第7話 異形の信徒

 相談を終えて、昼食も食べ終えて、会社に戻って来た俺と六反田。昼休みも終わって午後の就業時間、そのまま自分の机に戻るか、と思ったが、六反田が足を向けるのは総務部の方だ。


「じゃ、こっちの話がまとまったところで、四十物ちゃんに話をしに行くか」

「えっ、ちょっ、大丈夫なのか、四十物さんだって仕事中じゃ」


 すたすたと総務部のエリアに向かっていく六反田の後を追いながら、戸惑いの表情を見せる俺だ。午後の終業時間に入って、総務部の人たちは忙しくしていること間違いなし。そんな時に割り込みで話を持ち掛けるというのも、なんか申し訳ない。

 だが、六反田はちっとも気にした様子ではない。振り返り、黒い鼻をすんと鳴らしながら言った。その人外感満載な顔に、まだ慣れない。


「こっちも仕事だし、普段の仕事よりこっちのが優先度高い。そういうことになってるから気にすんな」

「えぇ……」


 しかし話す言葉はいつも通りの、軽薄で調子のいい六反田洋輔のそれだ。容赦も遠慮もなくぐいぐい行くその姿勢、ホッとする部分もあるがやはりちょっと引き気味になってしまう。

 そうこうするうちに総務部のエリアについた。パーテーションで区切られたフロアには8人ほどが座り、パソコンに向かい合って備品の在庫管理、勤怠管理を行っている。

 パーテーションの中を覗いた六反田が、ちらちらと視線を動かす。


「えーと……あ、いたいた。四十物ちゃーん」

「……っ!?」


 六反田が声をかけた、入り口から見て右側、右手前側のデスク。そこでディスプレイをにらみつけるようにして仕事をしていた女性社員が、顔を上げてこちらに目を向けた。

 そして俺は、彼女の姿を見て息を呑む。なにせ、その異形ぶりは六反田を大きく上回っているのだ。

 人間の肌が見えているのは右目の周辺だけ、それ以外は真っ黒でぬめりを帯びた触手のようなもので覆われ、皮膚のあちこちはかさぶたのようなものでごつごつしている。不気味を通り越していっそ怖い。


「何か御用ですか、六反田さん、下唐湊さん」


 そんな彼女――つまり四十物美都が、全く抑揚のない平坦な口調で俺と六反田に向き直って言った。触手の隙間から覗く目には光がない。尤も、うちの会社で目が死んでいない人間なんてほとんどいないが。

 だが、それを抜きにしてもこの外見はさすがに心配だ。思わず隣の六反田の肩を叩く。


「ちょっ、ロクちゃん、大丈夫なのか彼女、これ」


 このままだったら六反田が外見のことをまるっと無視して話し始めかねない。そう危惧しての問いかけだったが、四十物さんはいつもの光の消えた薄目を、俺の方に向けてきた。


「何か」

「いっ、いえ」


 彼女の短く、淡々とした言葉に、思わず俺は首を振ってしまう。元から愛想が無く、物言いは冷淡で、笑顔も見せない彼女ではあるが、この外見でその口調で話されると、何とも言い難い迫力があった。

 ビビっている俺を差し置いて、六反田が四十物さんへと嬉しそうに話しかける。


「喜べ四十物ちゃん、ようやくが出来るぞ」

「ああ……なるほど」


 六反田の言葉にも、いつも通りの調子で返す四十物さんだ。だが、その目元が僅かにゆるんでいる。表情の変化はちゃんと顔に出るらしい。

 そんな彼女が、再び俺に目を向けた。視線が合って、もう一度俺がビクッとなると、そのままに六反田へと問いかける。


「今の反応を見るに、六反田さん、下唐湊さんに私の能力について、説明は」

「してない」


 対して、こちらもいつもの調子で返事を返す六反田である。この恐ろしい姿を前にして調子を崩さないでいられるのも才能だろうが、六反田自身が人間ではないということだし、こんなものなのかもしれない。あるいは本当にこの姿が見えていないのか。

 しれっと自分の説明の不備を話す六反田に、四十物さんが深くため息をつく。


「はあ……そんなことだろうと思いました。相変わらずですね」


 呆れたようにそう呟くと、四十物さんが俺の方に身体を向けた。顔を覆う触手を手で退けて目を見せながら、淡々と話してくる。


「下唐湊さん、私の契約相手であるメルキザデクは四次元世界の、決まった形を持たない不定形の魔物モンスターです。その恩恵を受けている私にも、その根は深く根付いている。だからこそ、下唐湊さんには私が異形の姿に見えていることでしょう」


 あっさりと話されるその言葉に、目を見開く俺だ。

 四十物さんの話を聞く限りでは、彼女は俺と同じように普通に人間だったのが、高次元存在と「契約」してこうなった、ということらしい。そして彼女はそのことについて、特に何の感情を抱いていない、とも。

 というかこんな話を周りに人がたくさんいて、仕事している中でやっていいのだろうかと思う。またしれっと、六反田が時間軸をずらしたりしているのだろうか。


「そ……そうなんですか」

「はい。何でしたら今も、私は胎内にいますので」


 その場を取り繕うように返事を返す俺に、これまたしれっととんでもないことを言ってくる四十物さんだ。飼っているのか。そんなバケモノを、身体の中に。

 彼女の肩にぽんと手を置きながら、六反田が軽い調子で話してくる。


「四十物ちゃんの契約するメルキザデクは、相手の精神系に侵入して支配することに長ける。その能力を以て相手の精神や魂から異物を切り離し、切除することが出来るってわけだ」

「むしろ、私の能力はその一点に集中しているが故、単独での業務は行えなかったほどです。今回招聘しょうへいいただいて、六反田さんには感謝しています」


 四十物さんは僅かに目を細めながら、説明する六反田に頭を下げる。なるほど、特化した能力を持つというなら、誰かと一緒に仕事をしないとならない。フレーデガルがメルキザデクにどう声をかけたのかは知らないが、彼女にとっては嬉しいことこの上ないだろう。

 幾分場が和やかになったところで、俺はずっと気になっていた質問をぶつけていく。


「え、えぇと……ちなみに四十物さん、契約はどこまで」

「三次契約まで済んでおります」


 再びいつも通りの表情になった四十物さんが、これまたしれっと言った。

 その言葉に面食らう俺だ。だって三次契約と言ったら、必要になるのはだ。


「え……あ、ああ、なるほど」


 その事実に背筋に冷たいものが走るのを感じながら、へらりと笑みを浮かべつつ四十物さんに言葉を返す。

 想像してしまったのだ。裸になった四十物さんが、不定形でおぞましい触手生物と、こう、睦み合っているところを。俺の顔を見た四十物さんが、僅かに目を細めながら言う。


「いいんですよ下唐湊さん、私がそういうものとをしたのは事実ですから」

「えっ、あっ、いや」


 どこか諦めたような目をしながら、四十物さんは言う。その言葉に何も言えず、しどろもどろになりながら俺は視線を逸らした。

 きっと彼女は、メルキザデクのことを心の底から愛しているのだろう。そうでなければ、もっと恥じらったり視線を逸らしたりと、嫌な気持ちを表すはずだ。ここまで淡々と、それが当たり前であるかのように言われたら、俺も何も言えない。

 と、六反田の獣毛に覆われた手が、再び四十物さんの肩を叩いた。


「まあ、それはそれとしてだ。四十物ちゃん、トソちゃんもようやくこっち側に来たわけなんでさ。改めて自己紹介、頼むわ」

「ああ、はい、分かりました」


 彼の言葉に、四十物さんがこくりとうなずいた。そうしてからまっすぐ俺に身体を向けて、軽く頭を下げながら言う。


「そういうことですので下唐湊さん、改めて自己紹介させていただきます。総務部総務課、四十物あいもの美都みと。高次元の怪物、異形メルキザデクと契約を成したもの。今回、弊社アビスの改革のために力を尽くします。どうぞ、よろしくお願いいたします」

「あ……よ、よろしくお願いします」


 懇切丁寧な自己紹介に、面食らいながら俺も頭を下げた。ちらと横を見たらわらびも、俺の肩に乗っかりながら頭を下げている。どうやら高次元存在にも序列があって、わらびことキネスリスは三人の中では一番下らしい。

 ゆっくりと目を瞬かせて特殊能力を解除すると、元の人間に見た目が戻った四十物さんが椅子から立ち上がった。いつもの唇の薄い仏頂面のまま、小さく身体を伸ばしてから俺の前に立つ。


「それでは、下唐湊さんのレクリエーションと私たちの準備運動を兼ねて、一つ簡単な仕事を行いましょう。準備はよろしいですか」

「えっ、そ、そんないきなり」


 いきなり「仕事」に取り組むことを要求されてまごつく俺だ。

 そんないきなり、他人の「ひずみ」を取り除けと言われても、やり方も知らない。何も教えてもらっていない。

 困惑する俺の肩を叩きながら、容赦なしに六反田が言った。


「何言ってんだ、準備なしに仕事に放り込まれるなんざ、うちの会社じゃ普通だろ。気にすんなって」

「え、いや、待って!?」


 あっさりそんなことを言いながら俺の背中を押す六反田に、俺は文句を零すので精一杯だった。

 こんなやり方、アビスのブラック企業感満載の新入社員研修と何ら変わりがないじゃないか。せっかくブラック企業を変えていく仕事だというのに、あんまりだ。

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