民の女生徒一人が言っていることなんだろう? こういってはなんだが、アーネスト殿下よりその女生徒を信じるというのは私には理解できないな。私はこれでも人を見る目はあるつもりだが、アーネスト殿下は真面目で誠実で、少し厳しいところはあるにせよ、根は大変優しい方だと思うよ」

「お父様、違います。そうではないんです……!」


 ビアトリスは今までアーネストから受けてきた仕打ちのひとつひとつを、改めて父親に説明しようと試みた。ビアトリスに対する冷たい口調、蔑みに満ちた眼差し、追い払うような態度、それを見た一般生徒の嘲笑と、悪意のこもった陰口。


 しかしひとつひとつを具体的に言葉にすると、それらはなんとも曖昧で、実に些細な他愛もないことのように聞こえてしまう。あの眼差し、あの声音、あの嘲笑、ビアトリスが繰り返し味わったどうしようもない惨めさは、その場にいて、その立場になってみないと分かりようのないものだ。


 言いようのないもどかしさを覚えつつ、ビアトリスは必死で言葉を紡いだ。


「……つまり、どうあっても婚約を解消したいというんだね」


 しばらく耳を傾けたあと、父は深々とため息をついた。


「はい。ごめんなさいお父様」

「ビアトリス、お前の婚約は我が家に便宜を図るためのものではない。打診があったあの時点では、お断りしても何ら問題はなかった。いや婚約したあとでも半年くらいなら、円満に解消する術はあったろう。しかし今はもう、そういう段階を過ぎている」


 父は噛んで含めるように言葉を続けた。


「お前は何年もの間、アメリア王妃を始め王宮の多くの方のご協力によって王妃教育を受けてきた。周囲の人間も皆お前が王妃になるものと認識している。それをお前ひとりの我が儘で、今から全て覆したらどうなることか。いくらウォルトン公爵家の娘と言えど、お前はもう二度とまともな縁談は望めまい」

「それはもちろん覚悟しています」


 仮に結婚相手が見つからなかったにしても、ビアトリスには祖母から個人的に受け継いだ遺産があるし、一人でつつましく生きていくことくらいは十分に可能なはずである。世間からは「嫁き遅れの老嬢」と揶揄されるかもしれないが、相容れない相手と四六時中気を張って過ごすよりは、はるかに人間らしい暮らしが送れるだろう。


「そうか。それならお前はそれでいいだろう。私やスーザンも社交界は好まないし、ほとんど領地にいるのだから別に構わない。しかしお前の兄のダグラスはどうなると思う? 留学から帰って来てみたら、跡を継ぐべきウォルトン家がすっかり信用を無くして、貴族社会で腫れ物扱いになっているのを、一体どう受け止めたらいいと思うんだ? ビアトリス、どうしてもというのなら、婚約を解消する正当な理由を、お前自身の手で見つけてきなさい。ウォルトン家に対する侮辱でも、お前自身に対する侮辱でもいい。単なるうわさ話ではなく、殿下が確かにそうおっしゃったという証言を、証言者の署名入りで貰ってきなさい。……話はせめてそこからだ」

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