関係改善をあきらめて距離をおいたら、塩対応だった婚約者が絡んでくるようになりました
雨野六月
第1話 人気者の王太子と嫌われ者の公爵令嬢
「……それは本当にアーネストさまがおっしゃっていたことなんですか?」
ビアトリス・ウォルトン公爵令嬢は、振り返って問いかけた。
聞こえよがしに陰口を叩かれるのはいつものことだが、今しがた耳にした内容は、さすがに聞き流せるたぐいのものではなかった。
「え、ええ本当ですわよ。ビアトリスは実家の力で強引に俺の婚約者におさまったんだ、俺が望んだことじゃないって、殿下ははっきりそうおっしゃってましたわ!」
訊かれた少女は動揺しつつも、勝気な口調で返答した。本来なら格上の公爵令嬢、それも王太子の婚約者と対峙している気おくれと、しょせんは学院の嫌われ者じゃないかという侮りがないまぜになった表情だ。
「そうですわ。私もはっきり聞きましたもの」
一緒に陰口を叩いていた他の少女たちも加勢する。
「ビアトリスにはいつも付きまとわれて迷惑してるっておっしゃってましたわ」
「俺はもっと溌溂として可愛い娘が好きなんだともおっしゃってました」
「できるものなら婚約解消したいけど、あいつが俺に執着してるから無理だって――」
「分かりました。貴重な情報を教えて下さって感謝します」
ビアトリスは深々と頭を下げると、あっけにとられた少女たちを一瞥もせず、足早にその場をあとにした。胸にこみ上げてくるのは彼女らへの怒りではなく、言いようのないやるせなさだ。
付きまとわれてる、は聞き飽きた。
迷惑してる、だけならまだ良かった。
今までだって似たようなことはさんざん言われてきたからだ。
しかし「強引に婚約者におさまった」だけは聞き捨てならない。
だって婚約を打診してきたのは、紛れもなくアーネストの方なのだ。
ビアトリスが第二王子アーネストと初めて会ったのは八歳のとき、王妃主催のお茶会の席でのことだった。
金の巻き毛に青い瞳の少年に優しく笑いかけられて、ビアトリスは一目で恋に落ちた。招待された令嬢は他にもいたが、アーネストはビアトリスを一番優先してくれて、時間のほとんどをビアトリスとのおしゃべりに費やした。
二回目のお茶会では、アーネストはビアトリスに手を差し出して、薔薇園をエスコートしてくれたし、三回目は二人でお茶会を抜け出して、王宮庭園の奥にある秘密の場所へと連れて行ってくれた。
そして四回目のお茶会の翌日に、ビアトリスは父公爵から「王家からお前をアーネスト殿下の婚約者に迎えたいとの打診があった」と聞かされたのである。
「まだ正式な申し込みじゃないから、お前が嫌ならお断りしても構わないよ」と言う父に対して、ビアトリスは迷うことなく「私は殿下と結婚したいわ!」と即答した。何故ならビアトリスはアーネストが大好きだったから。そしてアーネストの方も自分が好きだと心から信じていたからだ。
ウォルトン公爵家は王家の申し出を承諾し、幼い二人は晴れて正式な婚約者同士となった。
「婚約者になったんだから、これからは殿下じゃなくてアーネストって呼んでほしいな」
「分かりました。じゃあ私のことはトリシァって呼んでください……アーネストさま」
「分かったよ、トリシァ」
そんな初々しいやり取りを交わしたことを、今も鮮明に記憶している。
それからほどなくして第一王子クリフォードが病死したため、アーネストは王太子となり、ビアトリスは将来の王妃になることが決定した。
王妃教育は大変厳しいものだったが、いずれアーネストの隣に並び立つためだと思えばやりがいもあった。また指導が終わるころにはいつもアーネストが会いに来てくれて、二人でお菓子を食べながら、将来のことを語り合い、お互いに励まし合ったものである。思い返せば、本当に幸せな日々だった。
そんな二人の関係に暗い影が差し始めたのは、一体いつからだったろう。きっかけは特になかったと思う。いやあったのかもしれないが、少なくともビアトリスは気づかなかった。
いつの間にやらアーネストはビアトリスに対してほとんど笑いかけなくなり、ビアトリスがあれこれ話題を振ってみても、「ああ」とか「うん」とか、面倒くさそうな返事をするようになった。
やがて二人は十二歳になって王立学院に入学したが、彼の態度はますますひどくなる一方で、人前でもビアトリスを疎んじる態度を隠そうともしない。
そのくせ他の生徒にはかつてのような人当たりの良い王子さまぶりを発揮するので、一般生徒たちからの人気は絶大なものとなり、それに呼応するように、「王太子に嫌われている婚約者」であるビアトリスは孤立していった。
あのお優しい王太子殿下に嫌われているくらいなのだから、ビアトリス・ウォルトン公爵令嬢とはよほど嫌な人物に違いない、というわけだ。
ビアトリスが関係修復のために懸命に努力したことも、彼女にとって悪い方に作用した。ことあるごとにアーネストと接触を試みるビアトリスと、その度にすげなくあしらうアーネストの構図は、一般生徒にとっては格好の見世物となり、いつしかビアトリスは公然と笑いものにしていい存在へと堕ちていった。
「まあ追いかけ回してみっともないこと」
「迷惑がられているのが分からないのかしら」
「アーネスト殿下がお気の毒ね」
聞こえよがしに嘲笑される日々はビアトリスの心をじりじりと疲弊させていく。
それでも「自分は望まれて婚約者になったのだ、今はこじれているけど、きっとまた元のように笑い合える関係に戻れるはずだ」という希望がビアトリスを支えてきたのだが、今しがたのやりとりで、それすら木っ端みじんに打ち砕かれた。
実家の力を使って、強引にアーネストの婚約者におさまった公爵令嬢ビアトリス・ウォルトン。
アーネストがそう思っているのなら、彼にとってはそれが真実なのだろう。
彼の中には、かつて睦まじかった記憶すらすでに存在しないのだ。
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